2017年9月17日(日)~20日(水) 第4次九州北部ボランティア

9月17日(日)午後2時半 神戸市JR朝霧駅前集合
 持ち物  : 長靴,軍手,革製手袋,雨具,帽子,ヘルメット,懐中電灯(ヘッドランプ),
        筆記用具,携帯の充電器など。
 参加費  : 寄附 ボランティア保険代金500円は別。
 問い合わせ先: 神戸国際支縁機構 携帯 080-3101-1151 E-mail : kiso@mbe.nifty.com

2017年8月20日(日)~23日(水) 第3次九州北部ボランティア

 8月24日,読売新聞で活動を紹介
 8月20日,広島の小島芙美子さん(第21,24,31,35,38次),山本政澄&喜恵夫妻から支援物資を宮島サービスエリヤで受け取る。
 8月19日,垂水朝祷会,東垂水ルーテル教会から支縁物資,献金を受領。
 8月18日(金) 午後5時半 ラジオ関西 558KHz 「時間です!古田編集長」

『読売新聞』(2017年8月24日付) Kayoko Fund

日本の原風景 棚田(たなだ)

被害を免れた棚田(たなだ) 2017年8月21日

 段々畑を何世紀も前から続けている日本の原風景。
 復旧,復興,再建の手のつけようがない。
 200年,300年を要するから,若者の移住を募集。

 棚田(たなだ)の稲はもう収穫されません。何百年とかかって,大阪城の城壁を築くように,石を積み重ねて,山あいの斜面を段々畑にしてきた芸術作品のような日本の原風景です。だれが復興するのでしょうか。第1次,第2次の避難所の炊き出しで知り合った樋口實さんと。

棚田に残る稲 松末乙石  樋口實氏と 2017年8月21日

棚田崩壊 2017年8月21日

満生直樹寒水区長

 寒水(そうず)の区長である満生直樹さん(56歳)から,メディア,議員,役所がいかに住民の痛み,苦しみ,怒り,くやしさに無感覚であるかを聞きます。朝6時から,寒水地区に困ったことが起きていないかどうか,関心を払っておられます。また行方不明者がいるとはいえ,道が川となり,住めなくなった住居の復旧の見込みがつかないことに嘆息しておられました。

寒水地区 2017年8月21日

寒水地区 2017年8月21日

寒水地区 2017年8月21日

赤谷地区

赤谷地区 2017年8月21日

松末(ますえ)小学校

松末小全景 2017年8月21日

松末小講堂 2017年8月21日

松末小教室 2017年8月21日

松末小裏側 2017年8月21日

 フードバンク関西,「日進モータース」(孫田正浩社長)が機構のハイエースを寛大に点検。耕支縁チーム(神戸市西区友清 岸本豊[第11,19次,丹波水害]代表),山本 勝さん,上原俊基さん,河合敏行さんや,7月16日,広島県安芸のサービスエリヤで,小島芙美子(第21,24,31,35,38次)さん,深田明美さん,紙元順子さんたちからタマネギや袋類の野菜提供が1号車にありました。㈱小阪商店の小阪修一社長の燃料貸出,東垂水ルーテル教会の山下 寛&弘美 ご夫妻からのそうめん,河村ひとみ(第62次)さん,永野真治さん,西福寺からいろいろな物,感謝します。

 差し入れをくださった私たちの「耕支縁」の小勝とも子さんは泉 俊明さんとご結婚なさいます。高知に住まわれるお二人に御祝福がありますようにお祈り申しあげます。

 次々と起こる度に現場に急行する神戸国際支縁機構は,手弁当で向かいます。皆さまからの寄附などのご協力がないと自転車操業で苦労します。ご支縁をお願いします。

 2017年7月5日 気象台始まって以来の九州豪雨 福岡県,大分県で冠水,土砂崩れ,家屋倒壊

第2次九州北部ボランティア報告

                         神戸国際支縁機構
                         会長 岩村義雄

完全原稿 ⇒ 第2次九州北部ボランティア報告  
報告 ダイジェスト版

第2次九州北部ボランティア報告 2017年7月16日(日)~19日(水)                                                                神戸国際支縁機構                          会長 岩村義雄

 参加者総勢7名, 岩村義雄,村上裕隆,本田寿久,大島健二郎,藤丸秀浄,片山忠明,村上安世

マスコミ各紙

(1) 最大の避難場所 杷木中体育館
 a. 7月16日(日)2台で出発

 一行は,午前4時に朝倉市杷木(はき)中学校体育館に集合。2台が大鍋,プロパンガス,食材などを福岡県朝倉市杷木(はき)中学校へ搬入。神戸国際支縁機構の炊事にとりかかります。ボランティアは7名です。
 杷木町は日本一の甘柿の生産地です。「志波柿」(しわがき)という名で全国的にも知れ渡っています。第1次の時は,熊本からの大島健二郎(第63次,熊本地震)君を迎えるために福岡県筑紫野市から大分県日田市に走っている国道386号沿いはドロで埋まっていました。2次では,原鶴温泉付近はアスファルト地が見えるようになっていました。九州自動車道や386号が走られるが,被害が復旧したと早計には言えません。車窓からの朝倉市の光景は茶色くなった水田,壊れたグリーンハウス,積み上げられたスギ,被災の大きさが各所に見られました。

杷木中体育館前の車輌 左本田寿久事務局長が運転

 b. 炊き出し

 校舎と体育館を結ぶ通路近くの駐車場に,大鍋類,プロパンガス,食材を降ろしました。未明午前5時から朝食に向けて,炊き出し開始します。けんちん汁約200食にかかります。避難所にいる方たちは,阪神・淡路大震災の時に幼かった機構のメンバーたちが恩返しに来ているといううわさが広がっているせいか,被災者のみなさんが快く,明るく,感謝の気持ちで接してくださいます。

 朝食ができる頃,白水克美校長(58歳)は,教師達と被災者にどのように必要な配慮をすべきか,会議をし,打ち合わせた内容を迅速に移そうとなさっています。

 体育館では小島重美さん(69歳)と再会します。小島さんは杷木白木谷(しらきだに)255-1に2階建ての家に住んでおられました。白木谷の集落は30戸ほどでした。残ったのは2,3件だそうです。以前は建築の左官の仕事をしておられました。今年1月咽頭癌から回復したものの,とつぜんの土砂崩れに遭遇されました。2階におられましたが,奥さまの初子さんは1階でペットの世話をしておられました。捨て犬を飼っておられたのです。すると警報もなく心の準備ができていない中,奥さまは濁流に呑まれ,1キロメートル先まで流されたとのことです。1日半後,遺体が発見されました。東日本大震災の時もそうでしたが,津波の水害で死亡した場合,ご遺体の損傷は大きく,男女の性別がわからないほどです。衣類もなくなり,手足もまともに残っておらず,眉毛などすべての体毛はなくなっています。直径50センチ,長さ10メートルもあるスギも枝はなく,樹皮ははがれています。土砂とともに流れる間にぶつかり合うのです。したがって,遺体安置所に配偶者や家族が一目会いたいと願っても,警察は承認しません。小島さんもDNAで本人だと判明しても,死体を見ることも許されませんでした。「会わせて欲しかったけんど,あきらめにゃならんとば」,と寂しそうに語られました。荼毘に付して,骨になってからの対面という具合でした。助かった夫小島さん自身も逃げ場もなく,手足を負傷しておられました。炊事など家事は一切奥さま任せだったので,避難所を出て行かざるを得なくなったらどうしたらよいか,不安そうな表情でした。「ゴン太は行くとか,ないとですよ」,とどろどろになった犬を杷木中体育館に連れて来ておられます。テレビの報道で知った東京の女性から体育館宛に手紙と品が来ているのをうれしそうに筆者に見せてくださいました。

小島重美さん(69歳)

 c. 現場の混乱

 朝食はおにぎりの到着が遅れ,8時半でした。平素早く朝食を食べる習慣がある人たちが多く,待ちきれない様子です。

 機構は被災者に一番近いテーブルに,神戸から運んだ容器にサランラップをおいて,提供します。久保山淳子さんの3人の娘さんたちがボランティアを手伝ってくれます。智畝(ちほ 19才)さん,リ畝(りほ 小5)さん,志畝(しほ 小3)さんです。久保山さんは神戸市須磨区の友が丘小学校,啓明女学院出身です。高校時代は7種目の陸上競技に打ち込んでおられました。寒水の3階建ての市営の1階が完全に埋もれた号棟に住まわれた母子家庭は大変です。阪神・淡路大震災を西宮で被災し,今度は,嫁いだご主人の田舎の朝倉市で被災なさいました。無情です。「神・仏はいるのか」,と思わず口から出てしまう試練です。3人の娘さんたちは被災者に配給し終えてから,4人が寝起きしている布団を畳んでできた約1平方メートルほどのスペースで食をとりました。

寒水(そうず)の市営 1階は沈下

(2) 山津波と呼ばれる土石流
 a. 人災

 朝食後,伊藤千恵さん(81歳)という女性に傾聴ボランティアをさせていただきました。品性のある方で,聡明です。幼い時から農をされ,4,5歳から田植え,稲刈りを手伝ってこられたにもかかわらず,背筋がまっすぐです。住まいは寒水(そうず)地区です。寒水は隣の佐賀県では「しょうず」と発音します。
 伊藤さんの娘さん裕子さん(49歳)が温かいけんちん汁のお礼を言われた際,「震災ではいかがでしたか」,と尋ねると,母がしっかりしていて正確に説明できるからと,後で来てくださいとおっしゃったことがきっかけで,千恵さんから色々なお話を聞くことができました。寒水の15,16戸は流され,古賀さんは亡くなられ,古川さんはいまだ見つかっていないと言われました。数字など正確に覚えておられるのは,幼い時からそろばんの影響で暗算が得意だったこと,浮羽郵便局の簡易保険組合の事務局長をしたこと,地域の有力者達との交友をされていた経歴などからうかがい知ることができました。信頼を勝ち得てこられた人柄が伝わってきました。

伊藤千恵さん 2017年7月17日

 伊藤さんは今までにない悲惨な豪雨の顛末について,語り始められました。「大きなスギが,すごい音を出して濁流と共に降ってきたのよ」,と。どうしてそうなったのかをしっかりした口調で話されます。山のスギが外材で売れなくなって,放置されたままになった山林。枝打ち,間伐もしないで,日があたらなくなってしまった地面に何も育ちません。斜面を削って日本一の柿の生産地になったものの,大地に雨の水はしみ込みません。根の浅い果実の木々が山崩れを助長しました。自然を大切にしなくなったから,全国どこでも起こり得る人災,と語る言葉は重みがありました。

 b. 宗教施設

 昼食前,朝倉市の寺社仏閣の被害を避難者に尋ねました。お寺の損傷については知っておられる人はいませんでした。浄土真宗の西宗寺(さいしゅうじ)を訪ねるようにすすめられました。15ヶ寺の情報について聞けるのではと教えられたからです。久喜宮(くぐみや)小学校近くにあります。7月6日に朝倉市から避難所情報を聞いた時には,久喜宮小学校の40人の避難者にも炊き出しができればという案もありました。久喜宮小学校,光陽高校の避難者はサンライズに移動されたり,統合が図られたようです。

 近道をと,狭い農道をハイエースで走っていると迷路のようなところに入り込んでしまいました。家が泥をかぶって,洗浄作業をしている農家の方が暑い中,顔に汗が流れ落ちるのをタオルでぬぐいもせず,道を親切に教えてくださいました。笑われると目が細くなってえびす顔の方でした。ちゃんと行けるかどうか,ずっと見守り,曲がり角にたどり着くと,遠いにもかかわらず,合図をして無事に行けるかどうか,30歳前後なのに親のように気遣うおやさしい方でした。

 おかげで3つの大きな寺が並ぶ場所の駐車場に停めて,境内に入りました。するとこれから葬儀があるからというにもかかわらず,「あがんなさい」,と藤玄洋住職は庫裡(くり 住職の住居)でもある会館に招き入れてくださり,坊守(ぼうもり 住職の奥さま)である宏子夫人がにこやかに茶菓を振る舞ってくださいました。忙しい時間帯なのに丁寧なもてなしに恐縮してしまいます。住職も「だいじょうぶだから,まあそうあわてずに……」,と微塵も多忙さを感じさせない懐の広さです。「避難所で本願寺のタオルを拝見しました。迅速なご配慮ですね。みなさん喜んでおられました」,と申し上げると,1000本を配ったと言われました。地域としては,「東本願寺系統がゼロと神戸で聞いたのですが,お西さんはどこも被害はなかったのですか」,と尋ねると,どのお寺も大きな被害はなかったと言われました。筑後川を境にして,手前が黒田官兵衛の流れの黒田藩,川より向こうが有馬藩で,すべて東本願寺ですと説明されました。「兵庫県と縁がありますね」,と申しました。川の向こうとこちら側で浄土真宗は東と西にきれいに分かれている日本でも珍しい地域だそうです。朝倉では,住職とは言わず,「ご院家さま」(ごいんげさま)ということも,訪問してきた葬儀の家族の方と藤住職とのやりとりで知りました。宮城県石巻市渡波では,東北弁のイントネーションで「おっさん」というのが三代目のローマ・カトリック教会信者の家庭で育ったため,何のことかさっぱりわからなかったのを思い出しました。「おっさん」とは「和尚さん」の略だったのです。宗派によって,住職についていろいろな親しみを込めた呼び方があるのは新発見でした。機構の東北ボランティアに同行される藤丸秀浄(法専寺)住職には,いつも住職と呼びかけているので新鮮な響きがありました。西宗寺から杷木中体育館に戻り,藤丸住職にそのことを話すと兵庫県加西市あたりでは,「ごえんさん」と言うと聞き,またびっくりしました。

西宗寺 藤玄洋住職と宏子夫人 敬信(長男)さん

 c. 寒水の被害

 昼食を提供し,片付けた後,ボランティアメンバー6人で伊藤さんたちが住んでいた寒水に行くことにします。道路は川となっているため,松末と異なり,メディア関係者もほとんど足を踏み入れていない地域です。杷木中学校から全車通行禁止の看板の横を通り抜け,向かいます。みなさん,長靴をはいています。杷木中の身近でこんなに豪雨の爪痕がひどいことはだれも想像もできないほど,家という家はたたき付けられています。本来の道が川になっています。これが道路だったとは説明がなければだれもわからないほどです。寒水に住んでいた人たちが戻って家の片付けをしておられました。本田寿久事務局長は自分の家に戻ろうにも戻られない女性の重いカバンを携えて,寒水のご自宅まで送り届けました。歩くだけでも汗びっしょりになるのに,カバンをもってあげる親切には感心します。地図を見ても,ご本人も場所がわからないで途方にくれておられたのです。
 天井ぐらいまで土砂で埋まっています。車輌も転倒していたり,土砂で飴のようにへし曲げられ,上半分しか地表に出ていません。車の原形が残っていないのです。

全壊した唯一の宗教施設 文字社跡 2017年7月17日

 川になっている道を長靴で 2.7キロほど行くと,文字社(もんじしゃ)と親しまれてきた神社があったとおぼしき場所に来ました。今回の九州北部豪雨で唯一完全崩壊した宗教施設です。宮司も,人影もありませんでした。梶原明彦宮司が兼務されている約100メートル下にある天満宮は無事でした。被災者に寛大に無料で入浴できるようにされている筑後川温泉で,どちからとなく話しかけた方が梶原宮司でした。明日から別の場所で住まうので,会える機会があったのも偶然とは思えませんでした。初めてお出合いする方ともすぐに家族のように親しくなり,お互いに「7月5日の時,どうでしたか」,「家は流されてしまってねぇー」,「仕事場もなくなってよー」などと話し合える関係が福岡県朝倉市杷木(はき)にはあります。東日本大震災直後にも身分,収入,社会的立場がどうであれ,わだかまりなく家族のように話し合えるユートピアがありました。

(3) ボランティア    7月18日(火)
 a. ボランティアの受け入れ

 朝倉の朝食におにぎりが届きます。お腹を空かせた避難者は午前8時過ぎても待たねばなりません。7月7日の昼食はまったく来なかったり,数が予定の3倍になったり,情報が錯綜しています。地域の防災士の活躍があってはじめて避難所は動いています。色々な避難者の生活に必要な事柄,支縁物資,郵便など臨機応変に対応するには,経験豊かな防災士は際立った働きです。しかし,朝倉市役所の2交替で出向く担当者は引き継ぎがなされておらず,ハプニングが続出していました。防災士の度重なる願いも聞き入れてもらえません。そこで,責任がもてないと防災士は撤退してしまいました。その後に,機構は第2次の炊き出しをします。防災士がいない現場では,杷木中学校の先生方も,忍耐強く被災者に仕えていますが,行政側の対応にいらだちを覚えておられました。問題に対して,機敏さ,臨機応変の対応ができないなどの理由で,今度は学校側が辞退したいと願い出る有り様です。

炊き出し 準備  2017年7月18日

 困っている人に寄り添う姿勢こそが被災地では何よりも優先されるべき精神態度です。数字,マニュアル,机の上の計画では,家族,家,仕事を失った人たちの怒り,苦しみ,くやしさの度合いを測ることはできません。みんなで助け合うコミュニティ,震災後,家族のような血の通った社会,過疎,高齢化,少子化から若者たちが地域に残る日本人の原風景を取り戻す好機到来です。そんな時,元の木阿弥の制度化されたシステムが幅をきかせる原因が何かについてわかるようになりました。阪神・淡路大震災から22年間,現場で汗を流してきてようやく発題することができます。災害ボランティアを受け入れる組織は民間にすべきです。集中豪雨,土砂崩れ,地震,津波が今後も頻繁に起こることを考慮すると,災害知識,人的交渉能力,賢明な認知判断ができる災害体験者が適切です。現在,ボラセン(ボランティアセンターの略),社会福祉協議会,市役所福祉課に申請し,許可されないとボランティアできない制度が被災地で定着しています。上意下達です。善意のボランティアは単なる駒にすぎません。食事の数,衛生,市政の方針が徹底されています。役所が権限をもちすぎて,介入しすぎることが問題です。盗難,食中毒,暴動など二次災害を防ぐということは,それなりの意味があるでしょう。しかし,民間の方が人間味,親切,適切な決断ができると思います。効率,能率,管理する事細かな方針が上から下へ徹底することは有害無益です。そんな高圧的な態度より,むしろ,被災者に24時間,寄り添うことの方がロボット,機械的,事務的でなくなります。そもそもボランティアとは上から万事すべてを命令されてするものではありません。
 公務員は公僕として本来の立場を認識すべきです。
 ゲリラのように国の内外の被災地を訪問し,活動してきた者から見れば,お役人は何もできないのに,何でもできると錯覚しているとしか思えない言動をされるように映ります。防災士の方たちも市役所から出向して現場で命令調に指図する人はまったく無能なのに,尊大なことに怒り心頭に達しておられました。

 b. 統合の弊害

 2006年3月20日,朝倉市は旧甘木市,旧朝倉町,旧杷木町の三つが合併しました。人口は,57,488人 (2011年)です。そうした合併により自然災害が起こることを想定しないでなされた弊害が生じています。災害がないならば,統合することによって,行政事務の効率化が図られるという大義名分によって為政者にとり好都合です。しかし,統合は緊急事態に馬脚を現します。

 杷木中学校への弁当,洗濯機不足,冷房設備の遅延など,災害本部がある市役所と杷木中学校は高速道路で言えば,二つのインターチェンジもの隔たりがあります。市の中心部である甘木に本庁があり,杷木町との生活レベルの格差がありすぎます。ライフラインが途絶えたのは杷木町などきめ細かいサービスが手薄だったところです。松末,赤谷,寒水など住民の声のパイプラインがない山間部に被害が大きかったことは不幸です。行政も現地に精通しておらず,地域審議会も無視されている印象が目につきました。

 合併とか,小学校の統合は伝統的なそれぞれの地域の息づかいを消してしまいます。江戸時代は寺を中心に教育,戸籍,つながりがありました。明治維新以降は小学校が地域の特色,個性,伝統の中心になってきました。古里への求心力の機能がありました。近年,文科省は小中高一貫教育を奨励し,優秀な学業を達成する競争を是認するように働きかけます。マネーゲームに勝ち残る企業戦士を幼い時から育て,勝ち組をもってグローバリゼーションに備えるのです。その結果,統合による廃校が各地で増えています。

 ここ杷木においても四校が合併し,杷木小学校になります。杷木小学校,松末小学校,久喜宮小学校,志波小学校が杷木小学校になります。全校生徒85人の少子化に備えると住民は言い聞かされていますが,むしろかえって過疎,高齢化,少子化につながるという長期的な視点を発題する声はかき消されています。能率が優先されるという至上命題で押し切られているようです。

 お祭りの時に御神輿をかつぐ若者がいない,郷土にかえっても娯楽施設がない,アクセスが不便だなどの理由から,地元の小学校を廃校にしてはいけません。帰るふるさとの思い出を抹消してはならないのです。子どもの時の群れて遊んだ友,運動会,プールなどの追憶を結び合わせる「縁」を大切にすることが「教育」の「育」につながります。教育とは単に教えるだけではないのです。生徒の良い資質を引き出すエデュカティオ(ラテン語 エデュケーションの語源)の原点があるべきです。苗床,ふるさとをつくる働きが小学校です。いわば心の「祖国」と言い換えてもよいと筆者は考えます。たとえ人数が少なくても,経済性の視座から廃校にするのはもってのほかです。

 今回,大きな被害を受けた松末小学校などは存続させてこそ,震災被害の教訓を語り継ぐ遺構になります。維持に費用がかかるというなら,多くの公務員給与をゼロ金利,ゼロインフレで失速している民間と同じレベルに下げれば可能だと政治的な判断が求められます。

 杷木中学校に援軍に来ておられた南陵中学校の下村洋介先生は管理がすすんでいる学校教育について疑問を感じておられました。「現場の教師の体験,情熱,動機は顧みられず,組織の歯車のひとつとして上からのカリキュラムをこなすのが精いっぱいになってしまった」,と語っておられました。ボランティア受付,割り振り,避難所管理と同じ病巣ががん細胞のように広がっているようです。もちろん例外はあります。

 樋口喜寿江さん(きずえ 76歳)は避難所で語られました。スギ林の滑落,崩壊,土砂崩れは人災と言われます。地元の物事を深く考える人たちは郷土が手入れをされず,見る度に心が痛む,そんな不安がついに炸裂したことを残念に思っておられます。高度経済成長[1954年12月-1973年11月]に,木材需要が高まり,国は植林を促しました。国は,TPPと同じように木材輸入の自由化,木造住宅の需要低下になることも見通せなかったのです。東峰村の渋谷村長は,森林が下流域の水源を養い,川から海に栄養を与える機会があることを強調。『植林を推進した国は現状を改善する手だてを示してほしい』,と要望しています。(『西日本新聞』2017年7月17日付)。経済を優先したつけを刈り取らねばならない羽目になったと,語られる歴史の証人たちの発題は重みがあります。
 今こそ「田・山・湾の復活」を日本人全体が見直す時です。

 先天性脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)の石川幸夫さん(59歳)は寒水の借家住まいでした。大分県日田山で幼い時に育った頃を懐かしんでおられました。今回の災害は人災という点では異口同音で言われていました。スギ林の「根ざらい」(下草刈り)もせず,自然をなめてかかっていたからだと言われました。「山を大事にせず,お金儲けに走ったことがもたらしたんだ」,と。自分たち子どもの頃は自然に蘇生している野草などをおかずにしていたから自給自足だったし,あくせく働く親,祖父たちの姿も見たことがなかったとおっしゃっています。つまりバヌアツのように働かなくても飢え死にすることはない自然との共生です。貪欲さが価値観を変えたと冷静に体育館で語られます。

 c.「田・山・湾の復活」

棚田 隣りのうきは市

 「田・山・湾の復活」とは夢物語ではなく,先人達が享受していた田園牧歌的なエコロジーの回復を取り戻すことに他なりません。決してむずかしいことはないことに現代人は振り返る必要があります。
 人間はバベルの塔の時と同じで,造り主を忘れ,チャリンの前にひざまずくと,「主の怒りは燃え上がり,地は揺れ動く。山々の基は震え,揺らぐ」,と(詩編 18:8)。「災い」(ヘブライ語ラアー 「光を造り,闇を創造し 平和をもたらし,災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである」(イザヤ 45:7)。「わたしは熱情と怒りの火をもって語る。必ずその日に,イスラエルの地には大地震が起こる」(エゼキエル 38:19)。二元論的に,「災い」はサタンがもたらすと考えてはならない教訓を噛みしめています。

 地球を支配するのではなく,世話をするように本来人間は創造されています。飛行機の乗客を世話するフライトアテンダントをかつてスチュワーデスと言っていました。地球を世話するスチュワードシップの欠落について考えさられます。技術,便利さ,経済の追求の末路の哀れさを思い知らされる断片です。自然の破局について私たち人類が浸食した責任の重さ,痛烈な自覚を求められます。
 朝倉で一番被害の範囲が大きかった松末の伊藤睦人さん(72歳)は松末のコミュニティを復興するべく不眠不休で現場に何度も足を運んでおられます。赤谷地区には大分県日田市夜明(よあけ)から211号線で迂回されて赤谷集落の現場に到着されました。被害を行政よりも正確に把握しておられます。かつては農家であって,地域のブランド化を目指してスギから柿に変える過程の中で積極的であったゆえに,被害にあった原因を正直に言うならば,自分の顔につばをはくようなものだと,自嘲気味に話されます。しかし,震災の壊滅的な状況から先祖代々築いてきたそれぞれ集落をなくすことはできないと言われます。平でない水田を耕し,昔から山あいにへばりついてコメを作ってこられたのです。段々畑は傾斜がきつく耕作単位が狭いのです。田んぼのへりに石を積み重ねるという根気を伴う先祖伝来の棚田(たなだ)です。大型農耕機械は持ち込めません。手で刈りにくい隅部分を世話して,守り継いで来たのです。そんな棚田の原風景をなくしたくないという伊藤さんの願いはまさに「田・山・湾の復活」です。
 若者がふるさとに帰って定着するためには何でもする決意が伝わってきました。伊藤さんと固い握手をして,杷木中をあとにしました。

 月曜日から水曜日の朝食にいたるまで,食材には多くの方たちの応援もありました。7月16日(日)午後8時,広島県安芸のサービスエリヤで,小島芙美子(東北ボランティア第21,24,31,35,38次)さん,深田明美,紙元順子さんたちからタマネギや袋類の野菜提供,献金が神戸国際支縁機構の1号車にありました。再会,差し入れに感激しました。
 避難生活している方たちが一番所望されるのは温かい汁物,新鮮な野菜,飲料水です。

 ボランティアは年齢,性別,経験の有無に関係ありません。副詞形ヴォルンターテ「自ら進んで」の語源は動詞「volo(ヴォロ)」(「欲する」「求める」「願う」の意)です。ヴォロの名詞形 voluntasヴォルンタースには「意思」「自由意思」「意図」「善意」「喜んでする覚悟,熱意」などの意味があります。ラテン語ヴォルタースからから英語volunteerボランティアが誕生します。「ボランティア」の源流は聖書が起点です。久保山さんの3人の娘さんだけでなく,寒水で今後の生活がどうなるかわからない江上夢月(むつき 小4)さんも出来上がった温かいニューメンなどを運んできてくださいました。

昼食 提供 2017年7月18日

避難者である久保山智畝(ちほ 19才)さんもボランティア 右端 2017年7月18日夕食

職員室に 久保山リ畝ちゃん,志畝ちゃん,江上夢月ちゃん 2017年7月19日

 他者に喜ばれることを自発的に行なう動機が尊く,美しく,積極的です。親御さんも生き生きしておられる姿に,「良い機会を与えてくださって,本当に感謝しています。娘のこんな姿を見てうれしかったです」,と。自分たちが人に役立っているという意識の芽生えがボランティア道の心情の発露です。学校の授業ではなく,ハンディキャップでであっても,幼かっても大人と共生できることが喜びです。位置について,よーい,ドンで一斉に始め,一斉に金太郎飴のように作業するものでもありません。自分のしたい時に自発的にすることがボランティアの出発点です。

 第2次では,7回×200食しか提供できませんでした。避難所のみなさんと心をひとつにして,機構が前面に出るのではなく,子ども達がよそったり,容器を洗いやすくするためにサランラップをかけてくれたり,後片づけをしてくれました。「仕える」「タコ(他己)の気持ち」で,普段なかなか緊張する校長先生や職員室の教師達となごやかに励ましてもらえる心の交流がありました。やがて入学する杷木中学校,卒業した中学校について,単に成績を良くするだけ学び舎の関係から人間としての触れ合いにつながった貴重な体験でした。被災し,家がなくなり,これからどう生きていくか親御さんの不安を感じ取っている子ども達がはじめて見せた笑顔は忘れられません。「ボランティア道を続けてきて良かった」,と阪神・淡路大震災時幼かった村上裕隆代表や,熊本支部の大島健二郎君は語りました。翌日は,東遊園地(神戸市役所隣)の炊き出しがあります。産み疲れることのない継続する意義について,反芻しながら,運転を交替で帰神します。

                                 以上

報告 プロジェクター配付資料 第1次九州北部ボランティア

ラジオ関西 558KHz 2017年7月7日午後4時半 
現地同時中継 「時間です!古田編集長」

『神戸新聞』(2017年7月7日付)。 

『クリスチャン新聞』(2017年7月16日付)

 「クリスチャントゥデイ」 (2017年7月8日付)。

福岡県朝倉市杷木 2017年7月7日

朝倉市杷木 大量の流木

朝倉市杷木光陽高校 2017年7月7日

 台風でもなく,雨が降り始めて一時間くらいで記録的大雨,24時間で750ミリ。気象庁も現在の技術では予測できない。気象庁の避難勧告はなかった。そのため被害は甚大。死者6名,安否不明72名。
 ここ福岡県朝倉市杷木は,川沿いの田んぼや道路には大量の流木で,道路のアスファルトは茶色の泥で覆われている。7日午後5時,神戸国際支縁機構は5名で朝倉市役所から依頼された杷木中学校で炊き出し開始。朝倉市立杷木中学校の避難者158名,地域の住民たちは昼食も行き届かず,疲労困憊。自衛隊のおにぎりより,暖かい汁物を希望されたので,機構は約200食の野菜スープを作る。
 体育館にいる藤本義広さん(68歳),正枝さんご夫婦はたまたま不在だったが,杷木(はき)松末(ますえ)谷あいにある家がなくなったことを翌日,つまり今日行方不明者捜索の時,通知されたとのこと。
大きくえぐられた道路,V字型の村落は230戸(730名)の内,30~40戸が流出。逃げるところはなかったとのこと,今日の午後孤立している家族は救出されたとのこと。伊藤陸人町内会会長(72歳)は言う。
「平地がなく,川が氾濫すると二階に逃げても,流木で家ごと流された」と嘆息。

現地入り 7月7日(金)

 6日(木) 孤立した区域の炊き出し依頼が神戸国際支縁機構に入る。急遽,毎週,木曜日の東遊園地(神戸市役所隣)炊き出しを終えて準備開始。神戸国際支縁機構の熊本支部の大島健二郎君と7月7日午後4時に現地で合流。四輪駆動のハイエースはジープと同じように,難所に支援物資を運べる。福岡県朝倉市において,120食,158食,50食など孤立した地域で,温かい食べ物を提供計画。
 一番被害の大きい大分県よりの朝倉市杷木の指定された学校に向かう。

杷木中学校(白水克美校長)は校長先生をはじめ教職員が不眠不休で避難者を世話されている。

炊き出し 杷木中学校体育館

左から 神戸国際支縁機構熊本支部 大島健二郎,ベトナム女性 Huong Tran,東遊園地(神戸市役所隣)炊き出し参加者 石川博一,機構 代表 村上裕隆。

温かい野菜フープ 喜ばれる

7月8日

 炊き出し二日目。ちゃんこ汁200食を昨日に続いて調理。

二日目炊き出し 未明5時から準備 杷木中学校

 温かいちゃんこ汁は五臓六腑にしみるのか,すぐに200食がなくなる。
 ≪動画参照≫
炊き出し提供

ちゃんこ汁を喜ぶ避難者たち

 杷木(はき)中学校体育館には,松末(ますえ)地域の被災者が集中している。気象庁も予測できなかった異常な豪雨。そのため避難勧告はなかった。家を無くし途方に暮れている避難者。今後のことを考えると,夜眠られない人達も行方不明者の安否がわからないため,苦悩を同じ避難生活をしている人達に流し出せない。山あいにある自動車整備工場も損壊。避難所生活を余儀なくされた樋口由紀枝さん(48歳)はご主人と両親と3キロ離れた体育館に逃げてきた。仕事を再開するには相当の気力,資金,決断が求められそうである。二人の娘は大学生であり,筑後吉井の親戚で世話になっている,と言われた。

松末地

松末の入口

松末 2017年7月8日

≪動画参照≫ 松末

泥に埋もれた松末の家々

 朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)の正信地点。松末の樋口健太さん(21歳)の遺体が最初に発見された。同行の祖母はまだ行方不明。他に藤本哲夫さん(66歳Iが亡くなった(7月7日夜現在)。安否不明なお多数。
赤谷川が流木と共に集落を襲いました。「線状降水帯」が26時間発生した2015年の鬼怒川と同じように積乱雲が覆っています。第56次の鬼怒川ボランティア参照 
≪動画参照≫ 鬼怒川 
丹波水害の炊き出し

 朝倉の地元のボランティアと合流

 朝倉市で最も被害の大きかった松末地区から家を失った人々は杷木中学校体育館に避難しています。松末で整備工場を経営される樋口勘一郎さん(49歳)と奥さま由紀枝さんはお母様喜寿江さん(76歳)と避難所に来られました。仕事の再開,家の復旧も見込みがありません。子どもさんたちは筑後吉井の親戚に身を寄せざるをえません。大学3年生の愛さん,高校2年生の舞さんが避難所にやってきていました。ボランティアに関心をしめされたので,機構の炊き出しを手伝っていただきました。避難者が自分が生まれ育った地域の人たちに温かい汁物を口にしていただきたいというけなげなスピリットです。じゃがいも,ニンジン,タマネギ,ごぼうなどを包丁で切ります。なかなか上手な手さばきです。
 ベトナムのキムさんと意気投合します。旧知の間柄のように親しくなります。

左 愛さん,由紀枝さん,会長,キムさん,舞さん

樋口家のボランティア お父さんにも提供 2017年7月8日夕食

≪動画参照≫ 温かい汁物こそ避難所では最高

避難所のみなさんに仕える被災者の若者たち

 猛暑の中,汗だくだくになって記者たちとの出会いもありました。共同通信社榎本ライ,KBC-TVの尾花弘和,NHKの松田伸子,毎日新聞の長谷川直虎は重いカメラや足場の悪いところをへこたれずに取材している。敬称略

第1次九州北部ボランティア報告

                         神戸国際支縁機構
                         会長 岩村義雄

完全原稿 ⇒ 第1次九州北部ボランティア

(1) ボランティアの開始
 a. 役所の規制
 ボランティアは二次災害として,渋滞や,ボランティア自体のケガなどに対して面倒見切れないし,面倒だからという名目で,ボランティアを規制する場面になんども遭遇しました。神戸国際支縁機構は予め,現地の受け入れを確認して入っているものの,現場に善意でかけつけたボランティアは社会福祉協議会などにより門前払いされます。やむなく帰途につく失望の色を浮かべたボランティアを見かけ,機構のメンバーとしてこれまでも多く協同作業してきました。東北ボランティア,熊本・大分地震,今回の九州北部ボランティアでも同じ体験をしてきました。なぜマンパワーが必要な現場で,ボランティアを拒絶するのでしょうか。実際には,役所の机の上の復興計画に専念するあまり,現場の窮状,必要性,緊急性について汲み取る感性の鈍さがそう言わせるのでしょう。
 「迷惑をかけてすみません」から「お世話になります。ありがとうございます。」と被災地でみんなが言えるエートスを作り上げねばなりません。そのためには,5年,10年を要するでしょう。東日本大震災の時も,現地へ急行しようとすると,自衛隊がいるのだし,素人が行っても,迷惑になるだけという声がありました。
 丹波水害(2014年7月30日~8月26日)が発生し,多くのマンパワーが必要にもかかわらす,市島の役所は9月6日をもって,ボランティア受け入れを中止しました。大勢のボランティアが押しかけても管理できないからでしょう。ボランティアは「官」の下部組織だという認識があるから使い捨てカイロのように,ドロ出しについてある程度見こみがつきますと,不要になります。専門職,資格のある人,経験豊かな者でないとかえって足手まといになる,と切り捨てられるわけです。役所で勤務し,私たちは, 有給で真剣に働いているのだという理由によって,存在価値を誇示するためにボランティア不要論を持ち出されても困るのは被災者です。
 2017年7月7-9日,福岡県朝倉市杷木(はき)中学校の体育館で避難者が話されました。杷木松末(ますえ)で,一緒に逃げようとしない年配の方たちもおられたそうです。「生まれ育ったところから離れたくない」,という気持ちが強い方たちもおられます。孤立した地域では,一刻を急ぐのです。
 2011年7月,宮城県石巻市牡鹿半島でヒアリングを実施した際,船越という集落に行きました。
 その時,やはり年配の方は高台の方に逃げようとしないので,若者が背負って,脱出し,一命を取り留めたこともありました。 ホームページ参照。http://kisokobe.sub.jp/article/proposal/1012/
 したがって,人のいのちの生殺与奪権は「官」が掌握しているわけではありません。住民の脱出,危険の回避,生きながらえる権利は行政だけが全責任をもって対応する性質でもありません。近隣,隣人,通りかかった善意の人が助け合うコミュニティづくりを心がけねばなりません。「無関心」の見ざる,言わざる,聞かざるから脱皮した人間性豊かな共同社会を目指すべきです。日本人全体が有機的な思いを抱く,血の通った「縁」をたいせつにしたいものです。

 b. 社会福祉協議会,地方自治の福祉課,危機管理課を緊急時にあてにしすぎてはいけない
 丹波水害の時,「官」の対応に対して,神戸国際支縁機構は次のように発題しました。「2009年,兵庫県佐用で豪雨のため,死者21名,行方不明1名の被害の教訓がいかされていません。今年,8月20日,山津波と呼ばれる土石流は広島北部を襲い,70名近くが犠牲になられました。信州の南木曽でも中学生一人が亡くなられました。花こう岩が風化してできた「まさ土」と報道されます。まさ土が問題なのではありません。砂防ダムがあれば解決できることにはなりません。日本全体が津波,山津波に襲われる可能性があることを日本人は自覚すべきです。おカネを政府中央から引き出し,復旧,復興,再建をすればよいという発想ではお粗末すぎます」(ホームページ 丹波水害http://kisokobe.sub.jp/article/6030/)
 2014年8月16日からの集中豪雨で,山崩れが起きて,犠牲者が出ました。丹波市の北東部は土砂崩れ135か所,倒壊家屋53棟,床上床下浸水1171棟の大惨事。1万2286人(4575世帯)に避難勧告が出されたという報道がなされました。畳の上にまで土砂が覆ったのです。ボランティアがスコップでドロ出しを終える頃,市島では,9月6日にボランティアを打ち切りと発表しました。行政は形状だけが整えば災害から立ち直ったと考えたのでしょう。被災地では数年にわたって,マンパワーが必要であるにもかかわらず,東日本大震災でも,広島でも,ボランティアに帰っていただくという見出しがマスコミで報道・紹介されました。
 行政がボランティアを捌ききれないのは机の上のプロジェクトしかできない無能さの証明です。集落,道路,下水管などの土木,建設,景観などの外観についてしか取り組んでこなかった行政の短所が露呈しています。今,求められているのは,ボランティアがドロ出し,畳撤去,床下をスコップで掻き出す土砂だけの作業だけではありません。避難所,独居,高齢者に寄り添う心のケアのボランティアは,今後とも引き続き必要です。被災地の行政は何よりも,住民の心に傾聴する姿勢が求められます。
 東日本大震災の最大の犠牲者を出した石巻市でも有給の生活援助員 LSA (Life Support Adviser)がいました。市区町村単位で条例を設け,介護保険法にある要介護,要支援認定に該当しないと判定された,高齢者の生活を支援するための軽度生活援助が,その仕事です。しかし,実際には,1年後,2年後に歯が抜けるようにLSAは姿を消していきます。有給ボランティアの寿命は短いのです。人々に寄り添うのはお金のためにという動機では長続きしません。もちろん例外的に,被災した家族にとり,子どもの教育費のために継続なさっている立派な方もおられます。
 2012年7月11-14日に起こった九州北部豪雨により,熊本県阿蘇市阿蘇乙姫では,816.5ミリ(72時間)の雨量があり,死者30人,負傷者27人が出ました。朝倉市は,地方自治体も自治会も防災意識が強い地域でした。日頃から災害に注意しており,ハザードマップも備えて筑後川の氾濫に備えていました。ところが7月5日は川ではなく,遠い山から土石流が多くの流木と共に襲ったのです。ハザードマップも完璧ではありませんでした。前の川の増水ばかり気にしていたところ,いきなり後ろの山から濁流がやってきたのです

 c. 技術信頼より自然への畏怖を学ぶ
 六甲山系にはたくさんの「砂防ダム」できており,阪神間の住民は安心しています。阪神大水害(1938[昭和13]年7月3-5日)では,461.8ミリの大雨が降り,県内死者695名,神戸市をはじめ各地で河川の氾濫や六甲山地では約770ヶ所で土砂崩れが起きました。都賀川(とががわ)では,土砂を食い止める「砂防ダム」を上流域に設置していました。しかし,この工法では、大雨に耐えることが出来ませんでした。被害を出しました。土砂とともに流れ出た巨岩が家や人を襲いました。
 1967年7月5-9日,総雨量は379.4に達しました。神戸市葺合区(現中央区)市ケ原では,世継山(よつぎやま)が高さ約150メートル,幅約50メートルにわたって崩落し,21人が生き埋めになりました。二度あることは三度あるものです。2008年,六甲山を源流とする都賀川で,鉄砲水により計26人が流され,5人が亡くなられました。そのときまで都賀川は「防災ふれあい河川」と住民に安全神話を与えてきたのです。1938年,1967年,2008年の3回とも砂防ダムはあったのです。もろい花崗岩から六甲山はすぐに大雨が土砂災害をもたらしてきたのです。砂防ダムは短期間で土石に埋まってしまいます。満杯になれば,水はもとより土石もダムを乗り越えます。土石流,鉄砲水,山崩れとなって襲いかかります。巻き込まれたら,助かる見込みはありません。砂防ダムは土石流被害を防ぎきることはできません。2014年3月に完成した南木曾の砂防ダムがあっても人命は奪われました。砂防ダムに頼る治山・治水行政にいのちを委ねることはできません。行政は責任をとりません。警報に従わず,子どもが河川で遊んでいたことが問題,つまり自己責任論をふりかざしました。鉄砲水の早さを熟知していて,そのようなことしかいえないようでは,,子どもを失った親にしてみれば,もはや「官」に住民の安全を託すわけにはいかないでしょう。
 人間は,技術過信により,いのちを高いリスクにさらしてきました。自然の特性を活かしたエコロジーの発達が求められます。防潮堤も同じことです。建設に絡む巨大な利権が先行しています。技術過信は時に仇となる歴史の教訓を肝に銘ずるべきです。自然に対する畏怖の念が希薄になっていまいか。どんなに防災意識を強く抱いても,危機に対して逃れることはできないのです。2017年7月の九州北部豪雨について気象台は予測できなかったのです。結果論として,地球温暖化により海面の温度が上昇しているため,水蒸気がより多く発生し,積乱雲が低い山でも覆う現象が起きている線状降水帯(せんじょうこうすいたい)のせいだと報告します。しかし,いずれにしても気象台は避難勧告すらしなかったのです。その結果,今なお行方不明者数が二ケタ以上おられます。技術を盲信するとしっぺ返しも大きいのです。テレビやメディアも○○大学の地震研究の第一人者の震災分析を繰り返し報道します。被災者の痛み,苦しみ,悲しみに感情移入できない知者の解説を聞いてばかりいますと,一般の人々も震災報道を聞いても,他人事にしか思えなくなります。明日の生活をどうしようかという不安など「無関心」のウィルスに感染してしまうのです。他者の痛み,悲しみ,苦しみに感情移入することもなく,科学的な分析ばかり押し付けられる官尊民卑のおかしな風潮が日本列島を包み込んでいます。高台に逃げれば良いとか,浅瀬であっても川に入ってはいけないとか,二階に逃げれば良いという防災意識も福岡県朝倉市杷木(はき)松末では通用しなかったことをちゃんと報道すべきでした。
 自然の驚異にもっと人間は謙虚にならねばなりません。

(2) 復興
 a. 幹線道路,空港,列車の復旧は被災地に貢献しない
 「創造的復興」と称して,兵庫県は阪神・淡路大震災後,奇跡的な復興を遂げたことを他府県に自慢する風潮がありました。「創造的復興プロジェクト」と言われる神戸空港,地下鉄海岸線,新長田駅南地区再開発事業,神戸医療産業都市構想などによってです。「創造」とは「想像」と異なり,無から有を生じるものです。後者は材料などがあって産み出すものです。その例は,阪神・淡路大震災の2年前に頓挫していた構想を震災後に実現に至らせようとした試みです。いずれもが失敗して日々赤字を累積しています。理化学研究所の野依良治理事長(ノーベル化学賞)は10年以上務めました。戦時の大本営と同じ「組織」温存により,理化学研究所研究員によるSTAP細胞も闇に葬られてしまいました。元副センター長・笹井芳樹[1962-2014] 氏が自殺によって幕引きを図ったかのような後味の悪い結果になりました。成果主義の犠牲についてマスコミは論じなければなりませんでした。「創造的復興」はいずれも神戸市財政の足を引っ張っている事業です。
 東日本大震災以後も宮城県村井嘉浩知事も創造的復興を踏襲して,医療に力を注ぎました。しかし,「孤立死」の問題は解決するどころか,深刻な事態をもたらしています。
 役所は机の上で大きなプロジェクトを企画しがちです。神戸でも震災後,事業費2710億円、面積20.1ヘクタールと西日本最大の巨大再開発である新長田駅南の「復興」再開発事業をしましたが,現在,ビルのシャッター通り化,無人化で大きな赤字となっています。役人の企画,ハコモノは成功しない事例が多いにもかかわらず,プロジェクトが脚光を浴びるという悪循環が繰り返されています。
 東北にしても,復興予算は最初に,空港,東北自動車道,鉄道にあてがわれました。被災地に対する無思慮さがここに露見しています。東京から飛行場,新幹線,東北自動車道を利用して最初に乗り込んできたのは商魂たくましい売り込みでした。自動車ディーラー,量販店,ゼネコンにとり国が協力してくれた格好になります。
 むしろ現地で必要な事柄は津波で流された小さな商店の建て直し,第一次産業の産物について内陸部から沿岸部への輸送のための地方道路の復旧,地方の鉄道の再開こそ喫緊の課題でした。石巻市の牡鹿半島の迂回路などを優先すべきでした。飛行場,新幹線,東北自動車は後でもよかったのです。地域の活性化のためには,零細の商店,工場,農・林・漁などの再興が大切であり,それらは,地元の人たちを対象に活動を行ってきたものでした。大都会にまで版図を広げてこなかったし,震災後にはそんな余力もありませんでした。政府の復興プロジェクトは,過疎,高齢化,少子化の被災地から優秀な若者たちをストローのように吸いとってしまい,それらの現象に拍車ががかけられることになったのです。目先の利得より長い目で復興を考える政治力も貧困です。福岡,大分県で未曾有の被害があるというのに,一国の指導者が外遊とは情けないことです。訪問予定を一部切り上げるより,即刻,現地の被災者を慰問するのが上に立つ者の器量です。G20で日本の自動車を輸出に有利な取り引きのために,日本の農林,酪農を切り捨てる所業は偏っています。目先の利益のために,震災弱者を顧みることがおろそかになっていることを猛省するべきでしょう。
 たとえば電気自動車にしても大気汚染を防止するという売り込みで,欧州も舵を切りました。しかし,電気を発電し,送電し,充電することが電気自動車の宿命です。冷静に考えれば,ガソリン車よりもっと多くの化石燃料を用いなければ維持出来ない構造を見抜く洞察力があるとは思えない報道姿勢です。つまり,火力発電で莫大な電力を供給が当然入り用です。民にとって何が有効か健全なクリティック[批判]する機能が麻痺している報道も問題です。ひるがえって考えると,原子力発電の存在を是認することにつながります。廃炉で日本の子孫に多くの負担を強いることを度外視することです。火力発電所,原発の冷却水が海水温度上昇の元凶だという事実も黙視することはできません。
 ゼネコン・大企業むけの「復興」にノーと言える政治家が政権与党ににいないことも悲劇です。

 b. 外観の復興より心の復興を
 避難所,全壊した現場,家屋,家族,財を失った人の悲しみ,怒り,くやしさを理解しないで,外観の回復こそが復旧,復興のシンボルと思っている人々も多いです。被災地詣でをする地方の県,市会議員たちも宮城県石巻市を訪問し,道路,中心街のビルの再建,工場の復活を案内してもらうと,すでに復旧したかのように思い込んで,それぞれの地域に戻り,「石巻の復興の足取りは着実である」などと間違った印象を伝達します。つまり,外面しか見ておらず,被災者のトラウマや,心の澱,失望などについてはまったく耳を傾ける機会もなく,「もうだいじょうぶ」と思い込む感覚こそが日本の政治家にどれほど多いことか,政治家たちは,一番不幸であります。首相や大臣達も同じことです。あれほどの被災にもかかわらず,一番,立ち直った一面だけを見せられて鵜呑みする議員の何と多いことかあきれかえります。木を見て森を見ずです。
 東北ボランティアに参加した大学生たちは被災者宅を訪問します。いわゆる傾聴ボランティアです。玄関先で,あいさつをします。「3.11の時はいかがでしたか」,と尋ねると,「だいじょうぶだべ」と一様に石巻市民は反応されます。「昨日,神戸からボランティアではじめて来ました」と。するとご自分の心情を吐露されます。石巻市伊勢町,浜松町,黄金浜(こがねはま)町の住人の間では,震災時に体験した試練を吐露する機会はないようです。また行政,ボランティアの訪問もなく初め
ての方々がほとんどです。若者たちが外部の人だから話がしやすいかもしれません。したがって,家族を失ったご近所の方たちの前では話せない生き残った時の体験を話されるのです。心の奥にしまっていたおりを打ち明けてくださいます。被災者がたまっていた思いを,阪神・淡路大震災の時点で生まれていなかった,または幼かった若者たちには安心して吐き出されるのです。季刊誌『支縁』No.3 (1頁 神戸国際支縁機構発行 2013年5月)。
 「また一軒出て行った」と取り残され,行くあてがないがない被災者は焦りがつのります。狭い部屋です。「大の字になって一度は寝たい」,と私たちに訴えます。床や柱が傾いたり,雨漏りなどでかびがはえ,健康にも支障をきたしています。「いつまでここでがまんしなきゃならないのか」「もう限界」「拭いても拭いても湿気でカビだらけなのよ」と将来の見通しが立たない怒り,くやしさ,ストレスがたまっています。うつ病,日中何もやることもないから引きこもり,アルコール依存症も
珍しくありません。自力で家を建てるにも貯蓄がありません。消費税があがり,貯金も10万円以下の人が増えています。高齢,無職,担保がないので銀行なども貸してくれません。「だれも私たちのことなどかまってくれない」「借金ばかりが残っている」「とうちゃんはもういない」と孤独を耐え,波の音による不安な夜を過ごす人たちについて忘れてはいけません。
 ですから,私たちの傾聴ボランティアはこれからです。仮設住宅,復興住宅,公営住宅のどこでも若者たちは訪ね,支え合う縁を大切にしていきます。石巻バイパス用地近辺でシバザクラを植えたりします。ひとりも孤立死に直面しなくなるまでです。季刊誌『支縁』No.12(1頁 神戸国際支縁機構発行 2015年11月)。

 c. 義援金より,救援金を
 東日本大震災の復興に対して,多くの善意の義援金が寄せられたにもかかわらず,被災者個々に行き渡らず,6年経ても,県庁などに2兆円近くが眠っていることを黙視してはならないでしょう。復興庁は2016年7月29日,2015年度に東日本大震災の復興予算として計上した総額5兆6328億円のうち,34.1%に当たる1兆9229億円が年度内に使われなかったと発表しました。復興予算の三分の一は執行されていません。
 東日本大震災でも義援金は個々の被災者は10ヶ月経ても,一年半経てももらえなかったと耳にしました。神戸国際支縁機構は,東日本大震災の三大悲劇として,フクシマ原発,石巻市大川小学校,渡波の被災と考えています。そのうち84名の犠牲者を出した大川小学校に甥,めいが通っていた女性に第73次ボランティア参加者たちは4月17日に出会いました。小学校を見ると涙が思わず頬を伝わると言われます。小学校から4キロ。海岸線にあった長面(ながつら)集落は海面下に没しました。6年間住まう仮設住宅から時々戻ってきている濱畑千代子さん(58歳)は全壊家屋に時々戻られます。10メートルの松林を越えて襲った津波の恐怖体験を語られました。釜谷地区は179名が津波の犠牲になられました。もう住人はいません。今でも満潮時に一階は海水で覆われます。家族は当初,復旧を待てばよいと信じていました。今になって解体するように行政から言われても,解体費用も一銭もありません。「わたしたちは見捨てられた」,と吐き捨てるように言われました。
 熊本県益城町でも,機構は同じ言葉を2017年2月に耳にしました。全壊家屋に10万円だけが支給されるようになった月です。
 復興は自己責任とばかり,マスコミも防災グッズなどについて書き立てます。フクシマの放射線被ばくは,風評被害,言われもないうわさ,実証できない被害なのでしょうか。2020年の東京オリンピッ,スポーツ番組,茶の間のコマーシャルに浸っている都会人には他人事に映ります。今村雅弘[1947年生]前復興大臣はテレビ番組で「ふるさとを捨てるのは簡単だ」,とか,「自己責任」論を放ったりしていました。安倍晋三首相は今年の東日本大震災の式辞で,原発事故についてひとことも触れていません。震災メモリアルの3月10,11日の恒例の記者会見も今年はありませんでした。10年の時限立法で設置された復興庁は2021年にはなくなります。しかし,原発の廃炉は40年以上も要するのです。除染で山積みになっている廃棄物の処分も目処が立っていません。被災者の孤立死 2017年4月,プレハブ型の仮設で,「孤立死」(男性61歳)をはじめ,みなし仮設で少なくとも13人は独居のまま亡くなっています。届かない支縁,尽きぬ不安,続く足踏みに無関心ではすまされません。  
 2017年2月に,3人で傾聴ボランティアした熊本市中心街に近い地域でも,全壊のマンションがありました。まだ更地にもなっていません。震災前,熊本市東区西原1丁目で時計修理店を営んでいた吉田高範さん(76歳)は,駐車場に4月から仮の店を開かざるをえませんでした。
 被災者への経済的な支援制度は世帯が単位です。熊本市にマンション住人が要望すると,「共有部分には出ない」と相手にされません。関西,関東など都心部では,世帯のほとんどがマンション暮らしです。行政の支援体制は戸建てを前提としています。南海トラフが襲った場合,どうするのでしょうか。また「想定外」とか,「自己責任」と政治家,「官」に言わせてはなりません。季刊誌「支縁」No.19(2017年5月 4頁)。 

(3) 組織の動きよりゲリラ
 a. 個々の被災者に感情移入
 支援組織にしても,加盟団体が多い規模の大きいグループは現場での活動には不向きです。支持団体が末端に呼びかけ,支援金を大きな単位で集めて,被災地へ提供するにしても,それぞれの団体の建物(教会,本堂,関連施設など)の復旧,復興,再建にほとんどが割り当てられます。残余金を地域に還元するにしても,支援金を集める際の目的から大きく離脱している虚偽を無視することはできません。阪神・淡路大震災の時も,救援本部を主宰するところに全世界から莫大な支援金が転がり込み,代表者は高級な車,海外旅行三昧,ぜいたくな生活を享受ことになり,本末転倒でした。それが宗教団体の場合,外からは収入の実態がわからないからです。
 震災後ににわかに結成される連絡協議会が義援金などの受け皿になる場合,そうした協議会の身内以外にどれだけ財政的に支援されたか,ガラス張りにされているべきです。そのためには内部者が監査,監事ではなく,部外者がチェックできているかどうかです。リトマス試験紙として,収入のすべてが明確にされている努力がなされないならば,信頼度は低いと言わざるを得ません。とりわけ有給の人件費に,会の収入の半分近くが費やされているなら,どんなに立派な運動を展開していても疑ってもいいでしょう。実質的に会を運営する人がひとりですべてを司っていて,その人以外は正規の給与を得ていないならば明白です。
 ○○ネット,○○協会,○○協議会などに,著名な人が代表者たちを看板にして信者たちを信用させ,集金するという不思議な構造は,被災者を愚弄することにほかなりません。なぜなら被災者は貧しい体験を余儀なくされているのに,ボランティア側が裕福で,お酒,ゴルフ,豪勢な宿泊をしているとするなら偽善にほかならないからです。それらのグループで偉い人は下働きのドロ出し,がれき処理,避難所訪問,農林漁ボランティア,在宅被災者戸別訪問など自らしたことはないとするなら,寄附は被災者には届かないことを覚悟しなければなりません。自ら手を汚さないで,人を使って,栄誉だけ得ようとする権化もうごめく魑魅魍魎(ちみもうりょう)など政界と同じであります。イエスは言われた。「狐には穴があり,空の鳥には巣がある。だが,人の子には枕する所もない」(マタイ 8:20)。
 禁欲者でなければボランティアが務まらないと言っているのではなく,弱い立場の人達に感情移入ができるかどうかの基準が問題なのです。震災ボランティアについてどんなに立派な報告のパンフレット,冊子,書籍を発刊していても,身内の信奉者にしか説得力がありません。社会からは活動の真実が見えていないからです。

 b. 継続した活動に
  現地でゼッケンをつけて,たくさんの参加者,派手なパーフォーマンスでメディアがとりあげたとしても,単発の運動では自己満足に終わるでしょう。東日本大震災直後も,○○財団などから億近い助成を受け取りました。複数の立派な事務所,事務員たち,運動経歴を誇示していたとしても3年も経たないうちに消滅してしまった大きなボランティア団体も複数ありました。6年経た,宮城県石巻市の仮設住宅の4041人に対して,ボランティアがすべきことは数多くあります。『石巻日日新聞』(2017年7月4日付)。高齢の独居者も多いのです。復興住宅に入居できた1694世帯の内,半数はひとり暮らしです。『石巻日日新聞』(2017年7月6日付)。
 打ち上げ花火のように,人目を引くことはボランティア道ではありません。「後ろ姿でにっこり」の感謝の心をもって被災者に寄り添うことを第一にしたいものです。地道な継続が求められます。
 炊き出しにしても,人が生涯で口にする食事の回数は平均年齢80歳とすると,日に3回で,一年に約千回とすると,8万回食することになります。もうこの料理はあきたからとて,食べることを放棄するわけにはいきません。同じように,ボランティアも被災者には関心は示さないし,「何しに来ているのか」,と言われることを気にするようでは務まりません。人間的な評価を得ようとして,取り組むのは自己充足感,満足感,達成感を満たす動機にはなります。他者のためならば,ひとりでも不幸,くやしさ,悲しみのトラウマが被災者にあるならば,徹頭徹尾,続けるやさしさが求められます。たとえその日,「忙しいから」「もういいから」,と断られても,翌日には待っておられることだって体験します。

 c. マニュアルなど計画性は通用しない
 被災直後に現地に急行する場合,出発前に作成したマニュアル,計画,時間割がないと役立たないと考える傾向があります。家庭,学校教育,仕事場で効率,能率,便利さで身につけた発想は被災地においては鬼門です。そのために,現場視察,何が必要か検分,行政と相談するという具合にです。ボランティアはあくまでも生活が急変した被災者に寄り添うのです。都会,机の上のプログラム,企画案などそのまま実行する姿勢は,息も絶え絶えの人々にはかえって負担になります。最も絶望した人々の視座からの慰めを考慮すべきです。聖書の神は「なお,低く下って天と地を御覧になる」方と書かれています(詩編 113:6)。まずは準備が整ってからお伺いしますでは,間に合わないのです。たとえば,ご近所の家が燃えており,人が中で気づかずに眠っているとするなら,まずはたたき起こすという初動の緊急性が求められます。即座性,即席性,敏捷性が必要であるのに,完全に装備したら救援に行きますでは,いつまでたっても,あれも必要,具体的には,人数はボランティアバスに満席になる程の申込み者数,行政からの補助金がそろってからなど待たねばなりません。ひもじい思いをしている人達に忍耐を強いることになります。つまり現地への交通費,緊急車両特別免除,募集などある程度,そろってからでないと行動できないようなボランティアは年に1,2回が関の山です。備品などが何もなかったとしても現地ではやることがいっぱいあるのです。
 ボランティア道とは,水もトイレもないところへすぐさま飛び込む精神があれば資格を問いません。それぞれが自分勝手に現地に急行すると,渋滞を引き起こすからなどと余計な心配をする必要はありません。人命救助の消防隊,警察,自衛隊は孤立した地域へ行く道路などは一般に閉鎖しており,一般車は通行できないようしているからです。ヘリコプターで救援活動をしている現場と避難所炊き出しなどのボランティアをする場所は異なります。
 大切なことは,生きることもおぼつかない人達のところへすぐに急行し,寄り添う感性,共苦,共生する有機的な思いです。苦縁することこそ,災害国日本では覚醒することが求められています。
                                    以上
 原稿を校閲してくださった村田充八理事,土手ゆき子事務局員に感謝申しあげます。
 
 機構の炊き出しをいち早く報道してくださった神戸新聞の高田康夫,金 慶順,ラジオ関西古田彰満,読売新聞の加藤あかね,クリスチャン新聞の高橋良知,『クリスチャントゥデイ』 の坂本直子記者たちに感謝申しあげます。敬称略

 「義援金」donation は寄贈されたおカネです。そこで「救援rescue money to a person in distress と呼ぶべきです。災害などの被害者への救援,寄附として,義援金は遅すぎて,ふさわしくない表現と言えます。
 地元が必要なら,即断,即決,即実行しないと間に合いません。

郵便振替     口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構
 もしくは
三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863  神戸国際支縁機構 岩村義雄

 必ず,「九州水害」とお書きください。

治安のために,投光器,自家発電機,ブルーシートが必要

募金者 および 合計金額 受領順 2017年7月6日以降

皆さまの善意にに感謝します

現在 834,000

岩村義雄,神戸国際キリスト教会,コジマチズ,土手ゆき子,豊島睦子,塩屋キリスト教会,中島信光,石川満澄,石川久子(2),匿名,菊池則子,牛田 匡,小島芙美子,深田明美,紙元順子,下土井さん,村上安世,望月利明,熊野千秋,土屋雅彦, 「小さくされた人々のための福音」講座,西崎京子,山野英雄,古川和子,古川直子,東垂水ルーテル教会,本田寿久,廣森勝久,

 フードバンク関西,「日進モータース」(孫田正浩社長)が機構のハイエースを寛大に点検。耕支縁チーム(神戸市西区友清 岸本豊[第11,19次,丹波水害]代表),山本 勝さん,上原俊基さん,河合敏行さんや,7月16日,広島県安芸のサービスエリヤで,小島芙美子(第21,24,31,35,38次)さん,深田明美さん,紙元順子さん,山本政澄&喜恵夫妻から支援物資を宮島サービスエリヤで第2次,第3次受け取る。たちからタマネギや袋類の野菜提供が1号車にありました。㈱小阪商店の小阪修一社長の燃料貸出,東垂水ルーテル教会の山下 寛&弘美 ご夫妻からのそうめん第2次,第3次,河村ひとみ(第62次)さん,永野真治さん,西福寺からいろいろな物,感謝します。
 差し入れをくださった私たちの「耕支縁」の小勝とも子さんは泉 俊明さんとご結婚なさいます。高知に住まわれるお二人に御祝福がありますようにお祈り申しあげます。