ベトナム水害救援募金 第1次ボランティア Vietnam
11月13日(日)~17日(木) ベトナム水害ボランティア
岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura ≪動画参照≫テレビ取材を受ける
ベトナム水害被害は日増しに増大
第1次ベトナムボランティア 11月13日~17日 植地亮太(第42
次,丹波水害,ネパール),三村修司(熊本ボランティア)が岩村
義雄団長と共に訪問。クアンビン省ホアン・ダン・クアン書記長兼
人民代表委員会委員長(知事に相当)や,フエ市グエン・ヴァン・
タン市長に兵庫県井戸敏三知事,久元喜造神戸市長の親書を携えて
訪問。
報告会
2016年11月18日(金)午後3時 県民会館7階青少年交流プラザセミナー室
現地の報道 被災現場について ⇒
http://www.baoquangbinh.vn/video/201610/quang-binh-no-luc-khac-phuc-hau-qua-mua-lu-2139344/
クアンビン省はベトナム中部で最大の被災地。27名死亡。神戸国際支縁機構が
孤児たちの働きをしていることで,ホアン・ダン・クアン書記長兼人民代表委員
会委員長から庁舎に招かれる。メディア各社が待ち構えていた。
第1次ベトナム・水害ボランティア報告
日 時 : 2016年11月13日(日)~17日(木)
場 所 : ベトナム国フエ市,クアンビン省
参加者: 団長 岩村義雄,植地亮太,三村修司
経緯
ベトナム水害は日本のメディアでは知られていない。現地の状況についても情報が乏しく,被害の実態がわからない。一番ひどい地域がクアンビン省だということがわかってきた。テレグラフ紙によると,34人が死亡,11人が行方不明。洪水で40万軒の家屋が損壊。8万人以上が避難を余儀なくされています。(2016年10月27日)。
10月29日に事務局会議で,ベトナム救援が必要と判断し,実行委員会を立ち上げる。第1次ベトナムボランティア訪問のため,11月13日~17日に学生たちと視察することを決める。犠牲者がいるこ
とはわかったが,直接,ベトナムに問い合わせてみても言葉が通じない。クアンビン省の省長が来神することがわかる。11月1日に,兵庫県庁でホアン・ダン・クアン書記長,グエン・ノック・クイ外
務長官に出会う。クアンビン省がフエ市より被害が大きいことを知らされる。11月2日に救援金活動をはじめると同時にボランティア訪問をすることになる。
2016年11月13日,午後3時に関空に集合。機構の村上裕隆代表が見送る。
植地亮太君はネパールボランティアの経験者である。三村修司君は第1次熊本ボランティアから連続して連続して現地入りしている。
初日 2016年11月14日
ホーチミン空港(旧サイゴン)に3人で降り立つ。熱風が頬をなでる。クアラルンプール乗り換え地点で旧南ベトナム軍人将校と親しくなる。1975年から6年間服役して,出獄後も職がなく,ジャング
ルで生活を余儀なくされた。農業を営み,生き延び,孫がいるオーストリアのシドニー訪問から帰途に知り合った。
東南アジア諸国の中で,決して見劣りしない近代都市なのには驚いた。国内線に乗り換える。共産主義を理想としながらも,政府は積極的に外資を導入し,利益を得ることに対して寛大である。ある意味で,米国の貪欲さを否定していないことが他の諸国と異なるように思える。ただし,儒教や仏教の影響が民の精神,思考様式,家族間の絆に強く根付いている。正直さ,忠実さ,責任感は日本の若者をはるかに上回るように思えた。勤勉さは隣国のタイ,ラオス,ミャンマーなどと共通しており,若者たちの会話にしても非常に活気がある。
ホーチミンはかつてサイゴンと言われていたが,現在は公式にはホーチミンとは言うものの,一般には,サイゴンという名称が定着しているように看板,市民の会話,ベトQによって用いられている。
ホーチミンからフエ市に向かう飛行機のフライトアテンダントの服装はベトナム特有のアオザイ。 初日にベトナム国中部フエ市を訪問。ホーチミン市(旧サイゴン)から国内線に乗り換え,飛行機で約1時間20分。人口35万人の3番目に大きな都市である。
フエ空港に到着。
市長面談前に,私たちだけでスラム街に行こうとする。親切に教えてくれた場所に行ってみると,整備された施設になっていた。続いて,孤児のいる場所を目がけて,フオン川(Hương Giang)が流れる公園に向かった。一部の歴史的建造物がユネスコの世界遺産(文化遺産)があるせいか,多くの欧米からの旅行者が訪れている。フエは,2世紀末に建国された林邑(チャンパ王国)の首都があったせい
もあり,ベトナムで最も人気のある古都でもある。観光旅行者が多く,水害はフエ市ではあまり被害がないこともわかった。
そこで,水上生活を余儀なくされていた≪動画参照≫ シクロたちが集まってきた。
幼い子どもから70歳にいたる7家族が集まってきた。足が骨の上に皮だけのような男性もいる。
2日目 11月15日
早朝,亮太君と修次君の二人で水上生活者のところへ再訪問する。午前8時に,市長と面談する前に,市の人民委員会は最も貧しい人々が居住する区域に連れて行ってくれた。1975年に終わったベトナム戦争による戦争未亡人がハンディキャップの娘を育てている。
フエ市長はそうした家がない水上生活者に対しても個々に衣食住を保障するプロジェクトを拡充したいと語る。井戸敏三兵庫県知事と久元喜造神戸市長の親書を手渡す。日本の京都市に相当するフエ市は姉妹都市として震災を経験した神戸市とも友好を結びたい旨を伝えて欲しいと頼まれる。
フエ市庁舎からクアンビン省に車で向かう。国道15A号線の車窓から見るおびただしい水没した光景を見て,被害の大きさが伝わる。時速90キロくらいの速度で約3時間半,到着した。
首都ハノイがある北方面,166kmにクアンビン省は位置している。ラオス国境とトンキン湾に挟まれ,ベトナム南北を回廊のように繋ぐ役割を持つ。1975年のベトナム統一までは、北ベトナムの統治区域の中で最南端の地方だった。 首都ドンホイ市はベトナム戦争時,南ベトナム政府と同政府を支援する米軍による度重なる空爆を受けた。北はハティン省,南はクアンチ省,西はラオス国と隣接している。東は南シナ海に面する沿岸が全長116キロ続く。
クアンビン省は約90万人の人口,120キロ×200キロの面積。50パーセントが農業であり,近代工業,観光によって成り立っている。
午後5時半,トゥイ郡ロック トゥイ村の最初にアン・トゥイ小学校に案内される。「赤いナポレオン」と呼ばれたベトナム人の英雄、ボー・グエン・ザップ将軍の生誕地である。彼が学んだ学校を訪問。行くまで,約20分間,狭い道路の脇には,泥が積まれており,住民達はライフラインの電気がようやく使えるようになっている。車一台がようやく通れる幅である。
400人の児童生徒が学ぶ学校であるが,被災により,校舎は使えない。10月15日,16日,600~700mmの集中豪雨のため,約1メートル浸水し,水圧により窓という窓が壊滅。20日の台風の時は付近の住民は2階に避難してきた。31日の稲妻を伴う激しい雨は天井から滝のように教室に降り注いだ。
クアンビン省出のミス・ベトナム2016受賞者Do My Linh氏たちも慰問に来たそうな。
校長は語る。「水害直後は飲料水や食べ物がなく,水浸しのため救援の物資も届かない孤立した」「生徒たちの家屋も単なる浸水ではなく,水没してしまいました」「6700人が住んでいたトゥイ村は台風で145戸の屋根は吹き飛ばされて,15戸は損壊しました」「どこが道路かわからなくなり,小舟で食べ物などを学校にもってきてもらいました」
次に,児童障がいセンター An Thuy Primary School No.2, Le Thuy district訪問。寝泊まり,三食付きの90名が利用している施設である。
米軍は1968年から1975年までに,785万トンの爆弾,7500万リットルの枯葉剤(ダイオキシンを含む)を森林,農村,田畑に ばら蒔いた。枯れ葉作戦(defoliation)として,ベトコンが潜む森林を失わせ,同時に食料を奪う目的の後遺症なのだろうかと思いめぐらさざるを得なかった。
亮太君は語る。「トゥイ村の住民の平均収入は50ドル(日本円約5千円)なら,僕の年間のアルバイト料金にすぎない。ぜいたくをしないで,支えになりたい」と。修次君は「この村に住むとしたら,100万円あれば新築の家が建つことを考えれば,移住してもなんとかやっていけそう」と話し合っている。
3日目 11月16日
翌朝,7時に朝食を済ませ,8時にクアンビン省の省都ドンホイ(同海)市にある庁舎に着いた。11月1日に兵庫県庁でお会いしたクアンビン省人民評議会ホアン・ダン・クアン議長たちが私たちを迎え入れた。
ベトナム全国の被害状況とクアンビン省被害を語る。深刻な洪水と土砂崩れが発生被災地は主にクアンビン省(Quang Binh),ハティン省(Ha Tinh),ゲアン省(Nghe An)の3省であった。
当初,20分を予定していたが,9時近くまで話し合うことになった。英語とベトナム語で語り合うため,亮太君や修次君は英語の必要性を痛感したようだ。
ホアン議長はベトナム語の詳細な資料を駆使して,1991年以降の被災,復旧,今後の課題などを語る。綿密な行程の把握は,復興を最大優先しているなみなみならぬ決意と情熱,実行力が伝わる。
クアンビン省だけで27名の犠牲が出た。3省で300万人が避難を余儀なくされた。110万戸が浸水した。高速道旅も寸断され,支援物資の搬入も遮られた。隣接するハティン省とゲアン省でも下流域が洪水で覆われ,複数の省にまたがって交通やライフラインが寸断された。数千万トンの備蓄の米もだいなしになった。クアンビン省だけで4000戸が水没した。84校の3万人の生徒たちが登校できなくなった。2009年の台風による2万2千戸の被害を上回る規模である。
クアンビン省各地区の被害状況は次の通りである。
タン・ホア地区では約600戸が浸水。水の深さは約50センチから,もっとも深い所では水深約3メートルにも達した。ミン・ホア地区でも160戸の家が深さ2メートルの水に浸水,フー・ニエウ村では水が高さ2.5メートルまで達した。
ミン・ホア地区の大通りであるホーチミン道路も水に沈み,川と化した。水の深さは大人の背丈近くにまで達した。浸水によって湖のようになった地区を,ボートを使って避難を余儀なくされた。
機構が現地と連絡をとった10月30日の時点では,交通システムが分断され,住民は移動,避難ができなかったため,被害の全容もつかめない状態だった。
10月15日の午前4時までに,ガン・サウ川がチユ・レ地区で水深15.64メートルを計測した。国道15A号線では土砂崩れが発生し,道路が片車線ふさがれた。
121,000以上の診療所,病院,学校,交通,灌漑・インフラ施設が深水水の中に沈んで,クアンビン省は3億ドルの損害。8万5754ヘクタールの三分の二に及ぶ栽培地も水没の損害を受け,多くの家畜・家禽が流された。
ホアン議長は,防災教育を通じて子どもや地域住民の防災に関する意識を高め,地域や学校単位での災害. 対策能力の向上を図ることも述べた。
1995年の阪神・淡路大震災で被災した兵庫県,神戸市の復興からの過程を教訓としていると付け加えた。
発展途上にあるベトナムとしては,教育,インフラ,再建は緊急課題であるが,予算が不足し,青息吐息であることも率直に語った。日本の善意ある皆さんの尊い寄附がクアンビン省に寄せられることを期待していることを強く要望した。
東北の被災地を約6年にわたり,訪問している者としては,切実な議長たちの嘆願は痛いほど理解できる。戦後,朝鮮戦争,ベトナム戦争の戦争特需景気で高度経済成長を遂げた日本は,今こそ,ベトナムが災害で辟易とし,苦悩しているならば,喜んで協力,扶助すべきではないかと私たち一行は痛感した。
被災の実態を日本中あまねく広く伝わるようにマスコミ関係者のご尽力,努力に頼らざるを得ないことを申し上げて報告を終わらせていただきます。
第2次ベトナムボランティアにご参加したい方は下記にご連絡
ください。
一般社団法人 神戸国際支縁機構
Kobe International Supporting Organization (KISO)
E-mail kiso@mbe.nifty.com
HP http://www.kisokobe.com/
Tel : (078) 782-9697 Fax: (078) 784-2939
岩村 義雄(Yoshio Iwamura)
E-mail: QYH05423@nifty.com
携帯 070-5045-7127
ベトナム救援募金
郵便振替 口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構
もしくは
三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863 神戸国際支縁機構 岩村義雄
募金者 および 合計金額 受領順 2016年8月26日以降
目標額 100万円
現在 1,195,100円
岩村義雄,岩村カヨ子,神戸国際キリスト教会,「小さくされた
人々のための福音」講座,第1次ネパール報告会,湊 乃莉子,
坂本好也,櫻井由里子,新井眞由美,遠藤トシ江,阿部 捷一,
丹野 清,北川禮子,万石浦幼稚園教師一同,村上安世,
豊原大成(全国仏教会前理事長),藤丸秀浄(法専寺住職),
菊池則子(2),西上千栄子,大田美智子,池田春子,
加藤賢宗(石巻市浄音寺住職),酒井 彰,酒井久美子,
坂井良行(高野山真言宗西方院住職),神戸国際支縁機構,
岩間 洋,佐藤金一郎,石川満澄,石川久子,白方誠彌,
小野寺玉笑,池田裕子,白瀬小一郎,吉俣正光,
在日大韓基督教会神戸教会,森 祐理,内藤幸子,
内本光一,長島康弘,本田陽太郎,北村恭男,
後藤由美子(光円寺),
※ 2015年3月27日の理事会は,名前だけにして,個人の金額に
ついて表示しないことを決議。
※ 救援金の寄附者は,振込用紙に記入なさっています。バヌアツ,
ネパール,フィジー,熊本地震の場合,年金生活の中からわず
かですが,お用いくださいとのコメントが多いです。
※ バヌアツ,ネパール,フィジー,熊本地震の場合,夫をなくし
た女性,在日朝鮮人,在日中国人などの寄留の外国人,被差別
部落の方たちの応援,痛み入ります。
必ず,ベトナム と書き添えてください。
鯉のぼりや風船は神戸スイミープロジェクトの栗須哲秀代表から
預かります。