厚真 北海道胆振東部地震ボランティア

北海道地震 2018年9月9日 被災地厚真町訪問

技術至上主義は自然災害をもたらす―第1次北海道地震ボランティア報告― 英文 Technology supremacy brings about natural disasters- the 1st Hokkaido Earthquake Volunteer –

北海道胆振東部地震 自然の猛威 被災相次ぐ 報告・岩村義雄” 『キリスト新聞』(2018年10月1日付) 

第2次北海道地震・ボランティア報告  2018年11月4日~10日

<序>
 1992年,家内と北海道旅行をした際,ホテル名は思い出せません。十勝川温泉で入浴した際,印象に残った泉質がありました。色がコーラのような色で,底が見えませんでした。入ってみると,肌触りはヌルヌルです。浴後,家内が「よく暖まったわ。肌がすべすべの感じで,化粧水がいらないわ」,と言っていたことを昨日のように思い出しました。2月の寒い時期であったのに,いつまでもポカポカしていました。
 2018年11月8日午後6時,恵庭のモール泉で2011年3月に第1次東北ボランティアに参加した柴笠雄輝君と3人は合流しました。雄輝君は千歳出身の奥さん彩海さんを紹介してくださいました。来年2月9日に出産予定です。聡明な明るい女性です。「モール泉」には幼い時からよく入っていたそうです。ドイツ語 Moor(ムアー≪泥炭地の意≫)を日本人が日本語読みにして「モール温泉」と名づけました。北海道遺産に認定されています。泥炭がさらに炭化して地層のようになった地表から低い「亜炭層」から汲み上げています。 談義をし,時間が経つのも忘れて話し合いました。ヘブライ語を含めて外国語を教えて,生活をしている者にとり,「時間」の概念について改めて発見しました。基本的に,ヘブライ語はギリシア語と異なります。ヘブライ語には「過去」「現在」「未来」の水平的時間の概念の時制がありません。過去の事柄も,現在に実現するかと思えば,未来のまだ成就していない出来事も現在の時点で完結することもあり得るのです。村上裕隆君と雄輝君の再会は8年ぶりです。2009年,日本で一番貧しい釜ヶ崎にボランティアに行った時のこと,雄輝君もまだ大学生でした。当時,寒い時期でした。山本智也君も一緒だったこと,冷たい水で手がかじかんだこと,2011年3月21日,宮城県石巻市渡波(わたのは)で夜,寒くて眠られず,筆者の毛布を借りて熟睡できたことなどを雄輝君は語りました。昨日のように,まるでいまさきほどのような感覚がありました。3人とも,外観は札幌,三宮などの街中で出会っても,すぐにはわからないほど変わっていても,「時」は水平的に過ぎ去っていませんでした。今も中見は彼らには青春です。
 
(1)  みんなで被災地に仕える
 a. 協力
 10人乗りハイエースは食材が満杯です。今回,北海道訪問に備えて,事務局の智也君は独りでバッテリー新調とノーマルタイヤからスタッドレスタイヤに履き替えさせてくれていました。おかげで,私たちは安心して神戸から北陸道,東北指導者道,八戸,フェリーで苫小牧西港にまで向かうことができました。  村上裕隆代表も運転,よくがんばりました。  事務局の土手ゆき子姉の手弁当も格別おいしかったです。  本田寿久事務局長も積み込みに協力してくださり,みなさんの応援があって,北海道に足を伸ばすことができました。機構の「ボランティア道」は独りでも,被災地に即座に立ち向かう精神があります。現実には,多くの仲間の協力があればこそ突撃できるのです。本番より,備えが70~80パーセントです。最後に次回への反省材料を記録に残します。手仕舞いも「ボランティア道」には重要な要素です。次なる震災発生と即座に対応しなければなりません。「ボランティア道」は「備え」が重要だからです。大鍋,プロパン,食材などをすぐに積み込むのは現地ではありません。本部に戻ってからの相応の準備をしておきます。村上裕隆代表は,被災地へ何度も赴き,「準備不足」で機動力を損なう経験から修得してきました。今や,リーダーとして全身,注意力を含む資質が培われています。「蛇のように賢く,鳩のように素直になりなさい」(マタイ 10:16)の「賢く」というのは,学校の成績がよいとか,高学歴,学位とは関係がありません。ヘブライ語アルームは英訳聖書では 「鋭敏で,慎重な」に相当するastuteが用いられます。つまり「感性が鋭い」ことを意味します。活動を終えてから,次に備えての準備を貫徹してこそ,指導者として面目躍如です。 1) 拙稿「「蛇のように賢くありなさい」(2018年10月20日 垂水朝祷会。ヘブライ語アルームは英訳聖書では astute(Jubilee Bible 2000) shrewd(NET Bible)shrewd, sensible, prudent(鋭敏で,賢明で,慎重な)(Jubilee Bible 2000) shrewd(NET Bible)と訳出します。(創世記 3:1)。つまり,「感性の鋭さ」「思慮深さ」a shrewd,sensible,prudent manが伴うのです。(箴言 12:23)。縄文人=アイヌ人,サムライの精神に通じます。
 
 b. 現地の協力
  神戸から北陸道,東北自動車道,八戸に高速料金,燃費,フェリー代は常にボランティア自己負担です。阪神・淡路大震災の恩返しをしたくても,お上からは割引すら出ません。ボランティア不足のひとつの原因と言えます。 9月9日に現地入りした直後,札幌,釧路,地元のキリスト教諸教会,牧師会,キリスト者たちが協力を申し出てくださいました。神戸から,北海道に出向くだけで,交通費30万円要します。現地の献身的なみなさまが継続していただけるなら,後方援護射撃のように毎回訪問しなくてすみます。とりわけ鴇田三郎兄ご夫妻のように厚真町に重荷を持ってすぐにかけつけてくださった方たちの協力がかけがえがないものになっています。
 11月4日に神戸から,通い慣れた東北自動車道を北上するのは,村上裕隆代表にとり,はじめての経験です。○○,田平夢宇夜(たびら むうや 第23次 2013年3月)君も岩手県大船渡訪問の際は,岩手県一関まで足を伸ばしています。車窓からの光景は,秋の三色の彩りで見事です。「寂しい秋であっても,山の赤,黄色,オレンジなどの落葉樹のシンフォニーが慰められるわ」,と妻はよく語っていました。 道中,運転は交替しました。八戸のフェリー発着乗り場の受付は洗練された女性が,長旅をなごませてくれる親切な対応でした。フェリーの中は豪華客船と思わせるかのように,清潔,モダン,エレベーター付きです。2等席で一室10人用を二人で借り切りです。ぜいたくな割り当てです。身体を横にして,休めるのは感謝でした。約7時間半,
 
 c. 縁でつながった人々 第1次に,厚真町で
 
(3) 日本の先住民アイヌの兄弟姉妹 a.
 
 
 
 9月7日の朝,厚真町の地すべりがあった滑り面~堆積域には四層が見られました。厚真川地区[厚真町・安平町(あびらちょう)・むかわ町]の広い範囲で土砂崩れがありました。
 鬼怒川水害[2015年9月9日-11日]の上流ダム,福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)の治水ダムの決壊[2017年7月6日],岡山県倉敷市真備(まび)町の成羽川ダム下流の高梁川流域被害[2019年7月7日]などを被災住民から傾聴ボランティアで聞いてきました。ですから,北海道地震による土石流(1965[昭和40]年代頃までは,山津波と称していた)も砂防ダム,治水ダム,土砂ダムとの関係について関心がありました。あいにく,9月10日,厚真ダムへ行くことが富里付近で通行止めのため,行くことができませんでした。
 11月5日,有限会社健興の今多俊和会長(83歳)が厚真ダムを見てみたい筆者の願いをかなえようと近くまで連れて行ってくださいました。道中,厚真町の吉野地区,桜丘地区,ルーラルビレッジなど以上に山の斜面が崩れて土肌がむき出しになっています。家,道路,田んぼが大量の土砂に埋もれています。
 
 早来町で土木に従事する方は,「あんな大きいダム,それも二つも造るなんて……。大きな工事だから。地中深くまで影響ないわけないが,仕事上,そんなこと口にできないさ」,とおっしゃていました。
 流木による決壊を恐れての大量放流,水量調節の失敗,増水など推量していましたけれど,ダム建設自体が自然を損なっていると示唆されました。
 北海道で震度7を観測したのは史上初めてです。地震震度は計測する計器は最大7までしかありませんでした。針を振り切ったので,正確にはマグニチュード7とは言い切れません。
 被害16カ所のうち11カ所は厚真川流域です。
 宮坂尚市朗厚真町長は「雨の被害の延長に土砂災害があると思っていた」と説明されています。『時事通信』(2018年9月16日)。
 斜面崩壊が集中する範囲は,厚真町市街地の北東,すなわち厚幌(あっぽろ)ダムから約20kmの範囲の丘陵に発生しています。とりわけ直後,陸の孤島になった160戸の幌内地区の800メートルに及んで灰色の地層(軽舞層)が露出しています。稜線部をのぞき全面的に土層崩壊(表層崩壊)が発生するのは豪雨との関係性はあてはまりません。「厚真町における斜面崩壊の概要」(石丸研究主幹 北海道胆振東部地震 地質研究所 2018年)。
 
 https://youtu.be/CXWTXuJTOQw 地震の原因
 
 大規模な土砂崩れが相次いだ道道235号線沿いでは、山肌がむき出しになっています。なぎ倒された草木や土砂がふもとの住宅をのみ込んだ広範囲に及んでいます。
① 表土
② 白~灰白色の降下軽石層 樽前火山噴火[たるまえざん 1667,1779年 アイヌ語「タオロマイ taor-oma-i」≪川岸の高いところ・(そこに)ある・もの≫]。
③ 黄白色の降下火山灰層 恵庭岳[えにわだけ アイヌ語 e-en-iwa≪頭が・尖っている・山の意≫]の2万年前の噴火。
④ 4万年前の恵庭岳噴火による赤褐色,黒色土堆積層。支笏カルデ層に相当します。
 
https://youtu.be/mX3OOTVbrOA 断面図

 

 厚真町の長さ1キロ×500メートルの深層崩壊は吉野地区,桜丘地区だけではありません。  県道235号線は厚真川沿いにあり,遡ると厚真ダムがあります。そこは現在厳重な立ち入り禁止です。2011年の3.11直後の女川原発の敷地内に入るのに厳重なガードがあったように,一般住民は一切侵入が禁じられています。したがって,9月6日にダムの放流,決壊の有無,増水について確認しようがありません。手前に厚幌(あっぽろ)ダムが建設中です。治水ダムの目的は日本最大の工業地帯苫小牧東地区への工業用水供給が最大の理由です。  9月9日~14日には,160戸の内,4人が亡くなった幌内地区で,地震まで豆腐屋を営んでいた立浪年子さん(80歳)が地震の恐怖を語ってくださいました。前回,厚真ダムへは幌内の約2キロ手前の富里地区で道がなくなっていました。厚真町には5つのダムがあります。町ではなく,国交省の管理下です。福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)と同じです。厚真側流域の何カ所にも及ぶ巨大な地すべり性崩壊は何が原因かいまだに研究者も分析できていません。ダム建設に伴う大規模工事が地下30キロの震源地を誘発したことを否定する学者の安全神話を聞きたいものです。幌内地区は吉野地区に次ぐ被災の激しい場所でした。陸の孤島となっていました。  国交省はダム建設より,復興予算を被災した厚真町住民のため,即刻,供与すべきです。

 

 

厚真町富里地区 2018年11月6日撮影

 

 

 

第1次北海道地震・ボランティア報告  2018年9月9日~12日

 

『キリスト新聞』(2018年10月1日付)

『キリスト新聞』(2018年10月1日付) 第2面

第1次北海道地震ボランティア               2018年9月9日~12日 一般社団法人 神戸国際支縁機構 理事長 岩村義雄

完全原稿 ⇒ 第1次北海道地震ボランティア報告a

<序> 北海道は自然が豊かで,若い頃から風景,牧場,温泉などに魅了されできました。夫婦で1992年に訪問した懐かしい地でもあります。 北海道の馬の生きた証しがあります1)。 開拓の唯一の力として人間と共に生きてきた馬は農業の機械化に伴い,段々消えていきます。馬に代わってトラクターなどが用いられてきたからです。ある農家で何年も使っていた馬,もう年老いて役に立たず飼い主の温情によりただ飼われているだけの毎日です。しかし,寿命が来て,その馬の死を見るに耐えないという家族の温情で売り渡されることになりました。 その前の日,ご馳走をいただいた馬は何もいわずに悟ったらしく,迎えに来たトラックの前へ引き出された時,主人の肩にほほをすり寄せたそうです。家族がハットして見ているとその馬の目に涙が浮かんでいました。 その涙がぼろぼろ流れ落ちるのを,家族は化石になったように見守っていました。 やがで馬は自分で歩き出し,踏み板を渡ってトラックに乗りました。もう後ろを振り返ることもありませんでした。 なんという悲しいけれど美しい光景でしょうか。 終わりを全うするというのは,人にとってこれまた大切なことです。それにはどうするかです。 一つには自分の使命を知ることです。そしてその使命を果たし終えたことに対する感謝の心を持つことです。 二つには,自分自身を委ねることです。いたずらに長生きを求めるのでなく,自分の生も死もふくめて,すべてを委ねるとき,平安のうちに最後を迎えることができます。あまりにも生きることに執着しずぎて,死をきれいに乗り越えられないことのようにと,自然の中に生きている動物もまた私たちに教えてくれているようです。 三つには,「山のカムイ,水のカムイ,人間は自然のカムイとともに生きているんだ。大切にしないとな」,と自然をたいせつにすることです。アイヌの著名なエカシ(長老)浦川治造[はるぞう 1938-]は言っています2)。 北海道のサイロ,牧場,馬の放牧の光景は胸に刻まれています。 自然をたいせつにしてきたアイヌモシリ[人間の静かなる大地]が地震によって損なわれることは想像できないことでした。中東にいる時に,知ったニュースは,「これで日本もおしまいか」,と悲壮な思いに襲われました。ベイルートから帰国後,時間をおかずに,アイヌの人々の集落の被害が気になり,9月9日(日)に伊丹空港から新千歳空港に向かいました。

(1) 千歳空港は自衛隊第7師団の基地に  a. 新千歳空港  ベイルートで耳にした日本の報道記事は次のようなものでした。 「北海道は2016年の農業産出額(9兆2千億円)のうち1兆2千億円と13%を占め国内首位にある。牛乳やバターの原料である生乳は北海道の産出額が全国の49%を占める」『日本経済新聞』(2018年9月7日付)。「北海道での大停電が,暖房などで電力がより必要な冬に起きていたら,被害はさらに大きくなった可能性がある」『朝日新聞』(同日付)。 北海道庁のまとめによりますと,9月7日11時現在で,北海道内の113市町村で合わせて768か所の避難所に7339人が避難されているということでした。土砂崩れや液状化現象,北海道全土に及ぶ停電は深刻な被害をもたらしていました。 降り立った新千歳空港はかつて家内と北海道旅行の皮切りであった千歳空港の面影はなく,飛行機内に忘れ物をして取りに戻ったりした時,妻を待たせた場所などは見当たりませんでした。なぜなら新たな場所に空港は移転していたからです。近代的になった空港は,無機質でした。思い出を消し去られてしまっているのは残念でした。母の胎内にあるぬくもりがなくなり,機械化された便利さだけが待ち受けていました。あのタラップをおり,空港に通じた通路ももはや立ち入り禁止の自衛隊第7師団の軍事基地の中です。だれひとり旅行者は近寄ることができない厳重な警備です。「和則共利 戦則倶傷」平和であれば利益があるが,戦えば傷がつくという脅威の刃が突きつけられたようでした。

 b. 停電 ブラックアウト 余震の恐怖に今も住民は不安げに語られます。千歳付近でさえ,9日夜,コンビニの食料の棚はどこも空っぽでした。 札幌でも信号がない状態は,逆走があったり,それぞれの運転手の意志が交通ルールとなっているのですから,無法地帯と化しました。 停電は解消されても,40時間近く電気が使えなかったことは,酪農にとって致命的でした。乳牛のお乳を絞る機械が使えないため,お乳を出せなかった乳牛は発病したりしています。乳製品が滞在中に購入できなくなりました。大問題です。 北海道だけでなく,同時に台風21号の影響で阪神間も停電の打撃を受けました。調理,風呂,トイレも使用できなくなったり,冷蔵庫の食料が腐敗してしまったのです。スマホの充電もできませんから安否の確認のツールが役に立たなくなりました。自らの安全のため救援依頼さえできず,無人島で生活する不便さを突如として味わうことになります。防災用具も役立ちません。激しく窓にたたきつける暴風雨の圧力は,割れそうになった窓を支えようとしたら,背筋が冷たくなるほどの脅威を感じました。 工場地帯への供給を目的としたダムには,水力発電,送電線,市街地の電柱という構造を産み出してきました。ブラックアウトの最短距離は技術的には無電柱化が叫ばれています。 風力発電にしても,電線は天空を舞う鳥,樹木の枝,景観を損なっています。パリ,ロンドン,台北などは無電柱化は100パーセントです。電線の地中化,直接埋設という技術にしても,路面に変圧器が必要ですし,浸水リスクに対しては,工事には緊急に対応できません。したがって,見せかけだけの電力供給の技術を向上させるため電柱と電線のない空を目指すことより,電力に依存しないコミュニティづくりへの骨太の転換が求められます。 人間が地球を世話する,つまり欠陥,損傷,苦痛がないように技術を用いたいものです。しかし,技術そのものが生存を脅かしたり,安寧が危険にさらされるとか,築き上げてきたすべての暮らしが台無しになってしまいました。技術は確かに苦役,肉体労働,単調な繰りかえしから解放の旗手として寄与してきたことでしょう。過去の苦悩が解消したと人間はマネーゲーム,投資,利殖などによって,忍従することなく快適さを獲得しました。しかし,災害によって歯車が一旦,狂うと,生活が根底から崩壊してしまいます。憂き目にあってはじめて享受してきた利便性,快適性,サービスが蜃気楼のようなもろいことに目覚めます。家の建て直し,治療,二重ローンにより,生きる希望さえ見いだせなくなります。「世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント 7:10)。

 c. 厚真町(あつまちょう)  9月9日の夜,新千歳空港に降り立ちました。気温は本州と異なり,冷気が差し込みます。海外などどこの被災地も同じ服装ですが,一日前,正確には二日前の中東では気温が高く,すぐに汗がにじみ出ました。北国に来た実感がしました。レンタカーを運転して,最大の犠牲者を出した厚真町に向かいます。高速道路「道央自動車道」で約43キロの距離を平素時速100キロ出すことは北海道では一般的です。しかし,地震の影響で50キロ制限の表示があったりします。札幌(さっぽろ サッポロベ≪乾いた大きな川≫)とは逆方向の苫小牧(とまこまい トーマコマイ≪ 沼のある川≫)方面へ走ります。真っ暗闇です。行き交う車はほとんどありません。不気味です。このまま「あの世」の地獄に通じているかのような恐怖感が襲います。アイヌ語の「アツマト」の当て字である厚真町(あつまちょう)を目指します。アツマトは,湿原にアシの茂る場所を意味します。普通なら40分もすれば目的地へ着く距離にもかかわらず,何時間も運転しているかのようです。ハイウェイの左右の街並みも電気が消えています。災害現場へ急行する時は同様の経験をしてきました。「厚真町はまだか」,と自問しながらハンドルを握る圧力が増し加わります。胆振(いぶり)地方中東部を震源とした区域で今も捜索が続いているのだから,目をこらして人気を見いだそうとしますが,ありません。 9日夜11時半頃,厚真町の役場には,不眠不休で取り組んでいる役場の人たちおられました。炊き出しのことを申し上げると,中に案内されました。社会福祉協議会,ボランティアセンターと別に救援センターがあります。そこが600名近くの避難者を把握しておられました。食材の必要数を確認しました。多いところで200名,一般に100名単位の避難所の6か所をどのように網羅すべきかはじめての経験でとまどっておられました。私たちはマンパワー,食材を投入することになります。

(2) アイヌの聖地訪問  a.  二風谷(にぶたに)アイヌ資料館訪問 「二風谷アイヌ資料館」もショーケースはこわれ,資料館の一階は片付けたガラス片で床いっぱいになりました。 厚真町から日高道を経て約45分車で走りますと,平取町(びらとりちょう)に二風谷があります。アイヌ語「ニプタイ」の“木の生い茂るところ”が由来。東北以北には,アイヌ語からとられた地名が多いです。とりわけ,北海道庁のアイヌ政策推進局アイヌ政策課によりますと,北海道の市町村名のうち,約8割がアイヌ語に由来しています3)。 北海道の漢字が難しい理由を調べてみると,もともと先住民であるアイヌの人が付けた地名が存在し,そのアイヌの言葉に合うように漢字を当てたようです。 萱野志朗さんのお父様である茂[1926-2006]さんは1950年代から約50年にわたってアイヌ民具を集め,アイヌ語の記録にも積極的に取り組まれました。息子である志朗さんは「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の館長,学芸員です。知子夫人が撮影してくださいました。 ショーケースの外側面は縦揺れで割れてしまいました。志朗さんはアイヌ語を現在も教えておられます。 9月13日から資料館の1階は再開されます。アイヌの息づかいに接するには最適な場所です。 二風谷についてアイヌの聖地と呼ぶ人もいます。 1965年資料には平取町に466世帯,2313人のアイヌの方々が住まわれていたと記されています。現在,おそらく北海道の中で最もアイヌが多い地域と言えるでしょう。 現在の館長は萱野茂氏の次男です。ユーカラ(ユカラ/叙事詩)やウエペケレ(散文の昔話)を語り伝えています。 「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味します。アイヌの社会では,「アイヌ」という言葉は本当に行いの良い人にだけに用います。したがって,私たち「和人」(シャモ,日本人)は遺伝子DNAを受け継いでいても,「アイヌ人」と言えないかもしれません。

b. 土人として差別されてきたアイヌ 北海道地震ボランティアに向かって,気づかされたことがあります。アイヌについて何も知らずして,被災者に寄り添うことはできません。被災者の痛み,苦しみ,怒り,くやしさを傾聴することが基本だからです。 「北海道」は明治以降,日本人が勝手に名付けた土地です。元々,持ち主は「アイヌ人」です。萱野茂さんは言い放たれました。「アイヌはアイヌモシリ,すなわち日本人が勝手に名づけた北海道を,日本国へ売ったおぼえも,貸したおぼえもございません」,と4)。 明治新政府は,アイヌを「旧土人」と法律化して土地を奪いました。サハリン,クリル諸島のアイヌ民族を「土人」として蔑みました。国籍,戸籍はもとより,一切の権利を認めませんでした。戦争の時だけ,政府のご都合主義によって,1932年勅令373号により,戦場に送り込まれました。しかし,身分は「土人」のままでした。明治新政府は吉田松陰[1830-1859]の理念に基づき「大日本帝国」のパラダイムを具現化していきます。王政復古の「大日本帝国」は封建的身分制度を再編して,天皇・皇族・華族・平民の身分差別を士農工商からシフトさせました。さらにその下に,「新平民」(被差別部落民),「旧土人」「土人」の階級序列を敷きました5)。 最近,教科書は事実をわい曲しています。学校で用いる歴史教科書の中には偏向している出版社もあります。たとえば,日本文教出版の歴史教科書は,1899[明治32]年施行の旧土人保護法について,曲解しています。「狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて,農業中心の生活に変えようとしました」,と。実際は,「土地を与えて」ではなく,「土地を取り上げて」「土地を奪って」が歴史的な真実です。2015年,文科省は歴史をわい曲した内容について合格のお墨付きを与えました6)  生活の場であった森や川での狩猟民族としての生活の道を閉ざし,「農耕をせよ」と無理強いしました。差別されてきたアイヌモシリ[人間の静かなる大地]にとり地震はどうだったのでしょうか。

c. アイヌ人差別 アイヌの女性は結婚後,口に入れ墨,夫の‘ひげ’の形をしていました。入れ墨を明治政府は1872[明治5]年3月29日,禁止令を発布。入れ墨の習慣のあるアイヌや琉球民族を「土人」として差別した有司専制の目玉政策のひとつであったのではないかと筆者は考えます。 絵葉書の一番下には“北海道「土人」風俗”として当時,現郵政省などを統括する逓信省(ていしんしょう 明治4年)が是認していました。 9月9日まで中東にいましたが,政・官・財・学の指導者でも入れ墨(タトゥー)は珍しくありませんでした。 技術至上主義がだめなら,観光での海外から旅行者を迎える視点がたいせつです。現状では,海外有名サッカーやスポーツ競技選手も日本の温泉に入りたくても入れません。 人を差別する悪法「公衆浴場法の4条と5条」をやめるべきでしょう。 多くの日本人は 刺青(しせい)と入れ墨を銭湯などで見かけるとこわいと思うかもしれません。 しかし,よく考えてみたいと思います。私たちであっても,ちょっとしたきっかけで極道になっていたかもしれません。しかし,中には,極道になって後悔している方や,組織から離れた人たちで,立派に生きている人たちを外見で「同一視」して差別するのは問題です。 たとえ入れ墨をなさっておられても,立派な方は砂の数ほどおられます。また前科があっても,本人が悔い改めているならば,「一秒前は過去です」。 いつまでも過去の失敗,過ち,若気の至りをぶり返して,「同調圧力」をかける悪い性向を社会は悔い改めなければなりません。第4次バヌアツボランティア報告を参照なさってください7)。 失敗しても,温かく迎え入れるコミュニティ造りが,「田・山・湾の復活」の土台です。

(3) 価値観の転換が求められる  a.日本最大の産業地域「苫東」(Tomato) 地震の被害の大きかった場所は経済大国の日本最大の拠点でした。「苫東」は北海道苫小牧東部に位置する日本最大の工業基地です。日本経済を背負う一流企業の工場が集中している地が揺れたのです。苫小牧市には,日本で最も広い工業開発面積1万2,650ヘクタールの「苫小牧東部」TOMATOがあります。紙,パルプ工業も突出しています。王子製紙の苫小牧工場は,全国の新聞の紙の約 3 割を生産しています。石油精製,化学,自動車など,多種多様な企業が林立する港湾産業都市です。流通面でも,国際拠点港湾である苫小牧港と,新千歳空港を有しています。 海外にいますと,日本の工業力は一目も二目をおかれています。しかし,ここ数年は東南アジア,中東などで,目にする新聞,雑誌,報道記事には,JAPANが扱われる回数は減少しています。一方,CHINA, KOREA,INDIAの企業,インフラ輸出,プロジェクトの記事が目立つようになっています。栄枯盛衰なのか,日本円の価値も威力がなくなってきたことは海外旅行者にとって肌身にしみてきています。 日本の政権はかつての栄光が忘れがたく,今でも右肩上がりの経済成長へと夢を追い続ける姿が痛々しく映ります。本当の豊かさは何なのか,自問するのは筆者だけではありません。 今回,日本の経済至上主義の息の根を止める惨事が「苫東」を揺り動かしました。もう成長路線を追い求めることより,ちょっと立ち止まって,民のしあわせ,暮らし,人権を考えましょう,と気づかせるシグナルであったのではないかと気づかせられます。

b. アイヌの世界観 1997年10月,この聖地にダムができたことです。このダムによって,毎年8月20日に行われていた新造舟の進水儀式(チプサンケ)の場所が,水没してしまったんですね。 この舟というのは樹齢数百年のバッコヤナギで造られる丸木舟のことで,幅1m,長さは10m近くにもなります。チプサンケはアイヌにとって非常に重要な儀式なので,その場所が水没するのはまずい……ということで,ダム建設に対して,元参議院議員の故萱野茂氏らが土地収用を取り消すよう裁判を起こしました。「私はこのダムが出来れば,沙流川(さるがわ)[アイヌ語サラ≪葭(よし)原≫に由来]にサケをよみがえらせたいとの永遠の夢,永遠の願い完全に閉ざされると思っています。二風谷にはサケは一匹も上がってこなくなるでしょう。……日本の政府は,なんべんアイヌから土地を取り上げればよいのかと」8)。 そもそも二風谷ダムの建設調査が始まったのは1970年代。沈滞していた北海道経済の浮揚策として,苫小牧東部に建設する工業地帯への用水確保が目的でした。ところが工業地帯への進出企業が少なく,分譲予定地の7割が手付かず状態。結局,ダムの目的は発電や洪水対策に変わってしまいました。それだったらダムは不要だろう,ということです。 1997年3月,札幌地裁が工事の土地収用を違法と判決したものの,ダムの取り壊しまでは求めずじまいでした。 「わたしはまた,新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き,もはや海もなくなった」(黙示録 21:1)には,自然と人間が共生する光景が描写されています。しかし,厚真町吉野地区の山は地震により,「流体化」して36人を窒息死させました。土砂がカラマツをなぎ倒して「流体化」,苫東厚真火力発電所の液体化「」,「ダムが原因」による土石流の爪痕は札幌市から苫小牧市まで広域に及んでいます。ダムには砂防ダム,治水ダム,土砂ダムがあります。被造物がすべて今日まで,共にうめき,共に産みの苦しみを味わっていることを,わたしたちは知っています」(ローマ 8:191)。 パウル・ティリッヒ[1886-1965]は,「自然は人間の意志と恣意に完全に服従させられてはいないか。この技術文明,人類の高慢が,元の自然,大地,動物,植物の甚大な荒廃をもたらせてきた。それは純粋な自然を小規模に制限してきたのであり,あらゆるものを支配と無情な開発で占拠してきたのである。さらに悪いことに,我々の多くが自然と共生する能力を失ってしまった」と警鐘を発していました9)。 「和解」は紛争している国々,いがみあっている当事者たち,国籍,宗教,膚の色の違いにより修復しがたい対立を解決する時に用いられます。しかし,「和解」は「人間」と「自然」の断絶にも用いられるべきです。したがって,環境の汚染,放射能,異常気象に人間は責任があります。

c. みんなで助け合う血の通ったコミュニティ 厚真町役場で近藤泰行副町長と面談の後,激甚地の桜丘,吉野を訪問。厚真ダムも道路が寸断のため通行禁止です。桜丘の家,車,納屋などは土砂に埋没しています。吉野町の山の反対斜面の所有者今多俊和さん(83歳)は現在,農地で野菜を栽培しておられますが,生まれ育った地域の損壊に心を痛めておられます。ちょうど高橋はるみ北海道知事と安倍晋三首相らがバスで9月9日(日)に厚真町を訪問。岡山県倉敷市立第二福田小学校訪問は私たちの方が早かったのです。今回は半日先を越されました。訪問の目的,活動,被災者との「縁」はまったく異なります。 厚真町吉野地区で,道内の犠牲者41名の内大半が土砂の下敷きになられました。おそらく本人たちは気づかれたときは天国だったことでしょう。 報道関係者は役場で情報をとると,一斉に吉野地区に集結し,画像をとることに専念しました。ですから,吉野地区の裏側の「桜丘地区」の手つかずの悲惨な家屋には見向きもしていません。 したがって,茶の間で,紙面を通して,金太郎飴のような内容ばかりしか,市民には知らされていません。 行政が把握していない吉野地区以外に悲劇はたくさんあるのです。熊本・大分地震の時も「益城町」ばかり報道されて,「惣領」については記者たちはほとんど足を運んでいなかったのではありませんか。 吉野地区ばかりが報道されている一方,桜丘地区の全壊の様子は無関心です。桜丘地区でも中田一生さん(76歳)が亡くなられました。 激甚地ということで,岡山県倉敷市真備(まび)町と同じように,災害救援法によって満額300万円がもらえるかどうかはだれもわかりません。しかし,300万円で家屋の解体費用,車輌,再建せよ,あとは自己責任ではあまりにも無慈悲な仕打ちではありませんか。 国が被災者の苦痛を「共感」せず,オリンピック,リニア,大阪万博などぜいたくを追求する時ではありません。 キリスト者がもつ福音とは,被災し,財産,家屋,所有物を失った貧しい人々が対象です。「目の見えない人は見え,足の不自由な人は歩き,重い皮膚病を患っている人は清くなり,耳の聞こえない人は聞こえ,死者は生き返り,貧しい人は福音を告げ知らされている」(マタイ 11:5)。「貧しい人は福音を告げ知らされている」を『日本正教会訳』は「貧者は福音す」を訳出しています。 被災者,つまり貧しい人の中でこそ,「福音」が生きています。「見失った銀貨」,「一匹の子羊」を大切にする神の恩寵を分かち合う日本に脱皮することを願います10)

<結論> 今年2018年は自然災害の多い年です。6月の大阪北部地震,7月の神戸における集中豪雨,7月7日の西日本豪雨(2017年の福岡県朝倉市杷木[はき]松末[ますえ]は集中豪雨により22人/42人内),翌年の岡山県倉敷市真備(まび)町だけで51人/227人内死亡,8月の猛暑に続き,9月に入り,台風21号襲来,続いて北海道大地震により厚真町だけで36人/41人内です。 日本が生き残るためには,骨太の価値観の変更が求められています。技術,経済,軍需至上主義ではなく,「田・山・湾の復活」です。里山・田園・里海を見直すべきではないでしょうか。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ,心を新たにして自分を変えていただき,何が神の御心であるか,何が善いことで,神に喜ばれ,また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ 12:2)の「変え」る,つまり変革する時に目覚めなければなりません。「変える」(ギリシア語メタモルフォー[語源 メタ≪変化≫+モルフォー≪形作る≫])は外観だけでなく,目に見えない土壌,大気,地下水などの水脈を根本的に変革しなければなりません。つまり,蝶の幼虫がさなぎ,蝶へと完全に変わるように日本列島の自然を復活させるべきです。 災害救助は自衛隊,社会福祉協議会,ボラセンに委ねるのではなく,無償,自主,対話性を中心とするボランティア道も開かれる転換点です。2300億円もイージスアショアのための予算を組むより,民のいのち,暮らし,人権を守る国になりますように。

出典  第1次北海道地震ボランティア報告 1) 『アイヌ式エコロジー生活』(さとうち藍 小学館 2008年 本の帯)。 2) 『生きる楽しみ』(藤林邦夫 京都福音教会 1991年 98頁)。 3) アイヌの人たちの多くが川筋に住んで,生活に必要な資材を求めていました。また,狩猟や交易のための交通路としても,川は重要な存在でした。ですから,川(ペッ pet)や沢(ナイ nay)を意味する地名がとても多くあります。 4) 『国会でチャランケ』(萱野茂 社会新報ブックレット 1994年 42頁)。 5) 『アイヌ民族の遺骨は告発する』(4大学合同全国集会実行委員会 2017年 90頁)。 6) 『私と憲法』168号俵 義文 許すな! 憲法改悪・市民連絡会 (2015年4月25日号)。 東京新聞は「極めておかしな記述だ。アイヌには狩猟・採集で『イオル』(猟場)を中心とする伝統的な土地の利用方法があった。政府はそれを無視して土地を取り上げ,まずは和人に分配して,残った農耕に不適な土地をアイヌに分配した。これまで研究されてきた旧土人保護法の評価を間違えている」という北海道大アイヌ・先住民研究センターの丹菊逸治准教授のコメント。『東京新聞』(2015年4月16日付)。 7) 第4次バヌアツ・ボランティア報告                2018年4月7日 2011年,神戸市須磨海岸でイレズミをTシャツやタオルなどで隠すことをもとめる「須磨海岸を守り育てる条例」の規制となりました。神戸市民である筆者は今回のバヌアツ訪問を通じて,自分の内側で,あいまいにしてきた問題があることが浮き彫りにされました。ケアンズ,ブリスベーン,ポートビラで海外の若者の男女の多くに入れ墨を見ました。ファッションとして装飾しているのだろうか,それとも先住民族マオリ族などに対するシンパシー sympathy [「同情」,「共感」,「共鳴」,「悔やみ」の意]が動機ではないだろうか,と想起したりしました。 マオリ語女性講師エラナ・ブレワートンさん(当時60歳)は唇とあごに入れ墨を入れています。2013年9月8日,北海道恵庭市の温泉施設で入れ墨を理由に入浴を拒否されました。ブレワートンさんは入れ墨が「母親や先祖を表す家紋のようなもの」と説明しましたけれど,受け入れられませんでした。アイヌの女性達も入れ墨があります。しかし,明治政府による1871年の一方的な風習禁止が差別感を生み,アイヌたちを苦しめてきました。(『週刊金曜日』平田剛士 2013年10月11日号)。 8) 『国会でチャランケ』(同 50頁)。 9) “Nature, also, Mourns for a Lost Good” Tillich The Shaking of the Foundations, Charles, Scribner’s Sons 1948 p.79 10) 『キリスト教と社会学の間』(村田充八 晃洋書房 2017年 16頁)。

 村田充八教授には,ご著書の玉校を引照させていただくばかりか,誤字脱字を校正していただきました恩寵について感謝しています。 釧路の山形浩之牧師は厚真町から遠く離れているにもかかわらず,北海道に入るやいなや,電話で励ましてくださいました。

北海道地震ボランティア・救援金募集

2018年9月9日(日)~12日(水) 目的地 北海道厚真町(あつまちょう) 問い合わせ先:神戸国際支縁機構 携帯 070-5045-7127 岩村義雄 E-mail : kiso@mbe.nifty.com 所持品: 長靴,タオル,帽子,飲料水,携帯用充電ケーブル,食費,寝袋,交通費は寄附など。 ※ 機構のボランティア予定は「スケジュール」をご覧ください。

北海道地震ボランティア

 2018年9月6日午前3時8分ごろ,北海道胆振地方中東部を震源とする北海道地震。
 今回の地震でお亡くなりになられた40人以上の方々について謹んで哀悼の意を表します。
 「北海道は2016年の農業産出額(9兆2千億円)のうち1兆2千億円と13%を占め国内首位にある。牛乳やバターの原料である生乳は北海道の産出額が全国の49%を占める」『日本経済新聞』(2018年9月7日付)。[北海道での大停電が,暖房などで電力がより必要な冬に起きていたら,被害はさらに大きくなった可能性がある」『朝日新聞』(同日付)。
 北海道庁のまとめによりますと,9月7日11時現在で,北海道内の113市町村で合わせて768か所の避難所に7339人が避難しているということです。
 土砂崩れや液状化現象,北海道全土に及ぶ停電は深刻な被害をもたらしています。
 
 今年は自然災害の多い年です。6月の大阪北部地震,7月の神戸における集中豪雨,7月7日の西日本豪雨,8月の猛暑に続き,9月に入り,台風21号襲来,続いて北海道大地震。
 日本が生き残るためには,骨太の価値観の変更が求められています。技術,経済,至上主義ではなく,「田・山・湾の復活」です。里山・田園・里海を見直すべきではないでしょうか。
 災害救助は自衛隊,社会福祉協議会,ボラセンに委ねるのではなく,無償,自主,対話性を中心とするボランティア道も開かれる転換点です。2300億円もイージスアショアのための予算を組むより,民のいのち,生活,人権を守る国に変えていきましょう。
 

『日本経済新聞』(2018年9月7日付)

ANNテレビ放映 2018年9月7日

液状化 2018年9月7日

 

北海道地震救援募金

郵便振替     口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構 もしくは 三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863  神戸国際支縁機構 岩村義雄

書き込める方は北海道と記してください。神戸国際支縁機構は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,高速料金,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,被災地へお届けします。

目標額 200万円

現在 774,600

岩村義雄,神戸国際キリスト教会,白瀬小一郎,本田すみ代, 神戸聖福教会,舟橋葉子,忠内 一由,忠内有紀,久留島 琴, 遠藤トシ江(宮城県石巻市),古川和子,古川直子,森田一生, 高橋一正, 「小さくされた人々のための福音」講座(3), オオハタヒロユキ(2),植地優子,久留島琴,白方誠彌, 日本基督教団芦屋三条教会,廣森勝久,阿部和夫(宮城県石巻市), オリーブの木キリスト教会,古川直子,村田充八, 釧路福音キリスト館,山形浩之,匿名

株式会社チュチュアンナ上田利昭社長から1000足の靴下を提供していただきました。 松本真祐兄からのテントも感謝です。泉

 

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