バヌアツ救援募金

バヌアツ緊急募金 サイクロン「パム」2015年3月13日発生

Starfish-House 柱 立体

 

 現地に共に行くことができるボランティアメンバーを募集
します。(2015年3月16日)

 1st  Visit    April 21-25, 2015
   2nd Visit    July 7-11, 2015
   3rd Visit     August

※第1次 4月21日出発 90万円,第2次 132万円,現地への募金が
集まり次第,第3次 270万円,第4次 〃  ……。

※第1次 4月21日出発,第2次 7月7日,救援金が集まり次第第3次出発。

 季刊誌「支縁」No.11

 風速90メートルのサイクロンが襲いました。重いコンテナや,
強風に強いなつめやしも根こそぎ引きちぎられました。
 南太平洋最大の自然災害です。発生後バヌアツ政府の発表で
は死者14人,損壊住宅約3万3千戸,被災者は約16万人です。総
人口24万人の多くが家を失っています。首都ポートビラでは,
90%が被害を被っています。
 神戸国際支縁機構は,外国語部門もあり,4月21日(火),7月
7日
(火)に格安の航空券で代表は直接現地に入りました。
 みなさんからの募金をサイクロンによって両親をなくした孤児
たちのために,「子ども基金」として直接被災者に手渡します。
阪神・淡路大震災や,東日本大震災の場合,緊急に必要な人々が
なかなかもらえなかった教訓を痛切に体験してきているからです。

 バヌアツ訪問の同行を希望なさる方は,早めにニュージーランド
航空にご予約ください。

地図

救援金,支縁物資 ご協力をお願いします。

 

義援金は100日以上も顧みられていない。「義援金」という名称もおかしい。「見舞金」なら遅すぎる。「救援金」という名称にしてすぐにでも支給すべきである。
≪画像参照≫「牡鹿半島 聞き取り調査 (6) 」(拙稿 2011年7月)

 「義援金」donation は寄贈されたおカネです。そこで「救援」rescue money to a person in distress と呼ぶべきです。災害などの被害者への救援,寄附として,義援金は遅すぎて,ふさわしくない表現と言えます。
 地元が必要なら,即断,即決,即実行しないと間に合いません。
 首都ポートビラで,家,家族を失った子どもたちのために住居を提供できるように,第2次は7月7日~11日に訪問。先だって,南俊治建築研究所の南俊治氏が,現地のモジュール設計を6月18日(木)午後2時から記者会見で発表しました。
 朝日新聞社,毎日新聞社,産経新聞社,神戸新聞社出席。第3次チラシ
一般社団法人 神戸国際支縁機構
Kobe International Supporting Organization (KISO)
E-mail kiso@mbe.nifty.com
HP http://www.kisokobe.com/
Tel : (078) 782-9697  Fax: (078) 784-2939

岩村 義雄(Yoshio Iwamura)
E-mail: QYH05423@nifty.com
携帯 070-5045-7127

郵便振替     口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構
 もしくは
三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863  神戸国際支縁機構 岩村義雄

募金者 および 合計金額 受領順 2015年3月16日以降
目標額 780万円 不足額 5,751,221円

現在 2,014,906

 ※ 2015年3月27日の理事会は,名前だけにして,個人の金額について表示しないことを決議。
 ※ 救援金の寄附者は,振込用紙に記入なさっています。年金生活の中からわずかですが,お用いくださいとのコメントが多いです。
 ※ 夫をなくした女性,在日朝鮮人,在日中国人などの寄留の外 国人,被差別部落の方たちの応援,痛み入ります。

岩村義雄,岩村カヨ子(2),村上裕隆,朴 培根,本田洋子(2),
本田寿久(2),曺弘利,西川昭和,松下隆文,山内典子,久原
満里子,岡田文子,オオイミワ,増田久美子,浅田葉子,神戸
国際キリスト教会,姫路野里キリスト教会,ミヨシ石鹸株式会社,
(株)チュチュアンナ,吉田眞知子,村上弘志,湊乃花子,本庄
芳江,大野健明,井元親男,ウエハラユウキ,有年米子,岩下
喜恵子,新免 貢,長谷川良子,關 登美子,鄭 恵姫,白方誠彌,
福井美佳,成蹊中学1年H組,中山圭子,酒井 彰(3),酒井久美
子(3),酒井利栄子,山田 貴,北村 徹,土井和子,臼井佳代子,
水垣 渉,池永タケコ, 「小さくされた人々のための福音」講座,
垂水朝祷会,古川直子,石川満澄,石川久子,山下 寛,OCC
カレッジ受講生,末吉和子,神戸国際キリスト教会,尾島淳義,
栄澤紀子,カフェ・マリリン,本田すみ代,山下妙子,神出節
子,野田和人,坂本好也,山本智也,北村 徹,大川洋輔,福森恵
美,的野慶子,伊藤良純,KISO牧場,中山敬一郎,畑崎依子,
三鷹市観音寺,阪神宗教者の会,塩屋キリスト教会,市原嘉壽子,
飯原和彦,西田明弘,楠元留美子,三浦照子,神戸バイブル・
ハウス,日本基督教団芦屋浜キリスト教会婦人部,畠山登美子,
井上千代,細見ユキ子,岩村カヨ子,日本基督教団神戸栄光教
会,第19回統一マダン神戸,都倉久子,大槻紀夫,東灘バプ
テスト教会,村田充八,小野 奨,小堀 真,金 承鎬,宗教法人
アシュラムセンター,小菅あゆみ,千葉幸一,岩泉モトエ,阪
神宗教者の会,日本基督教団芦屋三条教会,春重棋子,井上千代,
臼井佳代子,北山 環,藤岡牧子,本田洋子,本田寿久,加藤眞澄,
有本 豊,竹井恵美子,田中 孝,今井祝雄,森川八郎,高見真由
美,井上加代子,岩立聖子,森 瞳子,竹内喜子,有村照美,中村
妙子,山根 修,山根ほのか,大田登貴子,熊野千秋,金 厚子,
宮内民郎,羽野隆夫,辻 良雄,日向秀子,小畑俊子,佐々木 汀,
畑谷恵美子,フクニシ・アリマ,藤原加寿子,小山英一,日向秀
子,早野美智子,小野 奨,大江良一,山下妙子,佐谷文子,左成
和朗,石川清久,磯辺基博,庄司慈明,栄澤紀子,石巻こども保
育園職員一同,武藤豊,武藤幸子,的野慶子,佐藤金一郎,万石
浦幼稚園,石川清久,北村 徹,白方誠彌,石巻こども保育園,
小さくされた人々のための福音講座,古川直子,庄司慈明,酒巻
喜代香,北村恭男,青木秀雄,久原満里子,青活祭フェスティバル,
小畑俊子,辻 良雄,坂本好也,臼井佳代子,新免 貢,宮氏道夫,
新井眞由美,観音寺(三鷹市),井上加代子,池永タケコ,武智 務,
金 厚子,岡本玲子,櫻井由里子,北村 徹,池田裕子,中山圭子,

第2次バヌアツ訪問報告 2015年7月7日~11日

  第2次バヌアツ訪問記

<序> 7月7日(火)出発前日まで,氣力,体力共に万全ではありませんでした。
 救援金が予定通りに集まらず,現地では,首を長くして(社)神戸国際支縁機構の訪問を待っていることは再三にわたる国際電話やメールによってわかっているからです。

 4月21日-25日,ポートビラに第1次視察に行った際,プレスビテリアン教会の神学校や寄宿舎がサイクロン「パム」によって全壊したので,子どもたちの施設を建てる計画を依頼されました。土地を取得する必要はありません。

 2日目に,大統領官邸に事前に赴いた際,帰途,ひとりの親切な人に出会いました。道を尋ねた際,ピーター・アイザック氏はそのことがきっかけで,ポートビラ市で最も貧しい地域に案内してくれました。ブラックサンドという約3000人が住む地域です。孤児たちの施設を造るのに,適していることは言うまでもありません。

 バヌアツ訪問を計画したのは,宮城県石巻市に4年間,50回以上にわたり,ボランティア活動に従事して思い知らされたことがあるからです。≪画像参照≫「田・山・湾の復活」という視点から無農薬,有機農法,ノリ,カキ養殖,炭焼き,薪づくりなど農林漁ボランティアと傾聴ボランティアを地道に繰り広げてきました。

 2年半ほどすると,定期的な西日本からのボランティアが撃滅しました。その頃から,傾聴ボランティアを通じて,石巻の孤児たちの存在がわかってきました。津波で親,家,友をなくした子どもたちの悲しみ,くやしさ,辛さに遭遇しました。だれにも哀しさを言えない子どもたちの存在と行政やボランティアの手が届きにくい声なき声を聞きました。

 バヌアツのサイクロン「パム」が2015年3月13日夜に発生し,15日の非常事態宣言を聞いた際,真っ先に想起したのは子どもたちのことです。

 7月9日に≪動画参照≫ロンズデール大統領と再会した際も,バヌアツの全人口の約半分が子どもであることを聞かされました。大統領自身も将来国を担う子どもたちへどのように復旧,復興,再建の手が届いているかどうかが最大の課題と話されました。
 道路,空港,鉄道などの巨額の予算より,子どもたちへの支援が先決という大統領の悲痛な願いは機構の目的と合致しています。

 しかし,第2次の7月9日,≪動画参照≫ブラックサンドの土地所有者と腹を割って,話し合ったところ,ブラックサンドは恒久的な建造物がふさわしくない地域だとわかってきました。ハンマーで頭を殴られたようです。
 海が近く,湿地帯でもあり,自然災害によるハザードマップのため作業を続けたくても建設許可を得られないのです。土地所有者バレンさんは目的が素晴らしいので,同意するが,断念せざるをえないことがわかります。海岸線はパムのため船がことごとく座礁していました。ブラックサンド,プリマの作物は全滅し,サイクロンに持ちこたえた家はありませんでした。

7月8日(水)

 二度目の訪問とは言え,約18時間にわたる渡航は病み上がりには過酷かと思いきや,機内食も平らげ,熟睡することができました。とろとろと眠ることができたのはさいわいです。羽田から成田までもキーボードや,サッカー,バレー,バスケットボールやシューズなどでちょっとした荷物運び人です。オークランド空港内で乗り換えの際は,キャリアがないため,広い空港で荷物をかかえての移動は歩けど歩けど税関
に達しません。重さで手がしびれてしまいます。しかし,サイクロンですべてを失った人たちの苦悩を考えると,足が前に出ます。羽田,成田,オークランドで家内<参照>カヨ子からの携帯で励まされながら,次の地点に向かいます。自分だけではなく,荷造りを手伝い,これだけの量をどうやって運ぶのかと気をもんだ家内や,教会のメンバーも道中ずっと無事を祈ってくれているから,途中で,荷を投げ捨ててしまわなくてすんだと感謝しています。

 食品持ち込みに非常に厳しいニュージーランドやバヌアツでも,フードバンク関西のお菓子類もスムーズに通過できました。新品のキーボードもひやりとする場面もありましたけれど,前回,顔見知りになった上司がすぐに許可してくれました。バヌアツにしても役人は一般に融通が利かず,実直です。前回,大きな声であいさつをして良い印象を与え,親しくなったことが後日,思いがけない場面で役立ちました。

 ニュージーランドからバヌアツに入る際,機内におけるニュージーランド人の男性フライト・アテンダントたちの礼儀正しさには,アメリカ人にはない鍛錬された品格があります。日本女性たちが見倣うべきお茶の作法に通じるもてなしの精神,笑顔,物腰があります。帰路のNZ318便でも感心しました。

 ポートビラ空港にはピーター・アイザック牧師が迎えに来てくれていました。親しかった故吉持孝之牧師と同じナザレン教会のパプアニューギニアからの宣教師です。現在夫人である志保先生が亡き夫に代わって,牧会されています。また機構にも惜しみなく応援してくださっています。バヌアツ,パプアニューギニア,キリバス,フィージー諸島など民の先祖は同じメラネシア人ですから,外観からはわかりません。皆,黒人です。文化,言葉,膚の色は違っても,同じ家族です。10年間,異国の地
で宣教していればこそ,他国へ出かけて奉仕することに同じ思いに立つことができます。宣教と医療とボランティアの三者の取り組み方は異なれど,黙っていても相手の願う通りに仕える点では,方向性は同じです。

 空港で携帯のSimだけを交換して,第1次で使ったプリペイドに挿入しました。日本円に換算すると,約千円です。前回,親しくなったポートビラ市の方たちと連絡するために重宝します。
 空港を出ると,雨期なので小雨が降っています。日本は夏ですが,南半球のバヌアツは逆で暑くもなく快適な気温です。

 ピーター・アイザック氏はすぐに,先回お世話になったモーセ師の家族の所へ案内してくれました。玄関に近づくと,子どもが飛び出してきて,抱きつきました。≪動画参照≫パスカルです。来るのがわかっていなかったにもかかわらず,まるで待ち構えていたように再会しました。家族のみなさんに応接間に案内されました。壊れていた窓が修復されており,前回,寝かせてもらった部屋もすっかり見違えるほどになっていました。モーセ牧師,奥さまのEstelaさん,パスカルの母Shirleyさんと会っていると実家に戻ったように思えました。息子Joelから依頼されていたボーイスカウト活動記録用のカメラも手渡すことができました。

 郵便局に立ち寄ると,前回の絵葉書はもうありませんでした。
 ブラックサンドに向かいます。ピーターやジョンなど地域の若者指導者が待ち構えていてくれ,再会を喜びます。裸の孤児たちも覚えていて近寄ってくれます。目が大きく,まるで人形のようです。
 貧しい環境にあっても,飾り気がなく,たくましく生きる子どもたちの表情は胸に響くものがあります。この子たちと一緒に生きようという意を固くします。
 大人はビントンという鉄球をころがして得点を競うゲームに興じています。地域では若くても,牧師(パスター)は信頼が篤く,村人は敬意をもって接します。
 翌日,地域の孤児たちが集まるように手配がなされます。
 課題があります。ブラックサンドとプリマも低湿地帯であり,スターフィッシュ・ハウスの建築許可がおりないとなると,どこにするか,帰国までに決めなければなりません。昔から国土が狭いバヌアツでは,土地所有について絶え間のない紛争があった国です。政府であっても,国の権威のゴリ押しで土地買収はできない国状があります。せっかくドライリーフや建造資材が集められて,着工しているのに,振り出し
に戻ってしまったようで,計画がすべて頓挫してしまっている瀬戸際に立たされています。

7月9日(木)

 午前9時に,バヌアツ復興省NDMOカミル・ピーター・コリサ長官に会うために,復興省に向かいます。≪画像参照≫建築家南俊治氏と6日に打ち合わせしたバヌアツ全体の学校の復旧に寄与するスターフィッシュ・スクールについて話し合うためです。スターフィッシュ・ハウスは孤児たちのためであり,スターフィッシュ・スクールは児童生徒,学生たちのためのものです。
 長官から午後3時以降の国連,世界各地のNGOや政府の専門家で話し合う会議に出席するように招かれます。
 10時に,≪動画参照≫ロンズデール大統領との会見の約束のため大統領官邸に向かいます。前回,話し合ったこと,日刊バヌアツ紙で報道された記事などを通じて,日本のメディアも積極的に取り上げてくれて130万円の救援金が集まったことを報告しました。秘書によると,日本から,支援物資はたくさん届いているが,義援金はまだぜんぜん届いていないとのことでした。恐らく政府を通さずに,現地に直接支援しているのかもしれません。いずれにしても他の寛大な諸国との相違に恥じ入ります。
 伝統的な生活様式に合致するスターフィッシュ・スクール案が推進できるようにしたいこと,南建築士が来たら大統領が直接会ってくださるとの約束をとりつけます。
 正午には,ジェニー夫人が腕によりをかけて料理したビーフ,タロイモ,サツマイモ,他の野菜などの昼食をいただきます。ピーター・ナトーも同席です。前回,鯉のぼりを設置する時,独りで穴を掘った筋肉質のリーダーです。二人の娘サニアとマウィがいます。慎重に物事を判断できます。彼は施設建設の要の働きをしています。
 午後3時には,日本で言えば,霞ヶ関に相当する場所で,復興会議が開かれるということで,急遽,スターフィッシュ・スクール案を発表する場をNDMO長官は調整しました。午後7時半まで約20名が復興議題を延々と論議します。すべて英語です。通訳はいません。休憩なしです。復興には地域の格差があるので,正確な調査に基づく情報収集には,地域と密接な連絡網をつくる上で,教会指導者,酋長,NGO団体との定期的な会議を積み重ねる必要と方法について文言を話し合います。次の大きなサイクロンに備えて,どんな対策をすべきかを,1987年のサイクロン「ウマ」は46人の死者を出し,4000戸の家が吹き飛ばされました。作物の被害額は2億ドル(約260億円)です。昨年3月のサイクロン「ルーシ」の教訓とその後の想定が有効でなかった点をふまえて,今後の建造物をどんなものにするか色々な意見が飛び交います。
 筆者はプロジェクターを用いて,伝統的な生活様式のスターフィッシュ・スクールを語ります。屋根を乾燥したココナツなどの葉を7層にして,30度の角度にし,木材の柱と竹を用いることによって,コンクリート製の建造物より,バヌアツの人々にとり居住性があること,費用が安価であること,拡張しやすい長所を伝えました。斬新なデインに出席者は息を呑みます。サッカー競技場,バレーボールなど公園として用いる図面を提示します。空から見れば,すぐにヒトデの形をしていることがわかります。「ファンタスティック」と反応があります。もちろん大きなサイクロンに対する耐用性はどうかと質問されましたから,ヒトデの手の先端部分はアンカーとしてコンクリートと鉄骨を用いる図面を提示しながら説明しました。
 午後8時近くなっており,ピーター・アイザック牧師は迎えに来ても中に入れてもらえないので,筆者が雨降る中,外で待つことにしました。すると面識がないにかかわらず,仕事を終えて,帰る総務省のひとりが暗くて相手がだれかわからないので,「何をしていますか」と声をかけられました。不審人物が官庁内にいるため咎められたのかと,「迎えの車を待っています」と応答します。すると,ピーター・アイザックの牧師館に連れて行ってあげようと,車に乗せてくれました。帰り際に,名刺を自ら手渡してくれました。総務省のアンバサ・パラリウ長官でした。バヌアツで名刺を持っているのは官公庁の幹部たちだけです。翌日,空港でバヌアツを離れる直前に感謝のメールを送ると,すぐに「お礼には及ばない。日本からよく来てくださった」
と返信が届きます。教養のあるバヌアツの人は反応が迅速です。バヌアツ人は見も知らぬ人に非常に親切なことが骨身にしみます。

 牧師館に帰ると,ジェニー夫人は食事を用意し出かけていました。夫人はパプアニューギニアで初めて神学校で単位を取得し,女性牧師の第一号です。夫と一緒にバヌアツに来て10年。三男がまだ5か月の時,バヌアツに足を踏み入れ,開拓宣教に専念しています。16歳の長男は今年,シンガポールで開かれたナザレン・グループの大会に独りで参加して,一回り成長したそうです。
 毎朝,毎夕,ナザレン教会の「日々のみことば」を夫婦で交替に聖書を朗読し,祈り,説き証しをします。子どもたちは真剣に,耳を傾けて育ってきました。次男のエンリッチ君(7年生13歳)はすがすがしい目と信仰の道に進む敬虔さが備わっています。食後の皿洗いも進んでする態度も立派です。家族全員の分量だと最低1時間は要します。
 母親は日曜日を除いて,毎晩午後6時から9時まで神学校にて3時間連続で教えています。ブラックサンドで午後,再会したピーターやジョン牧師たちも神学生です。帰宅は午後11時になります。それから洗濯,炊事,掃除などを精力的にこなします。
 筆者が来ているため,ピーター・アイザック師だけは調整し,筆者の行動に合わせてくれています。
 二日目の夕食には,ココナッツミルク,日本にはいない魚料理も添えられています。ただし皮を食べないように何度も念をおされます。さけにしても皮がおいしいのに,口に入れて,どうしてかすぐにわかりました。紙やすりのようにざらざらしています。消化せず,内臓を傷つけるそうです。そこで猫たちにとり,そんな皮や骨もごちそうです。

 4月の時はずいぶん蚊に刺されましたが,今回はすべての窓に網戸があるため,一度も刺されません。庭には,ねぎ,レタス,かぼちゃ,じゃがいもなどが栽培されています。サイクロンのため,バナナは来年の8月まで,だれも口にできません。庭にはたくさんのバナナが植えられています。「果物でもてなせなくてすみません」と何度も夫人は謝ります。マンゴ,パパイアなどの果物もぜんぜん売っていません。
つまり果物は来年の夏までバヌアツの人々はがまんしています。
 タロイモ,サツマイモは約1時間蒸して,毎回食べます。日本のサツマイモのように甘くはなく,ごはんと一緒に食べてみるとなかなかマッチします。バヌアツの人たちの体格がいいのは,タロイモ,サツマイモ,米をよく食べるからでしょう。産業,工業が発達していなくても,自給自足できる国として,日本も学ぶべきです。情けないことに,日本の穀物自給率は28%。196カ国・地域中137番目(資料 農林水産省「食料需給表」,FAO「Food Balance Sheets」2013年時点)であることは,幸福度と比例しています。いつまでも海外に食料を依存しているなら,どんなに世界で軍事予算費5位,戦争法案採択,徴兵制を敷いたとしても国力は100番目以下であることに目ざめるべきでしょう。サイクロンで熾烈な被害を受けていても食べ物に関しては,ディスカウントやバーゲンに殺到する必要はありません。東日本大震災が4年前に発生した際,関西のスーパーから食べ物がなくなってしまったような悲壮感は感じられません。
 青空市場に行けば,ほとんどの野菜類は売っています。

 牧師館の事務室を寝室にして筆者は休ませていただきました。4月と同様,やはり朝方は寒いです。
 朝7時半になると,子どもたちも食事の前に,霊的な食物をいただきます。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ 4:4)と書かれているように,パンを食べるのと同じように聖書から神の言葉を定期的に摂るのです。
 家族以外のだれかしらが食事の時間に加わっています。教会のティモスィーが来ていたり,近所のジュニアの友達が一緒に食べたりします。
 神学校教師,家庭の主婦,多くの人が出入りするジェニー夫人の生活を見て,つくづく家内の苦労がわかります。とくに妻は自分の食べ物をつくるだけでもたいへんなのに,夫だけでなく,出入りする者たちに食事の時間帯だと笑顔でつくっているからです。16歳の時に出会った恩師末次一郎氏の清子夫人も書生たちの面倒をよくみてくれていました。いつしか,新婚時代妻カヨ子にも「末次先生のところでは……」と労苦を強いてきました。結婚してからずっと妻はよく耐えているなあと反省させられます。
 すると,日本からのキーボード,スポーツ用品,タブレット,カメラなどの贈り物より大事なことについて示されます。殺人的なスケジュールをこなしている夫人には安らぎが必要だと。ピーター・アイザック夫妻と3人で,深夜遅くまで話しました。筆者が牧師だから安心して夫人は吐露できることもあります。「イエスは,『さあ,あなたがただけで人里離れた所へ行って,しばらく休むがよい』と言われた。出入りする人が多くて,食事をする暇もなかったからである。」(マルコ 6:31)と話すと,10年間,がむしゃらに宣教師として,良妻賢母として,夫に仕えてきたことなどを一気に話されました。ボランティアは自分の思っていることを現地に押しつけたり,自分のやり方を展開するのではありません。現地や,出会う人のお話しをじっくり聞くことが第一の資質です。3人で一緒に祈ります。

 7月10日(金)

 スターフィッシュ・スクールはバヌアツ政府に委ねるにしても,スターフィッシュ・ハウスをどこに移動するかの答えが出発当日になってもありません。
 朝,8時22分,ブラックサンドから車で北に約30分向かうEratapの地域の酋長が日本からの牧師に会いたいという連絡が入りました。環境の良い800人ほどが住むエラタップ村の酋長の二人が待っているとのことです。牧場が近くにあり,牛,豚,山羊などが放し飼いにされている楽園のような風景です。道路は舗装されていません。新車は10分も走れば,どこから見ても汚れた中古車に変容しています。
 土地をだれにも譲らない,貸さない使命が≪動画参照≫酋長にはあります。ちょうど日本の農家の人が1952年の農地法により「所有」権を大事にして,よそ者に農地を簡単に売らないのと似ています。そのために日本の耕作放棄地は滋賀県の面積に匹敵する40万ヘクタールにまで拡大しています。
 スターフィッシュ・ハウスは生活様式を変えないこと,親をなくした子どもたちのために有益なこと,ピーター・ナトーという若者が引き続き現場で建設の指揮をとることなどを約30分間説明しました。意外にも,酋長たちは「We approve your vision.(我々はあなたのヴィジョンを承認します)」と即決で返事をくれました。
 不可能が可能になりました。
 酋長たちは「ここに建てなさい」と敷地に案内してくれます。大きなモナク蝶が飛んでいます。海上,約4千キロ以上を旅する蝶です。

ARKive image GES054405 - Monarch butterfly

 筆者の体調は万全ではなく,救援金も満たされず,約束を果たせない荷の重圧でつぶれてしまいそうになっていました。いわば長距離を飛翔するのに羽根の付け根の筋肉は弱り,自力ではバタフライのようにバタバタと動かせない状態でした。独りで伊丹空港からポートビラ空港までたくさんのラゲッジをかついで来たものの,自力では運べなく,オークランド空港で座り込んでしまったのと同じです。同じ飛行機の乗客はだれもいなくなっていました。
 モナク蝶も乱気流で吹き飛ばされ,群れから離れて,鳥の餌食になりそうに心細く,孤立します。筆者もまったく役立たずの敗残兵のように,いつしっぽをまいて逃げようかと八方塞がりでした。何度も第2次の杯を取り除いてくださいと祈ってきた約1ヵ月です。蝶のように弱り果てています。上昇気流を利用して,何千キロも旅するモナクが目の前に突然現れました。自分の力は何もないことの象徴のようにスターフィッシュ・ハウスの敷地を舞っています。一匹の蝶の優雅な姿に思わず息が止まります。筆者も酋長の家族も釘付けになります。
 不思議なことに,土地については決して譲渡,販売,使用を認めない酋長が無料で許可したことは奇跡です。筆者も自分の力ではなく,上昇気流に乗っかった気分で,晴々としています。雨が止んで,青空が見えました。
 さらに,日本からの朗報です。7月10日の一日で約20人の人たちが≪画像参照≫救援金を約30万円振り込んでくださったという家内からの連絡です。村田理事からの気遣いも骨身にしみます。離日には132万円だったのが168万円に増えているのです。7月3日付(金)の朝日新聞の全国版の夕刊記事が功を奏しています。朝日の大川洋輔記者や,神戸新聞の高田康夫記者,サンケイ新聞の西山瑞穂記者のスターフィ
ッシュ・ハウス記事が実を結んでいます。自然災害の患難に直面している国々,島々を支援するには,日本のメディアの働きが大きいことは今回,充分認識させられました。

 屋根に必要な乾燥したココナツなどの葉,木材,竹,ブロックなどの入手経路も確保されています。「どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。」(へブライ 3:47)と書かれているように“オレが造らずして,だれが造れるか”“今造らずして,いつ造るのか”と思い上がっていた心が打ち砕かれた時に,道は開きました。
 ピーター・アイザック牧師の家族の受け入れ,ピーター・ナトーやジョン青年牧師,大統領やNDMO長官,プレスビテリアンの人たちの配慮がなければ何一つできなかった事柄です。

 バヌアツ生活も慣れてきて,体調も完全に回復し,目的を果たせて帰路につくことができました。ポートビラ空港を飛び立つ前に,お世話になった大統領秘書長官ゾバン師に酋長の快諾を報告するとすぐさま,「スターフィッシュ・スクールも政府が本腰を入るように努力します。再会を楽しみにしています」と丁寧な返信が届きました。万事休すから万事益となる第2次バヌアツ訪問になりました。

 救援金で応援してくさった多くの年金生活者や,寄附をしてくださった方々,とりわけ,機構の理事たち,事務局長夫妻,村上裕隆君,機構のみなさま,在日朝鮮人,在日中国人などの寄留の外国人や被差別部落の人たちの応援,助力があってこそはじめてなし得る働きです。
 兵庫県青少年本部の応援も大いに助けになっています。
 第53次東北ボランティア(6月21日~26日)以降,7月6日まで下痢がとまらず,明舞のさかねクリニック(坂根正芳医師の触診による診察,好転)にも感謝しています。

 オークランド空港では寝袋を4つの椅子に拡げて,快眠です。なぜならニュージーランドは冬であり,とても寒く,眠ることができないからです。スリーピングバッグのおかげで懐が寒い筆者にはこれ以上の温かさはありません。東北ボランティアで培われた質実剛健はいろんな面でサバイバルできる智恵を備えました。空港には安い果物が豊富にあり,りんご,バナナ,すいかを冬でもたらふくいただき,満たされます。旅行者の多くがハンバーガーセットなどをほおばっていますが,果実はセットより安くてすみます。しぶとい体力を維持できていることを考慮すると,少しもうらやましくありません。

 エンリッチはよく笑っていました。「象やサイは調味料や肉を食べなくても,あんなに大きいとパスター・イワムラはすかさず言う。……」はじめは,変わっていると思われましたが,いつしか「パスター・イワムラのように,何歳になっても必要の大きいところに馳せ参じるには,食べ物は野菜をしっかり食べないといけない」と訪問してくる友達に言うほどになっています。野菜を皿にエンリッチがよそってくれる時,ウインクしながら,「象やサイは何もつけないのでしょう」と言いながら,ソース,ケチャップやマヨネーズなどをつけずに,手渡してくれるようになりました。しかし持久力の本当の秘訣は野菜にあるのではありません。

ボランティア道の母 岩村カヨ子 Kayoko Iwamura

 家内<参照> カヨ子がいつも祈っています。こちらが日本へ2回携帯を発信すると日本からかけ直します。すると携帯を無料でやりとりができるシスムがあります。妻からの大きな慰め,励まし,温かい言葉が回復,交渉,実践の源泉です。私たち夫婦には子ども生まれませんでした。そのことは海外の自然災害で泣いている,哀しんでいる,だれにも言えないくやしさを持っている子どもに仕える使命に駆り立てます。二人三脚なのです。かつて育てた孝太がいつも思いの中に共にいます。

 帰路,成田から上空で,富士山が見えました。地上から視界をさえぎる雲の向こうには太陽が輝いているのです。前方が曇っていても,心を騒がせない教訓を学びました。
 たいしたことができなくてもバヌアツには,パスカルや,エンリッチ,ジュニアたちのような友,家族,兄弟がいます。年齢,膚の色,性別など関係がないのです。今回もボールなど送付してくださった成蹊中学校の生徒たちからの英文手紙に対してポートビラ市の子どもたちが返書を持たせてくれました。やがて,彼らが10年後,20年後にバヌアツと日本の架け橋になることを信じています。

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