活動記録
2013年8月18日(日)~21日(水) 

参加者26名。15歳から66歳の年齢幅があるが,ほとんどが大学生である。今回の参加者の特徴は大学4回生が目立った。大阪大学,京都大学,大阪府立大学大学院,摂南大学などである。(申し込み順)。機構にとっても,震災以降,3回目の夏休みである。教員も4人参加した。JR朝霧駅で本田寿久事務局長のあいさつ,山本智也事務局員がレンタカーを栫和彦氏と共に手続きをして出発することになる。村上裕隆リーダーが伴美樹江さん(第22,23,25次)と共に交通費,ボランティア保険代を徴収する。おそらく日本で一番安い参加費でないだろうか。若者たちが企画,運営,実施する益は大きい。

渡波につくと,阿部捷一 石巻支所長が迎え入れてくださる。日差しの強い中,渡波三丁目の被災状況について語る言葉を聞き漏らさないように皆が真剣に耳を傾ける。佐藤金一郎ご夫妻が息子,娘が実家に戻って来たように温かくもてなす。手品は堂に入ったものである。ボランティアに来たことすら忘れてしまう名演技である。

参加者のひとり,大学の職員である江川丈晴氏は,自己紹介の際,単にボランティアをするだけでなく,「きれいさを残して」と強調した。皆も意識を共有する。そこで,宿舎の修空館でも,1時間半にわたって,掃除機,窓ふき,マット,トイレ掃除,玄関,館長の部屋など を徹底的に清掃した。小野寺脩館長も感激しておられた。

長崎国際大学のボランティアの方たちも寝具をきちんと整理する。後方に注目
写真を撮る時には,すでにボランティアに出かけていた宿舎でお会いした長崎国際大学の学生たちはさわやか,礼儀正しい人たちばかり なのも印象に残った

20日(火)午前6時,外は激しい雨であった。農の恩人阿部勝氏から連絡が入る。農班は種植えが中止になったため,沢田の沿道手入れに合流する。農林漁のいずれも天候に左右される。机の上で仕事をする企業人にはわからない。幾世紀もの間,木こり,漁師,農夫たちの仕事は自然と共生している。日照り,間伐,洪水があれば収穫をあきらめなければならない年もある。自然と闘い,畏敬の念を持っている人たちこそ「人間らしさ」がにじみ出ている。渡る世間は鬼ばかりの生目を抜く熾烈なビジネスの世界とは異なる。TVの「半沢直樹」の世界に描写される境遇に適した者や強い者が生き残って栄え,弱い者が滅びる競争社会ではない。素朴さ,のんびり,自然の豊かさがボランティア参加者の心を包む。女川の被災者たちの仮設住宅が並ぶ沿道の管理をなさっている木村褜治(えなじ)沢田区長が若者たちを毎月迎え入れてくださる。6月に植樹した花のじゅうたんと言われる芝桜などは見事である。初対面にもかかわらず,だれかれとなく仮設住宅の方たちが温かく,声をかけてくださる。代表をはじめだれも東北に縁がなかったにもかかわらず,東北人の人情に触れる時,再び,帰って来たくなる。

第一日目 田崎小百合さん(JICA[国際協力機構]でセネガルに2年ボランティア)

左手に1キロ以上続く,女川町の仮設住宅。右側が芝桜。

林業の班 は昨日に続き,釜谷西宮山近くの大川小学校に向かう。第一日目は木村貞一(75歳)さんが猛暑の中,激しい傾斜に育っている苗の世話について説明し,雑草を刈り取る技術を伝授した。第28次の高校生たちが取り組んだ続きである。プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの発足を記念し,豊かな森づくりを目指して地元が広葉樹を植える願いがきっかけだった。石巻地区森林組合が指導し,現在も管理している。

 植樹した児童生徒の名前が黄色のプラスチック製の標識に刻まれている

元気の湯の前で。左から高井里奈さん,田崎小百合さん,岩元彩絵さん。

ボランティアに参加して

梅津正和

僕が神戸国際支縁機構のボランティアに参加したのは2013年8月18日~21日でした。僕は15歳で高校一年生での参加で参加者の中では最年少でした。

新千刈 「田んぼアート」 前列左から三番目

コウノトリのデザイン 古代米   血を吸わないヒル(無農薬,有機だから)

まず,参加の動機から書きたいと思います。
高一ということもあってまだ大学受験まで時間があり,様々な経験をしたいと思いました。
そこで考えたのがボランティアでした。
震災から二年しか経っていないということもあり,やはり震災ボランティアだと思い福岡県から参加させて頂きました。

石巻という牡蠣,のりの養殖で有名な町
それがたった一回の地震と津波により破壊されてしまった・・・
それから二年経った石巻市に行きました。

僕が行った時でもまだまだ復興は進んでいませんでした。
町の商店街はシャッター通り,市役所でさえ仮の建物でやっている,震災前住宅街だったところに雑草が生えているだけの荒れ地になっている・・・

      そんな状況でした。

倒壊家屋

具体的には農,林業,漁業,傾聴ボランティア等に今回の参加者で分かれて行いました。

僕は漁業のボランティアで仮設住宅の草取りやのり養殖の手伝いをさせていただきました。つまり漁師の南部武彦さん(46歳)と一緒に行動したのですが,やはり漁師の方もおっしゃっておられましたが,とにかく東北に遠くから来てもらって震災のことを知ってもらえる,それが一番嬉しいそうでした。

僕が一番感じたことは現地で実際に何をしたかではなく,そこに注いだ情熱,気持ちの量だと思いました。
自分たちは漁業については素人で労働力としては大した量ではありません。

でも,なぜ行く意味があるのかというと震災のことを知り,日本中いや世界中に生きた記憶,このレポートなどの文字,映像の記憶ではないものを伝えていく,という意味があると思いました。

現地の人々の悲しみ,苦しみをケーキで言うと皆で食べる時のように切り分け,そして日本,世界の人で感じ,少しでも痛みを和らげられるように尽力する。
これをやらなければ意味がありません。

今ではもうTVでもあまり震災については取り上げられなくなり,福島については原発があるのでまだメディアで取り上げられますが,宮城,岩手等はほとんど取り上げられなくなりました。特に自分は九州に住んでいるので,東北の方には大変失礼ですが,正直他人事であって遠くで起こっているという認識程度です。

日本の人々は目を東日本大震災,津波から目をそむけようとしています。
しかし,まだ震災は終わってないのです。

だから,まだまだ支援が必要です。
経済的な支援ももちろんですが,PTSD等で苦しんでいる方,精神的に満たされない方,家族,仲間を失い心にぽっかり穴が空いてしまった方・・・

たくさんいらっしゃいます。

本当にボランティアが必要ですというか,義務的な感覚で捉え日本人として,もちろん海外の方でも,皆さんに行ってもらいたい。

そして被災者の方に耳を傾けて頂きたい,心の声を聞いて頂きたい。

皆の問題として考えたい。

もちろん経済的な支援等,国を挙げて取り組んで頂きたい。

まだまだ沢山の支援が必要です。
ボランティアなら誰でも出来るでしょう。

少しの暇とお金で行けます。
自分にも沢山感じることがあり,貴重な体験になります。

どうか東北に行かれてください。

15歳ながらかなり高慢に書いてしまったことをお詫び申しあげます。

そして神戸国際支縁機構でお世話になり,このレポートを書く機会をくださった代表に感謝申しあげます。

以 上

 

傾聴ボランティア 「ひまわり」

                           井上幸浩

なんにもなかった。
それが石巻の街を訪れた正直な感想だ。もちろん石巻の街の全ての感想ではない。だが,東北に来 てその日初めてバスを降りたその場所には何もなかった。一面が緑色の雑草である。夏に生える,あの名前も知らない雑草が生い茂っていた。ありえない光景だった。

今回のボランティアはあくまで人生を生きる上で良い経験になるからと決断した。動機は簡単だっ た。いや,つまり熱心な人から言わせてみれば不純かも知れない。それくらい軽い気持ちで来た。朝 霧でバスに乗った時も,これから始まる長いバスの旅を不安に思っていた。2年前起きたあの大震災 のイメージを持ってなかった。「ボランティアへ行く」というリアリティのない想像力に欠けるイメ ージしか持っていなかった。今思えばそれがこの上なく恥ずかしいし,情けない。

代表のはからいで傾聴ボランティアに出かけた。被災者の体験を聞かせてもらう。これは本当に貴 重なことだ。しかし自分には自信がなかった。あの日起きた大災害の恐ろしさは体験した人にしか分 からない。ましてや人生経験の少ない21歳の小僧が畏れ多くもあの日起きた出来事を詳しく聞き出 すのだ。初めて訪れる家のインターホンを聞くまでずっとどのような表情で話を聞けばいいか迷って いた。初めて傾聴ボランティアで話した人はとても内気そうだった。ぽつりぽつりと当時のことや今 の心境を話してくれた。口調はとても穏やかだが,話の中身は現実とは思えなかった。それを聞いて どんな表情をしていたかは覚えていない。目をそらさずに話を聞くのに必死だった。しかし,今思えば その姿勢こそが正しいのかもしれない。現実から目をそらしてはいけないのは十分学んでいる。
なんにもないその景色。その向こうにぽつんと廃屋がある。廃屋につながる道は1本もない。かつ ては道路が整備されていたのだろうか。家が立ち並んでいたのだろうか。そこに立っていれば,あの 日までは地元に住む人の笑い声が聞こえてきたのだろうか。それが今では雑草が生えている。全てを 覆ってしまうかのように。あの雑草は一体いつまで生えているのだろうか。

あの日起きた震災は未だ大きな爪跡を残している。石巻の街を,そこに生きる人の命をのみこんだ 津波は生き延びた人の心もえぐった。そしてその救いはまだまだ足りていない。自分が目の前にしているものだけが現実ではない。振り返れば,石巻という街を見つめれば誰にも知られていない叫び声 が多く聞こえる。そして多くの日本人がその叫びに気付いていないのも現実だ。

震災が起きて2年と半年になろうとしている。これをどう捉えるかで大きく変わってくる。おそら く震災を経験していない人は「早くも」という感覚だろう。そして被災地に生きる人は「まだ」という心境だろう。この差は本当に大きい。なぜなら復興という文字は見えても,その現場を見ていない人が大半であるからだ。多くの人々は本当の意味で復興を見つめていない。石巻に広がる緑色の雑草を知らない。その雑草が覆い隠してしまった被災地の真実は届かない。

代表にレポートを課せられて書いている。正直何を書こうか迷った。レポートだから被災者から聞 いた話を丁寧にまとめるべきだと思った。だが,それはやめた。自分が感じた感情を淡々と書くべき だと直感で思った。それがなぜかは分からない。もしかしたら間違っているかもしれない。そのとき はまた東北に行って話を聞きに行こうと思った。その気になれば何度でも足を運べる。運ぶべきだ。 それは確信している。

意外だったのは今回のボランティアで出会った人の中には私たちに明るく笑顔で気さくに接してく れた人もいたことだ。中には気丈に振る舞っていた人もいたのだろうか。それでもあの笑顔にこちら が励まされていたような気がしてしまった。ボランティアとして情けない。そしてそれは同時に石巻に生きる人々が震災を乗り越えて立ち上がろうとしていることである。もちろん人それぞれのペース がある。それでもまた頑張ろうとする人もいる。私たちはそれを応援しなければならない。そしてそれに負けないくらい私たちも生きなければならない。あの全てを覆い隠してしまうような雑草に彼らの笑顔が消されないよう,東北に生きる人々以上に我々は毎日を頑張って生きなければならない。なぜならそれは復興を願う私たちの義務だからである。

以 上

養殖班,農班について 未