第106次東北ボランティア報告

第106次東北ボランティア報告

『キリスト新聞』(2020年4月11日付)。

『神戸新聞』(2020年3月11日付)。

「キリスト教と災害―第106次東北ボランティア報告―」
                                 

完全原稿    第106次東北ボランティア
英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and Disaster―The 106th Tohoku Volunteer Report
                                       2020年3月9日-12日                                 (社)神戸国際支縁機構 理事長 岩村義雄

<序>
 美しい山並み,季節ごとに咲く里山の花,小川の清流の上で舞う蝶など日本の幾世代にも心和ませてきた営みが瀬戸際に立たされています。筆者が子どもの頃,下校時に田んぼのあぜ道でユスリカの大きな群れをくぐるとき,鼻で息をしていたら入り込んだりしたことも,今では経験しなくなりました。コメを食べるためというより,商いのために収穫高を目指すことによって反収を追求するあまり,ネオニコチノイド系農薬などの農薬散布のため幼虫などが絶滅状態です。あぜの脇を流れる春の小川にイトミミズも見かけません。生態系がだんだんむしばまれています。人間様の経済優先,技術進歩,効率計算により,日本だけでなく,地球そのものが死に体で土俵から転げ落ちています。すると空の神さまが怒っているかのように,雷がゴロゴロと光っています。「神鳴り」と言われる所以どおりの天然肥料をもたらす稲妻が「怒り」に変わりました。(ヨブ 38:25)[1]。2011年3月11日,ノアの洪水かと思われる40メートルを超える津波が宮城県を襲いました。
 3月21日,はじめて見た荒廃した石巻の光景はまさに「死都」でした。水産の都として誇った活力は木っ端微塵に砕かれていました。東北6県で最大の被災者を出した漁港,港町,水産加工の工場地帯は黒い津波の龍に飲み干され,いのちが消えていました。
 最初に足を踏み入れた斎藤病院に,医療物資を持ち込んだ時は,さながら野戦病院でした。がたがたと寒さで震えておられる患者さんばかりでした。避難所はどこも激臭がたちこめ,暖もなく,不衛生で死を待つばかりの劣悪な環境に後ずさりをしました[2]
 石巻地方では,関連死,行方不明を含めて約6千人が亡くなられました。約2万8千棟の家屋が全壊でした。「避難所」から「仮設住宅」へ,そして「復興住宅」が最終ゴールであるかのようにメディアも報道し続けています。ですから,「創造的復興」として住まいの再建に区切りがついたと階段を登り切った記事が一面を埋め尽くします[3]

目次
 (1) 第106次東北ボランティア
  a. 最大の被災地 石巻
  b.  「田・山・湾の復活」
  c.  日本も「防災」⇒「災害」⇒「復興」についてボタンの掛け違え
 (2) 「災害」から「復興」
  a.  ダム
  b.
安全神話の崩壊
  
c. 台風19号の「復興」
 (3) うわべだけの復興
  a.
女川原発再稼働
  b.
キリシタン=ボランティア
  c.
宣教とは伝道ではなく,愛の実践

(1) 第106次東北ボランティア
  a.
最大の被災地 石巻
 2020年3月9日,神戸から2台のワゴン車で宮城県石巻市に向かいました。参加者は12名です。神戸新聞社の竹本拓也記者も同行され,石巻森林組合に13名で訪問,大内伸之理事長に歓迎されました。大内さんは2011年に発足した石巻刷新会議に当時,鈴木健一代表理事と同行なさっていた方です。地域では何百年もの間顔合わせがなかった丹野一雄宮城県漁業協同組合委員長と渡波地域農業復興組合阿部勝代表は,大地震,津波を契機に阪神・淡路大震災を経験した筆者と定期的に話し合うことになりました。
 9年前,最初はドロ出し,がれき処理,家財道具運搬,支縁物資配布などに取り組んでいました。「だから,人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」,とボランティアに参加した学生たちは朝早くから夜遅くまで,被災者の願い通りに動いてくれました。(マタイ 7:12)。こちらから何かをしてあげるとか,マニュアルにそってプログラムをこなすのではありません。助けが必要な場所に駆けつけました。これまで通算2000人近くの学生,フリーター,ビジネスマンたちが交通費,食費,宿泊費を負担して,片道15時間,約1100キロの行程を機構の到着を待っておられる被災者の元に毎月のように向かうことになりました。関西では食べたことのない海のパイナップルと言われる「ホヤ」,ずんだもち,日本一の牡蠣も食べるゆとりなどまったくありませんでした。しかし,参加者は温かい人情味豊かな東北人に魅了され,移住を希望する人たちも出てきました。激しい労働の帰途,石巻の人たちと別れるのがつらくてバスの中で涙を浮かべる方々のなかにには,続けて参加されることをいとわれない方も多くおられました。

  b. 「田・山・湾の復活」
 機構が取り組んでいる「田・山・湾の復活」は自然との縁を回復するはたらきです。災害の爪痕を振り返りますと,あたかも自然が人間に復讐しているかのように映ります。近年,それもパンデミック(世界的大流行 ギリシア語のパン“全ての”+デモス“人々”)の規模です。「リング・オブ・ファイア」(環太平洋造山帯)の火山爆発も他人事ではありません。「すべての川は海に注ぐが海は満ちることがない。どの川も行くべき所へ向かい 絶えることもなく流れゆく」に「海は満ちることがない」と記されているように,海面は蒸発して,雲になり,やがて山で雨,雪などとなる循環体系が描かれています(コヘレト 1:7)。すべての川は海に注ぎこみます。しかし,海は満ちることがありません。どの川も行くべき所へ向かい 絶えることもなく流れゆくのです。自然界も循環しているのです。
 気仙沼にNPO「森は海の恋人」畠山重篤理事長がおられます。森と川,海がつながり,鉄が供給されれば,美しい故郷はよみがえると住民たちと植樹をなさっていました。2012年12月28日にお話しを聞きに行きました[4]。初代リーダー山本智也君,現在代表の村上裕隆君と筆者の3人です。水垣渉 理事が言われていました。「昔の日本家屋は,縁の下をのぞき込むと,家をしっかり支えている太い柱が見えました。こういう柱の一本になって,人々の結び付きを下からいつまでもじっと支えていこうというのが,神戸国際支縁機構の名前の意味」であると[5]。千葉県南房総布良(めら)のボランティア訪問した際,「安房文化遺産フォーラム」愛沢伸雄代表と出会いました。いただいた資料の中に,深津文雄[1909-2000]牧師が,「かにた婦人の村」を創設され,知的・精神障がいによる社会復帰が困難な女性,性的虐待を被っている女性たちの避難所を設置された論考がありました。深津牧師の説かれる「底点志向」は,「縁の下」からのはたらきと通底していると思います[6]。上からの目線ではなく,常に抑圧され,差別され,いじめられている弱者に下から寄り添っていく姿です。まさにunderstand(under「下に」stand「立つ」)なのです。

  c. 日本は「防災」⇒「災害」⇒「復興」のボタンの掛け違え
 避難所訪問,農林漁ボランティア,在宅被災者戸別訪問を展開しながら,現場にいると気付かされことがあります。ボランティアは何の見返りも期待していません。売名行為でもありません。裕福になるどころかいつも貧しさと背中合わせです。「復興」のために時間,体力,お金を用いて取り組んでいるからこそ見えてくることがあります。「無償」「自主」「対話」を柱として被災者に接しているからです[7]。一方,防災○○会議,社会福祉協議会(ボランティアセンター),産(事業者),官(県・県警・県教委),学(学識者・医療関係者),民(青少年団体),言(新聞,テレビ)などは上から目線で,しかも机の上でパソコンを駆使して活動しています。報道を通じて,権力者側のアイデアを掃いて捨てるほど百花繚乱のように提言します。政府,官公庁,教育機関からの潤沢な資金を持て余しているのか,ネットワーク,組織,全国的規模で展開します。「しかし」です。「防災」を考慮するのに,現場で自分の費用で汗を流されたことがない御仁には,被災者の辛酸に感情移入することはむずかしいのではないでしょうか。「防災」を考慮するのに,「ダム」「森林の手入れ」「食糧安保」についてどれほど現実的な発題をしてきたでしょうか[8]
 たとえば,ダムは数年で土砂が堆積(たいせき)し,河床が上昇することが宿命です。サケなどが産卵のために上流を目指すことを妨げることになります。自然生態を損なっています。
 「防災」を考慮するというなら,危険な場所を補強して国土強靱化すれば災害に対して大丈夫と言えるのでしょうか。「災害」の実例から考慮してみましょう。

  (2) 「災害」から「復興」へ
  a.
ダム
 ラオス南部アッタプー県で水力発電用ダム「セピエン・セナムノイダム」の補助ダムが2018年7月23日崩壊し,死者40人,行方不明者66人,罹災民6000人余りと報道されました[9]
 ダムは,「巨大ナマズや巨大バサなどメコン川水系の生態系を破壊する」,「コメの生産地メコンデルタへ肥沃な堆積物の供給を堰(せ)き止め,堆積物の量は3分の2に減る」のです。サケも産卵のために,上流までのぼれないことをアイヌの人々は呻いています[10]
ラオスの国章にはダムが描かれています。インフラストラクチャー(infrastructure,略称・インフラ)が急速に展開し,自然への乱開発について黙視できません。後世に禍根を残さないように,地球の安全と環境をどのように守っていくか考えるべきでしょう。国章にダムと言えば,朝鮮民主主義人民共和国にも用いられています。1941年東洋一の水豊ダムが日米開戦直前に完工しました。旧満州との国境に流れる鴨緑江(おうりょくこう)に建設されました[11]。もし決壊した場合,日本はどのように賠償するのでしょうか。韓国と異なり,北朝鮮には一円も戦前,戦時下の植民地政策の補償をしていないのです。
 世界中,インフラ促進により砂防ダム,山間ハイウェイのためのトンネル,橋などが行き渡り,自然生態は脅かされています[12]。防潮堤,防波堤,河川整備などのハードだけでは住民のくらし,いのち,財産は守れないことがだんだん明白な事実として露わになってきています。そのことは3.11が証明しました。世界一安全な「防災の町」を誇っていた岩手県宮古市田老の防潮堤,防波堤はどうなりましたか。田老町は津波に呑まれ,死者179人,行方不明者6人でした。慢心がもたらした悲劇です[13]。防潮堤は役に立たなかったにもかかわらず,建設に絡む巨大利権の前に再建に対する住民の反対意見は東大・東北大の研究チーム案によってかき消されました[14]
 メディア報道はダムについてどう捉えているでしょうか。
 2019年,ダムの貯水量が急増したため,相模川上流の城山ダムなどでは,5県6か所では緊急放流が行われました。下流の水位が上がりました。「氾濫の危険は高まる。ダムを守るためにやむを得ない措置だったのだろう」,とやむを得ないというダム擁護の見解です[15]
 東日本大震災の地震でも福島県須賀川市の藤沼湖のダムが決壊。貯水すべてが流出し,下流の集落を押し流し7人が死亡して1人が行方不明となりました。

  b. 安全神話の崩壊
 武藤類子[るいこ1953-]さんは言います。「人類は,地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか」と[16]。「被造物は,神の子たちが現れるのを切に待ち望んでいます」(ローマ 8:19)。
 近代コンクリートで固めてきた海岸線,世界一安全な防災町と言われた田老町は津波に呑まれました。3.11の津波で防災のチャンピョンがノックダウンされたのです。安全と言われ続けていたフクシマの第1・2号機もメルトダウン(炉心溶融)が発生した後の姿はコンクリートの海辺の風景でした。2011年4月から学習院大学の赤坂憲雄[1953-]教授は語られました[17]。日本列島のマックスの人口のときに自然の懐深くにまで押し広げていた海岸線を,またコンクリートで固めて復旧するのではなく,安全が担保されるラインまで撤退しながら,もう一度やわらかく海岸線を再編していくことを提案しておられます。
 コンクリートの防潮堤は「泡が出る」と,漁業関係者は歓迎しておられません。「泡」とは海の水質を変えてしまう元凶です。おいしい牡蠣,海苔,ホヤが育たないのです[18]
 ドイツの神学者ユルゲン・モルトマン[1926-]は創世記 1章28節を釈義して次のように述べています。“人間は「創造の王冠」ではない。……「最後の被造物」として,人間は,すべての他の被造物に依存している。彼らなくして人間の存在はありえないであろう。だから,彼らが人間のための準備であるように,人間は彼らに依存している。……動物も「命ある魂」と呼ばれるからである(創世記 1:30)……「地を従わせよ」という神の委託が,人間を地から区別している。……「世界」,「天」,「海」を従わせよ,ではない。人間を動物と区別するのは,人間は言葉で動物に名を与えるべきであり,人間の与える名がその名となるべきだということである。(創世記 2:19)。それはたんなる支配する行為ではない。すなわち,そうすることによって,動物は,人間の言葉の交わりの中に入っていくのである。創造記事の中で,人間と動物の間の敵対関係,動物を殺傷する権利については全く語られていない。人間は調停者に任命されているのである”[19]
 2019年の台風19号通過した後,自宅に大きな被害がなくても,断水などが続いて日常生活を取り戻すことができない地域がありました。大規模な災害を目の当たりにするなどして,ショックで体調がすぐれない人も出ました[20]
 「復興」をどうとらえればいいのでしょうか。

  c.  台風19号の「復興」 
 2019年9月9日に台風15号,10月12-13日に19号が東日本を縦断しました。水害の規模は想像を超えていました。被災地が広範囲にわたるため,19号上陸の際,千葉県館山市布良の住民が避難している館山(たてやま)市立小中一貫校房南学園で15号以来,縁がある被災者たちを訪問していました。ブルーシートが強風のたびに飛んでしまうこと,隣の瓦の破片が飛んで来て,修理した屋根,壁,窓が損なわれていました。ボランティアも足りず,被災者は疲労困憊の表情を浮かべておられました。
 宮城県石巻市渡波での農ボランティアで収穫した稲の稲架掛け(はさかけ)が気になり,10月15日,ポリタンク,ブルーシート,土のう袋などを積んで,福島県いわき市で支縁物資を届けながら,宮城県丸森町に向かって国道113号を走っていました。森を全面伐採して丸裸にする「皆伐(かいばつ)」の跡地から土砂崩落があり,死者10人・行方不明者1人が出ていました。効率重視のため政府が森林皆伐を命じた地域でおびただしい災害が起きていました。一方,伐採されていない周囲の森に崩落の形跡はありませんでした。
  『エイジ』(メルボルン新聞)の論説委員は「不必要に木を切り倒す者は有罪者である」,と記しています。かつての日本と同様,大事に土地を愛してきた例は,イギリス,フランス,イタリアなどの地方へ行けばすぐにわかります[21]
 福島県いわき市,宮城県丸森町道路周辺は災害ゴミが山積みになっていました。10月16日,関西方面ではなく,台風19号は進路を関東,東北,信州を襲いました。
 台風19号は,9年前,3.11で大地震,津波で家屋,家族,仕事を奪った宮城県石巻地方にも容赦なく爪痕を残しました。石巻市でも3人が亡くなり,住宅の浸水被害も約1万件に及びました。私たちが震災直後から訪問し,「田・山・湾の復活」という農・林・漁,沿道整備,傾聴ボランティアをしている宇田川町約40戸,塩富町1丁目約100戸,塩富町2丁目約300戸が水害を被っていました。神戸国際支縁機構の石巻支所がある渡波3丁目に置いてあった車も冠水のためエンジンがだめになり,廃車を余儀なくされました。
 石巻市内は2011年の震災により,地殻変動が起きました。45~120センチの地盤沈下ですが,私たちが訪問している旧渡波(わたのは)地域は約80センチです。1メートルかさ上げしようとしたら,約450万円必要であり,震災で無職,年金生活者,独居者にとり,かさ上げせずに生活を余儀なくされていました。もっとも台風19号の時,流留(ながる)の無職女性(83歳)は「チリ地震津波でも浸水しなかった。かさ上げした分,水が入ってくる。雨が降ると聞くと心配だ」,と取材に答えておられます[22]。つまり「かさ上げ」による弊害を訴えていました。東日本大震災に伴う地盤沈下で市街地の自然排水が困難になったことに加え,道路のかさ上げに伴い近接地がくぼ地になるエリアが増えたことが要因です。
 10月16日に訪問した福島県の高柴(たかしば)ダムは事前の水位調節をしていませんでした。緊急放流したため,6ダム(長野県美和ダム,茨城県水沼ダム,竜神ダム,栃木県塩原ダム,神奈川県城山ダム)の下流で犠牲者が出ました[23]。 2017年7月7日,福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)で炊き出しをした際,砂防ダム決壊を目の当たりにして,報告書でダム決壊,放流,越水などについて発信させていただきました[24]
 松末水害からちょうど1年後,2018年7月8日,第二福田小学校で炊き出しをしました。岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)が6メートルを超える水害で死者59名,不明8名でした。海岸から10キロ以上離れた内陸での洪水です。河岸の堤防決壊にしては摩可不思議です。機構は第4次西日本豪雨ボランティアの8月7日,小田川,高梁(たかはし)川の上流を遡り,成羽川(なりわがわ)ダムまで行った際,途中でダムの放流に呑まれた町々を見て,傾聴ボランティアをしました。真備の水害の原因について裏付けがありました。真備の被害は高梁川の成羽川ダム放流が原因だと第4次西日本豪雨ボランティア報告書,SNS,WEBで発信しましたが,どなたも耳を傾けてくださいませんでした。しかし,無視をしておられた真備の住民たちは半年後,国や県,市,中国電力を相手取り岡山地裁に損害賠償訴訟を起こす方針を決めた,と毎日新聞(2019年12月16日付)は報道していました[25]。 

  (3) うわべだけの復興
  a. 女川原発再稼働
  当初,福島県楢葉町(ならは)は聖火リレーの出発点として2020年3月26日から3日間県内をリレーする計画がありました。復興を前面に出す演出としか思えない情報操作です。なぜなら現在も福島第一原発事故の原子力緊急事態宣言は解除されていません。倒壊の恐れがある1・2号機排気筒の解体工事は円滑に進んで進んでいません。汚水タンクの海洋放出について地元漁業関係者は反対しているからです。
 原発事故の収束の仕方さえ霧に包まれたかのように,行き先がわからないのです。にもかかわらずまるで復興したかのようにオリンピックを開催しようとしたのは一種の詐欺ではないでしょうか。浪江町,双葉町,大熊町,富岡町などについて東京オリンピック開催のため,全世界に「復興」したことをアピールする魂胆が見え見えです。「帰宅困難区域」であった町がにわかに「避難解除」になりました。自主避難者たちはかつての居住していた場所に戻る気がありません。お店,病院,学校などもない上,くらしを度外視した荒涼とした無人地帯だからです。低線量被ばくに怯えます。民衆をたぶらかす欺瞞が常に満ちています。たとえば,原発事故の放射能汚染を考えてみますと,住宅再建,道路整備,産業基盤は復興しつつあるように政府は数字で表現します。しかし,自主避難者を除いて,今も5万人以上の福島県民が古里を離れています。事故から9年を経ても,生活再建の道筋は示されていません[26]
 3月26日,住民の多くが反対しているので,住民投票をしない決議を与党だけで通過させました。女川原発2号機の再稼働について東北電は安全対策工事を終えたと強調しています。海抜約29メートルの防潮堤建設などで安全を強弁しています。3.11の際,石巻市の笠貝島には,43.3メートルの津波が襲ったことを忘れてはいけません。
 核のゴミを子々孫々に残してよいものでしょうか。

  b. キリシタン=ボランティア
 機構が100回以上訪問している渡波2丁目には「無量寿庵(じゅあん)」という寺が3.11までありました。津波で流されてしまいました。伊達政宗[1567-1636]の信頼されていた家臣後藤寿庵が政宗の温情によって切腹をまぬかれました。「寿庵」とは洗礼者ヨハネの意味です。そこの住職だった方が現在門脇にある西光寺の樋口伸生副住職です。今回,樋口副住職,ハリストス正教会田畑隆平司祭,イスラーム教アニース・アハマド・ナディーム宣教師,筆者たちも加わって,「祈りの杜」で超教派による追悼の祈りの機会を持てました[27]
 キリシタン(明治維新[1868年]以前のローマ・カトリック教会信徒)が迫害されたのは,キリスト教の排他的な性格や,宣教師たちがキリシタン大名を動員する力をもっていることに疑心暗鬼になった豊臣秀吉[1537-1598]によります。伴天連追放令[1587]の引き金になったと宮城学院女子大学の平川新(しん)学長は分析され,日本はなぜ当時最強のスペインの植民地にならなかったのか詳述しておられます[28]
 権力に取り入ろうとしたフランシスコ・ザヴィエル[1506-1552] の痕跡は記録されているものの,なぜ短期間で日本人の心を捉えたのかに筆者には関心があります。すると「キリシタン=ボランティア」という構図が浮かび上がってきました。
 1549年8月15日,ザヴィエルは鹿児島に上陸しました。孤児・老弱者をはじめ,重病人や「癩者(らいしゃ ハンセン病の患者)」の救済活動にすぐに乗り出します。安土桃山時代には途絶えていた社会慈善事業が,仏教にみられなかった新しい方針によって開始されました[29]。ザヴィエルたちの宣教の世界観(world view, Weltanshauung)は宗教的な発露でした。「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため 主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み 捕らわれ人に自由を つながれている人に解放を告げるために」,に基づいていたにちがいないと想像します。(イザヤ 61:1)。
 当時,国家共同体による社会福祉が全然行われないばかりか,強いもの勝ちの世相の中で貧窮と病気に苦しむ敗残者は多い中で,キリシタンは愛の実践を行いました[30]。1591年から今日まで,迫害と潜伏を通じて,唱え続け記憶しているオラショ(祈祷文)にキリシタンの14ヶ条があります[31]
 キリシタンも弾圧下にあって,徳川幕府も当初黙認したのは愛を実践していた「慈悲の組」などでした。とりわけ「組」は積極的に孤児,戦争や被災により夫をなくした独身女性,高齢の独居者・老弱者・病人を世話していました[32]
 迫害下にあっても,「ミゼリコルディヤの組」(ポルトガル語の慈悲の意)も西暦一世紀と同じように,「そして,その町の病人を癒やし,『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」とキリストは72人を派遣宣教されました(ルカ 10:9)。伝道して信者を増やすためではありません。また「義の行い」により神に罪赦していただくためではありません[33]。罪には,「無知(無関心)」(マタイ25:41-43),「自己正当化」(マタイ 25:45),「偽り」(ヨハネ 8:44)があると神戸国際支縁機構では共通した認識があります。
 「サンタ・マリアの組」の信者が実践していた第16項に業が記録されています。「囚人を見舞い,慈悲物を与えて助くる者……埋葬を行い,または埋葬に必要なる物を与え,もしくはその屍に刀を試みられざるように心を用うる者は……」免償(ポルトガル語 インドルゼンシャ)されるのです。「免罪,免罪符」はインドルゼンシャの誤訳です[34]

 c. 宣教とは伝道ではなく,愛の実践 
 ボランティアは,現場で人々と交流するto,poj (トポス≪「場」の意≫)です[35]。人々との対話,継続した関係性(機構では“縁”),「共生」(live together)こそ被災における喪失感を埋めるようになります。家族,幼なじみ,親友に相当する存在になり,信頼を得るからです。日本の厚生労働省は人々の協調行動を活発にすることによって,社会の効率性を高める上でアメリカの政治学者ロバート・パットナム[1940-]によるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の理論をあらゆる分野で取り入れようとしています[36]。パットナムは「調整された諸活動を活発にすることで社会の効率性を改善できる,信頼,規範,ネットワークといった社会組織の特徴」だと定義しました。ドイツ社会学の古典であるフェルディナント・テンニース[1855-1936]による「ゲマインシャフト(共同体) とゲゼルシャフト(社会)」の概念を批判します[37]。近代化に伴い共同体は解体されるのではなく,市民共同体で「連帯,市民的積極参加,協力,清潔性」がみられると述べます[38]
 日本の「お上(かみ)」が参考にしているパットナムの「効率性」では被災者,貧者,弱者に寄り添うことはできません。なぜならボランティアは効率,能率を追究するのではなく,徹底して相手側の状況や都合に合わせるようにするからです。つまり机の上で作ったマニュアルに従って,実践するのではありません。「隣人愛」が基本です。
 「人を愛する者は,律法を全うしているのです」の「全うする」(ギリシア語plhro,wプレロー)わけですから,宗教者の「信仰,信心,敬虔」を上回る本質をパウロは語っています(ローマ13:8, ガラテヤ 5:14)。マザー・テレサ [1910-1997]は教会の中で福祉事業を行ったのではありません。外へ出向いて息も絶え絶えの人々に接しました。背後にあるコルカタの家も,釜ヶ崎にある「ふるさとの家」と同様に,ディアコニア(カリタス)に徹し,本田哲郎司祭も散髪,炊き出し,看護などに仕え,伝道はされません。マザーや本田にとり教会は祈りの課題,献金協力,情報収集をするにすぎません。
 2016年4月16日,熊本県上益城郡益城町(ましきまち)の愛児園(三嶋充裕園長)で熊本県庁から700~800名の炊き出しを依頼された際,神戸から参加した10名の内,2名は看護師でした[39]。避難所で持病が悪化した方たちを検診し,必要な場合,薬の処方などに仕えました。人々を癒すためではなく,癒えるのを見守るのです。キリストが「群衆はこれを知って,イエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え,神の国について語り,治療(ギリシア語 iva,omaiイアオマイ≪医者,医師が癒す≫の意)の必要な人々を癒された(qerapei,aセラペイア セラペウオーの名詞形 ≪手当て,奉仕,看病すること≫の意)」。(ルカ 9:11)。手当てした結果,癒される場合もあったでしょう。しかし,キリストの主な業は「手当て」でした[40]。第106次に参加した大島健二郎さんは熊本に移住してまで,「復興」を見守られました。独りで被災後も寄り添うことができた原動力は何でしょうか。キリスト者としての「共苦」を甘受されたのです。十字架で受難した「共に苦しむ」(sumpa,scw(su,n スン≪共に≫の意( pa,scwパスコー≪苦しみを受ける,苦難を経験する≫の意) 「子どもであれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共に栄光を受けるからです」(ローマ 8:17) 。
 機構も,被災現場に行けるのは,神戸国際キリスト教会の祈り,献金協力,情報の共有があり継続できています。とりわけ垂水朝祷会は3.11から欠かさず,祈祷課題に教団,教派を超えて石巻の「復興」について熱心に祈ってくださっています。

<結論>
 「防災」⇒「災害」⇒「復興」ではなく,「復興」の現場⇒「災害」に取り組み⇒「防災」に備えるボランティア道に常に挑戦しています。戦っています。一般に,被災地復興と言えば,阪神・淡路大震災以降も,専門職,LSA(生活援助員),NPOなどのネットワークによるサービス提供に依存しています。しかし,役所の被災者情報管理,ハコモノ建設,道路など土木事業への介入,一方的サービス,人材不足により,空回りをしている印象は免れません。目に見える形状の復興を他の被災地域よりも迅速にすると,情けないことに,「創造的復興」と持ち上げられる傾向があります。津波で覆われた海岸に近い「レッドゾーン」にも,またぞろ住宅開発がなされていてもトラブルの陳情がない限り,都市局計画課は動きません。日本社会は死に体です。
 宗教家の宣教とは会議,討論,予算の裏付けでなされるものではなく,貧しい者のトポスから生れ出てきます。コロナウイルスはボランティアに覚醒の刺激となるでしょう。孤児,戦争や被災により夫をなくした独身女性,高齢の独居者が嘆きの涙をたくさんながしているからです。
 人を愛する者は,律法を全うしています。隣人愛を実践することは情緒的なことではなく,自分と異なる人たちの多様性を知り,その痛みを理解することです。共生とは相手側には歴史をめぐる別の「物語」があることを理解し,受け入れる寛容が求められます。
 路上生活者がボランティアとして,被災者に寄り添うように変えられていきました。堀 浩一さんと田村晋作さんは,岡山,広島の水害地帯,南房総布良(めら)に自ら赴くために聖霊の働きが不可欠でした。堀さんは第106次東北ボランティアでは,漁ボランティアの班長として,石巻市漁業組合でも作業に従事されました。まさに神から垂直にもたらされる特別恩恵(special grace)です。本田寿久事務局長が二人をよく励まし,「共振」, 「共苦」,「共生」することによって,連帯ができています。
 村上裕隆代表について同行した神戸新聞の竹本拓也記者が3月11日付けの夕刊で大きくとりあげてくださいました。パウロの回心に相当する変化をもたらした神さまの見えない御手Unseen hand に感謝します。

出典
[1] 雷のエネルギーにより,空気中の窒素N2,酸素O2,水H2O⇒ 窒素酸化物HNO3を生成し,硝酸イオンNO3-天然窒素肥料。植物の成長に必要不可欠。窒素(N2)は空気中に約80%含まれていても,ほとんどの植物はN2をそのままでは活用×。硝酸菌や亜硝酸菌,クリストリジウムやアゾトバクターが加わって,空気中のN2がはじめて大地の植物にも使えるようになります。雷が作り出す窒素化合物は地球全体で年間3千万トンです。
[2]  『朝日新聞』(2012年3月17日付)。 宮城県石巻市の笠貝島(無人島)が遡上高[そじょうこう]最大43.3メートルと東京大地震研究所の都司嘉宣准教授が計測。拙論「田・山・湾の復活」(宗教倫理学会 2013年 関西大学)。
[3] 『石巻日日新聞』(2020年3月9日,10日付)。
[4] 拙論 季刊誌『支縁』 No.4(2013年8月10日 4頁)。
[5] 水垣渉 (季刊誌『支縁』 No.1 2012年11月3日 1頁)。
[6] 『NHK教育「こころの時代」』(1998年4月26日)。
[7]『石巻かほく』(2017年11月21日付); 拙論 『キリスト教とボランティア道』(東京大学 2016 年 5-10 頁)。
[8] 林野庁が所管する「治山ダム」は,川の傾斜を緩やかにして下流への土砂の流出を防いだり,川岸の浸食を防いで森林を保全したりする機能を持つ。国交省の「砂防ダム」は,治山ダムより下流に造られることが多い。拙論 「キリスト教と防災」(関西学院大学 2019年 9-10頁)。
[9] 『英国放送協会』(2018年7月27日)。
[10] 拙論「技術至上主義は自然災害をもたらす― 第1次北海道地震ボランティア―」(2018年9月9日-12日)。
http://kicc.sub.jp/wp-content/uploads/2017/08/6fd475dd9fe0e47f708cfde21a50a5d6.pdf
[11] 『「大東亜」を建設する―帝国日本の技術とイデオロギー―』(アーロン・S・モーア 塚原東吾訳 人文書院 2019年 205-207頁)。
[12] 拙論 2020年1月21日 長浜幼稚園 https://youtu.be/zEw6pUy6JjQ
[13] 拙論 季刊誌『支縁』 No.10(2015年2月11日 4頁)。
[14] 『NHKスペシャル』「防潮堤 400キロ~命と暮らしを守れるか~」(2014年5月30日 午後10時00分放送)。
[15] 『読売新聞』(2019年10月14日付)。
[16] 『福島からあなたへ』(武藤類子 大月書店 2012年 27頁)。
[17] 『辺境からはじまる―東京/東北論』(共著赤坂憲雄 明石書店 2012年 332頁)。
[18] 拙論 季刊誌『支縁』 No.10(2015年2月21日 4頁)。“堤は水質を悪くします。砂浜から運ばれる種々のミネラルを遮り,海の生き物の生態を変えます。リアス式三陸海岸はアマモの生息地です。クロイソ,ヒラメ,マダラ,ホッケなど50種以上の稚魚が泥砂地のアマモ群落で育ちます。アマモは水中にたくさんの酸素を出します。”
[19] 『創造における神』生態論的創造論(J・モルトマン 沖野政弘訳 新教出版社 1991年 278-280頁)。
[20] 『福島民友』(2019年10月16日付)。
[21] 『自然に対する人間の責任』(J・パスモア 岩波書店 1998年 326頁), 『毎日新聞』(2019年12月16日付)。
[22] 『河北新報』(2019年10月25日付)。
[23] 『茨城新聞』(2019年10月14日付)。
[24] 拙論 「危機の時代から刷新の時代へ ―見捨てられた松末―」(2019年3月31日)。https://kisokobe.sub.jp/article/10343/
[25] 拙論「天災か人災か」 https://www.christiantoday.co.jp/articles/26880/20190529/kiki-no-jidai-sasshin-no-jidai-3.htm
[26] 『地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実』 (青木美希 講談社現代新書 2018年 187-188頁)。
[27] 『中外日報』(2020年3月18日付)。『キリスト新聞』(2014年5月24日付)。
[28] 『戦国日本と大航海時代』(平川新 中央公論社 2018年 48,70頁)。
[29] 『宣教師ザビエルと被差別民』(沖浦和光 筑摩書房 2016年 138頁)。武士の藩主層からの入信者もいたましたが,やはり社会の底辺層からの入信者が最も多かったのです。(同 190頁)。
[30] 『日本キリシタン殉教史』(片岡弥吉  時事通信社 1979年 164-169頁)。
[31] 七つの教えを思いに刻み暗証しています。一には,飢へたる者に食を与る事。二には,渇したる者に物を飲まする事。三には,膚(はだへ)をかくしかぬる衣類を与る事。四には,病人をいたはり見舞ふ事。五には,行脚(あんぎゃ)の者に宿を貸す事。六には,とらはれ人の身を請くる事。七には,死骸を納むる事,是なり。(同 154-155頁)。
[32] 拙論「日本のキリスト教会 キリシタン時代」(キリスト教の世界シリーズ KBH 2004年 11 月 9 日)。; 『宣教師ザビエルと被差別民』(沖浦和光 筑摩書房 2016年 144頁)。
[33] 禁令下,「ミゼリコルディヤの組」は創立50年続いた(『日本キリシタン殉教史』( 169頁)。
[34] 免償符(めんしょうふ) 英語indulgence 「免償」とは「免罪」ではない。「罪」に対して課せられた有限な「罰」を免除する事。日本では説明は間違っています。『新カトリック大事典Ⅳ』(編纂委員会 研究社 2009年 982頁)。
[35] 『キリスト教と社会学の間』(村田充八 晃洋書房 2017年 182-183頁)。
[36] コミュニティ機能再生とソーシャル・キャピタルに関する研究調査報告書(内閣府経済社会総合研究所); 『哲学する民主主義―伝統と改革の市民構造―』(ロバート・D・パットナム 河田潤一訳 NTT出版株式会社 2001年 206-207頁)。
[37] 『キリスト教と社会学の間』(同42頁)。;『流動化する民主主義: 先進8カ国におけるソーシャル・キャピタル』(ロバート・D・パットナム, クリスティン・A・ゴス 猪口孝訳 ミネルヴァ書房 2013年 12頁); 
[38] 『哲学する民主主義―伝統と改革の市民構造―』(同 138頁)。
[39] 『広安愛児園熊本地震報告書』~あの時,そしてこれから~(広安愛児園 2018年 15頁)。
[40] 拙稿「聖書のいやし」(神戸国際キリスト教会 2010年2月28日)。

本文は,村田充八理事,徳留由美さん,佐々木美和さん,土手ゆき子さんに誤字,不明瞭な表現などを指摘していただき,感謝でした。

 

 

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