ナマステ Namaste bhaai. Visit Nepal,Yoshio Iwamura 

『中外日報』(2015年5月29日付)。

 

世界はあなたを待っている

04中心街倒壊

2015年5月13日ネパール カトマンズ市街地ミトラナガル 撮影 Ⓒ岩村義雄

  仏陀[釈迦]生誕の地と言われるルンビニはネパール南部にある。人口
約2649万人。面積14.7k㎡で北海道の約1.8倍。首都カトマンズは標高
1300メートルにある。世界遺産になり,観光のため訪れる人が増え,
観光立国として中心地になった。カトマンズ以外のネパールは山岳地帯
のため寒く,一方,平地は暑く,気温は居住にふさわしくない。人々は
首都に集中する。レンガを積み重ねる粗雑な5,6階建ての高層家屋が林立
し,街全体が迷路のように複雑である。4月25日,マグニチュード7.3の
地震により,阪神・淡路大震災を上回る約8700人以上が犠牲。人口の
70%がネパール地方に住み,約810万人に及ぶ被災者は余震におびえて
いる。5月12日~17日に見たカトマンズやその他の地域に住む人たちは,
夜は野宿生活である。首都に住む全体が路上生活者を余儀なくされている。

 6月~9月前半が雨期を迎えるため被災者の住む場所が深刻な問題。
 とりわけ親をなくした孤児,家,友を失った子どものために阪神・
淡路大震災から20年,敗戦から70年の2015年,機構は世界の災害地
に出かけます。ご一緒に行きましょう。

両親を失った子供

両親を失った子ども 全世界の犠牲になっている地域に神戸国際支縁機構は出かけます

 サイクロン被害のあったバヌアツ第1次訪問の帰途,4月25日午後7
時に伊丹空港に着くやいなや,携帯の機内OFFを解除したら,スマホ
の画面速報が入ってきました。伊丹空港に迎えに来てくれた本田寿久
事務局長と,ネパールの窮状について,「なんとか子どもたちに寄り
そう方法はどうすればいいか」と翌日,行動を始めることを話し合い
ました。
 東北ボランティアを55回以上続けている中で,ハコモノ復旧,復興,
再建で一番後回しになって,被災の悲しみ,苦しみ,くやしさ,怒り
をぶちまけることができない小さないのちに寄り添いたいと願ってい
ます。
 バヌアツでは,ボランティアとして中国,韓国の若者たちが手弁当
で,被災地のがれき撤去,ドロ出しにかけつけています。一方,日本
の若者たちは見かけません。
 ネパールの子どもたちの家を建設するには,中国,コーリアの若者
たちの協力を得ながら息の長い復興に取り組むことを提言します。
 したがって,(社)神戸国際支縁機構は日本の他の諸団体だけでなく,
中国,コーリアの三カ国から成る「JCK」(Japan-China-Korea),
CDMC」(Community Disaster Management Committee)や,
CCH」(Child Care Home)などの被災地のコミュニティと連帯し
て,復興支縁を行います。南俊治建築研究所がモジュール設計をしま
す。

 神戸国際支縁機構は,外国語部門もあり,第1次は5月12日(火)
17日(日)
朝7時5分に格安の航空券で代表は直接現地に入りまし
た。

 1st  Visit    May 12-17, 2015
   2nd Visit    August 30-Spetember 5, 2015。
       大学生2名申し込み     
       第2次訪問隊事務局長は豊原正尚氏です。
       岩村義雄も随行します。

   3rd Visit    Unsettled

第2次チラシ

 みなさんからの救援金を大地震によって両親をなくした孤児たちの
ために,「子ども基金」として直接被災者に手渡します。
 阪神・淡路大震災や,東日本大震災の場合,緊急に必要な人々がな
かなかもらえなかった教訓を痛切に体験してきているからです。

救援金 ご協力をお願いします

 

 “義援金は100日以上も顧みられていない。「義援金」という名称も
おかしい。「見舞金」なら遅すぎる。「救援金」という名称にしてす
ぐにでも支給すべきである。”
牡鹿半島 聞き取り調査 (6) 」(拙稿 2011年7月)

 「義援金」donation は寄贈されたおカネです。そこで「救援
rescue money to a person in distress と呼ぶべきです。災害な
どの被害者への救援,寄附として,義援金は遅すぎて,ふさわしく
ない表現と言えます。
 地元が必要なら,即断,即決,即実行しないと間に合いません。
 首都カトマンズなど,家,家族を失った子どもたちのために住居
を提供できるように,第2次にも,救援金を有効に用います。

03Panga24 Donation
 パンガコミュニティ災害対策協議会に対する海外からの
 はじめての救援金として神戸国際支縁機構に感謝状。
 2015年5月14日付。

一般社団法人 神戸国際支縁機構
Kobe International Supporting Organization (KISO)
E-mail kiso@mbe.nifty.com
HP http://www.kisokobe.com/
Tel : (078) 782-9697  Fax: (078) 784-2939

岩村 義雄(Yoshio Iwamura)
E-mail: QYH05423@nifty.com
携帯 070-5045-7127

郵便振替     口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構
 もしくは
三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863  神戸国際支縁機構 岩村義雄

募金者 および 合計金額 受領順 2015年4月26日以降 `

現在,第2次バヌアツ訪問以降,ネパール救援金が止まっています。
ご協力をお願いします。8月30日第2次出発までに,残り180万必要
です。

現在 768,571

 ※ 2015年3月27日の理事会は,名前だけにして,個人の金額に
   ついて表示しないことを決議。
 ※ 救援金の寄附者は,振込用紙に記入なさっています。年金生
   活の中からわずかですが,お用いくださいとのコメントが多
   いです。
 ※ 夫をなくした女性,在日朝鮮人,在日中国人などの寄留の外
   国人,被差別部落の方たちの応援,痛み入ります。

栄澤紀子,岩村義雄,岩村カヨ子(2),尾島淳義,山内典子,兵頭晴喜,
伊藤伊万里,本田すみ代,池田久美子,中神佐織,櫻井由里子,ホ
リカワサトコ,第17次東北ボランティア参加者,(株)レスキューナ
ウ危機管理研究所,市川啓一,豊原正尚,山本智也,北村 徹,原田
洋子,広島キリスト教会,武田英敬,山田 貴,山下妙子(2),本田
寿久,本田洋子,神戸国際キリスト教会,小野 奨(2),津田隆志,
河内常男,的野慶子,林 伯耀,岸本 実,ソラタニ マサト,レバ
ミッション,鈴木恒雄,小島芙美子,菅原よ志子,KISO牧場,
中山敬一郎,三鷹市観音寺,後藤由美子僧侶(第20次),阪神宗教
者の会,塩屋キリスト教会,鷹巣直美,西田明弘,白方誠彌,楠元
留美子,三浦照子,神戸バイブル・ハウス,島田 恒,日本基督教団
芦屋浜キリスト教会婦人部,井上千代,第19回統一マダン神戸,
西尾祥子,大槻紀夫,東灘バプテスト教会,小堀 真,村田充八,金
承鎬,宗教法人アシュラムセンター,小菅あゆみ,千葉幸一,兵庫県
青少年本部,兵庫県青少年課,神出学園,兵庫県山の学校,兎和野高
原野外教育センター,青団連(個人,OAA),東垂水ルーテル教会,
水垣 渉,兵庫県青年洋上大学同窓会,木村褜治,佐谷文子,左成
和朗,ゲーベルひでみ,清洲山王宮日吉神社,庄司慈明,

  第2次ネパールは,8月30日(日)~9月4日(金)の予定です
ので,ご一緒に参加なさりたい方は,機構にご連絡ください。
 携帯 070-5045-7127 E-mail: kiso@mbe.nifty.com 岩村

 Nepal Children facility

   ネパール切り抜き各紙

   第1次ネパール報告   動画

  世界遺産ダルバール広場
  ダリットとの出合い
  ジャカランタが咲き誇る5月
  ネパール式食事
  壊滅パンガ 仮設住宅に取り組む
  〃  夫を亡くし,手足が骨折の女性の哀しみ
  TVインタビュー
  倒壊が悲惨なダラムサリィ
  〃 孫をなくしたビスメンさん
  〃 次女をなくしたミナさん

 ネパール訪問記

 両親を失った子ども

                          (社)神戸国際支縁機構構          
                               代表 岩村義雄

ナマステ 合掌 

同行者 5月12日(火) 

 5月10日(日),神戸市垂水区狩口台でJCKが産声をあげました。JCKとはJapan
China Koreaの頭文字からなっています。在日の朴培根さん(神戸国際キリスト教会
信徒),林伯耀先生(日中友好協会代表)も協力してくださいます。4月21日-25日に南
太平洋史上最大のサイクロンの被害にあったバヌアツ訪問が契機になっています。バ
ヌアツでは,3月15日以降,倒壊した集落,家,道路で中国,韓国の若者たちががれ
き撤去,ドロ出しなどに汗を流しています。日本からの若者は見かけませんでした。

 21世紀に入り,大規模な自然災害が世界各地で発生しています。それぞれの被災地
の犠牲者の規模も1万人を超えています。

 自衛隊,レスキュー隊,医療チームでは対応できません。だからといって苦悩して
いる被災者に義援金だけでは愛のないことです。息も絶え絶えのチムグルシー(胆苦
しい)人たちのそばにかけつける思いやりがある隣人としてJCKは現場にかけつけま
す。マニュアルはありません。潤沢な救援物資,資格者もいません。まったく素人の
寄せ集めでいいのです。大切なことは人の痛み,悲しみ,怒りに敏感な人たちが求め
られていることです。

 阪神・淡路大震災がボランティア元年と言うならば,20歳の成人になってもいい時
を経ています。つまり独り立ちできるほどたくましくなっていてしかるべきです。と
ころが,バヌアツの被災地に日本の若者の姿はありませんでした。気持ちがあっても
行動力が顕在化していません。内向きとも言えません。4年前の東日本大震災の悲劇
も忘却してしまった観があります。喉元過ぎれば熱さを忘れるような無関心の寒気団
が日本列島をずっぽり覆っています。
 ボランティアは経済的にゆとりがあるからできる働きだと思ったら大間違いです。
豊かな暮らし向きを追い求めるのに到達点はありません。貪欲は際限がないのです。
すなわち東北ボランティアにしても参加なさるのは,一般に学生,高校生,フリータ
ー,専門家にしぼられてきます。バヌアツに日本の若者が馳せ参じていない理由は,
福沢諭吉が肖像画である紙幣の偶像のとりこになっているとしか思えません。

 今回,残念なことに参加できなかった学生たちがいます。東北ボランティアに参加
した若者です。津波てんでんこで生き残った方々の傾聴ボランティアに携わり,よそ
者だからこそ心の澱を吐露してくださった被災者たちの地獄絵図は,ボランティア参
加者を打ちのめしました。「いのちとは何か」「なんのために生き続けるのか」「だ
れのために生きるのか」と自問を迫ったのです。被災体験談が自己本位な人生観を変
えました。

 経済的に保障された豊かな生活よりもっと価値のある人生への火付け役の役割を果
たしたのです。大学で手堅く単位を修得して,上位の企業に就職し,良き収入を得る
ことばかりが人生の目標ではないことに気づいたのです。快適な生活を追い求めるあ
まり,他者のことを考えなかった生き方が東北ボランティアを通じて,転換したので
す。自分より他者のために少しでも役立ちたいとの選択肢に覚醒しました。だからこ
そ,時間,体力,交通費を犠牲にしてでも他者に仕えるネパール行きを決意しました。
ところが,「待った」がかかります。親,大学,周囲は本人を諫めます。「危ないか
らやめなさい」「そんなことしても儲からない」「将来,生活にゆとりができたらや
んなさい」と反対されます。

 なぜバヌアツに日本の若者がボランティアに出向いていないかの理由です。

 同じアジアのネパールへの参加希望の大学生の芽は摘み取られてしまいました。

 ネパールに行くことを聞きつけた人たちの内,学生を除いて,計4人で被災地ネパ
ールに向かいます。村上裕隆君が朝6時半に事務所に来て,曺弘利さんの事務所に向
かい,村上君が関西空港へ送迎のため機構のハイエースで荷物を運んでくれました。

 ネパールと日本の友好のために活躍している岡部和香さん(HIKIVA ヒキバ Hirakata
Katao International Volunteer. Associationの略),バヌアツでもこいのぼりなど
を提供してくださった栗須哲秀さん(神戸スイミープロジェクト代表)との荷物3人
分を均等にして搭乗手続きをします。支縁物資の重量オーバーを免れるためです。岡
部さんは東遊園地(神戸市中央区市役所南隣)の炊き出しでも手伝ってくださり,宮城
県石巻市渡波の農ボランティアにもご一緒する予定です。ヒキバはネパールの学校及
び子供たちへの教育支援,学校及びその付属設備の建設支援,教材支援と里親 ・里子
制度による,里親に目に見える里子への直接支援を行っています。栗須さんも東北で
の田植えの際,こいのぼりをあげる計画があります。第51次東北ボランティアに参加
したくキャンセル待ちであった皆木祐介さん(神戸製鋼に勤務,26歳)はカトマンズ空
港に一日遅れで合流する予定です。

 空港では本田寿久事務局長作成のパネルを前にして撮影をしました。≪画像参照≫

 マレーシア航空機については一年前3月8日,MH370便が機体ごと消え,239人の
乗客全員が消えてしまった痛ましい報道があります。続いて7月17日にはウクライナ
でMH17便が撃墜されました。撃墜による航空事故では史上最悪の死者数298人でし
た。過去にそんな苦労があっただけに,細心の注意,安全,サービスを心がけている
だろうと期待していました。キャビンアテンダントたちも食べ物など機内ではひんぱ
んにサービスをしてくれます。ニュージーランド航空のサービスに劣らない気遣いを
示します。乗り換えのクアラルンプールからはたくさんのネパール人が地震の被害を
心配し,帰国しようと乗ってきました。現在,スマホは盛んなため,故郷がどれくら
いの被災かはリアルタイムにわかっています。

 乗り換えのクアラルンプールにいる際,家内から連絡が入りました。ネパールにマ
グニチュード7.3が再び揺るがしたこと,宮城県に震度5の地震についてです。阿部捷
一支所長によるとたいした被害がなかったこと,傾聴ボランティアでいつもお世話に
なっている遠藤トシ江さんも元気にしていることを聞いて安心しました。留守で色々
な問い合わせがありますが,家内が逐一,機構,授業,東北の余震についても知らせ
てくれます。

 カトマンズには私たち3人の荷物は到着しておらず,1時間待った後に,翌日の1時
に取りに来ることが判明しました。マレーシアの人は勤勉なので,好感がもてますけ
れど,料金はタイ航空の方が安く,航空会社としてはためらう声も飛び出しました。

ダリット層

  クアラルンプールから,親しくなったネパール人たちがいます。アデッシュという
29歳の膚の色が白い若者です。モンゴリアン系であり,流暢な英語を話し,知性があ
ります。ネパールの大学で神学を学び,クアラルンプールで働いていました。故郷の
被災様子を確認してから,カトマンズで宗教者として歩むヴィジョンを持っています。
ダリット層を訪問したいと言うと,姉がナワコットにいるからと3日後,一緒に行く
計画を立ててくれました。ダリット[Dalit]とは,日本の被差別部落と同じように 不
可触民扱いされ,動物以下の抑圧を受けてきています。

 ヒドゥー社会の中でも最下層階級 「触れると穢れる人間」「困窮した人々」「押し
つぶされた人々」「抑圧されている人々」です(『ヴィシュヌ法典』[100~300年頃])。
ダリット層は全人口の13%~15%と言われています。生まれながらにして,職業が決
められています。ダマイ(仕立て屋),サルキ(靴作り),カミ(鍛冶屋),スナール
(金細工師),ドーティー(街路清掃員)などです。他カーストと同じ寺院に入って
はだめ,同じ井戸を用いることはだめ,一般からは隔離された地域に居住しないとだめ
など差別されています。

 ヒンドゥー教徒が約80.9%を占め,約10.8%が仏教徒,4.8%がイスラム教徒です。
その他,キリスト教,ジャイナ教などがあります。(2001年国勢調査)。2006年5月ヒ
ンドゥー国家から世俗国家に変わると国会が宣言しました。

 カースト制度は5つの階層に分かれています。上位からブラフマン(バウンとも呼ば
れる),チェトリ,ネワール,マトワリ(モンゴリアン系),ダリットです。同カース
トとしか結婚が許されない厳しい戒律がありました。しかし,1990年の民主化運動で
カースト制度が名目上廃止になりました。

 日本の被差別部落の人たちと同じように,就職,結婚,地域内における差別はなくな
っていません。

 機構は痛みつけられた人々のところに遣わされると自己紹介したところ,アデッシュ
は目頭を熱くして,「よく来てくださった。自分にできることはなんでもするから」と
二人のつながりは強固になります。アデッシュによると,民主化により,ヒンドゥー教
と仏教の重層信仰が一挙にすすんだと言います。「こっちの水は甘いぞ,あっちの水が
からいぞ」と他の宗教を異端,カルトと裁き,自分たちだけが救われるという独善的,
かつ排除的になる教えこそあやしいものです。

カトマンズ到着 5月12日(火)

  アデッシュはカトマンズに着いたら,自分たちが泊まる予定の友達の家へと親切に
すすめてくれます。単独の行動はできませんから,丁重に断りました。そんな交渉をし
ているうちに,アデッシュとその友の手荷物が紛失します。空港を出ると,駐車場近辺
には深夜12時を超えているのにたくさんの人がいます。エネルギッシュに語り合って
います。空港付近は,活気で喧騒としています。ごった返しているにもかかわらず,
アデッシュたちが「ノー・ラゲッジ」と言うと,知り合いでもないのに次から次へだれ
かれとなく他人のラゲッジを探し出します。半時間すると見つかりました。ネパール人
の共同体意識には脱帽します。

 日本の交番は世界中で「KOBAN」として有名でした。世界一治安がよいと誇ります。
しかし,みんなで人の荷物を必死に探す光景はありません。困った人に感情移入する点
で機敏なネパール人の気質には心温まります。

 滞日経験がある若いニラージさん(ヒキバ・ネパール会長)が流暢な日本語で迎えに来
てくれています。ニラージさんはインテリであり,運転も上手,腰の低い思慮深い紳士
です。ご両親も教育者です。父親ジャカミさんは校長先生で,Jyapu Mahaguthi協会
の会長です。

 深夜,寝静まっている時間帯に通りを市民が歩いています。歩道にテントを張ってい
ます。女性はネパールの民族衣装のサリーを身につけ,モノトーンの中でも赤,黄色,
オレンジの色により,ネパールに来た実感がします。日本の着物と同様に,サリーも着
なくなったと聞いていましたが,テントに身を寄せる女性たちが一人として,現代風の
洋服を着ている姿は見かけませんでした。男性も「トピー」と言われる縁なし帽をかぶ
っているので,なかなか趣があります。

 大きな通りから,川沿いの舗装がはげ,道路沿いの家屋が崩れているような場所で降
りました。腐ったような臭いもします。≪画像参照≫ ニラージさんの大家族が習得した
日本語でにこやかに一行を出迎えてくれます。3時間近く,待っていたそうで,申し訳
ない気がしました。すぐに大きなタープテントの下に寝るように案内されました。歩道
脇の空いている場所で休みました。下はごつごつしていますけれど,スリーピングマッ
トを持ってきており,その上に寝袋ですから快適です。3時間半ほど眠ると,寒くて目
ざめました。

カトマンズ市街地   5月13日(水)

  未明の5時,市街地を見てみようと,独りだけ抜けだし,どこともなく歩き出しまし
た。懐中電灯で道を探しながら,ぬかるみを避け,人間だけが通れる簡易な橋,ゆるや
かな坂道を探索しました。カトマンズは猥雑であり,生活の臭いがします。犬は放し飼
いです。日本では犬嫌いの人ならこわくて歩けません。「ハウワウ」と地元の人は犬の
鳴き声が聞こえます。いたるところに野良犬がいます。しかし,みんなやさしい目をし
ています。≪画像参照≫人に噛みついたりしません。ただしむやみに毛をなでようとした
りすると,がぶっと怒る犬もいます。それでも手加減して噛みついてくれます。犬が人
を噛んでも記事にはなりませんが,人が犬を噛んだら記事になるでしょう。にわとりも
放し飼いです。ドイツでは「キッキリキー」,フィリッピンでは「チックタラオー」,
ベトナムにいた時,人々は「クック クー クー」と鳴くと言われましたが,ネパール
人にも「コケッコー」と聞こえず,「ククリカー…」だと主張します。焼き鳥にする,
盗まれないのか心配に及びません。ネパール人は貧しい人たちの持ち物を盗ったりはし
ないようです。一方,裕福な暮らし向きの人の豪邸は鉄条網,高い塀,ガードマンなど
厳重な警戒をしています。

 夜が明ける前,人々は談笑しながら,どこへ向かっているのか知る由もありませんが,
早足で歩いています。≪動画参照≫ 地震が起こらなくても首都カトマンズの居住環境
飽和状況です。限界でした。そこへ地震が4月25日に発生。マグニチュード7.8の大規模
地震で1934年1月25日の犠牲者数を上回ると言われています。建物の全壊が約15万戸,
半壊が15万戸とNBCニュースは5月2日に報道しています。死者の数が7056人を超え,
1万4123人がけがをしたと3日,ネパール内省省は発表しています。阪神・淡路大震災
の規模を上回ります。1934年のネパール地震も上回ります。余震でいつ倒れるかわから
ないため,200万人がカトマンズから離れたと地元の人たちは言います。住人はみな外
で寝ています。たくましさと明るさ,揺るぎない誇りを感じます。「ナマステ」とお互
いにあいさつを交わした瞬間,「辛かったが,がんばろうよ」という気持ちが通じ合い
ます。神戸や石巻の場合,震災直後に視線が合った時,沈黙の中から,「なるしかない」
というあきらめの諦観じみた感触と少し違う感じです。

 2時間ほど散策してから,就寝した場所に戻ると,まだ休んでいます。ダリット層の
人たちが近くにいました。「ナマステ」とあいさつすると身なりが粗末な子どもや若い
人たちが集まってきました。「被災 こわくなかったですか」と尋ねると,だれかれなく
「こわかった。昨日も揺れたから……もう家には入りたくない」「5階建て,6階建ての
家に住んでいなくてよかった。」「学校も休校だ。これからどうなるだろうか」「レン
ガ造りの家はもろいんだ」と答えます。裕福な身なりの人はひとりもいません。それで
も朝の習慣なのか,コップに熱い紅茶を入れて,「どうぞ飲んでください」と親切にす
すめてくれます。分け隔てしない貧しい人たちのやさしさは全世界共通です。この人に
はよくしておこうとか,得にならないからやめておこうという損得ずくめのおつき合い
はありません。海外からであろうとなかろうと,人情があります。大人のひとりが新聞
紙を拡げて,みんなにカトマンズや地方の被災状況を説明します。みんな生まれてはじ
めて経験する大災害の爪痕に「うーん」と静かに耳を傾けています。自分の生まれ故郷
の写真を見て,「ここはオレのじじいの田舎や」「帰った方がよかか」と朗読している
大人にぶつけます。新聞記事の説明を聞いて,「だいじょうぶや」と反応したりしてい
ます。

 ニラージさん家族が身支度している間,12人がひとつの掘っ立て小屋に25年以上住ん
でいる暗い幽霊屋敷のような部屋に案内されました。携帯の充電をしたかったからです。
天井には明かりがありません。電線から引っ張ってきた線に220ボルトの変換器をつな
げて盗電をするのです。朝,小屋の前で縦に長い洗面器の水で顔を洗います。水は貴重
ですので,右手にわずかな水をすくい,素早く顔を洗い,歯を磨きます。ごみが散乱し
ているところにおかまいなく吐き出します。はえはブンブン飛んでいるので,虫嫌いの
人には地獄みたいです。昆虫好きの筆者でも閉口します。不思議なことに,一行はすぐ
に慣れます。悲惨な被災状況に,「虫がきらいです」など悠長なことを言っていられま
せん。

 お手洗いは70メートル離れたところの共同便所に行きます。ちなみにネパールのトイ
レには紙がありません。ただ平たい便器があるだけです。中東にしても,ここネパール
人にしても,うさぎのうんこのように固く,ころころしている排便のため,トイレット
ペーパーはいりません。日本人は一般に軟便のため,紙がないと困ります。滞在期間中,
どこも紙はありませんから,日本から訪問する場合,必携でしょう。使用後,左手で処
理し,ひしゃくのようなもので外の井戸から水を運び,流すのがエチケットです。

 父親が失業しているため,12人の生活費は韓国に出稼ぎに行っているおいの仕送りで
まかなっています。2ヵ月も仕送りがないときは何も食べるものがないから,子どもたち
も学校へ行かず,使い走りなどでわずかな賃金,一ヶ月で日本円に換算すると50円くら
いを家族に差し出し切り抜けているそうです。日本へもアジア諸国から出稼ぎに来てい
る人たちが自分はぜいたくせず,送金していることを考えると,アジア,アフリカから
の人たちに優しくしてあげなければとつくづく思わせられます。

ダルバール・マルグ周辺 世界遺産崩壊 

  ニラージさんの案内で,カトマンズ市内を歩きます。ネパール語や英語では,「カト
マンドゥ」と呼びます。≪画像参照≫≪画像参照≫≪画像参照≫首都には畑はありません。
住居の密集地です。街の中心はダルバール広場です。カトマンズのヘソとも言われます。
観光客を目当ての店でにぎわっているはずですが,震災後2週間ですから,みやげもの屋
は見かけません。路傍で野菜,果物を打っている露店が参道にあります。日本で見かけ
ない野菜があると気になり,ひっつこくニラージさんに尋ねます。日本人旅行者のガイ
ド経験が豊かな彼も見たことがない野菜のため,名前や,どうやって料理をするのか行
商の人に尋ねたりします。裕福な家庭で育っているニラージさんにとってみて,口にし
たことがないものがけっこうあります。とげのあるレモンぐらいの大きさの緑色をした
「ツアツテン」や,「ダニヤン」「バーチャン」などです。「カター」というひょうた
んを大きくしたようなスイカみたいな野菜もはじめて見たものです。≪画像参照≫

 機構が契約している神戸市西区友清で栽培したら,高級レストランで皿に添えてみる
のもいいのではないか,といろいろと思いめぐらしながら,歩いてみると時間があっと
いう間に過ぎます。野菜の上にスズメやハエがたかるように次々とのっかっている光景
ものどかです。日本のスズメと異なり,頭のてっぺんがグレイで尾っぽが長く,黒い部
分が背中にあったりするものもいます。鳴き声も日本より大きく「チルチル」と鳴いて,
ネパール人に負けないくらいの活気があります。≪画像参照≫「カラスは真っ黒とは限ら
ない」の英語はCrows are not all black.であり,日本の受験英語を思い出したりします。
一方,ネパールでは,All crows are not black.か,Crows are not always black.
「すべてのカラスが黒いとは限らない」というべきだと思わせられます。つまりネパー
ルでは真っ黒なカラスは見かけません。首から胸にかけてグレイのツートンカラーです。
「カアカア」と同じように鳴きます。≪画像参照≫

 昆虫少年出身としては,アカタテハやモンシロチョウを見かけるものの,他の蝶がい
ないので気になります。樹木の葉っぱをめくっても幼虫の食べた跡がありません。ニラ
ージさんに聞くと,ネパールは全世界の70%の蝶種がいること,鳥類では50%の種類
が見いだされる説明があり,魅力的な国だなあと住んでみたくなります。

 途中でやぎも見かけました。犬やにわとりと違って首にひもが巻き付けられています。
献げ物として屠られることを本能的にわかり,逃げるのを防ぐためです。「メーメー」
のイメージではなく,「バアバア」とやかましく鳴きながら引っ張られています。ヤギ
が捧げられる祭壇や,死者を焼く檀,ヒンドゥー教の神様や仏様にお参りしながら,砂
埃が舞っている中を歩きます。

 朝にはほうきで石畳をはきますから,どこもかしこも口や鼻を覆わずにはまともに息
ができません。倒壊した建物,とりわけレンガや壁が砕けて首都全体がホコリをかぶっ
ています。掃除機で吸うのではなく,表面を掃くだけですから,移動しているだけにす
ぎません。ゴミ清掃車が運ぶのは,家庭ゴミだけです。若いネパール人の中には,マス
クをしている人たちもいます。スポーツや学業に励むには,砂塵で胸を損ないたくない
防衛手段でしょう。私たち一行はみなさんたくましく,だれひとりマスクを持ってきて
いてもしていません。面倒くさいのか,慣れたのか,あきらめたのでしょう。それほど
周囲が損壊し,荒れた廃墟になっている光景に圧倒されていることもマスクを忘れさせ
ます。

 途中で,ダリットのハンディキャップの方にお会いし,施しをする前に,英語で祈り
ました。人々から不浄という理由で触ることすら避けられてきたにもかかわらず,見知
らぬ変わった日本人が急に握手をするやいなや,手を握り,祈り出すものですから,面
食らっています。別れ際には無二の親友のような間柄になります。≪動画参照≫≪画像参照≫

 洋の東西を問わず,裕福な者が貧しい者に施しをし,気遣うのは当たり前でしょう。
もっともどちらかというと,裕福な人はびた一文,働かない怠け者には与えたりはしな
いのも世界共通のようです。

 日本から西福寺の副住職や,林伯耀先生,東北ボランティアに参加した小島芙美子さん
たち,マスコミで知って,救援金を寄せてくださったくさんの人たちの心を周囲に気づか
れないようにそっと手渡します。日本円に換算すると,千円でも大金です。被災者ひとり
に千ルピーずつを用意しています。一日に10万円ぐらいすぐになくなります。大海に投げ
るパンのように無駄に思えても,明日生きるのもおぼつかない人たちには,神様からの祝
福です。敬虔なヒンドゥー教,仏教などの信者にとり,授かったいのちの重みを大切にす
ることと信じます。とりわけダリット層と,家族をなくした子どもたち,無職失業者,負
傷者などです。つまりお返しのできない人たちにしぼることにしています。

 ネパールは2008年に王制が廃止になりました。権勢を誇る歴代王たちが贅を尽くして
建てた寺院などがあります。≪画像参照≫世界遺産になっている王宮,博物館,庭園は一週
間では回りきれない広さです。ダルバールという「宮廷」を意味する広場には観光客が殺
到していました。震災後は地元の人たちが行き交う交差点になっています。≪動画参照≫

 宗教をネパール語で「ダルマ」と言います。親しくなると,「あなたのダルマは」と必ず
問われます。日本ではさしずめ特定の宗教に属していないことを当たり前のように考えます
けれど,ネパールでは変人扱いされます。無宗教などと答えようものなら,「私は人間では
ありません」と信用をなくし,相手にされません。中東でも,アフリカでも商談をすすめる
際,無宗教と日本人が自己紹介すれば,韓国などのビジネスマンに全戦全敗によって打ち負
かされます。韓国はキリスト者が多く,信仰心について告白することによって人間として信
頼されるからです。日本の家電メーカーがかつては世界をリードしていたのに,撤退を余儀
なくされている理由は単に価格の勝負ではないことに気づかねばなりません。技術が優秀な
ことにあぐらをかいている内に,気づいた時は手遅れになっています。グローバリゼーショ
ンで幼い時から英語を学び,成績を良くしても,大事な部分が「道徳」では養えません。弱
肉強食で勝利者だけが美酒に酔うという論法では生き残れません。アジア諸国との関係が人
間的に信頼できるものにすべきです。本質的な部分で,隣国やアジア諸国とのつながりがな
いと,どんなに優れた製品を造っても短命に終わります。復興もハコモノによってどんなに
取り戻したように思えても,心の部分で自殺,トラウマ,過疎,高齢化,少子化を引きずる限
り,真の復興とは言えないのと同じです。

 やはり先祖伝来の宗教を見直すとか,死について向かい合い,超越する神・仏に「死」を
委ねる発想がないと日本国は世界で異質な国として孤立するでしょう。

 ネパールは物質的に繁栄している日本人が自分を見直す原点に立ち帰らせる妙な空気があ
ります。明治維新以降,忘れてきたものをよみがえらせます。吉田松陰[1830-1859]は和歌
「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」と謳い,日本人だけが到達で
きる大和魂に基づく「大日本主義」を唱えました。伊藤博文,夏目漱石に影響を与えた「偉大
な日本」ではアジアの人たちの感性とは結ばれないのです。ネパール人の感性と2015年大河
ドラマ「花燃ゆ」式の路線とは交差しません。物質の豊かさの新しい時代を追い求めること
の価値観から覚醒させる力が大地震の廃墟になったカトマンズの寺院の周辺で掃除する年配
の女性の背中から伝わってきました。今でこそ,婦人の「婦」はほうきをもって「掃」く性
差別表現です。婦人から「女性」にすべきだという論法を通り超えて訴える何かがあります。
悠久なる歴史を通じて,刻まれてきた石畳に砂,紙くず,犬鳥の糞が覆います。それらを払
う動作にはいかなる大企業も太刀打ちできないでしょう。効率,能率を重視する日本人は大
きなバキュームクリーナーで吸い込めば,事足れりと考えるでしょう。一方,手にほうきを
持ち,掃く姿には「心」があります。聖地に来る人たちをもてなす最高のもてなしの気が凛
と伝わります。ネパールの人たちの目に見えない信仰心は小鳥のさえずり,子どもたちの賑
やかでうれしそうなお喋りが緑の木々のまばゆさをかき立てます。

 約4時間,歩いている中には,5千人が避難生活をする上でテント生活しているネパール陸
軍の競技場のような広場がありました。中国政府はたくさんのテントを支援しています。提
供された青一色が大半をしめます。2013年の中国四川省の水害でも人民政府は迅速に復旧,
復興,再建に尽くしたことを目の当たりにしましたから,驚きはしません。民間のゼネコン,
企業,地方行政よりも早く軍隊を被災現場に急行させ,ビル,橋,学校などを軍隊が短期間
の内に復旧させる手法です。

 避難所の周囲には,ジャカランタが咲き誇っています。≪動画参照≫日本の桜に相当する
ジャカランタは薄紫の色をしており,5月に全開となります。淡いピンクの桜ではなく,淡
い紫色にはエキゾチックな趣があり,民がこよなく愛する気持ちはよくわかります。

 二日目からはニラージさんの両親が経営する学校の敷地で起居を共にすることになります。
≪画像参照≫ジャカミさん一家が避難している場所でもあります。途中の露店で,お世話にな
る心づくしと,大きなパパイアを購入しました。日本では1万円級が250円で購入できます。
果物の女王と言われるマンゴも8千円クラスの高級なものが100円ほどです。バヌアツと異な
り,果物,野菜の種類は潤沢です。

 ネパール式の料理で昼食をごちそうになります。ニラージさん夫婦のそれぞれの両親,祖父
母,弟,ガードマンの家族を合わせて,10人ほどが地面にシートを敷いて,ピクニックのよう
です。日本からの一行だけ,テーブルと椅子を配慮してくれます。右手ではなく,スプーンで
私たちはいただきます。ネパールの人たちは食前に右の手を洗います。テーブルに全員が着席
したら,食前の祈りを所望されて,期間中ずっと筆者が祈る担当になりました。ネパールでも
食前に感謝の祈りをしないのは犬とか猫たちだけです。ロンググレインライス種なんでしょう
か,米粒がべったりと柔らかくありません。焼きめしに向いているぱさぱさした米です。大き
な皿のはじっこに香辛料がきいた漬け物,カレー味のおかずがあります。≪画像参照≫ダルスー
プがカップに入っています。豆でできた汁物です。ごはんにダルスープをかけて,お茶漬けみ
たいにして地元のみなさんは右手の五本指を用いてかき混ぜます。脂っこくても,最後にはご
飯粒ひとつ残さずにきれいに片付けます。

 筆者には,ネパール料理はごちそうです。「ノー・サンキュー」と言うまで,何度でもお代
わりを持って来られます。大食漢な筆者には感謝なことです。

被災地訪問 5月14日(木)

  二日目の午前中,YESテレビ局のインタビューを受けます。取材後,リポーターである
プレラナさんはダリット層がいるナワコットに同行し,ドキュメンタリーを製作したいと
局と相談し,OKが出ます。≪動画参照≫

 食後は,1日遅れの飛行機の荷物を取りに行きます。荷物を受け取ると,岡部さん,栗
須さんはニラージさんと共にクリシュナさんが待つDhading郡に向かいます。筆者は首相
官邸に行くために別行動です。≪画像参照≫≪画像参照≫≪画像参照≫

3人が空港を去るやいなや,皆木祐介さんから携帯に連絡が入ります。カトマンズ到着です。
すぐに会い,よく無事にひとりで来られたとあいさつをし,アデッシュと合流します。
 アデッシュは郵便局にまず案内してくれました。≪画像参照≫蝶切手がないかと尋ねてみ
るとないとのこと,絵葉書を外の売店で購入し,再度郵便局で30ルピーの切手を求めまし
た。それから3人でアサン・チョークというカトマンズで最もカトマンズ的な小さな広場に
行きました。

路上の靴磨きを見かけます。ダリット層だけがする仕事です。代金を聞くと,二段階があ
り,最高が120ルピーでした。そこで,二人に待ってもらい,靴を脱いで磨いてもらいま
す。恩師末次一郎氏から戦後すぐは靴磨きをしてしのいだことをよく聞かされました。靴
磨きの人を見ると,なつかしくなります。日本と異なり,黄色,茶褐色,赤の粉を木工ボ
ンドのような白い液状のクリームと混ぜ合わせて色を作ります。色合わせを瞬時にして判
断する技術がいります。丁寧に磨いてくれます。待っている間,お客さん用に傘があり,
待ちます。≪画像参照≫

 ビムセンタワーは震災前,旧市街地を見下ろすように立っていました。カトマンズでは
最も高く52メートルもある建造物が倒れて四分の三はなくなっていました。≪画像参照≫

 アデッシュと中心街の被災をくぐり抜けて,宿舎に戻りました。≪画像参照≫≪画像参照≫。
ナワコットに姉がいるアデッシュは翌日の受け入れ体制に奔走します。

 首相官邸から,翌朝ではなく,午後1時半に来て欲しいと時間が変更になります。

キルティプル地区パンガ(Panga)

 2時からキルティプル地区に向かいます。カトマンズの中心街と異なり,郊外のワード
⑨に相当します。パンガ(Panga)と同じ発音の地名が別にあります。1955年11月10日,
雪崩のため,26人(日本人13人,ネパール人12人)がいのちを落としたエベレスト山麓の
パンガ Phang)です。キルティプル地区に到着すると,クアラルンプール空港で乗り換え
待ちの際,家内から聞いていたネパールの余震のネパール全土の犠牲は90人を超えたと聞
きます。パンガ村の若者たちは4月29日の被災4日目からCDMC(Community Disaster
Management Committeeコミュニティ災害対策協議会)を立ち上げました。ビゴッシュ
・マハルジャンは協議会のスタッフのひとりです。7千人の人口のパンガだけでも15人が
死亡,41人が負傷しています。227戸が全壊です。世界各国はそのことを聞きつけると,
中国赤十字は惜しみなく,テントを提供し,韓国,オーストラリア,英国,インド,米国の
若者たちはリックを背負ってやってきています。
 日本からは救援金もないし,ボランティアもひとりも来ていないとビゴッシュは語ります。

 ネパールでは古いレンガ作りの建物が多く,中心街だけでなく,4階建て,5階建てが普
通です。≪画像参照≫鉄筋コンクリートもありますが,パンガの損壊は90%以上です。≪画
像参照≫
 道のいたるところに「危険」というネパール語の表示があります。≪画像参照≫自分の所
有物を取りに帰るのも命がけです。≪画像参照≫
 地元のボランティア青年たちはトタンと竹で仮設住宅を次々と建てていました。9戸目に
さしかかる時,建造している場面に案内してくれました。「大工さんの経験者がいるので,
寸法はだいじょうぶです」「トタンの資材購入金は救援金でまかなっています。テントだ
と猛暑ではたいへんですから」。現場には20人ほどの素人の若者たちが汗を流しています。
若い女性も年配の男性も頭に畳2畳ほどの大きさのブリキ板を載せながら,坂道を運びます。
ここでもマンパワーが必要です。

 「簡易トイレ,非常食,韓国製インスタントラーメン,中国製の医療品も倉庫に収納して
係りが被災者に届けています」と協議会の責任者は鍵を開けて貯蔵している支援物資を見せ
て説明をしてくれました。また仮設住宅の設計図,購入資材の領収書などからコスト面も詳
しく教えてくれました。

   パンガ仮設設計図   若者たちの無料奉仕                     パンガCDMCの仮設設計図       9戸目の取り組み  2015年5月14日

 筆者を案内してくれるビゴッシュに神戸の活動を紹介します。3.11直後から「『死』を考
える」講座を神戸で開いているのは,「死」の反対はみなさん「命」と考えますけれど,筆
者は違うと思いますと話します。「じゃ,死の反対は何ですか」と問われました。東日本大
震災以降,「死」の反対は「よみがえり」だと信じていると答えます。「亡くなった子どもや,
配偶者と帰らぬ人となってしまってそれっきりではなく,また合えると,ビゴッシュは考え
たことがありませんか」と尋ねます。すると,「うーん。はっきりわからないけれど,合えれ
ば…よいですね」。「天から見守っている人ときっと合えますよ,よみがえりを信じれば生き
る希望もわいてくるでしょう」と応じると,ビゴッシュは村のみんなに伝達します。

 それが伝言ゲームのように家族を亡くした人たちに伝わり,筆者に合わせろとやってきま
す。
 下敷きになり避難所で手足を骨折し歩けない夫を失った女性のところへ案内されます。
 筆者は医療,いやし,コンサルタントの専門家ではありません。ボランティアとして被災
者のそばに座り,家族を亡くし,生きる希望を失った人にただ静かに哀しみを聴くだけです。
手当てはギリシア語でテラペウオーです。セラピストの語源になりました。治療はイヤオマ
イです。ボランティアができるのはセラペウオーとして弱った魂の手を握り,哀しみの涙を
革袋に入れてあげることぐらいです。つまり心のcare 
ケアです。キュア cureができるのは
医師です。いずれにしてもパンガ村は政府や海外機関からの食糧は手が届きません。ライフ
ラインの水も湧き水を煮沸して飲み水にしています。医療施設も損壊しています。2週間し
てからようやく簡易な救護テントが立ち上がりました。≪画像参照≫ ビゴッシュに言わせる
と,ある政党の宣伝材料であって遅すぎるし,対応はまんべんなくゆきわたらないと愚痴を
こぼしていました。

 皆木祐介さんが動画を撮ってくれています。皆木さんは現地の子どもたちに好かれます。
人柄がやさしく,純粋なことがすぐに伝わります。5歳になるビゴッシュの息子ビニット君
(5歳)もなつき,皆木さんのそばを離れません。帰路,ビゴッシュの家に行くと,4家族が
4畳半の部屋に避難していることがわかります。そこでも無理やりに紅茶を飲むように懇願
されました。狭くて座るところもなくても,もてなす心は広いのです。

 パンガを去る前に,機構は協会に救援金を渡します。すると海外からの最初の救援金だ
と若者スタッフたちは大喜びでした。感謝の返書をもらいます。≪画像参照≫ パンガ訪問
について何度も謝意を語られ,照れくさくなりました。ネパールと日本の友好は民間人が
すすめることこそ,最も効果的だと気づかされます。

 クリシュナさんのいるダディングにニラージさんと向かった3人は,ヒキバが応援してい
る学校の生徒たちとこいのぼりをし,工作授業で地元から感謝されています。≪画像参照≫
≪画像参照≫≪画像参照≫ 一泊して,帰ってきました。カトマンズより夜寝苦しいほど暑
かったそうです。岡部和香さん,栗須哲秀さんがいなければ今回の充実したネパール訪問
は成功しませんでした。一流企業を定年退職し,山男としてエベレスト山に2回も挑んだ
岡部さんは準備の段階から受け入れ体制について緻密に現地と連絡をとってくださいまし
た。テント,食料なども持ってきており,使用したら現地に置いていくことになります。
蚊帳付きの立派なテントです。栗須哲秀さんはバヌアツ訪問以来のおつき合いです。銀河
の湯でこいのぼりのイベントをされている時に意気投合しました。若い三代目の経営者で
すが,浮ついたところがなく,たのもしい逸材です。子どもたちのために鯉のぼりやだっ
こくま風船をダディングに150個,翌日のナワコットに巨大な5メートルの鯉のぼりと別
の150個のだっこくまを運んできました。また関空で重量をオーバーするほど,テントを
持参してきました。ヒキバの全面的な応援,および神戸スイミープロジェクトの参加がな
ければ,筆者はネパールで何もできなかったでしょう。皆木さんのどんな子どもにも好か
れる人柄が運命共同体と織りなし,良きチームとして,14日の夕食を共に,ジャカミさん
家族と楽しみます。

 2台に分乗し,カトマンズから約1時間のダラムサリィDharamthaliに行くように前日
話し合います。ナワコットのダリット層も私たち一行を待っているのです。ハムレットの
心境です。ナワコットだと,片道4時間,計8時間の往復,場合によっては帰国の16日12
時20分に間に合わないかもしれないとの判断もあります。TVキャスターが提案するダラ
ムサリィに行くかどうかについて話し合います。ダラムサリィならカトマンズから約1時
間です。筆者はアデッシュに詫びを入れます。お姉さんも楽しみにしていたとのこと,次
回は必ず立ち寄ってくださいと嘆願されます。

ダラムサリィ 5月15日(金)

  ナワコットの人たちに申し訳ない気持ちで目が覚めます。

「阪神宗教者の会」のみなさん,アバンティ・クライミングスクール大阪の森中あゆみさ
んから託されています。Seagull Travelのラムさんがやってきます。日本語が流暢なネパ
ール人が多いのにも驚きます。筆者はしゃべくりが得意ではないので,もっぱら英語で会
話します。教養豊かな岡部さんもアメリカ資本の企業でしたから,英語は不自由しません。
皆木さんも達人です。なにしろ独りでタイ航空の乗り継ぎなどを経てカトマンズに到着さ
れました。インド訪問も経験があり,穏やかな外観とは異なり,芯がしっかりしています。

 筆者が郵便局に行っている間に,栗須さんは凧揚げに必要な村上章夫さん指導による道
具類を用いて,子どもたちに凧を作って飛ばしていました。≪画像参照≫ 気落ちした子ど
もたちを天空に舞いあげる賜物があるのでしょう。

 筆者は郵便局まで,徒歩なら片道45分要します。タクシーはスズキの車が多く,すぐに
500ルピー以上になります。少しでも子どもたちのために資金を用いるため,外食は一切
せず,値段が高い乗り物も極力用いません。歩きます。飲物として20ルピーのミネラルウ
ォーターは売店で購入します。タクシーに代わるテンプーという庶民の足なら手をあげる
と止まってくれ,行き先が折り合えば乗せてくれます。千ルピー札数枚と50ルピーしかな
いので,リクシャーという自転車の後ろに座席がついた人力車の乗り物を思いつきます。
50ルピーなら途中まで乗せてくれるという条件で走りました。風を切って走るので気持ち
がいいものです。≪画像参照≫ 降ろされたところで,見も知らないネパール人が,マイク
ロバスの運転手に身銭で,「この人を郵便局に連れて行ってあげてください」と200ルピー
を渡します。驚いた筆者に,ネパールで困ったことがあったら,ここに電話したらいいと
携帯番号を教えてくれました。Prakashman Baniaさんという男性です。≪画像参照≫ 
 ネパールがいかに親日的か示す一例です。一緒に乗り合っている学生が自分の降りると
ころを通過してわざわざ筆者が降りるところまで付き合ってくれます。

 郵便局は10時開始ですけれど,10時20分になっても郵便切手を購入する窓口のメンバ
ーは表れません。半時間ほどしてから女性が現れます。バヌアツ宛の葉書だというと,ベ
トナムの間違いではないかと押し問答になります。ちゃんと届けてくれるのだろうかと心
配になります。教養のあるネパール人は事務的に仕事をこなします。笑顔がありませんか
ら,窓口に来ている外国人は異口同音にサービスが悪く,横柄だとこぼしていました。受
け取りのサインをお願いしましたが,あっさりはねつけられました。次回,ネパールに来
るまでに日本やバヌアツへの絵葉書が到着しているかどうか楽しみです。一昨日,蝶切手
がないと素っ気なく断られましたが,今回はありました。担当者によって対応が異なりま
す。

 帰りにもう一度,郵便局前のダリットに靴磨きをお願いします。差別される彼らの尊厳,
人権,共生を考えると話しかけてみたくなったからです。

 リクシャーをひく初老の男性がいます。造花できれいにデコレーションしているリク
シャーではなく,古びた自転車です。座席もこわれかけています。「Dallu-Tholunge
Poolまでいくらですか」と聞くと,200ルピーと少し割高ですが,応答がありました。
乗せてもらうことにします。ネパールは坂もけっこうあります。筆者を乗せて坂道を登
るのは至難の業です。健脚であっても,お客さんを乗せずに独りで自転車をこいでもへ
たばります。彼は長年のベテランなんでしょうけれど,坂を一生懸命こぐ後ろ姿を見て
いると,思わず涙が出て来ました。「お父さん,がんばれ」と心の中で父親の姿に思え
てきました。髪はもう白髪でほとんど短くしています。短パンに上着は一枚です。顔は
炎天下の仕事で褐色に焼けています。砂埃も多いせいか,時々咳き込んでいます。「お
父さん,ありがとう。」と声がつまって出ません。自分も降りて,自転車を押しましょ
うか,というと「これは自分の仕事だから,やる」との返事です。とても辛くて乗って
いられません。やがて大通りの下り坂になるとプロらしく,スイスイと走らせます。学
校に着いたら,もちろん応分以上の支払いをさせていただきます。帰りを待っていた家
族のみなさんはリクシャーの運転手を日本人が連れてくるとは思わなかったので驚きま
す。近年,リクシャーが減っています。なかなかの重労働ですから,後継者がいないの
でしょう。バハガワティさんたちも筆者を無事に連れ帰ったことのお礼を言います。
「道が震災で何カ所も阻まれて,ずいぶん遠回りをしてしまった」とネパール語で誇ら
しげに説明をしています。名前も教えてもらうと,マウイラさんと言います。「New
Roadを縄張りにリクシャーに乗っているから次もね」と抱き合って別れました。
≪画像参照≫

首相官邸

 ものものしい厳重な警戒のゲートや,複数の関門をくぐり抜けて官邸に入ります。
井戸敏三知事,久元喜造市長の親書を手渡しました。≪画像参照≫≪画像参照≫
 子どものための施設の模型はコイララ首相の来賓の応接室に置かれることになり
ました。親書の返書は送付してくださる返事をいただきます。TVレポーターも同行
しています。

    DSC00002
       政府による仮設住宅第1号

ダラムサリィ

  ネパール滞在期間中,最大の目的は子どもたちの施設の場所の下見です。弱者,
貧しい人たち,抑圧された人たちとの出合いです。こいのぼりをこの日のために神戸
から栗須さんが持ってきました。岡部さんはクリシュナさんがいる場所にダリット層
がいることを提案します。痛めつけられた人たち,子どもたちのための施設を作るの
に最大の候補地として,ナワコットを計画していましたが,地元マスコミ関係者の助
言でダラムサリィに行くことになります。

 震災被害で破損している道に多くの車が行き交います。ネパールには信号がありま
せん。日本と同じ左側通行です。単車,自転車,人もおかまいなしに目的地に向かって
前進します。横断歩道もありません。どこもかしこも交通のスクランブルのようなの
に,事故が少ないのは不思議です。ぶつかってへこんでいる車はほとんど見かけませ
ん。運転が上手なのでしょうか。そうではありません。クラクションによってお互い
に衝突を避けています。つまり街中,騒音が大きく感じるのはクラクションがあちら
こちらで鳴り響いているからです。ニラージさんに事故を見たことがあるのかと聞く
と,あると言います。ガタガタ道の陥没したところだけ,速度をゆるめます。同乗者
への気遣いです。

 ネパールの古都であるダラムサリィに到着します。

 聞きしに勝る倒壊,損壊です。家という家が砕かれています。大きな巨人がいて踏み
荒らしたかのような有り様です。アスファルトの道など街からなくなっています。報道
関係者の間でも一番の被災地だと言われています。≪画像参照≫≪画像参照≫

 TVキャスターと打ち合わせをします。阪神・淡路大震災,東北で培った傾聴ボラン
ティアの心の復興の角度で撮影をすることにします。外面の損壊からの復興では真の復
興ではないとプレラナさんも気づいています。自分の生涯が薄幸だったからです。村の
復興スタッフの指導者ハリ・マハラジャンさんが案内します。ネパールのすごいところ
は昨日のパンガのビゴッシュや,この地でも若手がリーダーとして復旧の核になってい
ることです。日本でも南海トラフが発生した時,40歳以前の年代が総指揮官として用い
られるかどうかが鍵だと思わせられます。東北ボランティアに参加した20代の青年たち
が用いられる時を予感しながら歩を進めます。
 1万人の人口がある村ですが,20人が大地震で犠牲になりました。200人が負傷した
地域です。ハリ・マハラジャンがネパール語の通訳をしてくれます。
 4歳の孫を失った祖父が村人に連れてこられました。ビスメンさんです。特別な医療,
いやし,施しをするわけでもないのに,被災体験をした村人たちがダラムサリィでも集
まって来ます。取材のテレビレポーター プレラナさんが同行してドキュメンタリー番
組にして土曜日に放映します。≪動画参照≫

 3人の子どもをもつ農夫の家族を襲った悲劇。8歳の次女がひとりで家にいた時,地震
の被害でおしつぶされました。ボランティアは哀しみを入れる器です。聴くだけしかで
きない働きです。≪動画参照≫
 「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人
です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです。」と書かれている
ように,「共苦」するのです。

 通訳は被災者の気持,感情,哀しみを表現する際,私情をはさんではいけません。昨日
のビゴッシュも,ハリ・マハラジャンの二人とも,冷静に,繊細な心の澱の吐露を通過装
置として伝える賜物があります。年長の村人,気むずかしい職人,荒々しい作業者に仕え
る中で培った自我を殺す訓練がなされてきたからでしょう。被災者と通訳と筆者の3人の
呼吸がひとつになってはじめて,心のいやしがなされたことを分かち合う喜びがあります。
プロの通訳者でもできないのではと思わせられました。
 神戸からのこいのぼりがダラムサリィの一番目立つところに立てられます。ヨーロッパ
から来ているボランティアも写真に収めたりしています。村人たちも歓呼して喜びます。
この地に子どもたちの施設を建設する共同計画をすることに期待が高まります。

 8歳の妹を地震でなくしたアニサさん(16歳)は筆者を村に案内しながら,自分は将
来,「地震の前までは,都会へのあこがれや,自分のことしか考えてこなかったけれど,
妹をなくし,家もつぶれて住むところもなくなってはじめて,人生について考えるよう
になりました。地震はわたしを変えました。これからは人のために生きたいと願ってい
ます。そのためには進学もしたいです。日本から来られたように私も自然災害で困って
いるところにかけつけるそんな大人になりたいです。」と語りました。そのことを聞い
たTV局レポーターはドキュメンタリー番組を作成できると涙していました。ネパールの
教育制度は小中高10年で卒業です。小学校5年,中学校3年,高校2年です。ネパールの
大学(ユニバースティ)は6校,カレッジはたくさんあります。授業料が高いカレッジに人
気があります。両親は農夫です。とても経済的に娘の進学を助ける生活環境ではありませ
ん。カレッジの入学金は日本円に換算すると約4万円です。アニサさんの両親の30年分の
収入に相当します。震災で被災した幼い子どもたちが教育をとらえる機会も機構は考慮
すべきだと気づかされます。ヒキバのように教育費をサポートすることについて募るこ
とも大切です。

 学校に戻り,夜は岡部さんが持ってきた食材で腕によりをかけて,ネパール人家族に食
べていただきます。最後の晩餐にニラージさんの友達もやってきます。ダリット層に対し
ても,分け隔てのないジャカミさんご夫妻に対する感謝を日本食で表します。

 筆者ひとりで来ていたら,こうした謝意を表すこともできず,日本からのみなさん
の積極的な奉仕に感動します。

最終日

 ジャカミさんに連れられて,地域の復興推進大会に行きます。50人くらいが集まって
いるステージにあがり,壇上から(社)神戸国際支縁機構と復旧機構ジャプウ・マハグスィ
Jyapu Mahaguthiが連携して復興事業ができるように,地域の寄附が集められます。
≪画像参照≫,≪画像参照≫ ジャカミさんのように人を偏り見ないように家庭のみなさん
も模範を示しています。地域でも信頼されています。そうした方たちとの良い関係ができ
たことも大きな収穫です。

 帰りの飛行機はマレーシア航空ではなく,カタール航空になります。

 帰路,関西空港で見た財布の中には,700円だけが残っていました。迎えにきた家内
と村上裕隆君にはごちそうしたくてもできません。≪画像参照≫

 一度も風呂に入らず,砂埃の中で過ごしてきたにもかかわらず,妻が髪を見て,「汚
れていないし,臭くないわ」と言われた時,不思議でした。東北ボランティアに参加な
さったみなさんからの祈りが支えになっていたのでしょう。

 事務所に軽くなった荷物を運び込みます。夜は3人で「くら寿司」に行きました。

 全行程を無事に終えることができるように背後でお祈りくださった方たちに感謝で
いっぱいです。出発の朝,毎日新聞,朝日新聞も掲載していただき,日本のボランティ
アは決して無関心ではないことを証明していく機会を与えていただき,喜んでいます。
また寛大に親書を発行してくださった兵庫県庁,神戸市役所にも感謝しています。バヌ
アツ第2次は7月7日~11日,ネパール第2次は8月30日~9月4日に行けるように,国境
なき災害支援隊や,「阪神宗教者の会」,ヒキバ,神戸スイミープロジェクトとも相談
して実行していきたいと願っています。

ナムステ

2015年5月20日8寺51分

ネパール訪問記、ありがとうございました。感動の涙をふくのに、
何度も読むのを中断しました。

読み終えるのにたっぷり2時間。おはたらきに、感謝します。
ありがとう。

本田哲郎

カトマンズ付近地図  
  『地球の歩き方』ネパールとヒマラヤトレッキング ([株]ダイヤモンド・ビック社 2013年) 

 5月23日(土)のネパール視察報告会 CHRISTIAN TODAY (2015年5月27日付)

 5月22日(金)のネパール視察報告会「中外日報」(2015年5月29日付)第一面記事