「キリスト教と災害」シリーズ (英文付) “Christianity and Disaster

完全原稿 キリスト教と災害―第106次東北ボランティア―
英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒  “Christianity and Disaster―The 106th Tohoku Volunteer Report

キリスト教と災害 (1) 「第106次」

キリスト教と災害(2)「『災害』から『復興』へ」

キリスト教と災害(3)「うわべだけの復興」

 東北ボランティア,熊本球磨川千葉県布良(めら),佐賀県武雄北海道厚真(あつま)町,岡山県真備(まび),広島県小屋浦,呉市市原,愛媛県肱川(ひじかわ),福岡県松末(ますえ),熊本県益城(ましき),鬼怒川丹波水害など,および海外ボランティア,炊き出しは常時募集しています。「スケジュール」をご覧ください。 ⇒ スケジュール  

被災でお困りの方,炊き出し,がれき撤去,ドロ出し,畳替えは下記に
携帯 070-5045-7127(岩村義雄) 080-3101-1151(村上裕隆)  090-3706-2315(本田寿久)
〒655-0049 神戸市垂水区狩口台5-1-101 
Tel : (078) 782-9697 Fax: (078) 784-2939
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『中外日報』(2020年10月23日付)。

“Our delightedness brought from worries” from “Chugai Nippo”(Oct. 23, 2020)

Yoshio Iwamura  Volunteer activities in Ishinomaki City

Director of Kobe International Sustaining Organization
Pastor of Kobe International Christ Church

It’s a scene just after the big tsunami that had happened almost 10 years ago. I saw many cars stuck vertically in the rice fields. The car is a symbol of convenience. Miyagi Prefecture supports large consumption city Tokyo as the major rice-producing prefecture. The paddy fields were moaning in sludge and debris brought by the black tsunami. During the time of escaping from the tsunami, it was dangerous to use the car since all of the cars congested and clocked the roads. Highways were destructed and twisted, airports lost their functions because of the tsunami, and fishing ports where were the center place of fisheries was completely destroyed.

Our visit to Ishinomaki City Miyagi Prefecture through 15 hours of driving from Kobe by saying “We will come again” to local people reached 112 times. What made us do so? Our actions didn’t come from the act as an evangelist. Our sensitivities were directly linked to our actions. In the past, there is a history that rice cultivation in severe cold regions cruelly made Tohoku people suffering. People went away from home to work in the city and daughters had been sold even after the war. 

In the 1950s, there was no farming machines, small pickup trucks, or chemical fertilizers for Tohoku farmers. The peasants were at the mercy of the national policy “tanshyu (反収: the rice yield per 10 areas)” that was driven by the government. Volunteers from Kobe have begun to struggle with the soil covered by the tsunami mud. We were also in a blind effort like pioneers to the salty rice fields. We only had an innocent spirit of being with local people. We didn’t have any skills. It was probably a reckless action. It is a problem if stink bugs appear because of pesticide-free and organic farming style. And we felt cold looks, “You all from the city can’t bear the severe nature”.

I felt pain in my intestine duodenum for a few days before we leave from Kobe because of my “anxiety”. I could not sleep. We purchased rice seedlings that do not contain neonicotinoid-based pesticides from Osaki City. We also started to receive supports from Yasuda Shigeru, Professor Emeritus of Kobe University, and also local farmers. Young people heard about our activities and began to participate in one after another from all over Japan. My wife, Kayoko, took care of the management of contacts between participants. And she encouraged me with her prayers.

We listen to our creator’s voice, “Sow to yourselves in righteousness, reap in mercy; break up your fallow ground”. Since I am an unpaid pastor, so I kept giving hard time to my wife. Unlike in the past, not humans but the earth became the other party to us. Kayoko handed us her hand-made meal boxes and sent out the participants with her smiles while waving her hands. We were just worried about undiscovered tasks. We began to take our steps like a baby. Never give up even if we stumbled and made scars on our foreheads, and just keep going.

In September, we experienced with children, who will be responsible for the next generation, that our ninth rice harvest in Ishinomaki City where is the place of agriculture, forestry, and fishing. We were delighted to work together with the locals.

『中外日報』(2020年10
月30日付)。

 

― 災害と聖書の神―貧しい人・被災者は幸いである ―

クリスチャントゥデイ』(2019年6月25日付)

シリアの子どもたちと共に=2018年5月。筆者が会長を務める神戸国際支縁機構では、北部の都市アレッポで孤児院の建設を進めている。

完全原稿 ⇒ キリスト教と災害災害と聖書の神―貧しい人・被災者は幸いである
Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and DisasterDisaster and the God of the Bible-The poor and the victims are blessed

主日説教                            

                                                                                     2019年6月9日
                                                                                     神戸国際キリスト教会
                                                                                     牧師 岩村義雄

主題聖句: イザヤ 61章1節 「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため 主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み 捕らわれ人に自由を つながれている人に解放を告げるために」。

<序>
 災害の実態 3.11から3000日を迎えました[1]。宮城県石巻市だけでも4千人が災害の犠牲になられました[2]石巻市は人口が県下で2位から3位に転落しそうです[3]。水産の都として国内でも突出した地でした。しかし,地震,津波からの復興は遅々として進みません。仕事もなく,高齢者による惣菜などの万引き件数が増えています[4]。飢えておられるのです。貧しいのです。苦しんでおられます。2018年末でも,2353件の被災者家屋は傾いたままです[5]。仮設住宅から復興住宅へ移動したものの孤独で泣いておられます。独居自死になんの手立てもできていません[6]。復興の谷間にいる人々に対して,無関心の寒気団が日本全体を陣取っています。人口減対策や地域活性化の担い手を志す人材は不足しています。つまり,東京などの都会との格差は大きく,構造的な危機に直面しています。
  東京オリンピック,大阪万博や,コマーシャルに触発された裕福な生活を追い求める社会構造は,被災による失業や富から見離された絶望,貧困への配慮をしていません。

(1) 災害とは
 災害(災い,災難,苦難)について,旧約ではh[‘r’; ラア,@g<n< ネゲフ(7回),hK’m;; マッカー(48回),hA’hホーヴァー(3回), hr’c’; ツァーラー(71回), hp’GEm; マッゲファー(26回)などのヘブライ語があります。「h[‘r’;; ラア」(悪)は旧約に345回出ています。創世記の「善悪の知識の木」は“b/f  トーブ(良い)”と“ラア(悪い)”から成り立っています。「光を造り,闇を創造し 平和を造り,災いを創造する者。私は主,これらすべてを造る者である」という神の歴史に介入なさる在り方は,「平和(~Alv’シャローム)」と「災い(ラア)」を創造[ヘブライ語arBバラー]なさいます。(イザヤ 45:7)。 
 神が「災い」をもたらす方とは一般にはすんなりと受け容れられていません。むしろ人類を苦しめてきた諸悪の根源はサタンと考えるのがキリスト教界でもあります[7]。本論は愛ある神の本質を否定しているのではありません。聖書は一貫して二元論ではないことに思いをはせていただきたいのです。ゾロアスター教などペルシアの宗教は善悪闘争の歴史の影響を受け,神とサタン,善と悪,光闇の対立の決着という終末論がいつの時代も世を風靡してきました[8]。しかし,最初から神に反逆する対抗馬のように悪魔がいたのではありません。「甚だ善かりき(トーブ)」通りでした。(創世記 1:31)。万事,神の御心のままに始まり,御心のままに神に戻るようになっています。

(2) イエスの宣教
 a.
貧しい人々への福音
 イエス・キリストは公生涯の冒頭で,「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために 主が私に油を注がれたからである」,と「貧しい人」への福音を届けるために登場されました。(ルカ 4:18)。会堂で朗読されたイザヤ書の言葉について,文脈で,イエスは「この聖書の言葉は,今日,あなたがたが耳にしたとき,実現した」,と明言されました(21節)。つまり,福音とは,4世紀以降の西方教会のように伝道して,洗礼を授け,信者数を増やすことが核心ではないです。むしろ神ご自身が卑しめられ,未信者のフィールドで自ら貧しい姿を示されました[9]
  なぜなら,神は「なお,低く下って天と地を御覧になる」,と書かれているように,「低く」(ヘブライ語lpvシャフェール ≪低める,沈める,落とす,へりくだるの意≫なられる方だからです[10]。(詩編 113:6 参照 出エジプト 3:8, イザヤ 31:4)。  
  キリストは,イザヤ書の「福音」(ヘブライ語rc’B;バサール)をまず「苦しむ人」(ヘブライ語wn”[‘ アーナーヴ ≪貧しい人≫の意 旧約に25回)に流し出すミニストリーを開始なさいました[11]

 b.「正義」と「秩序」
  「貧しい層」に対して「支縁」することは,古今東西,キリスト教以外の宗教者,諸団体,古代オリエントの民族が施してきたことも聖書以外の記録に残っています[12]
  ただし聖書の神は,いささかちがいます。「正義」と「秩序」の関係が異なります。コンスタンティヌス帝[280頃-337年]が国教と定めて以降,キリスト教は地中海沿岸から拡がりました[13]。皇帝は「秩序」をもって,世界歴史において最長不倒の帝国を維持しました。「この民は唇で私を敬うが その心は私から遠く離れている。空しく私を崇め 人間の戒めを教えとして教えている」,と「人間の戒め」=「秩序」を大切にします。(マルコ 7:6,7)。人様に迷惑をかけず,秩序正しく生きればいいのでしょうか。陰で不道徳,不正義,差別をしていても許されるというのは正義ではありません[14]。神は一人ひとりに「正義」を求められます。

 c. 政治と秩序
  ローマ帝国より,千年以上前に,近隣の諸国からの脅威にさらされていたイスラエルは無秩序ではなく,強い王,指導者,君の支配を願いました。(サムエル上 8:20)。その結果,イスラエルには秩序が回復されました。やがて,一握りの支配者が,権力の保身に執着するあまり,力のない「弱い人,貧しい人」は溺れたままに放置されるようになりました(詩編 72:13,82:4)[15]。「正義」より「秩序」を重んじる体制がよいとされてきたのです[16]。しかし,聖書の神は「秩序」の味方ではなく,「正義」をもって弱者,貧者の側に立つ方です。不公平,格差,差別が一向になくならない秩序社会に対して,「公正」と「正義」を求められました(詩編 99:4)[17]

(2) 二元論ではない聖書的思惟
 a.
災いをもたらす神
 性急な結論を出さないために聖書は二元論ではないことに留意すべきです。「善」か「悪」,「混乱」か「秩序」,「平和」か「災い」のどちらかに神は常に組みすると単純に考えないようにしましょう[18]。ある時には神は「悪」を用いられます。(箴言 16:4)。混乱ではなく,「秩序」を評価される場合もあります(コリント上 14:33)。また,神は「災い」(ラア)をもたらされる神でもあります[19]。天変地異により大地をゆるがされました。「秩序」を重んじる体制をゆさぶられたのです。西暦1世紀においては,神殿は「秩序」の象徴でした。「その時,神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け,地震が起こり,岩が裂け」,と記されています(マタイ 27:51)。

 b. 神の聖定
  キリストの「ご意志」(ギリシア語qe,lhmaセレィマ)は,天地創造の前から聖定されている神の計画です。世界で最も多くの人々が唱える「御心が行われますように」に調和して,地球,人類,被造物に対しての計画が成就されるように祈りましょう[20]。(マタイ 6:10)。
  神の目的が達成されるためには,不正な秩序,排他主義,優生思想は粉砕されなければなりません[21]。貧しい人が軽んじられる体制に目をつぶってお題目を唱えるだけではいけません。行動が祈りです[22]。ファナティックな社会的革命ではない方法で,「その苦しみは喜びに変わる」ように刷新するための使命を私たちは委ねられました。(ヨハネ 16:20)。 

 c. 貧しい被災者は幸いである
  災害によって貧しく,苦しく,貶められた人々こそ,神が優先的に選ばれる存在なのです。蔓延するいじめ,性差別[23],非正規労働者から抜け出せない格差不正で不公正な社会の中で,神は貧困から救い出されます。「苦しむ人(アーナーヴ)が地を受け継ぐ。彼らは豊かな平和を楽しむ」と約束されています[24]。(詩編 37:11)。秩序を守ろうとする「悪しき者」,ヒエラルキーを大切にするキリスト教界の権力側に加担し,荘厳な会堂をもつ宗教施設の指導者は,「貧しい人」を“霊的に貧しい”と共同体,社会,被差別地域の隅に追いやります[25]。しかし,神は「苦しむ人」を解放し,自由を享受できる平和を与えられます。 

<結論>
  イエスが神殿で,イザヤ 61章1節を用いて,福音は「貧しい人」のものと宣言されました。その成就はルカの福音書 6章で究極の結論でしめくくられました。「貧しい人々は,幸いである 神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は,幸いである あなたがたは満たされる。今泣いている人々は,幸いである あなたがたは笑うようになる」(ルカ 6:20-21)[26]
 自然災害によって苦しむ,貧しい,弱い被災者は救われます[27]。神の御心の中心だからです。

 説教原稿を翌週,神戸国際支縁機構の村田充八理事に校正していただきました。また不明瞭な箇所について翻訳家徳留由美氏,大阪大学院生博士後期課程の佐々木美和氏,事務局の土手ゆき子氏にも感謝します。

[1] 『石巻かほく』(2019年5月31日付)。
[2] 『石巻日日新聞』(2011年9月11日付)。
[3]  同 (2019年1月23日付)。
[4]  拙稿 季刊誌『支縁』 No.13  (2015年11月3日号 4頁)。
[5] 『NHK』(2019年1月24日7時40分放送)。
[6] 『朝日新聞』(2019年3月11日付)。見出し“復興住宅での孤独死が急増 昨年68人,入居後に孤立か”。
 “被災3県,孤独死相次ぐ”『神戸新聞』(2019年3月11日付)。
[7] 『サタン:その正体と最後』(ハル・リンゼイ 松代幸太郎訳 いのちのことば社 1975年)。[8] 『ゾロアスター教』(メアリー・ボイス 山本由美子訳 筑摩書房 1983年 111頁)。本書は,“ゾロアスター教との五世紀にわたる接触によって豊かになったユダヤ教からキリスト教が興った。”と論述。(本書141頁)。
[9] 『荊冠の神学』(栗林輝夫 新教出版社 1991年 359頁)。
[10] 『低きにくだる神』(左近淑(きよし) ヨルダン社 1980年 40-44, 246-251頁),
『釜ヶ崎と福音』(本田哲郎 岩波書店 2009年132-133頁)。“「シャファール」という動詞が出てきます。その活用形で分詞の形,「ハンマシュビリー」です。……神の視座が低みにあることを明らかにしたのです。”
[11]『産経新聞』(2017年1月23日付)。「イエスが宣教したユダヤ教会堂を発見」の記事に,“日本のシナゴーグ研究第一人者で,聖公会神学院(東京都)などで講義する山野貴彦講師は,「イエスは大都市とは一線を画し,小さな村々を訪ね,とりわけ貧しい人々に目を向けた」とする。”
[12] 『アイヌの世界観』(山田孝子 講談社選書メチエ 1994年 89頁)。“災害や流行病から守ったり,子供を養い育てるなどが良い行為として強調される。”
[13] 拙稿 『目薬』誌 №34 (2004年 1,9頁)参照。
[14] 『裁かれるアウシュビッツ』(ハンナ・アーレント,ジェローム・コーン編 中山元訳 筑摩書房 2007年 322頁)。
[15] 『旅人の時代に向かって』(渡辺英俊 新教出版社 2001年 197頁)。
[16] 『平和とは何か』(W.ブルッゲマン 小友聡,宮嵜薫訳 教文館 2018年 196頁)。
[17] 『聖書が告げる社会正義』(ハーマン・ヘンドリックス 本田哲郎訳 新生社 1994年 31,32頁)。
[18] 拙稿 『目薬』誌 №23 (2001年 3,5頁)参照。
[19] 拙稿 『目薬』誌 №29 (2003年 1,3-11頁)参照。
[20] 『キリスト教哲学序論』(春名純人 教文館 2018年 37頁)。“贖いの御業の目的は,単に個々の罪人を救うことではなく,世界(der wereld)を救うことであり,天にあるもの,地にあるもの,すべてのものを,唯一の頭の下に,再び有機的結合に回復することである(weder onder één honfd te herstellen in hum organischen samenhang)と証言している。”
[21] 『日本人の“ルーツ探し”百三十年の歴史をたどる』(小熊英二 洋泉社MOOK 1998年 1998年 16頁)。“優生学という学問は,医学や栄養学によって民族をより良く改善していこうという考え方に基づいています。この「わが民族を改良する」という発想は,「劣等な民族を排除する」という方向につながっていきました。”
[22] 『「新」キリスト教入門(1)』(新免 貢 燦葉出版社 2019年 50-51頁)。
[23] 『キリスト教と社会学の間』(村田充八 晃洋書房 2017年 155-156頁)。
[24] 拙論『詩篇37篇における死海写本とBHSの相違』(Asia Graduate School of Theology 1999年 9頁)。
[25] 『解放の神学』(G.グティエレス 関望,山田経三訳 岩波書店 1985年 290-291頁)。“プトーコスは,生きていくために必要なものを持たない者,物乞いを余儀なくされる哀れな者”。
[26] 『飢えの時代と富むキリスト者』(ロナルド・J・サイダー 御立英史訳 聖文舎 1989年 78-79頁)。
[27] 『反貧困の神』(ノルベルト・ローフィンク 大宮有博訳 キリスト新聞社 2010年 74-77頁)。

 

“Disaster and the God of the Bible-The poor and the victims are blessed”

September 6th, 2019
Kobe International Christ Church
Pastor Yoshio Iwamura

Theme Scripture: Isaiah Chapter 61 Verse 1
“The Spirit of the Sovereign Lord is on me, because the Lord has anointed me to proclaim good news to the poor. He has sent me to bind up the brokenhearted, to proclaim freedom for the captives and release from darkness for the prisoners.”

<Introduction>
The reality of Natural Disaster 
3,000 days has passed since 3.11.[1] 4,000 people became victims of disasters even only in Ishinomaki City Miyagi Prefecture.[2] The population of Ishinomaki City is likely to fall down from the second to the third in Miyagi Prefecture.[3] It was a leading place in the country as a city of fishery. However, a restoration from the earthquake and tsunami does not proceed. There is no job opportunity for people, and the number of shoplifting by the elderly people is increasing.[4] They are hungry. They are poor. And they are suffering. Even at the end of 2018, 2,353 victim’s houses are remained inclined.[5] Although they moved from the temporary housing to the restoration housing, they are crying because of loneliness. There is no means for lonely deaths.[6] For the people in the valley of restoration, an apathetic cold air is covering the whole of Japan. Human resources, who are willing to lead matter of depopulation and regional revitalization, are not enough. In other words, the gap with cities such as Tokyo is huge, and we are facing a structural crisis.
The social structure that seeks wealthy life, which is inspired by commercials of TV, the Tokyo Olympics and Osaka World Expo, does not pay any considerations for unemployment by the disaster, despair that they are forsaken by a wealth, and poverty.

(1) What the natural disaster is?
In the Old Testament, there are Hebrew words such as, h[‘r’; rah,@g<n< negeph (7times),hK’m;; makkah (48 times),hA’h hovah (3 times), hr’c’; tsarah (71 times), and hp’GEm; maggephah (26 times), etc, regarding on “disaster (calamities, misfortunes, suffering). “h[‘r’; rah (evil)” appears 345 times in the Old Testaments. “The tree of the knowledge of good and evil” in Genesis is consisted by “b/f towb (good)” and “rah (evil)”. The way of God’s intervene in history, “I form the light and create darkness, I bring prosperity and create disaster; I, the Lord, do all these things”, is done by creating (Hebrew arB bara) “peace (~Alv shalowm)” and “disaster (rah)”. (Isaiah 45:7)
Generally, God is hardly accepted as the one who deliver “disaster”. Rather, considering Satan as the root cause of all evils that have been afflicted humans is the position of the Christian world.[7] This theory does not deny the essential of our loving God. I would like you to be reminded that the Bible is not dualism all the time. Persian religions such as Zoroastrianism have been influenced by the history of conflict between good and evil, and the eschatology of the confrontation between God and Satan, good and evil, light and darkness has always been sweeping the world in all ages.[8] However, the devil did not exist from the beginning like a rival who against God. It was “very good (towb)”. (Genesis 1:31) Everything starts with the will of God and comes back to God with its will.

(2) Jesus’s missionary work
a.
The gospel to the poor
At the beginning of his public appearance in his life, the appeared with the gospel to “the poor”, “The Spirit of the Lord is on me, because he has anointed me to proclaim good news to the poor”. (Luke 4:18) Jesus stated the word in the context of Isaiah when he read aloud it in the hall, “Today this scripture is fulfilled in your hearing.” (Luke 4:21) Therefore, he cleared up about what is the gospel that the evangelism by the Western Christianity after the 4th century, giving baptism and increasing the number of believers are not the core heart. Rather he showed that God became a hollow, humbled and had a poor way of living in the field of unbelievers through him.[9]
Since God is written as “who stoops down to look on the heavens and the earth”, he is the one who state himself as “down (Hebrew lpv shaphel <to make lower, sink, drop, humble>)”. (Psalm 113:6)[10]
Jesus began his ministry to flow Isaiah’s “preach Gospel (Hebrew rc’B; basar)” to the “suffering people (Hebrew wn”[‘. anav <the poor>. It appears 25 times in the Old Testaments)” at first.[11]

b. “Justice” and “Order”
All ages and places, it is also recorded in other documents beside the Bible that non-Christian religious people, other organizations and the ancient Orient people also had been supported “the poor people”.[12]
However, God in the Bible is a little bit different. The relationship between “justice” and “order” is different. Since Constantine the Great [280-337] declared Christianity as a state religion, it has spread through from the Mediterranean coast.[13] Constantine maintained the longest lasting empire in the world history by its “order”. He took importance in “human rules = the order”, as “These people honor me with their lips, but their hearts are far from me. They worship me in vain; their teachings are merely human rules”. (Mark 7:6-7) Should we live in an orderly manner without making trouble to others? It is not the justice that you will be forgiven even doing immorality, injustice act or discrimination behind the scenes.[14] God demands each person to do “justice”.

c. Politic and Order
Over a thousand years ago, more before Roman Empire, Israel had been threatened by its neighboring countries, so they despaired a strong king, leader and the one of ruler. (1 Samuel 8:20) As a result, their order was restored in Israel. In the course of time, since limited rulers started to cling onto keeping own power, the powerless “the weak and the needy” became neglected and stayed drowning. (Psalm 72:13, 82:4)[15] A structure that takes importance on “the order” rather than “justice” has been considered as good.[16] However, God in the Bible is not on the side of “oorder” but the one who stands on the side of the weak and the needy with “justice”. God desired “equity” and “justice toward an orderly society, which inequity, inequality and discrimination do not cease to exist. (Psalm 99:4)[17]

(3) Biblical thinking that is not dualism
a.
God who brings disaster
It is necessary to be careful that the Bible is not a dualism, in order not to make a quick conclusion. Let’s try not to think simply that God always combines with either “good” or “evil”, “chaos” or “order”, “peace” or “disaster”.[18] Sometimes God uses “the wicked”. (Proverbs 16:4) In some cases, he evaluates “order” than chaos. (1 Corinthians 14:33) Moreover, God is also a god who brings “disaster (rah)”.[19] The earth was shaken by extraordinary natural phenomena. The structure that respects “order” was shaken. The temple was a symbol of “order” in the first century A.D.
It is recorded that “At that moment the curtain of the temple was torn in two from top to bottom. The earth shook, the rocks split”. (Matthew 27:51)

b. God’s Predestination
Jesus’s “will (Greek qe,lhma thelema)” is a plan of God that has been predestinated before the creation of heaven and earth. Let’s pray in harmony with “your will be done” that the most of people say in the world, for completion of accomplishment of the plan on the earth, humans and the creatures.  (Matthew 6:10).[20]
In order to complete God’s purpose, unfair order, exclusivity and concept of eugenics must be destroyed.[21] It is not enough to preach only God’s word while ignoring the structure that the poor people are less-cared. The action is a prayer.[22] God entrusted us with his mission to innovate in a way of “your grief will turn to joy”, not by a fanatic social revolution. (John 16:20).

c. Blessed are the disaster-affected poor people in spirit
People, who are poor, sufferings and complimented by disasters, are the one that God put priority for his choosing. God save people from poverty in an inequality and injustice society, where people cannot escape from pervasive bullying, sexism[23], and non-regular employee. It is promised that “Oppressed people (anav) will inherit the land and will enjoy unlimited peace.”. (Psalm 37:11 GOD’S WORD® Translation)[24] The “evil people” try to keep order, the Christian world that takes importance on hierarchy and support the power side, and the leaders of religious facilities with tremendous halls, treat “the poor” as “spiritually poor” and force them to the edge of collective communities, societies and ostracized communities. [25] However, God set free “the sufferers” and give them peace so they can enjoy freedom.

<Conclusion>
In the temple, Jesus quotes chapter 61 verse 1 of Isaiah, and declared that the gospel belongs to “the poor”. That fulfillment was concluded with the ultimate conclusion in chapter 6 of Luke. “Looking at his disciples, he said: ‘Blessed are you who are poor, for yours is the kingdom of God. Blessed are you who hunger now, for you will be satisfied. Blessed are you who weep now, for you will laugh’”.  (Luke 6: 20-21)[26]
Disaster affected people who are suffering, poor and weak because of natural disasters will be saved. It is because of that they are in the center of God’s will.[27]

[1] 2019. Isinomaki Kahoku. May 31.
[2] 2011. Ishinomaki Hibi Shinbun. September 11.
[3] 2019. Ishinomaki Hibi Shinbun. January 23.
[4] Iwamura, Y. 2015. Seasonal magazine Shien. No.13. November 3. 4.
[5] 2019. Japan Broadcasting Corporation. January 24.
[6] 2019. The Asahi Shimbun. March 11. “Lonely death in reconstruction housing is increasing rapidly. 68 people became to be isolated after moving in last year”.
Kobe Shimbun. March 11. “A spate of lonely death in disaster-affected 3 prefectures”.
[7] Lindsey, H. 1975. Satan is Alive and Well on Planet Earth. Word of Life. (Translated by Koutaro Matsushiro)
[8] Boyce, M. 1983. Zoroastrians. Chikuma Shobo. (Translated by Yamamoto Yumiko) This book says, “So it was out of a Judaism enriched by five centuries of contact with Zoroas- trianism that Christianity arose in the Parthian period”.(141)[9] Kuribayashi, T. 1991. Theology of the Crown of thorns. Shinkyo Publishing. 359.[10] Sakon, K. 1980. Hikukini kudaru kami. Jordan-sha. 40-44.
Honda, T. 2009. Kamagasakito fukuin. Iwanami Shoten. 132-133. “‘The verb shaphel’comes out. The form of the participle in its inflected form,‘hamshphili’…… I revealed that God’s perspective is at a low point.”
[11] 2017. Sankei Shimbun. January 23. In article of “Discover of the Jewish church where Jesus preached”, it reports that lecturer Takahiko Yamano, who is a leading researcher of synagogue in Japan and give lectures at the Central Theological College, said  “Jesus drew a line between big cities. He visited small villages and gave his looks at especially the poorest people”.
[12] Yamada, T. 1994. Ainuno sekaikan. Kodansha-Metier. 89.
“Protecting from disasters and pandemics, and nurturing and raising children are emphasized as good acts.”
[13] Iwamura, Y. 2001. Megusuri. No.34. 1, 9.
[14] Arendt, H. Kohn, J. 2007. Responsibility and judgement. Chikuma Shobo. 322. (Translated by Gen Nakayama)
[15] Watanabe, H. 2001. Tabibitono jidaini mukatsute. Shinkyo Publishing. 197.
[16] Brueggemann, W. 2018. Peace (Understanding Biblical Themes). Kyobunkwan. 196. (Translated by Satoshi Otomo, Kaoru Miyazaki)
[17] Hendrickx, H. 1994. Social justice in the Bible. Shinseisha. 31, 32. (Translated by Tetsuro Honda)
[18] Iwamura, Y. 2001. Megusuri. No.23. 3, 5
[19] Iwamura, Y. 2001. Megusuri. No.29. 1, 3-11.
[20] Haruna, S. 2018. Kirisutokyo tetsugakujyoron. Kyobunkwan. 37.
He testifies that, “The purpose of the salvation is not save the individual sinners, but to save the world (der wereld), and it is to restore in organic coupling everything in the heaven and the earth under the higher only one”. (weder onder één honfd te herstellen in hum organischen samenhang)
[21] Oguma, E. 1998. Nihonjinno rutsusagashi. Hyakusanjyunenno rekishiwotadoru. Yosensha Mook. 16.
“The study of eugenics is based on the idea to improve more the ethnic through the medicine and nutrition. This idea of “improving the ethnic” led to the direction of ‘eliminating inferior ethnics’”.
[22] Shinmen, M. 2019. “Shin” Kirisutokyo nyumon (1). Sanyobooks. 50-51.
[23] Murata, J. 2017. Kirisutokyoto shyakaigakuno aida. Koyo Shobo. 155-156.
[24] Iwamura, Y. 1999. Shihen 37henniokeru shikaishyahonto BHSno soui. Asia Graduate School of Theology. 9.
[25] Gutiérrez, G. 1985. A Theology of Liberation. Iwanami Shoten. 290-291. (Translated by Nozomu Seki, Keizo Yamada)
“Ptoochos is a person who does not have what is necessary to survive or a miserable person who has no other choice but to beg.”
[26] Sider, R. 1989. Rich Christians in an Age of Hunger. Seibunsha International. 78-79. (Translated by Eiji Mitachi)
[27] Lohfink, N. 2010. Option for the Poor. The Kirisuto Shimbun. 74-77. (Translated by Tomohiro Oomiya)