英国訪問 イスラーム教世界大会 

英国訪問 イスラーム教世界大会  2015年8月21-23日

(社)神戸国際支縁機構 代表 岩村義雄

主題聖句: ローマ 3:29-30 それとも,神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に,神は唯一だからです。

筆者はアハマディアの幼い自発的な振る舞いに感心し,ステージから聴衆に言及しました。音声有り。

Message Representative of Christendom キリスト教会代表としてモスリム3万人にメッセージ。2015年8月22日 阿久津正幸氏撮影


聴衆席からステージ。

 

英国訪問 イスラーム教世界大会  2015年8月21-23日

完全原稿 ⇒ イスラーム教はテロではない―英国イスラーム教世界大会報告―
英文 Complete manuscript of  English ⇒ 

“Islamism is not Terrorism – the Report of the Islamist World Assembly in Britain -”

                 神戸国際キリスト教会 牧師 岩村義雄
                        Pastor Yoshio Iwamura

主題聖句: ローマ 3:29-30 それとも,神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に,神は唯一だからです。

<序>
 イスラーム教と聞けば,テロを想起する日本人は少なくありません。多神教と比較して一神教は,非寛容だからこわいと反応します。タリバンの遺跡破壊とか,イスラム国が人質を殺害する報道を通して,イスラーム教=テロだと思い込んでいる人たちもいます。
 オウム真理教がサリン事件(1995年)で人々をたくさん殺めた出来事も宗教に熱をあげるとこわいと思い込ませます。
 自分が信じている宗教だけがまともであり,他は異端,そこに救いはないのでしょうか。
 イスラーム教はスンニ派とシーア派に大別されます。シーア派は全体の1割です。1) 今回筆者を招待したアハマディア派はシーア派から見ればスンニ派の亜流にすぎません。2015年8月21~23日,英国ロンドン郊外で開催されたアハマディア派「ジャルサ・サラナ」Jalsa Salana [例年大会]会場に,90か国から3万人が参加しました。国際的な年一回の聖会において,ガーナ国王,セネガル大統領,シェラレオーネ副大統領をはじめ,各国の要人たちも講壇から『コーラン』(正式な名称『聖クルアーン』)を引用しながら,メッセージを語ります。

ガーナ国アシャンティ王

ガーナ国アシャンティ王

Jalsa Salana会場見取り図

ジャルサ・サラナ大会会場入口 筆者

3万人が集うジャルサ・サラナ会場全体

3万人が集うジャルサ・サラナ会場全体

会場で耳を傾ける場面が2016年の告知案内に

会場で耳を傾ける場面が2016年の告知案内に Pastor Yoshio Iwamura

 どんな唯一神教にも共通してみられる排除性,非寛容,非妥協性が金太郎飴のように内包している先入観は払拭されました。キリスト教,仏教,神道が各派,各教団に分かれており,自分たちこそ正統と主張し,オウム真理教とあまり変わりがない異質性について無感覚であることに気づかされる契機になります。
 では,宗教が潜在的に持っている非寛容をご一緒に考えてみましょう。

(1) アハマディア派
 a. アハマディア派の源流
 イスラーム圏外で最も世界的な組織であるアハマディアムスリム協会はインド,パンジャーブ州の小さな村カーディアンにて1889年に創立されました。その創始者は,ハズラト・ミルザ・グラーム・アハマド[1835-1908]です。2)1947年,インド独立の際,ヒンドゥー教を国是とするインドから住み慣れた故郷からパキスタンへ移住を余儀なくされました。3) 分離独立の潮流の中で,住民交換がなされたのです。1971年,東のパキスタン地域であるバングラデッシュが独立する形勢になると,パキスタンは経済的,政治的,外交的安定性が弱体化しました。4) ズルフィカール・アリー・ブットー大統領時代[1928-1979]が1971年から1973年まで大統領の時代,第三次インド・パキスタン戦争で敗北した中で,民衆の不満を解消するために,アハマディア派が諸悪の根源であるかのように,スケープゴートにさせられました。同じイスラーム教徒からアハマディア派に対する迫害,偏見,蔑視は現代にまでいたります。講演した第5代カリフのアハマド師自身も11日間拘留されたりします。5)

b. イスラーム教

 創始者のムハンマド(モハメットのアラビア語≪フスハー≫の発音)[570頃-632] イスラーム教の開祖。アラビアのメッカの名門クライシュ族の出身。40歳の頃からアッラー(神)の啓示を受けるようになり,メッカで布教。特権階級から迫害を受け,622年ヤスリブ(メジナ)の町に逃れた。この移住をヒジュラ(聖遷)という。630年メッカを占領しアラビア半島を統一。メジナで没。マホメット。モハメットと辞典は定義します。6)「ムハンマド」はイスラーム教徒に多い名前なので,区別のため「預言者ムハンマド」と講演では言われていました。
 会場では,英語,フランス語,アラビア語,ウルドゥー語が講壇から流れます。各国からの招待者には,ヘッドフォーンが渡され,英語もしくはフランス語で理解します。ユダヤ教,イスラーム教,キリスト教は兄弟みたいな関係です。イスラーム教はムハンマドが神の啓示を受けて始めた宗教ですから『旧約聖書』を聖典とします。聖書に出てくるモ-ゼはム-サ,イエスはイ-サと発音します。
 ユダヤ人にとり,今でも神と人間の仲保者として信頼する指導者モーセがいます。カリフ(英語: Caliph アラビア語: ハリーファ) は預言者ムハンマドの後継者に対する思いは,エジプトにいて民のうめき,苦悩,悲しみの声を聴いて立ち上がったモーセに対する絶対的な信頼と似ています。
 最初の人類とみなされるアダムの頃から同じ神を崇拝していたにもかかわらず,ユダヤ教徒やキリスト教徒の理解が正確でなかったため,ムハンマドが最後に正しい教えを人々に伝えるように遣わされたと信じます。7)

c. アハマディア派への迫害
 仕事,地域社会,生まれ故郷を棄てて,インドから移住したにもかかわらず,「私たちはモスリムです」「我々はイスラーム教徒である」と広言すると容赦ない迫害の火の手があがりました。経済的に豊かなバングラデッシュ独立の負い目について民から関心をそらすためではなかったかと推察します。8) イスラームにはキリスト教の教会がありません。西洋世界の聖職者にあたる者も存在しません。教皇制度や司祭職に近いものもありません。9)共同体の最高権威はカリフがメシアとして活動します。「イスラム国」(ISIL アイシル Islamic State in Iraq and the Levant)のアブバクル・バグダーディはカリフと称し,イラクやシリアでテロ活動をして,世界からひんしゅくを買っています。
 アハマディア派は度重なる患難辛苦の中からカリフが登場しました。将来の出来事を予言するのではなく,神のご意志について代言者として民に発信しています。『聖クルアーン』について忠実な説き明かし,解釈をするアハマディア派はパキスタン政府の策動により,投獄をも甘受します。1984年に安住の地を求めて,英国に移動します。

(2) 迫害,試練への忍耐
 a. 非戦への萌芽
 パキスタンのイスラーム正統と主張する多数派はインドとの分離,バングラデッシュとの決裂,隣国の脅威の中で軍事的色彩を帯びざる得なくなります。アハマディア派は『聖クルアーン』から憎悪の炎をたぎらして,人を殺りくしたりする行為を不信仰と信者に教えています。10)  つまり非戦への萌芽です。
 歴史的キリスト教会がアウグスティヌスの正戦論を踏襲する中で,メノナイト派を設立したメノー・シモンズ[1496-1561]と,ドイツのシュヴァルツァッハのアレグザーンダ・マック[1679-1735]と他の7人によりブレザレン派を創立しました。11) 1871年頃から,非戦のプロテスタントとして歩み出したブレザレン派と類似しています。
 1974年のブット大統領時代と,ジアウル・ハク大統領時代の1984年の反アハ
マディア条例による弾圧に対しても,武装蜂起することはありませんでした。
 超教派ブレザレン教会の筆者が日本代表としてだけではなく,キリスト教界の代表としてアハマディア派のJalsa Salanaに招かれたのも偶然とは思えません。なぜなら日本で,諸宗教との対話をしている宗教者は多くいるからです。主流派である仏教界,神道界など伝統的な教団とも日本アハマディア協会は接点が深いです。12) キリスト教界,それも亜流である超教派ブレザレン教会を選んだのは第二次世界大戦から70年を経たカイロスな出来事として喜べるでしょうか。筆者はそうは思いません。

 b. ブレザレン派との類似点
 アハマディア派とマイノリティー(少数者)である超教派ブレザレン教会との共通性として三つをあげることができます。

一番目は非戦についての理論武装です。13)

 二番目に,開かれた宗教としてエキュメニスティの会議,集い,セミナーを世界各国で開催し,諸宗教,他宗派とも対話し続けます。決して,日本人が想起するような教条主義ではないのです。自派の義について忠実であっても,他のイスラーム教,他宗教,他宗派を非難したりはしません。14)  寛容です。すなわちラジカル,正確に表現するならばファナティックな路線とは一線を画します。「排他主義」(Exclusivisim)に陥りません。世界最大の異端と言われるエホバの証人とは異なります。次に,「包括主義」(Inclusivism)として,ローマ・カトリック教会のように諸宗教との接点においてイニシアチブをとり,宗教エリート帝国にふさわしい地位を確保し,いったん掌握すると手放さない態度です。組織の代表を10年も務めても,後身に道を譲らず,終身で君臨します。アハマディア派は「多元主義」(Pluralism)です。

 三番目に,被災地などの弱者に対してもいち早く救済ボランティアを展開します。15) 社会で実践に転嫁するダイナミックな福音理解があります。東北ボランティアのため同じバスで宮城県石巻市を訪問し,諸宗教者とも会合をもちました。16)

 ブレザレン派との相違
 ブレザレン派とアハマディア派の相違点として,世俗性の視座が異なります。銀河系星雲と他の星雲の運行が同一の軌道にならないほどの違いと言えます。アハマディア派は彼岸に希望をおくISLIイスラム国のテロリストと異なります。アハマディア派は此岸性が濃厚です。

ザヒド・カーン氏

ザヒド・カーン氏

   『聖クルアーン』による「知識を取り入れる」(96章6節)に従い,高等学
歴を追い求めます。8月22日午前中の講演はザヒド・カーン氏が主知主義,科学主義を聴衆に訴えました。
 1974年,時の政権,ブット首相がインドに対抗するために核武装を識者たちと模索します。1979年のノーベル物理学賞受賞者アブドゥッ・サラーム[Abdus
Salam 1926-1996]はアハマディアの信者であり,政府の科学貢献に寄与します
が,核武装には反対のために非難されます。17)英国に移住したアハマディア
派の信者は知識欲が旺盛であり,高学歴のため,英国の知識階級の層に受け入れられています。英国だけでなく,社会的に成功している人たちが教団を支えていることは顕著です。

Notingham Post 20150822

“Notingham Post” Aug.22,2015

 世界各地に巨大なモスクを建造する財政的基盤があります。一方,ブレザレン派の筆者は世界的にも比類のない低所得者,非学浅才,小さい者です。したがって,不釣り合いな招待者がいることはイスラーム教世界大会にとって決して歴史的偉業とは言えないでしょう。

 c. 一般のイスラーム教との相違
 積極的に敵に戦争をしかけないことも『聖クルアーン』から学んでいます。ジハードは聖戦ではないことを知らない日本人は,無知すぎます。ジハードは内面の「奮闘努力」が第一です。自分を律する努力を「内なるジハード」と言い,イスラームを広める努力を「外なるジハード」と言います。18)  大会会場では,あちらこちらで「アサラーム・オ・アライクン assalamu o alaikum」「こんにちは!」とあいさつを交わします。初対面でも同じです。ヘブライ語を教えている時,「サラムSalam」とはヘブライ語の「シャローム」(平和)と同じかと,2008年,牧師に質問され,辞典で同根だと確認したことがあります。数万人を収容する大テントの後部座席の壁には,「だれをも愛し,何人をも憎むな」と毎年,出席者が共通してもっているスローガンが掲げられています。

LOVE FOR ALL HATRED FOR NONE 

LOVE FOR ALL HATRED FOR NONE

 したがって,服従ばかりでなく,平和を実践するところに『聖クルアーン』の
真髄があります。一方,「イスラム国」のように,だれかが不正行為を犯すと,シャリーア(聖なる法)によって権威主義,厳格主義を持って人権をないがしろにする厳しい裁きの執行は,ローマ・カトリック教会による十字軍などの殺りくの後遺症と言えるでしょう。『聖クルアーン』に帰っていき,寛容,慈愛,忍耐を示そうと穏健な教えをアハマディア派は追求しています。一般に,イスラーム教は欧米諸国においては肩身が狭い歴史的経緯があります。自分たちが「私はイスラーム教徒です」とは明確に告白しない歴史的イスラーム教とアハマディア派は対照的です。日本で最も差別,偏見,人権がないがしろにされているマイノリティーの在日朝鮮人にはない大胆さがアハマディア教徒にはあります。高学歴,社会的成功,絶対的真理性所有の自信が居住する地域において,『聖クルアーン』の生活の実際的助言を宣教するエネルギーになっています。したがって,世界大会のお祭りに出席している信者は,国内外のゲストを見かけると積極的に笑顔であいさつをします。

(3) アハマディア派の特異性
 a. 信仰の継承
 宗教エリート帝国ならば,企画力,会場運営,動員力を鼻にかけて,自分たちの宗教だから達成したことを誇るはずです。アハマディアにはそんな増長した高慢さはありません。迫害されてきた経緯が謙遜にさせているのかもしれません。しかし,異端として白眼視される世界的なエホバの証人の国際大会と比較してみましょう。証人ならば,他団体ならどこも模倣できない大会成功の断面図を繰り返し,出版物で宣伝し,信者のほこりをくすぐるメカニズムがあります。
 7月下旬に開かれた山口県の第23回世界ジャンボリー会場に青団連代表として兵庫県から参加しました。中東にも多くのボーイスカウトがおり,クウェート,エジプト,サウジアラビアなどからも来ています。約3万人がテント生活,デイビジター,皇太子のあいさつもありました。ロンドン会場も英国内の信者はテント村をつくり,ジャンボリーのスカウトのキャンプと同じように参加しています。

参加者

参加者

参加者a

人類は皆 兄弟

 和やかな国際親善,猛暑の中,明るい笑顔,秩序正しい運営の表示が目につきます。日本では,遜色のない世界共通の青少年育成プログラムがあるにもかかわらず,受験勉強,学校の部活動の影響で減少しています。1907年から始まったスカウト活動と比較してみて,アハマディア特有の信仰継承の鍵がロンドン大会で発見できました。つまり歴史的イスラーム社会にも見つけにくい子ども教育です。
 大会会場は武道館が入るような大きなテントであり,クーラーなどの設備はない簡素なものです。

Jalsa Salana会場  Jalsa Salana会場全体a

 参加している各国からの子どもたちも朝10時から夕刻7時までのプログラムを熱心に聞いています。日本最大の宗教である創価学会の集いも行儀正しい小学生たちの姿が珍しくありません。大規模な大会になると運営するのは経験年数がある熟練した大人,もしくは専門家が奉仕します。しかし,ジャルサ・サラナ大会で,一番生き生きとした奉仕を担うのは小学生,中学生の年齢層です。会場内で二人一組になって,清涼飲料水を配ります。食事時には,テーブルに食材,ナプキン,飲物を運び,食べ終わったものを片付ける奉仕をしています。親から言われて,強制されているのではないことは各テーブルに近づく彼らの笑顔で伝わります。

世界大会の期間中の若者たちの奉仕者

世界大会の期間中の若者たちの奉仕者

 筆者はアハマディアの幼い自発的な振る舞いに感心し,ステージから聴衆に言及しました。

  日本代表としてメッセージ 2015年8月22日 阿久津正幸氏撮影

ステージからの映像

Message of Japan delegation Pastor Yoshio Iwamura

2015年Jalsa Salana [例年大会]報告集 右ページ 下段中央 ガーナ国王

2015年Jalsa Salana [例年大会]報告集 右ページ 下段中央 ガーナ国王 キリスト教界代表 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura

 したがって,信仰の継承が実を結んでいます。高校生,大学生になっても世俗
からの誘惑に対して,ノーと告白できる信念を醸成する土台つくりが巧みと言えます。

 b. イスラームに対する誤解
 「イスラーム勢力が過激で悪,欧米が民主的で善」という二元論の理解では,本質が見えてきません。列強国が一方的に押しつけた直線の国境線。20世紀における中東での先進国による石油利権の争奪戦。イスラム国,アル・カイーダにしてもアメリカが反政府ゲリラとして,ならず者たちを傭兵し,兵器供与,安全地帯を提供してきた経緯があります。

 イスラム国は15か国,29組織に版図を拡げます。単に狂信のテロ集団と排除思考の対決姿勢ではベトナム戦争と同じ泥沼になります。ところが,ルビコン川を引き返すように警鐘乱打する姿勢が報道界に見られないことは残念です。19)
 2003年,ブッシュ元大統領はイラク侵攻した際,十字軍,つまり神の名において,ジハード(聖戦)に挑みました。しかし,メディアは「キリスト教テロ」とは言いませんでした。
 『聖クルアーン』に,「嫌がる人々を無理やりに信者にしようとてできることではない」(井筒俊彦訳 10章99節)に書かれているように宣教においても強制改宗することは禁じられています。つまり自爆テロは家族を脅迫されるなどで強要されたもので,信仰とは関係がありません。
 日本国内の偏った報道が,イスラーム教徒の本来の暮らしについて想像できなくさせています。誤解と偏見に満ちています。虫嫌いの人は虫が話さないことで気味悪いものです。同様に,イスラーム教に対する接点がほとんどない日本人は過激な防衛として,「有志連合」により,中東地域の紛争に直接加担しようとしています。

  c. 人質事件 20)
   2015年1月7日に後藤健二[1967-2015]さんが人質になる前,2014年10月頃,イスラム過激派によるフランス週刊誌襲撃事件がありました。「宗教」対「表現の自由」の構図でしかマスコミは取り上げませんでした。たとえば,今年,1月19日,朝日新聞に「フランス週刊紙襲撃 言論への暴力を許すな」と見出しが躍りました。表現の自由とはいえ,他者の人権を侵害するなら,問題です。たとえば,日本で天皇をからかうマンガの編集長○○氏について「私は○○」などプラカードでデモする神経を認めるでしょうか。パレスチナのガザへのイスラエルによる無差別空爆の際,日本ではデモをしましたか。もっと言えば,嫌韓のヘイトスピーチに対して,指をくわえて何もしなかった日本人が,言論の自由で人権を主張する神経がおかしいのです。
 東北ボランティアに行動を共にした筆者の友人,アハマディア協会のアニース・アハマド・ナディーム氏は,1月25日,「深い悲しみを覚え,卑劣な行為を非難します。イスラームは愛・敬意・平和を説いており,ISISの邪悪な事件はイスラームとはほど遠いです」と語りました。したがって,どの宗教の聖典にも,「汝,殺すなかれ」と記されているように,信仰心があれば,剣をとることはしないはずです。世界の平和のためにイスラーム教への誤解を超えること,アハマディア派が起こったことをアッラーに感謝したいです。

<結論>
 日本でもアハマディア協会は活動をしています。2015年11月に名古屋で日本では一番大きい規模のモスクができます。世界の平和と和解のために,「剣をとる者は,剣によって滅びる」(マタイ 26:52)を言葉によらず,実践する歩みが多元主義の宗教者によって具現化することを願います。「積極的平和主義」ProactiveContribution to Peaceと安倍首相は強弁します。しかし,言葉が持つ本来の意味とまったく逆の意味で用いています。Positive Peace ではないのです。平和主義ではなくて戦争主義,軍国主義だからです。宗教者ならば,近くて遠い隣国の北朝鮮,中国などと行き来し,人類はひとつであることを証明するように手をつなぐ突破口に仕えることができます。ボランティア道に献身する真理契機を得た英国訪問でした。

出 典

1)  『シーア派 ――台頭するイスラーム少数派』(桜井啓子 中公新書 2006年)。ウィキペディアによると,シーア派の信者はイスラーム教徒全体の10%から20% を占めると推定される。2009年には信徒数は約2億人と推定される。
2)    ミールザー・グラーム・アフマドは41歳で啓示を受ける。1889年カリフ制度を起こし,メシア兼マフディーを称する。ただし,イスラーム教から離脱したバーブ教やバハーイー教と異なり,真のイスラーム教と改革派として創設。死後,1914 年にカーディヤーン派とラホール派に分裂。
3)    “TADHKIRAH”Translation Muhammand Zafrullah Khan Islam
 International Publications Ltd, 2004 p.1-410;
 「サルマン・ラシュディー『恥』 におけるパキスタンの歴史」(平野ゆかり 二十世紀英文学研究会 2002年 270頁)。
4)     “Why Pakistan’s Ahmadi community is officially detested” Hanif, Mohammed BBC News 16 June 2010.;  『パキスタン政治史―民主国家への苦難の道』(中野勝一 世界歴史叢書 2014年 93-95頁)。
5)    “Life Sketch and Services of His Holiness Hazrat Mirza Masroor Ahmad Khalifatul Masih V“. Retrieved 12 March 2011.
6)    『大辞林』(三省堂編修所 第三版 編者松村明 2006-2014)。
7)    『イスラーム化する世界』(大川伶子 平凡社 2013年 31頁)。
8)    “Why Pakistan’s Ahmadi community is officially detested” Hanif, Mohammed BBC News 16 June 2010; “Life Sketch and Services of His Holiness Hazrat Mirza Masroor Ahmad Khalifatul Masih V“. Retrieved 12 March 2011.
9)    『イスラームへの誤解を超えて』(カリード・アブ・エル・ファドル 米谷敬一訳 日本教文社 2008年 31頁)。
10)  ”Freedom of Speech & Tolerance in Islam” Hazrat Mirza Masroor Ahmad Baitul Futuh Moden 2006 p.4-5。
11)  ホームページ 「神戸国際キリスト教会」の「超教派ブレザレン教会」項
12)  「中外日報」(2013年9月14日,12月3日付)。ホームページ 「エキュメニスティ 超教派」 「諸宗教間の対話
13)  拙稿「キリスト教と非戦」(OCCカレッジ 村田充八監修 2015年4月)。;「人殺しの罪ある者が国中に騒乱を起こさせる廉による処刑に非ざる限り,一人を殺すは万民を殺す如く,また一人を生かすは万民を生かす如しと規定せり」『聖クルアーン』5章33節)。
14) 『聖クルアーン』5章9節 「汝等信徒たちよ,正義に基づいて立証し,アッラーのために堅忍不抜たれ。人々への敵意をかりたてて正義に悖(もと)る行いをするなかれ。常に公正であれ。くするは真の篤信なり。アッラーを畏れよ。げにアッラーはお前たちの所業を熟知し給う」。
15) 「ホームからグローバルへとひろがる人類学」(嶺崎寛子 2014年)。
16) 『中外日報』(2013年8月22日,9月8日~10月12日付),「キリスト新聞」(2014年5月24日付)。
17)  Philately (21 November 1998). “Scientists of Pakistan“. Pakistan Post Office.
17)Department Archived from the original on 20 February 2008. Retrieved 18 February 2008. 『FOR BEGINNERS イスラーム教』(安倍治夫 現代書館 2002年 43頁)。;『スピリチュアリティと平和』(阿久津正幸 ビイング・ネット・プレス 2015年 121-124頁)。
18) 「イスラームにおける生と死 -クルアーンの視点から」(オムリ・ブージッド Bouzid Omri 「『死』を考える」講座 神戸新聞会館 2012年)。
19)  拙稿「9条明舞の会ニュース」(第22号 みんなで考える9条・明舞の会 2015年5月 イスラーム教への誤解 4頁)。
20)  同

 

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