第六次東北ボランティア報告

第一回農ボランティア                       

 2011年10月16-19日

ふゆみずたんぼ による福幸米

 

 

 

 2011年10月16日(日)から三泊四日で,石巻市渡波の水田にボランティアに向かいました。
 延べ人数37名は,石巻市渡波地域農業復興組合阿部勝代表から委ねられた津波やがれきの影響で荒れ放題になっている60町歩の農地に足を踏み入れました。
 鹿妻小学校の東に隣接する二反(20㌃)の水田を神戸国際支縁機構は福幸米の栽培のために従事します。

   福   

   幸

   米

 東日本大震災によって,現地の80パーセントの農家の方は農業を廃業する様相です。また塩害,がれきのために少なくとも2年は耕作を放棄している場所です。
 3月に神戸から第一回目のボランティアに赴いた際,鹿妻の田んぼは津波から逃げ損ねた車が串刺し状に無残に突き刺さっている状態でした。今でも航空写真で確認することができます。
 阪神淡路大震災の時,幼かった青年たちは,震災後,毎月のように石巻市渡波でドロ出し,がれき処理に取り組んできました。都会育ちの若者は農の経験がありません。瑞穂の国で生まれ,米を主食として育ちながら,農漁業に無縁でした。今,日本全体がムラ社会から無縁社会に変貌し,過疎,高齢化,少子化の問題に直面しています。
 就活の大きな壁,フリーター,ネットカフェ難民,自閉症などで格差社会において生きる喜びを奪われています。20代前半の者であっても,ボランティア活動は極めて,厳しい肉体労働にもかかわらず,喜んで自発的に申し込んできました。被災地で,間一髪で助かった人々,息も絶え絶えの避難者たちに寄り添い,同じ空気を吸いながら,ぽつりぽつりと聞く凄惨な体験,生きているのが不思議な運命や,凍てつく寒さにも暖がなく,食べ物にも事欠く窮状の老若男女に接しました。神戸の若者たちには自分が一番,みじめと思っていたのに,もっと厳しい過酷な生き様を見て,世界観が変わりました。だからだれから言われることもなく,喜んで続けて参加してきました。

排水溝作業

 山本智也君(22歳)は,8月の時も,車を運転し,大学生たちのリーダーとして役割を担いました。父親は高校時代に食料品のチェーン店を経営していましたが,自己破産せざるを得ませんでした。当然のことながら,高校時代から大学まで,自費で生活費まで捻出しています。村上裕隆君(20歳)は,人がいやがる辛い仕事に積極的に,黙々と従事しました。14歳から家族とも会話することもなく,自閉症です。近所の人たちからも存在すら忘れられていた青年です。ボランティアではだれよりも一番激しい奉仕活動に専念し,一行から敬意を勝ち得ています。かれらは日本で最も貧しい地帯の釜ヶ崎で,「路上で生活をしている人」たちに関心がありました。3月からの活動の主軸になっています。

 機構代表は,9月1日~4日に独りで,日産キューブを運転し,石巻市渡波の土地改良組合の主だった方たちと面談しました。農の復興が目的です。無農薬により美しく豊かな農法についてモデルとしてやらせてもらえるかどうかを問いました。三日後に渡波地域で石巻市渡波地域農業復興組合が立ち上がりました。電話で,生物多様性を生かす「ふゆみずたんぼ」により,稲を育み,生き物を活用した田んぼ作りについて阿部勝代表と何度か話しました。9月7日の復興組合設立時には,阿部代表は神戸国際支縁機構に20㌃の水田を委ねることを考慮し,組合が26日に正式に是認しました。

大崎市行政 高橋直樹氏。環境カウンセラー 大和田順子氏。

稲井土地改良区 左端 三浦敏壽理事長。

 「ふゆみずたんぼ」(冬,水,田んぼ)方式とは,冬の期間,田んぼ全体に水を満たします。微生物やイトミミズが生息できるようにして,土壌の表面をトロトロ層にします。江戸時代には一般に見られた無農薬,無肥料の農法です。「稲妻に道を備えまだ人のいなかった大地に 無人であった荒れ野に雨を降らせ 乾ききったところを潤し 青草の芽がもえ出るようにしたのか。」(聖書)に書かれているように,天による恩寵により,自然には豊かな天然肥料が備えられているのです。
 本来,水田には5800種を越える昆虫,魚,ミジンコや微生物などが生息しているはずです。しかし,農薬によって,生態系が崩れ,面積当たりの収穫の利益追求に陥っています。高度成長期に自然生態の喪失は,佐渡のトキ,豊岡市のコウノトリなどの絶滅につながりました。

渡波水田動物生態系調査 東北大学 向井康夫博士 2011年10月17日

 瑞穂の国の「稲穂を尊み,瑞穂の国の民を慈しみ給ふ」(『国体の本義』文部省 1937年 26頁)。日本の社会構造の基本は,稲穂に象徴される農本主義です。なぜソニー,トヨタなどの物づくりが世界で認められたか。稲を作る連綿とした技術があったからこそであり,商業や金融に基づくものではありません。

 日本では,若い人々は「農」に就くことを希望しません。なぜでしょうか。明治維新以降,富国強兵政策や,拝金主義の世相の影響で,金銭に対して飽くなき追求する寒気団が日本列島を包んでいるからです。現実的には,農業に従事して,米だけの作付けでは生活できません。6町歩ほどの収穫がなければ,耕耘機などの機械,肥料,農薬などの支出を上回る収入になりません。したがって,兼業をすることによって農家は生活を支えていなければなりません。若い人々にとって,天候の脅威,害虫の被害,水利権などとの確執,闘い,隣の農家との共存の大海原に漕ぎ出るには,相当の決意が求められます。企業の社員になる方がはるかに容易なのです。過疎,高齢化,少子化の問題の根っこには,農林漁業を軽視してきた社会構造に課題があることは否めません。
 現在,就活の困難,フリーター,ネットカフェ難民の貧困問題があります。次代を担う若者たちが第一次産業に従事するように国の指導者は積極的に発題すべきでしょう。国の土台である衣食住の「衣」である養蚕や綿花栽培,羊などの牧畜,「食」である米,野菜,果実作り,「住」の家屋の柱になる森林の管理に関心が転ずる教育が大切です。資源=モノを海外に依存しない国造りが急務です。

ヒエ,雑草刈り

 兵庫県立農業高等学校からも大西紘聖君(17歳)も参加

 10月17日,鹿妻小学校清元吉行校長が,児童生徒たちが田植え,稲刈りなどに参加してくださることを岩村代表に快諾してくださいました。 

 今回の訪問では,NPO田んぼの岩淵成紀代表の無農薬による稲作栽培技術の指導があり,まったくの素人の参加者たちにとって,作業の合間の講義は含蓄がありました。

NPO田んぼ 岩淵成紀代表

 北海道からNPO法人当別エコロジカルコミュニティの山本幹彦氏,東北大学の二人の農学博士向井康夫氏,岩淵翼氏も動物生態研究検査に携わってくださいました。地元の小学校長を歴任した阿部捷一氏,NPO田んぼの佐々木猛裕氏,吉田善広氏たちの協力は参加者にとって有益でありました。岩手県から安藤仁博氏も作業を見に来てくださいました。

 3月からの渡波地域のがれき処理などのボランティアを通して,知己を得た長浜幼稚園の教師平塚幸子さん,神山由佳さん,遠藤佳苗さんの三名が差し入れしてくださいました。また,仙台の桜木政俊&いく子夫妻も寛大に食事をもてなしてくださり,参加者一同も喜びました。3.11以降の日本の新しい夜明けを期待して帰途につきました。

 問題点は除塩について,また「ふゆみずたんぼ」と従来の農法をなさる農家との関係,水利権,用水,排水ポンプについての課題もあります。東北と神戸は距離があります。同じ被災体験をしたこと,ボランティアを通して地域の方々の息づかいがわかり,共生していく縁が結ばれたわけですから,今後,いかなる問題が立ちはだかっても,共に手を携えて,連帯していくことができると信じています。

 残念なことに,地元メディアは石巻市役所狩野之義氏が記者クラブに手配したにもかかわらず,まったくとりあげませんでした。産業を優先し,農復興への関心は遅れているように映ります。

 まったく素人の神戸国際支縁機構に,先祖から大切に受け継いだ水田を任せてくださるように決断してくださった復興組合のみなさま,とりわけ阿部勝代表のご厚情に感謝申し上げます。

石巻市渡波地域農業復興組合 代表 阿部 勝氏

 農ボランティアを契機として,東北の被災者支援だけでなく,日本の無縁社会をムラ社会への再構築をします。共同体意識を高揚し,みんなで助け合うコミュニティを取り戻します。

 今回の石巻市渡波で,農ボランティアの皮切りをさせていただいた経験は,神戸に帰って近郊の廃棄,休耕田で,福幸米を栽培したいという希望を若者たちに与えました。やがて彼らが日本の将来の国作りの先兵として歩み出すことを見守りたいと思います。

岩村義雄

20111104朝日新聞

 

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