真備 西日本豪雨ボランティア(平成30年7月豪雨)

 岡山県倉敷市真備(まび)町 発生翌日の2018年7月8日  第二福田小学校の炊き出しに

Western Japan Flood Relief Volunteer Report

ボランティアを阻む壁 人的資源を受け入れる「受縁力」が必要” 『キリスト新聞』(2018年7月21日付)

第11次西日本豪雨(平成30年豪雨)ボランティア 募集
Western Japan Flood 

 西日本豪雨 2018年6月28日-7月8日。河川の氾濫,浸水害,土砂災害等発生。死者237名(岡山県66名,広島県115名,愛媛県31名,他府県25名),行方不明者8名,重軽傷者は432名。

目的地 岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)
集 合 神戸市中央区東遊園地(神戸市役所隣) 午前7時

問い合わせ先:神戸国際支縁機構 携帯 080-3101-1151 村上裕隆 
E-mail : kiso@mbe.nifty.com
所持品: 長靴,タオル,帽子,飲料水,携帯用充電ケーブル,食費,寝袋,交通費(寄附)など。
※ 機構のボランティア予定は「スケジュール」をご覧ください。

第11次西日本豪雨ボランティア 2019年11月10日~14日
 2018年8月8日に,第二福田小学校で炊き出しに仕えた際,車いすの妹尾春子さんと出会いました。それから岡山県倉敷市真備(まび)町の方たちとの交流が続いています。神戸の炊き出しで共食している路上生活者の方たちも,がれき撤去,ドロ出し,畳替えに連続してボランティアに積極的です。たいへんな作業によく動かれます。むしろ会社員の方がなまけものという印象があり,先入観が変わります。今回も一緒に運命共同体で行動しました。
 被災現場では1年を経ていますから,何がたいせつかは「対話性」です。肉体作業に専念するだけならば,社会福祉協議会(ボランティアセンター)の下部組織として被災直後に無償労働をするだけになってしまいます。つまり「心のケア」に仕えさせていただいています。たいしたことはできていません。
 小屋浦4丁目の高下章さんご夫妻たち,呉市安浦町の中畑の被災地の西本正さんとも縁が続いています。実家に帰ったように迎え入れてくださいます。

砂防ダム,えん堤の決壊。呉市中畑昨年の集中豪雨によって犠牲になられた家,行方不明になられた原因について西本正さんに説明をしていただいています。

砂防ダム,えん堤の決壊。呉市中畑
昨年の集中豪雨によって犠牲になられた家,行方不明になられた原因について西本正さんに説明をしていただいています。
 
呉市中畑地区。いつも温かく歓迎してくださいます。ご夫妻には柿をいただいたり,恐縮の限りです。神戸の若者たちも実家に帰ったようです。
 

季刊誌『支縁』 No.30(2020年2月5日 4頁)。左から本田寿久,田村晋作,堀 浩一,岩村義雄,西本 正&美恵子,土手ゆき子,松本真祐,本田博之              撮影 村上裕隆 2019年11月10日

 呉市中畑地区です。私たちは一番大変な時期には,岡山県倉敷市真備(まび)町にへばりついていましたので,何の役にも立ちませんでした。

 小屋浦4丁目も被災時には,陸の孤島でした。メディアにもぜんぜんとりあげられていませんでした。高下章さんご夫妻も地域のコミュニティによく仕えておられます。家の近くにはまだ行方不明の女性がおられます。
 右端は事務局の松本真祐兄(東北ボランティア第13次から)です。

 岡山県倉敷市真備(まび)町の妹尾厚男さん(86歳)も徐々に目力を取り戻しておられます。被災者が精神的に立ち直り,お話しができることはボランティア道名利です。
 右端は村上裕隆代表です。

 かつては竹林のタケノコで年間1千万円の収益があった地域。キロ当たり250円だったのが,今や70~80円の価値。跡継ぎがいない深刻な問題。コメと同様,食糧安保を考える必要があります。
 井田音一さん(72歳)が案内してくださいました。

 

 

 

 

第10次西日本豪雨ボランティア 2019年7月21日
 岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)訪問 10名で新たな倉庫

 

第9次西日本豪雨ボランティア 2019年6月23-24日
2019年6月23-24日 呉市安浦訪問
広島県呉市市原(いちばら)地区を佐々木美和事務局メンバーの情報により訪問。震災関連死一人を含めると4人が亡くなられました。6町の田んぼが土砂で覆われ,復旧が遅れています。農家である西本正(72歳)&美恵子さんご夫妻の家に招き入れられました。昨年の豪雨で所有の1町1反の復旧の苦労談,病院,学校,ショッピングできる店がなく,今年の5月まで水道がない生活,今でも雨が降ると,道が川のようになっています。市原では,豪雨により,24世帯(57人)が11世帯(22人)に減りました。1年に1万人ずつ日本全体の人口は減少しています。
広島県,岡山県,愛媛県など,治水ダムの放流,砂防ダム,えん堤の決壊により被害を受けた地方は滅びてよいのでしょうか。かつては田んぼで豊かなコメなどを日本人の食料として作っていましたが,農業の担い手がいなくなりました。食料を生産せず,出生率が最も低い東京や大阪だけがのさばる構図では国は成り立ちません。国の歴史を変えることができるのは地方であって,首都ではありません。

 

野呂川ダム 下流 2019年6月23日撮影。

神戸国際支縁機構の事務局大島健二郎氏,土手ゆき子氏が写っています。2019年6月23日撮影。

 “野呂川ダムでは,先月6日の午後11時50分に満水になって決壊するおそれがあるとして緊急放流が行われましたが,その際,規定の量を超える水が放流されていたことがわかりました。(『産経新聞』2018年8月2日付)”。
“翌日にかけて流入量を超える水が放流された時間帯が8時間ほどあった(『NHK』2018年8月3日午後7時放映)”。

2018年7月7日 NHK広島局 放送。

野呂川ダム付近の田畑,家屋はそのまま放置されています。2019年6月23日撮影。

広島県小屋浦4丁目第3町内会 2019年6月23日 
 7人は,広島県安芸郡坂町小屋浦4丁目第3町内会で土嚢(どのう)づくりに汗を流しました。高下章会長夫妻はじめ地域の人たちと交流しました。2週間前の雨により,レベル4になった時はトラウマがよみがえったと横藤照治さん(71歳)は話されました。2018年7月6日の土石流のため,小屋浦で一番多くの被害者を出した地域です。
 G20で先進国であることを誇るより前に,被災地の復旧,復興,再建が急がれます。

左から村上裕隆代表,高下徳子(のりこ)さん,土手ゆき子姉,大島健二郎兄,田村晋作兄,堀 浩一兄,本田寿久事務局長。2019年6月23日撮影。

 礼拝が終わるやいなや,有志たちは二台で広島県小屋浦に向かいました。神戸国際キリスト教会のメンバーは痛み,苦しみ,怒り,くやしさの人々がいるところにすぐに馳せ参じます。
 本田寿久事務局長の運転にも,堀 浩一さん,田村晋作さんも喜んでいました。

 礼拝に出席していたメンバーたちはそのまま2台に分乗して,広島県小屋浦に来ました。本田寿久事務局長の車には堀 浩一さん,田村晋作さん,岡山県倉敷市真備(まび)町に続いて,参加されています。神戸国際支縁機構の同志です。本田兄が二人の送迎を担っています。感謝なことです。


 役所勤務の土手ゆき子事務局員は月曜日出勤があるにもかかわらず,積極的に小屋浦の被災者と交わられました。
 大島健二郎兄は強力な事務局メンバーです。

 小屋浦4丁目の第三地区に避難なさった住人が戻るように努力奮闘しておられる高下章&徳子ご夫妻。
 奥さまには私たちに冷たい飲物を出していただきました。ありがとうございます。 

第8次西日本豪雨ボランティア 2019年4月14-17日

 昨年7月7日の洪水,岡山真備(まび)町,ほとんど自宅に戻っておられません。片づけに汗を流しました。
同日に被害を受けた広島県小屋浦が同様に復旧していない悲惨さを目撃しました。全壊でないため災害給付金も少なく,地域からスーパーもなくなり買い物をする店がなくなりました。病院もありません。それでも国はコンクリート製砂防ダム建造に踏み切っています。まちがった安全神話がここの被災地でもマインドコントロールされています。
 7月7日の洪水からなにも変わっていない岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)地区。ゴーストタウンです。51名の犠牲者を出した真備町。

2018年7月7日に小田川が決壊して,6メートルの洪水が二階まで押し寄せた岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)地域。死者59人,行方不明者数8人です。中央の妹尾厚男さんの奥さまもタオルで屋根の上にまで持ち上げられ,一命を守ることができました。周囲はまだヘドロの臭いが残っています。2019年4月15日撮影。

河本ダム管理事務所(岡山県新見市) 2019年4月15日撮影。

 2018年7月7日の小田川決壊の原因について岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)地区の人たちは異口同音に言い放っていました。
高梁川上流の成羽川ダム,河本ダムの放流が原因だと。
認めていないのは,オカミ,役所,メディアです。

 

河本ダム 2019年4月15日

河本ダム 2019年4月15日

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広島県小屋浦ボランティア    2019年4月16日-19日

 2018年7月7日,鳥越橋(広島市安佐北区上深川町)が流されたことにより狩留家地域以北で大規模な断水も起こりました。平行しているJR芸備線の鉄橋の線路も曲がってしまったそうです。当日,2階から見ていて「こわかった」と,木村國子さん(75歳)は語られました。2019年4月15日撮影。 場所: 鳥越橋(広島市安佐北区上深川町)

鳥越橋(広島市安佐北区上深川町) 2019年4月15日撮影。

宇賀ダム 広島県太田川上流 2019年4月16日

宇賀ダム 広島県太田川上流 2019年4月16日

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広島県佐伯区小屋浦地区

小屋浦砂防ダム決壊 2019年4月16日 水圧でつぶされた家屋

 強烈な水圧で抑えつけられた無残な家屋の末路。
天地川上流の石積みを含めて砂防ダム二つが決壊。原因は石積み工法に問題があるのではありません。土砂が堆積し,ダムの機能が果たせなくなるほど放置していた非を国,県,メディアは報告しません。

広島県安芸郡坂町天地川小屋浦ダム 2019年4月16日

 筆者の奥に小屋浦ダムの石積み工法が残っています。
「古い石積みだったから決壊した」と,住民は国交省,県,マスコミを通じて信じ切っています。しかし,1950年建設の小屋浦ダムは土木技術として,石積みとは断定できません。なぜなら決壊した断片にセメントが用いられていたからです。昭和になってセメントを用いずにえん堤を建造する工事は過去のものになっていました。※拙論「危機の時代から刷新の時代へ ―その三 カオスから回復へ」(2019年)。

小屋浦4丁目の地域は昼も夜も人影はほとんどありません。13のコンクリート製砂防ダムが幼稚園まで約4キロの間にあったにもかかわらず,極楽橋近辺では7人が亡くなられました。
 追加の画像が極楽橋付近です。三段のフレコンバッグ (Flexible Containers)の奥側に,コンクリート製の砂防ダムの一部が天地川沿いに写っています。石積み工法ではありません。極楽橋からの撮影。

○ 友人峰山大氏がFBにあげた小生の報告に対してレスポンス
 「古い石積みだったから決壊した」と言われているとすれば,それは土木工事の基本に対する大きな理解不足だというしかありません。土木工事の土砂止めという観点から、利用されている物理の原理を上げれば、重力加速度と摩擦力、それと粘着力という事になります。コンクリートにしろ土塊にしろ重力に順応して色んな力が発揮されます。
滑るのを止める力は摩擦力や土同士がくっつこうとする粘着力になります。
今空石積みについてみると石同士の摩擦力が法面を止める力として考えられますが、止める法面が粘性土で自立していれば、表面浸食を防止する保護工としての役割が考えられます。
次にどちらかと言うと放っておいたら自然に崩れてくるようなさらさらした土質だったら、どうでしょう。
これは積んだ石同士の摩擦力が崩れてくる力を押さえつけながら表面を保護していると言えるでしょう。
ここで発揮されるのは土の粘着力と土粒子間の摩擦力という事になります。
それを空石積みで押さえるという事になりますが、降雨時に地下水位が高くなり背面土が流動化し始めると、積んだ空石同士が摩擦力を発揮して流動化している土を押さえるという力が働くことになります。
これは一つ一つの石が個性を発揮して面として可撓性(かとうせい)を持ってフレキシブルに働くという事になります。
これがコンクリートで固めた一枚の板になってしまうと、夫々の摩擦力ではなく一体の重力で押さえることになります。
ですから法面の高さが高くなると、流動化した土で大きなモーメントが働き、ひっくり返る可能性が出てくるのです。
その点空石積みでは一つ一つの石が動いても、摩擦力で抵抗しますから、動きながらでも耐える所までは耐え切るという事になります。
少々変形しても崩れなければそれで良い訳で、今にも崩れそうな形になりながらも安定して崩れずに何百年も経過した空石積みもあります。
これを間違えてコンクリートで固めて一枚の板にしてしまうと耐え切れなくなった時一気に崩れてしまうという事になるのです。
どの様なものでもそうですが、使い方次第で有効にも害にもなるのです。
コンクリートはその使う場所を間違えなければ非常に有効に効力を発揮しますが、一つ間違えると、とんでもないことになってしまうのですが、現代に生きる人達はコンクリートを有難がってどこに使っても良いような感覚に陥っているのです。
大きな考え違いなのですが、そこらが判らないのですね。
素人だけでなく専門家と言われる人達の間でもこの傾向はみられます。これが昨今の大きな被害をもたらしている訳ですが、何故大きな被害になるのかは止める力が大きくなっているからに他なりません。大きな構造物であればある程、崩壊した時の被害はとんでもなく大きくなります。
ところが大きな構造物は奇妙な安心感を人々に与えるようです。
実は大間違いなのですが、それが何故か理解されないのです。
一度立ち止まって考えることも必要かもしれませんね。


小屋浦中心街

 天地川流域で2メートル近くの土砂に覆われた中心街の人々は石積みのダムが決壊したから,コンクリート製ダムにしなければと異口同音におっしゃいました。そこでお尋ねしました。「どうして山に避難なさいませんでしか」,と次の返事が返ってきました。「山の上の方もだめじゃけん。同じように2メートルかぶっとるけん」。「川の増水ではなくて,どこからの洪水ですか」とお尋ねすると,「そげなこと,わからんわ」で対話は終わってしまいます。
小屋浦4丁目の上には天地川が流れていないのに,洪水の被害があったことにどなたも追求しようとはしません。
全壊でないため災害給付金も少なく,地域からスーパーもなくなり買い物をする店がなくなりました。病院もありません。それでも国はコンクリート製砂防ダム建造に踏み切っています。まちがった安全神話がここの被災地でもマインドコントロールされています。
天地(てんち)川ではなく,山,天からの土砂が集落を飲み込んだと丸山順次さん(90歳)は語られました。高台にある家屋もみな2メートル近く土砂で埋まっています。コンクリート製の砂防ダムからの土石流です。これでも人災でないと言い切れますか。

住民が近づかない山の上方にあるコンクリート製ダム

小屋浦4丁目上流のコンクリート製ダム 2019年4月16日

小屋浦4丁目 2019年4月16日

 名もない川の上流のコンクリート砂防ダムからの濁流,岩石,樹木によって,政本朝子さん(88歳)と娘の典子さんの親子2人で暮らす住宅は崩れた土砂がのみ込みました。娘さんはいまだに行方不明です。

 小屋浦4丁目上流の幅1メートル以下の細い川の上流にはコンクリート製ダムが網羅されています。にもかかわらず,高台でも,鉄砲水が起こった理由をつまびらかにする必要があります。

 豪雨時,流木は凶器と化します。枕崎台風(1945年9月17日)に,当時小学校4年生であった高下国治さん(こうげくにじ 84歳)は枕崎台風(広島県死者2,473人,行方不明者1,283人)を覚えておられます。小屋浦4丁目にお住まいで,極楽橋付近には13のコンクリート砂防堤があったこと,極楽橋50メートル以内で7人が鉄砲水の犠牲になられたと無念に語られました。
小屋浦は天地(てんち)川沿いを中心に約800世帯です。避難所が閉鎖される2018年10月6日,最後の避難所が閉鎖されました。最大9か所,ピーク時には1353人が身を寄せました。住宅被害は町全体で全壊220棟,半壊762棟など計1161棟に上回っています。『中國新聞」(2018年10月15日付)。
天地川の上流の小屋浦4丁目の住民の10人が突如の鉄砲水で逃げ場もなかったのです。なぜ鉄砲水が起こったかは,自然災害というより,砂防ダムに原因があります。
支流と合流する地点の被害が大きかったことも事実です。地元,役所,メディアは石積みが問題であってコンクリートならば,災害を防げたと語ります。「山から海に流れる天地川の上流の砂防ダムが崩壊し,土石流が両岸の集落を襲い,16人が死亡し,いまも1人が行方不明となっている」『長周新聞』(2018年12月18日付)。
コンクリート製の新たなダムを建造しようという空気に異を唱える人はいないようです。住民もコンクリート安全神話を宗教のように信じ込んでおられます。
住民も現場にはコンクリート製の砂防ダムが網羅されていたことに覚醒しなければなりません。天地川に合流する名もない支流の上流にも必ずといってよいくらいコンクリート製砂防ダムが造られていました。三面壁になっており,どこも土砂が堆積して機能が麻痺していました。鉄砲水の原因は何だったのか,他の日本の地域と同じように,コンクリートダムが元凶であったことについて思考停止の様相です。
天地川沿いではなく,支流の土石流によって命を落とした人々についてなぜ検証しないのでしょうか。
                          以上 広島県小屋浦報告

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第7次真備(まび)町ボランティア 2018年10月4日

 妹尾(せのお)笑美子さん(94歳)は新築の家に住まわれていました。「大丈夫じゃろ」と考え、自宅にとどまっておられました。29歳の同居のおいが屋根の上に押し上げて,消防士の救命ボートで助け出されました。51人が亡くなられた真備町の多くの方は60代以上でした。溺死が原因です。箭田地域は海の近くではありません。突如として6メートルを超える洪水が襲いました。いくら雨量が多いとはいえ,1階の天井を越えて2階まで浸水するのは人災です。神戸国際支縁機構が被災地の現場に急行して,見聞きしてきた被災者の証言から確信をもって言えます。メディアは沈黙していますが,天災ではなく,人災です。したがって,神戸国際支縁機構は小田川決壊の原因は上流のダムの決壊,もしくは放流が真犯人だと推測しました。そこで1時間半上流にある成羽川(なりわがわ)ダムを訪問しました。
 真備の地域は人生経験が豊かな人たちほど,ご自分の知識,体験,地域の安全宣言から判断してしまうのです。
 神戸国際支縁機構は災害直後の7月8日から第二福田小学校で炊き出しをさせていただきました。そこで出会った妹尾春子さん(76歳)も屋根の上に息子の齊さんがあげようとすると抵抗なさいました。みなさん「わたしは死なない」という過信がありました。
 約4ヶ月経ったゴーストタウンになった箭田地区で9名がボランティアをさせていただいています。

 

2018年10月31日(水)
参加者 岩村義雄,村上裕隆,本田寿久,土手ゆき子,松本真祐,堀 浩一,田村晋作,高橋一正,楠元翔子,

2018年9月11日(火)~12日(水)
目的地 岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)
問い合わせ先:神戸国際支縁機構 携帯 080-3101-1151 村上裕隆 
E-mail : kiso@mbe.nifty.com
所持品: 長靴,タオル,帽子,飲料水,携帯用充電ケーブル,食費,寝袋,交通費(寄附)など。
※ 機構のボランティア予定は「スケジュール」をご覧ください。

左端 岡本卓也,妹尾齊,松本真祐 2018年9月11日

第6次西日本豪雨ボランティア 2018年9月11日~12日
参加者 五百井正浩,村上裕隆,大島健二郎,松本真祐,岡本卓也,林 三郎計6名がが妹尾齊さんと汗を流しました。
岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)の妹尾厚男さん宅を中心に2日間にわたってボランテに従事。第1次北海道地震ボランティアと同時行動でした。広島県呉市に向かった6名は佐々木美和さんがボランティア場所を手配してくださいました。
熊本支部の大島健二郎さんや,松本真祐さんは3回目です。二日間,作業終了後,総社市のサンロード吉備路は私たちボランティアのためにも,寛大に温泉へ入浴させてくださいます。
真備町の復旧,復興,再建に何年かかることでしょうか。

左端 岡本卓也,大島健二郎,松本真祐

左 松本真祐,右 大島健二郎

五百井正浩理事

⇒ 完全原稿 第1次西日本豪雨ボランティア報告

⇒ 英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ The 1st Western Japan Flood Relief Volunteer Report

5次西日本豪雨ボランティア報告

本田寿久事務局長が撮影 2018年8月13日 右端 村上裕隆代表 中央は妹尾直彦さん

2018年8月12日~13日
 参加者:岩村義雄,村上裕隆,本田寿久,堀 浩一,田村晋作,伴 真里奈,岡本卓也,計7名。
初日,高梁川の酒津樋門(さかづひもん)を伴真里奈(第22次東北ボランティア)さんに案内してもらいました。日本で一番古いコンクリート工法による水門です。

酒津樋門(さかずひもん) 2018年8月12日

右伴真里奈さん 左岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)の妹尾厚男さん

 全国から神戸国際支縁機構に寄せられている救援金,支縁物資は被災者に直接届けられています。伴 真里奈(東北ボランティア第22次)さんが手渡すのを受け取っておられます。伴さんは東北ボランティア参加時は,岡山大学生でしたが,今は教師です。

平井八重さんにお合いしました。2018年8月13日午前6時半

田原ダム放流 2018年8月13日午前5時45分

 成羽川に沿っている県道33号線の対岸をハイエースで走行していると,土砂が崩れていて,先に進めなくなりました。ちょうど,そのとき,日中は暑いので,朝夕,病弱な夫に代わって,田畑で作業をしておられた志藤(しとう)の芳賀通子(みちこ)さん(75歳)に出会いました。2018年7月7日の高梁川(成羽川)の被害を語られました。3階建ての市営住宅の2階まで成羽川が押し寄せ,川中神社もごっそり持って行かれたと嘆息しておられました。

社殿には何も残っていませんでした。2018年8月13日午前7時45分

備中町志藤用瀬橋決壊 2018年8月13日午前7時14分

 成羽川ダムを出て,高梁市に向かいました。2018年7月7日,高梁市備中町志藤用瀬橋が途中で岩に引っかかっていなければ,川上町吉木の橋台(きょうだい)に衝突していた橋の残骸を見ました。大惨事になっていたことでしょう。2018年8月13日午前7時15分撮影。

備中町志藤用瀬橋残骸 2018年8月13日午前7時16分

備中町志藤用瀬橋破壊前 Google Mapから

 高梁市備中広瀬は先週訪問した美袋(みなぎ)より,高梁川の増水,洪水により痛々しい光景が広がります。電柱も2本,1本は上部2メートルでひん曲がっているのを田村晋作さんは指摘されました。みんなで「どのようにしてあんな上が曲がったのでしょう」と首をかしげました。2018年7月6日夜の水圧の威力,高さに驚かされます。

備中広瀬 2018年8月13日8時22分

 高梁市からJR伯備線に沿って県道180号線を走ります。総社市に入ると,県道278線を高梁川に沿って南下します。

アルミ産業爆発地点

 とつぜん高梁川の堤防の左右の光景が戦場跡のようになっていて目を見はります。お盆の影響でしょうか,川の両側にどなたも見かけません。まるでゴーストタウンのようです。工場跡に行きました。2018年7月6日夜,23時半,朝日アルミ産業はすさまじい爆発をした様子が残骸からわかります。当日,豪雨の影響で水蒸気爆発が原因でした。ちょうど原発のメルトダウンのような大きな被害を近隣にもたらしました。吹き飛んだ設備,新築の家々,集落はどのように復興するのでしょうか,とだれしもが思いによぎるに違いありません。真備町の洪水と同じように二階も住めなくなっていました。爆発音は遠く離れた瀬戸大橋でも地震のように響いたと,箭田の妹尾直彦さんはボランティアの合間におっしゃいました。

朝日アルミ産業工場 2018年8月13日

 朝日アルミ産業爆発

朝日アルミ産業がある対岸の集落。どこも窓が吹き飛ばされていました。2018年8月13日

 第五福田小学校での炊き出しにご協力くださった岡本卓也教師もご一緒にがれき撤去に汗を流されました。岡本氏によると,第五福田小学校の避難している主婦たちの間で,村上裕隆代表の笑顔が好印象でとても人気があったと,休憩時に話してくださいました。

左から 岡本卓也,本田寿久,堀 浩一,田村晋作,筆者

 神戸国際支縁機構ががれき撤去に取り組んでいる岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)地区です。小田川の洪水の被害が大きかった地域です。倉敷市は3日間,ボランティアを受け付けていません。お上のご都合でボランティアをするかしないかでは被災者はただ耐えるしかありません
私たちは直接,現場で困っている方たちに寄り添います。およそ6時間,汗を流します。
田んぼもひどい有り様です。

 帰途,岡山市東区西平島の福田建夫・京子夫妻の住まわれる岡山市東区西平島に4名(岩村義雄,村上裕隆,堀 浩一,田村晋作)が訪問。伴さんの地図が助かりました。2018年7月7日,岡山市内などを流れる砂川の岡山市東区沼にある堤防がおよそ100mに渡って決壊しました。県内で倉敷市真備町地区の約1200ヘクタールに次ぐ規模の約750ヘクタールになります。死者は出なかったものの砂川の決壊により冠水し,家電製品や風呂などが壊れました。平島地区一帯は2230棟が床上浸水が1ヶ月経て,生活困難であることが伝わります。エアコンも室外機が水に漬かって使えなくなっていました。受験生の福田智久君とも久し振りに再会しました。「道路整備などの音がうるさくて勉強に集中ができません」,と訴えていました。
福田京子さんが西平島公会堂に案内して,ボランティアのリーダーたちと交友を深めました。

西平島公会堂 2018年8月13日

砂川決壊 岡山市東区西平島

第4次西日本豪雨ボランティア 2018年8月7日~8日

写真左から 村上裕隆代表,土手ゆき子事務局員,松本真祐 さん(第9次東北ボランティア),本田寿久事務局長,三好幸一さん。屈強のメンバー

 機構の6名が溝を埋め尽くしたドロ出し。スコップ一杯を持ち上げるパワー,収納袋に入れて,廃棄する作業。昨日から身体が慣れてきた。女性も茶道,華道の陶器などを洗ったりされました。
 後ろ姿でにっこり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真実による目からうろこの体験
 ① 小田川の水害の元凶は高梁川の上流。
 ② ダムは水量を調節できず,放流し山里に被害を与えてきた。  
 ③ 江戸時代の河川修復工法は現代でも通用する。コンクリートが被害を増幅。
 

 コンクリート工法は欠陥

 「超高耐久性コンクリート」と言えども,中性化,鉄筋の腐食,ひびわれ,強度劣化,表面劣化,漏水,部材の大たわみを免れることはできません。80年はもちません。一方,自然石,岩を用いた工法の耐久性を見直すべきでしょう。
防潮堤,山間部トンネル,ダムはいずれも人災をもたらすもろい材質によって作り上げられています。
富国強兵政策の明治維新以降,だれを儲けさせてきたのでしょうか。尻ぬぐいはいつも民衆に押し付けられてきませんでしたか。
2018年8月8日午後5時33分 妹尾厚男さんが案内。本田寿久事務局長の巧みな運転でたどり着きました。

 熊本・大分地震(2016年4月14日,16日)で熊本城の石垣が崩れました。しかし,角の部分が残りました。「算木積み(さんぎづみ)」と言う工法です。残念なことに,「栗石(ぐりいし)」という地震への備えであったたくさんの小石が地震の衝撃を吸収することなく,液状化してしまいました。
 城郭と同じように,河川の石積みも,先人の「算木積み」工法が用いられています。ですから激流にもびくともしませんでした。

成羽川(なりわがわ)ダム

 放流はどこからかおわかりですか。下部のチューブを見逃さないでください。
経済,技術至上主義のシンボル。海外にまでインフラ輸出の責任を日本政府はとれますか。2018年8月8日午前5時45分撮影。

 下流の総社市の美袋(みなぎ 高梁市と総社市の中間)でも,4人が2018年7月7日,亡くなられました。

『あかるい成羽』(1972年7月20日付)

 1972年の水害もうやむやにされました。ダム放流について住民は敗訴しました。

 高梁市の2018年7月8日の水害。単に豪雨の影響ではありません。市のすぐ背後にある成羽川ダムの放流を全国メディアの記者も取材すべきです。

 成羽川ダムのひとつ黒鳥ダム。放流による流木,ドラム缶,タイヤなどが高梁川を1ヶ月後でもせき止めています。2018年8月8日午前8時

黒鳥ダムにこれ以上堆積物が流れ込むともっと大きな被害が生じよう。2018年8月8日午前8時

 川崎製鉄(現・JFEスチール),三菱化成(現・三菱化学)・三菱自動車・三菱ガス化学といった三菱グループの工場などの工場は多量の水が必要なため,成羽川ダムが1963年に建設されました。
 ダムの欠陥は洪水調節機能を持ってないことです。
 明治維新以降,中央政府につながった財閥,大企業,戦争の仕掛け人には日本人は甘い。民権感覚があまりにも幼稚なのでは。

2018年8月8日午前5時28分撮影 成羽川ダム 赤線は筆者

青ラインは高梁川

 

 高梁川に架かっている橋が流されていました。成羽川ダムの放流は10キロメートル先の備中町志藤用瀬橋の橋を砕きました。2018年7月7日。

撮影 2018年8月8日午前7時52分。

2018年8月8日午前7時52分撮影。

 小田川決壊の原因は高梁川にあることを否定できますか。

成羽川ダムのひとつ 田原ダム 2018年8月8日午前6時15分撮影。

 莫大な放流

2018年7月7日 高梁市の水害 ツイッターより転載

豪雨の轟音のためサイレンなど住民に届きません。2018年8月8日午前5時12分撮影。

 放流によって高梁市は洪水に見舞われました。2018年7月6日の深夜,つまり7日の未明,「広瀬」「美袋(みなぎ)」など両岸の家屋,商店,建造物は2階までごっそり持って行かれました。

 2018年8月8日午前5時45分放流はどこからかおわかりですか。下部のチューブを見逃さないでください。

成羽川ダム 2018年8月8日午前5時23分

右端松本真祐さん(第9次東北ボランティア)。成羽川ダムの備中湖 を見下ろす集落の平井八重さん(83歳)に,ダムの放流,過疎,高齢化,少子化の実態,買い物の不便さなど傾聴ボランティア。2018年8月8日午前7時。

 岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)でのがれき撤去。暑い炎天下,長年住み慣れた家,愛着ある住まい,他の土地へ行きたくない人々は執念のようになんとかしたいと願っています。災害給付金300万円と水害特典付き保険金の頭金にゼロから作り直す気持ちを奮い立たせておられます。2階の天井まで泥水で曲がってしまった有り様。どこから手を付けるかは,骨組みだけにしてから考えるしかありません。

岡山市のボランティアと合流。人手があるとはかどります。女性たちの忍耐強い働きにも脱帽します。

 気が遠くなる再建。何年かかるでしょうか。ボランティアが先週くらいから有井地区だけでなく,東の箭田方面にもボラセンから午後3時まで来てくださるようになりました。
箭田地区では,有井水門の決壊が一番大きな被害をもたらしました。死者の多くは箭田の西地区の有井,川辺です。
 

岡山災害ごみ41万トン 8割は倉敷 『山陽新聞』(2018年8月3日付)

  取り去り,運搬しても,地面から湧いてくるように次から次へと山積みになります。
 重機とかではなく,マンパワーがなによりも必要です。
 

妹尾直彦氏(71歳)宅2階 2018年8月7日

 岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)東地区の妹尾直彦さん(71歳)の二階の天井。奥様と二人の生活だけに「修復はどうなさいますか」,と尋ねると,黙っておられました。気力が失せておられました。
 
 
 妹尾笑美子さん(94歳)は29歳の同居のおいが屋根の上に押し上げて,消防士の救命ボートで助け出されました。何十年も生活した新築の大きな家ももうだれも住まれません。
 
 岡山県の一級河川 高梁川 流域の爪痕は報道されていない。総社市の美袋でも4人の犠牲者。公民館に40人が避難しておられました。小田川にばかり,マスコミの記事が集中していますが,高梁川の牙にも人々は気づかなければなりません。
高梁川流域 https://youtu.be/0aCPBeYS1A8

第3次西日本豪雨ボランティア 2018年8月2日
 路上生活者の堀 浩一さん(56歳)も加わり,岡山県倉敷市真備(まび)町です。がれき撤去に仕えます。西日本豪雨で4万3006棟の浸水被害と総務省は述べています。真備町全体では,4700戸が浸水し,2100棟は全壊と判断されています。
 私たちが訪問している区域は真備(まび)町の中心地区箭田(やた)の東地区で,見るすべての家が人が住めなくなっています。宮城県石巻市渡波(わたのは)の津波被害の在宅被災者の場合,暖がない状態ではありましたけれど,人々は二階でサバイバルのように生活をなさっていました。しかし,箭田の被災家屋は高さ4~5メートルもの洪水が押し寄せ,どこもかしこも生活できる状態ではありません。
 街全体がまだヘドロ臭がします。水を吸い込んだ畳一畳は大人4人ではなかなかもちあがりません。倉敷市の社会福祉協議会の指示で入っているボランティアも午前中には作業を切り上げます。
 機構は避難所で縁ができた方たちの家を中心に訪問していますので,時間制限はとくありません。とどめもなく汗がしたたります。家に戻って来て再建する家屋はわずかです。

右から本田寿久事務局長,妹尾篤男さん(83歳),筆者,堀 浩一さん。村上裕隆代表が撮影。

 

 夕方4時には,すっかりきれいになりました。
しかし,
「ボランティア道」の実践でたいせつなことは準備と後片づけです。村上裕隆代表は若さを見下げられない精神態度があります。家を建造するにしても,段取り,つまり準備が7割以上です。とりわけ炊き出しは90パーセントが本番前の備えと,終わってからの次回のための点検です。料理の具材,調理道具,プロパンなど,被災地で店がないことも多く,塩など一点でも足りないと現場では調達できない場合があります。手仕舞いも,次回に備えてすぐに行動できるためには終わった時点でリスト確認しておく必要があります。がれき撤去や傾聴ボランティアも同じです。始めと終わりをちゃんと遂行する責任感は立派な指導者の資質です。本田寿久事務局長の教会の会場準備,看板作成,集会後の記録などの良き手本の感化があればこそでしょう。

 村上代表を支える理事会,事務局,炊き出し班がいます。
理事のひとり,真宗大谷派災害対策本部ボランティア委員長であられる五百井正浩住職は第3次西日本豪雨ボランティアに間に合うように,2018年8月1日午前10時半,事務所に水を届けてくださいました。水は被災現場でどれほど喜ばれたかはかりしれません。

五百井正浩理事が事務所に自ら重い水を8箱ほどを届けてくださいました。合掌。

 

英文報告 Complete manuscript of  English ⇒ The 1st Western Japan Flood Relief Volunteer Report

2018年8月2日(木) 目的地 岡山県倉敷市真備(まび)町 

詳細は 携帯 080-3101-1151 村上裕隆まで

第2次西日本豪雨ボランティア

 2018年7月24日~25日 岡山県倉敷市真備(まび)町箭田(やた)

 

 被災から2週間。水に浸かっている家はなくなっています。ほとんど住人がいません。片付けに戻っている方はわずかです。ほとんどの不要廃棄物は家から掻き出したものの,とても住める状態ではありません。ライフラインといっても水道はまだ飲料にふさわしくなく,街全体がヘドロ臭がたちこめています。道脇に無造作に堆積した家具調度品などどこもかしこも山積みとなっています。
 箭田(やた)東地区はボランティアはひとりも見かけません。石灰を散布していますけれど,雨が降れば流し出してしまうでしょう。家を閉め切ることができるのはまだましな方です。ほとんどががらんとです。

 ドロ出し

妹尾齊さん宅 ドロ出し 2018年7月24日

右端 村上裕隆代表

箭田 妹尾直彦さん宅 水位レベル 2018年7月24日

『クリスチャン新聞』(2018年8月12日付)

第1次西日本豪雨ボランティア

 

 

2018年7月8日~14日                代表 村上裕隆
 

『山陽新聞』第一面 (2018年7月8日)。

⇒ 『キリスト新聞』(2018年7月21日付)

<序> 中国地方の広い地域にわたって,48時間降水量は史上1位になりました。九州北部から岐阜県まで11府県にまたがって,まれにみる降雨量でした。行方不明者を含めて,9日の時点で150名を上回ると報道されていました。結果論として,学者たちは科学的な分析を発表しています。しかし,なぜ前もって予測することができなかったかについてみんなで考える必要があります。被害について,昨年7月の九州北部豪雨(2017年7月6日)の教訓を忘れていることが最大の要因です。
 日本全体で起こっている自然災害を甘く観たことを反省しなければなりません。
 アジアの最貧国ネパールは世界最高峰のエベレスト山などヒマラヤ山脈の地域において豪雨による水害が及んでいます。
 2018年7月7日,倉敷市対策本部の炊き出しの依頼を受けました。倉敷市立第二福田小学校に,毎回300食分,約1週間の食材を購入し,機構のハイエースに積み込み,8日(日曜日)の夕食目がけて出発しました。その2週間前に第6次九州北部ボランティアで合流したばかりでした熊本支所の大島健二郎君も熊本から倉敷を目指しました。倉敷は彼の出身地でもあります。倉敷から東北ボランティアに希望したことがきっかけで,熊本・大分地震(2016年4月14日,16日)で益城町で16日から一緒に活動した仲間です。機構の事務局員でもあります。
 倉敷市立第二福田小学校に到着すると,市の職員の方たちが待ち構えておられました。地元選出の市会議員も積極的に仕えていました。災害の恐怖体験を体育館で傾聴ボランティアをさせていただきました。東北ボランティアに参加した岡山県の地元のメンバーたちとも再会。炊き出しは最大人数の避難所である倉敷市立第二福田小学校から始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 11日の昼食提供には本田寿久事務局長も第五福田小学校に,アニース・アハマド・ナディーム[日本アハマディア・ムスリム協会]本部長たちも9日に応援にかけつけてくださいました。第五福田小学校は,機構の支縁者である岡本卓也元教師のご配慮によって,移動して炊き出しをさせていただきました。
 

倉敷市立第二福田小学校(倉敷市福田町古新田310-2)

 7月9日(月)午前9時,『クリスチャントゥデイ』は神戸国際支縁機構のボランティアをいち早く紹介。
⇒ 『クリスチャントゥデイ』

(1) 前兆
 a. 大阪北部地震
 ブロック塀が倒れ,小学生が亡くなりました。
昨年の松末で起きた被害は山間部だけとは言えません。都会でも土砂崩れ,崩落,水害が起こることを予期しなければなりません。日本でも比類のない砂防ダムが発達した六甲山系でも慢心することは危険です。阪神大水害(死者933人,神戸市の72%,69万6千人が罹災)で神戸は未曾有の困難を体験しました。(参照拙論『キリスト教とボランティア道』21頁)
2008年,六甲山を源流とする都賀川(とががわ)で,鉄砲水により計26人が流され,5人が亡くなりました。そのときまで行政は都賀川が「防災ふれあい河川」と住民に安全神話を与えていました。わが子を失った親に対して,行政は謝罪,賠償・補償,調査の結果・公表は一切しませんでした。
 
 b. 神戸市垂水区の土砂災害
 

山陽電車 運休 2018年7月6日午後4時

 神戸国際支縁機構の事務所がある神戸市垂水区
 大雨のため土砂災害,浸水害の警報のため学校などは休校。2018年7月5日午後5時,猪名川町の工事現場で1人が死亡,2人が負傷。6日午後山陽電鉄 須磨浦公園駅~山陽塩屋駅の線路に土砂が流入して運休。JRは各駅停車のみ運行。現場近くに住む高橋秀典氏から,二軒が土砂崩れのため家人は避難との情報をいただきました。
 午後10時避難する塩屋小学校を訪問しました。
 2名の垂水区役所の方が付き添っておられました。68歳の女性が体育館で休んでおられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 塩屋町2丁目 山陽電車の塩屋第3踏切から上がる階段(200段程度)が,一番上からえぐるようにがけ崩れが発生しました。中腹のお宅に土砂が流れ込みました。山陽電車も3日間の運行停止,と高橋氏から聞きました。

 

垂水区塩屋2丁目 2018年7月8日

  c. 福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)は忘れ去られています

 

 

 

 

 

 

 

 

 ⇒ 一年後の松末

 
 
 熊本・大分地震(2016年4月14日,16日)の翌年2017年7月6日,朝倉市小河内(こごうち)の小川組合長夫婦も豪雨により流されました。1年が経とうとしますが,災害危険区域のため,住居の再建,生活の営みの農林業も見棄てられたままです。大阪での地震被害,災害大国日本では何が一番大切かは,「受縁力」です。「自己責任」の悲壮な決意より,ボランティアに迷惑をかけるとは考えず,「お世話になりま」でいい世の中に変わらないと,南海トラフの時,行政の力だけでは未曾有の困難に陥るでしょう。
福岡県朝倉市杷木(はき)松末の乙石川流域の中村地区。樋口喜寿江さん(76歳)の生家は何も残っていません。手前の基部の井出和子さん(60歳)は流されました。中村地区には30戸居住していましたが,「もうだれもおんなさらん」,と言われました。
 
 
 白木谷の小島重美さん(69歳)は杷木白木谷(しらきだに)255-1に2階建ての家に住んでおられました。白木谷の集落は30戸ほどでした。残ったのは2,3軒だそうです。以前は建築の左官の仕事をされておられました。今年1月咽頭癌から回復したものの,突然起こった土砂崩れに遭遇されました。2階におられましたが,奥さまの初子さんは1階でペットの世話をしておられました。捨て犬を飼っておられたのです。すると警報もなく心の準備ができていない中,奥さまは濁流に呑まれ,1キロメートル先まで流されたとのことです。
 

朝倉市白木谷 2018年6月18日

 白木谷の道路は1年経っても,車一台が通るのがやっとでした。枝打ち,伐採をしない樹木が猛り狂って民家を襲いました。
 
 松末コミュニティセンターの伊藤睦人会長が痛恨な思いを一時間にわたって吐露なさいました。
 松末が生き残るひとつの選択肢が松末そばです。春作が7月には購入できます。無農薬,有機です。稲刈りと同じように刈った後,乾燥させてから,テントウムシ,バッタが混入しているのを全部取り除きます。黒いソバの実を22.5㎏ずつにして,等級のチェックを受けます。一等級であることを信じます。
 

右から4番目がそばの収穫にいそしむ林睦徳さん(52歳)が指導してくださいました。

 

 

 機構の4人は,そばのボランティアに汗を流しました。唐箕など4種の操作を覚えますけれど,松末そばが松末の復旧,復興,再建に少しでも貢献できればと願ってやみません。松末には「3人のソバ栽培者がおらっしゃる」のはたのもしいことです。 

 270戸の集落を,消滅のカウントダウンに持ち込んでいいものでしょうか。
松末が復興できなければ,今後の日本のいかなる自然災害にも人間は無力であることをさらけ出すことになるだろうと確信しました。
 

朝倉市高木地区の崩落したままの県道 2018年6月18日

 一年経ても,全面通行止めです。79号線 高木集落。滑落したままです。村上裕隆代表の足もすくんでいました。50メートル先に砕けたガードレール跡が見えます。
 
(2) 国,行政の混乱
 a. 岡山県倉敷市真備(まび)町の被害は異常。2018年7月7日午後4時
 真備町の住民も「助けてくれ!」と叫んでおられました。
 現地の浸水していない場所から炊き出しのため,2千食の食材,ボランティアメンバー,プロパンガス持ち込みの用意ができました。岡山県庁の危機管理課に7日午後9時過ぎに申し込んだところ,「部門がちがう」「落ち着いてから」「返答を待て」と反応の鈍さには失望しました。
 なんでもマニュアル,タテ割り,現場無視で「上から目線」で管理する世界。机の上の仕事では,緊急時に役立ちません。3.11,熊本・大分地震(2016年4月14日,16日),九州北部豪雨(2017年7月6日)でも社会福祉協議会,ボラセンの救援の遅れは証明済みです。
 二次災害の弁解を考えるより,いのち,暮らし,心の復興を「今,すぐに」優先すべきでしょう。
 みんなで助け合う「共感」,「共苦」,「共生」の日本に変えなければ,災害大国日本の将来はないように思えます。

神戸から持ち込んだ調理用具,プロパンガスなど。

炊き出しはおにぎり,パンではなく,温かい家庭料理,汁物が一番喜ばれる 倉敷市立第二福田小学校避難所 2018年7月9日

 b. ボランティアも管理
 「ボランティア」と「観光」は異なります。
 観光庁のお墨付きがないと,ボランティアの交通費も集められない悪法「しばり」を国は定めました。したがって,1年に2回ほどお上の出先機関の団体がマスコミで募集して,交通費を無料にして被災地に向かいます。
 「官」の下部組織だけが動いても,マンパワーが必要だから焼け石に水みたいなものです。人命が関係しています。国はなんとかしろ,というボランティア仲間の声があがっています。
 残念ながら,政治家は被災現場でボランティアをしたことがないので,バラ色のようにボランティアバス問題が改訂されたと昨年発題しました。
「ボランティア」と「旅行」は異なります。
 ボランティアバスについては緩和されたはいえ,「旅行業法」が大きな壁になっています。
 ボランティア主催者が①交通費,宿泊費などの報酬を得る。②宿泊の手配など一定の行為を行う。③一般に参加を呼びかけるなどをすると旅行業とみなされます。
 3項目を行なうグループは,「旅行業」とみなされ,旅行業登録をしている(一般的には旅行会社)しかボランティアは実施できない悪法に目覚めていただきたいものです。
 政権与党は憲法を変えることに心血を注ぐより,人権を守るために法律を手直しすればよいのです。
 
 c. 今こそ「田・山・湾の復活」を! “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay”
 
(3)  災害大国が進むべき道
 a. ダム,砂防ダムの決壊がもたらした人災

 土砂災害警戒情報は科学的根拠があるのだから,すぐに声がけして避難すべきだったと気象予報士は語ります。しかし,科学的根拠という言葉のマジックに日本人は弱いことを逆手にとっての一種の騙しです。
たとえば,広島・安佐区については,2014年8月に,土砂災害により死者77人を出しました。住民が今回も避難しなかった最大の理由をマスコミは取りあげようとしません。欺瞞です。広島市安芸区矢野東7の梅河団地(約100世帯)では十数棟が倒壊しました。10人が安否不明になっています。団地の山側には、今年に入って砂防ダムが完成したばかりなのに,大雨で崩壊しました。

 昨年2017年5月15日の『産経新聞』などは「広島の砂防ダム緊急事業終了」と報道しました。同記事によれば,広島大大学院生の島本俊樹さん(25)は「雨の強い日は,また崩れたらと嫌だったが,これで一安心」という住民の技術信頼が避難勧告を対岸の火事のように思い込んだことを,メディア関係者は報告すべきです。

 岡山県倉敷市では小田川左岸の堤防が決壊しました。真備(まび)町地区(約8900世帯)の4分の1程度の面積が水没しました。市役所支所が浸水や停電で機能しなくなりました。被害状況の把握はだれも答えられませんでした。倉敷市立第二福田小学校に避難していた水川忠一さん(77歳)は,7日未明1時半に田んぼが気になり,見に行ったところ,小田川から増水した水が逆流し水田を覆っていたから,2時半の避難指示にすぐに従ったと,言われていました。屋根上で『いんどらん(帰っていない)』人々の約450人は消防士のゴムボートで救出されたと語られました。

 7年前に脳梗塞で歩きにくくなった妹尾春子さん(76歳)は車いす生活です。2階へ逃げるしかなかったそうです。二階の天井にまで水が覆ってきたので,息子の齊(ひとし)さんは,バスタオルで屋根の上にお母さんを引き上げて,母の一命をとりとめたと語っておられました。

妹尾春子さん 2018年7月8日 避難所

 つまり住民は高梁(たかはし)川にはダムがたくさんあるので,洪水調整ができるにちがいないと考えていたのです。今回の水害は自然災害というより,人災と言えます。

技術の粋をこらした朝倉市高木地区の砂防ダム 2018年6月18日

 

今,ワールドカップで日本列島全体が熱狂のうずに包まれているかの様相です。2018年3月頃から,サッカーの審判の誤審を防ぐために,VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が判定に影響を及ぼすようになったそうです。33台のカメラが選手のハンドかどうかシーンを分析されるわけです。しかし,ビデオの確認室内でも意見がわかれ,時間を要しました。選手がVAR判定を求めて,試合が中断しました。「人間が採り入れたテクノロジーに人間が縛られ,サッカーそのものを壊しているように見える」と『NHK』クローズアップ現代(2014年10月14日)は放映しました。
雨量によって道路が川と化すことはどこでも起きうる災害です。上流部分の砂防ダムなどが決壊すると,たちまちのうちに増水,河川堤防決壊,土砂崩れが起きます。岡山県倉敷市真備(まび)町の小田川の蛇行と高梁川の交差する場面はだれでもが危険だと思っていました。倉敷市立第二福田小学校体育館に避難されていた椛島未菜さん(20歳)は,いつかは災害をもたらすと住民は不安であったと語りました。

 

真ん中が椛島未菜さん 2018年7月8日

 1967年7月9日,6時間で約300ミリの豪雨により,六甲山系の多くの場所で土砂災害,河川の氾濫が発生。家屋38,305戸が被災,92名もの尊い人命が失われました。600基を超える砂防ダムが建設されていたにもかかわらず起きた被害でした。
 砂防ダムは2014年7月9日の土石流被害を防ぎきることはできませんでした。2014年3月に完成した南木曾の砂防ダムも役に立たず,犠牲者を出しました。
コンクリート製の建造物で谷を埋めるのではなく,自然林の治水力を活かすとか,自然の営みとして流された土砂が人間にとって不都合ならば下流で浚渫(しゅんせつ)するなどして自然に合わせた暮らしを取り戻すことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 b. 技術信頼の落とし穴
聖書には,「信心から信心へ」(ローマ 1:17 エク ピステオース エイス ピスティン)と進歩していく表現があります。日本人の多くのテレビ番組で茶の間を独占しているひとつにサスペンスものがあります。単純に真犯人が特定できない複雑な脚本に人気があります。犯人の巧妙な犯罪トリックの解き明かしに視聴者は釘付けになります。防犯カメラの分析を科学的にする場面も必須です。「信心」ではなく,「悪から悪へ」と深化しています。アメリカでも3000万台にのぼる防犯カメラによる誤認逮捕が問題となっています。FBI訓練担当者によると,「ビデオは、実際には録画の段階で加工されているのです。最初に我々が教えるのは、映像で見えているものは事実ではないということです」と,FBI捜査官の長は防犯カメラが絶対ではないと述べました。“The Washington Post” July 2, 2016。
ハイテク産業[最先端(high)の技術(technology) 先端技術産業],アップル,インテル,Google,Facebook,アドビシステムズなどが,日本を含め全世界の子どもたちの思いにも影響を与えしっかり根を下ろしています。

 パソコン,スマホ,AI(人工知能 artificial intelligence)などの技術開発について,人類は万能の神のように崇めています。自然災害に対して,それを忘れたとき人間が開発した機械が救世主ならば,西日本豪雨で200名以上になろうとする死者は出なかったはずです。
 
 c. 技術者の奢り
技術専門家,行政,マスコミ関係者は高慢の極みに達しています。昨年,40人以上の死者を出した松末の豪雨災害も忘却している時に,ふいをつかれました。今回の西日本豪雨は土木工学,気象・地震予知研究者,企業の技術者に痛烈なパンチを浴びせたのではないでしょうか。
みんなで被災現場で復旧,復興,再建に取り組めるようにすべきなのに,権力,技術を手放したくない学者,行政,政府は上から管理して,無能にもかかわらず,自己正義を追求します。2011年3月,フクシマのメルトダウンに際して,低線量被ばく,子どもの甲状腺問題,作物,生き物の放射能被害の危険姓はありました。しかし,学校の給食を自分たちの子どもに食べさせないようにした素人のママさんたちの意見をお上は無視しました。科学的根拠がないと強弁した専門家,御用学者,厚労省の役人には奢りがあったのではないでしょうか。
 エデンの園を追放されたアダムとエバの息子カインは弟アベルを殺しました。その後,カインは「町を建て」ました(創世記 4:17)。さらにカインの子孫であるトバル・カインは「青銅や鉄でさまざまの道具を作る」技術者として人類歴史にデビューしました。高慢の極みに達したニムロデは「さあ,天まで届く塔のある町を建て,有名になろう」と技術力を誇示しました(創世記 11:4)。現代のテクノロジーの萌芽です。専門家はどんな病気,貧困,戦争の危険姓についても技術をもってすれば対抗できると,技術的合理主義を追求してきました。
 コンピューター,オートメーション,大量生産は利便性,快適性,サービスをもたらしました。技術至上こそが人類を幸福にしたと,オウム真理教顔負けの崇拝行為に近似するものになりました。技術=神として,技術を独占支配することが国の権威の裏付けに変貌しました。国の支配者,つまりお上が,気象衛星,リニア,原発再稼働の決定をします。
日本のテレビドラマはワンパターンです。「水戸黄門」「遠山金四郎」「徳川吉宗」など,「お上」が悪者をやっけて懲らしめる勧善懲悪“right and wrong” movie に一喜一憂します。しかし,海外ドラマは貧しい者,差別されていた奴隷,身分の低い者が搾取する企業経営者,私腹をこやす政治屋,悪代官をやっつけるストーリーが多いです。日本人は震災,水害などの被災の時に,お上がやってくれるのは当たり前と無償,自主,対話性のボランティアも育ちません。官尊民卑の意識が強く,「民権」の考え方はなかなか定着しないことも残念です。
 
<結論>
 2018年6月16日~20日,九州北部豪雨で,被害にあった松末に4人で訪問をしました。一人は熊本・大分地震(2016年4月14日,16日)に第1次に参加された大島健二郎さん(33歳)です。松末には,今回で6回目になります。朝倉市小河内(こごうち)の小川組合長夫婦も2017年7月6日の豪雨により流されました。1年が経とうとしますが,災害危険区域のため,住居の再建,生活の営みの農林業も見棄てられたままです。
1897[明治30]年の砂防法によって,全国各地に土砂崩れ,滑落,鉄砲水による災害に備える土木が,砂防ダムに堆積したスギなどが被害を大きくしました。一年前に壊れたダムが散在しています。
 大阪での地震被害,災害大国日本では何が一番大切かは,「受縁力」です。お上から与えられた「自己責任」というキーワードの悲壮な決意から脱却すべきです。ボランティアに迷惑をかけるとは考えず,「お世話になります」でいい世の中に変わらないと,南海トラフの時,行政の力だけでは未曾有の困難に陥るでしょう。みんなで助け合う「魂は残さんとばい」と松末の樋口實さん(78歳)は語られました。
被災から一年を経て,目や耳にするかしないか被災に対する公共政策,青写真,計画も被災者が難渋している苦悩を解決することはできません。被災現場で社協やボラセンが管理するやり方では復興はできません。全国から押しかける名もない,資格もない,ただ思いやりがある多くの人的資源を受け入れないかぎり,「共生」live together,「共苦」share sufferings, 「苦縁」Relationship to share sufferingsの芽が育たないでしょう。
被災なさった「貧者」の中に御仏,キリストがおられると信じます。若者がボランティア道に取り組めば,技術,経済,貪欲の価値観から転向する契機になるでしょう。
 
 
  最後に,機構を支縁,協力,指導してくださる本校を校閲してくださった村田充八教授(機構の理事)に感謝申しあげます。
 

お代わりを提供する大島健二郎兄

⇒ 倉敷市立第二福田小学校から始まったボランティア道

『朝日新聞』(2018年7月10日付)。

ドロ出しに励む本田寿久事務局長 2018年7月12日

岡山県倉敷市真備(まび)町 2018年7月11日 村上裕隆撮影

岡山県倉敷市真備(まび)町 2018年7月11日 村上裕隆撮影

西日本豪雨ボランティア救援募金

郵便振替     口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構
もしくは
三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863  神戸国際支縁機構 岩村義雄

募金者 および 合計金額 受領順 2018年7月8日以降

目標額 200万円

現在 1,482,996

岩村義雄(2),神戸国際キリスト教会,大田正紀,後藤仁美,
「小さくされた人々のための福音」講座
,久留島琴,白瀬小一郎,
松浦和彦,松浦博子,熊野千秋,金 貴順,忠内 一由,忠内有紀(2),
さかいようこ,高橋一正,上田和巳,水谷弥生,山本 桂,
岩間 洋,岩間千恵子,白方誠彌,久留島 琴,上野清次郎,
福音伝道教団 本庄キリスト教会,神戸聖福教会,白瀬小一郎,
オリーブの木キリスト教会,石川満澄,石川久子,廣瀬素子,
日本自由メソヂスト葛城キリスト教会,賀内覚太郎,住谷圭造,
袴田康裕,酒井 彰,酒井久美子,池永タケコ,酒巻美和子,
菊池則子,豊島睦子,
河村ひとみ,櫻井由里子,中山圭子,
観音寺(三鷹市),宮坂信章,村上安世,栗原 健,島内粂夫,
藤丸秀浄(法専寺住職),的野慶子,松本 誠,池田裕子,
矢田立郎,坂井良行(高野山真言宗西方院),三橋理江子,
鄭恵姫,石巻祥心会,宍戸義光,中道澄春,高橋一正(2),
「小さくされた人々のための福音」講座(2),弓矢健児,池田春子,
加藤賢宗(石巻市浄音寺住職),福岡真悟,福岡真悟ウィルシー,
真宗大谷派仙台教区仏教青年会有志,小島千鶴,土手ゆき子,
辻 良雄,朝日泰治,朝日華子,東垂水ルーテル教会,廣森勝久,
東洋ローア・キリスト伝道教会前橋伝道所,遠藤トシ江(宮城県石巻市),
藤 玄洋(朝倉市西宗寺住職),阿部和夫(宮城県石巻市),平川 新,
鄭恵姫,古川直子,近藤泰行(北海道厚真町),匿名

 鳥取県八頭教会の赤川祥夫牧師からタオルが送付されています。五百井正浩(真宗大谷派玉龍寺住職)理事は神戸市北区の道場町からたくさんの飲料水,河村ひとみ(第62次)さまが事務所にたくさんの支縁物資もご送付くださいました。感謝

 

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真備 西日本豪雨ボランティア(平成30年7月豪雨)” に対して4件のコメントがあります。

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