2014年9月21~23日

20140926稲刈り

宮城県石巻市渡波における田んぼのヒトメボレの稲刈り

津田富士義さん宅へ津田富士義さん宅を訪問,くじらの歯などをもって即興演奏

稲刈り後

 

田村侑香さん報告         山口大学2回生

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 「第44次東北ボランティア」活動報告

奈良教育大学 教育学部 学校教育教員養成課程 理数・生活科学コース 数学教育専修 親木翔平

  2014年9月21日(日)~2014年9月24日(水)の期間,神戸国際支縁機構を通して,宮城県石巻市根岸地区にて農業ボランティアを行った。2日間の主な活動は,「被災地視察および語り部との交流」,「稲刈り」,「傾聴活動」である。そのうち私は傾聴活動以外の2つに取り組んだ。そして,一般参加者は自分を含めて6名であった。私自身が行った上記の2つの活動について報告する。

 まず,1つ目の視察および語り部の樋口伸生住職(無量寿庵)との交流である。視察は,門脇小学校近辺であった。実は私は1年半前に全く同じこの場所を訪れていた。その時は小学校周辺にまだ“がれき”が散乱している状態であった。しかし,今回訪れると,それらはほぼ全てなくなっていた。しかし,住宅が建てられているわけではなく,ただ一面道路と草原のみであった。「いったいいつになれば人が住むことができるようになるのか?」「そもそも人々は思っているのだろうか?」いろいろな疑問がわいてきた。以前はただ「“がれき”はいつ片付くのだろうか?」という疑問浮かばなかったが,今回は違った。このように,同じ場所に行っても,時期によって感じ方が全く異なる。その時々に感じたことをしっかりと記憶だけなく,記録にとどめておくことが必要だと思った。

 そして,寺の住職の方のお話では,自分が今までメディアを通して知っていた知識とは大きく異なる内容のものであった。例えば,海外で報道されていた「被災地では暴動や窃盗などが全く起こらなかった」というものに対して,「実際は,高級時計を扱う店や大型ストアが対象になっていた」と言っていた。
 また,避難所での人々の様子についても話してくださった。その中でも,秩序の話が印象に残っている。それは以下のようなものである。「寒く,電気も食料も電気もない,ひっ迫した状況では秩序が保たれていたが,電気が点きだし,余裕が生まれてくるとそれまでの秩序が一気に崩れた」という。
 私は被災したわけでもなければ,その現場にいたわけでもない。ただただ,頷くことしかできなかった。

 次に,稲刈りについてである。神戸国際支縁機構では,継続して石巻市へのボランティアをしており,今回の稲刈りも,今年4月からの種まきから継続して行ってきた稲の収穫であった。今でこそ,こういった農業を行うことができているが,活動今回作業をした地域の近くには,地震発生後3年間もの間農業ができなかった根岸地区があったり,農家の8割が廃業に追い込まれたところ渡波地区があったりしたと伺った。

 それを聞いて,“今まで通り”の農業ができるということがどれだけすごいことなのか考えさせられた活動であった。なお,今回収穫された稲は,今年10月に脱穀をした後,同年11月24日の収穫祭にて使用される。

稲束つくり親木&田中 右側親木翔平さん,左側田中幸輝さん(佐賀大学1回生)

 原口真紀 ひょうご青少年社会貢献活動認定制度メンバー 親和女子大学 福祉 2回生

 私が産まれる2ヶ月前に神戸を大きな地震が襲いました。その当時から今まで,私は約20年間を神戸の街で過ごし,両親や親戚,学校の先生から口伝えで震災の恐ろしさを教えていただきました。しかし,私はその話を踏まえながら,当時の写真と現在の神戸を見比べてその悲惨さを想像することしか出来ませんでした。私には神戸の大地震がフィクションのようで,実感が持てなかったのです。

 あの阪神淡路大震災から20年が経とうとしています。そんな神戸から,同じく大きな震災のあった東北へのボランティアバスが出ると知り,その光景を自分の目で見て神戸に住む同世代の方々にも伝えたいという思いから参加を決めました。

 最初に訪れたのは門脇小学校前でしたが,小学校へ向かう車中からは一面に広がる伸びきった雑草が茂っており,テレビで見た津波の直後の映像での恐ろしさとは違う,寂しさのようなものを感じさせられました。

 門脇小学校の前では無量寿庵(渡波2丁目で壊滅)の樋口伸生住職が当時の近辺の被災状況と,復興に向けての活動を写真とともにお話してくださいました。お話を聞かせていただいた中で,樋口さんを含め被災者の皆さんの福島原発の廃炉に関する想いがとても印象深く耳に残っています。唯一の原爆の被爆国である日本,加えて東日本大震災での原子力発電所に関する問題を抱えているにも関わらず原子力発電に頼ろうとすることへの憤りを,樋口さんは私たちの心に訴えるように力強くお話してくださいました。この問題は被災者だけの問題にはとどまらず,全国のあらゆる人たちが考えるべき問題であると再認識しました。

 門脇小学校には大きなスクリーンが張られており,後者に残された震災の傷跡を目にすることはありませんでしたが,そのスクリーンが震災を思い出したくないというある女生徒の意向を汲んだものだと知り,まだ幼い被災者への心の傷の大きさを痛感しました。

次に私たちは津波で多くの人を失い,雑草が茂る旧渡波地区を車で回りました。その途中で,実際に倒壊家屋に足を踏み入れさせていただきました。クリーニングから返ってきたばかりの状態で壁にかかっているボロボロのスカートや,津波の高さを物語る壁にくっきりと残された浸水の跡を目の当たりにし,言葉を失いました。何より,何物にも例えられない鼻を突く不思議なにおいは忘れられません。

 渡波では更地になってしまっている中に綺麗な一軒家が数件まばらに建っていました。一見復興の兆しのようにみえたその家々ですが,外装だけを改修しているだけで内装はおろか日常生活を送るのもやっとといった状況であることを聞きました。

  その後,万石浦幼稚園の園児たちと稲刈りをしました。私たちも子どもたちも稲刈りを初めて経験し,しゃがみながらの作業に普段体を動かすことの少ない私は体を痛めましたが,園児たちの笑顔を見たり,楽しそうな声を聞くことが出来ました。

原口真紀稲刈り  穂をもつ園児c

 稲刈りを終えた子ども達は,隣の田んぼでカエルやバッタを捕まえて私たちに自慢をしてくれました。自然の中で活き活きとした笑顔を向けてくれる子ども達に私の方が元気をもらえた気がします。

 稲刈りに従事する際には,保原政美さんが必要な道具を持って駆けつけてくださり,刈った稲の結び方をご指導してくださいました。

 その他にも,右も左も分からない私たちに優しくご教示してくださった石巻の阿部捷一 先生,佐藤金一郎さん,新聞関係の記者たちや,万石浦幼稚園のみなさまには感謝してもしきれません。今回の活動を通して石巻で出会った方々はどの方も元気で明るく振る舞っていらして,その心の強さに勇気づけられました。何度でもこちらから会いに行きたくなるような方々ばかりです。

 震災のことについて色々と教えてくださった皆さん,稲刈りや天日干しの方法について手取り足取り教えてくださった皆さん,本当にありがとうございました。

 また,一緒に活動した方々の多様な考えに刺激をもらいました。教育について学んでいる学生が多く,同世代の学生から普段なら聞くことの出来ないような話を聞き,「教わる」ということに関心を持つことが出来ました。この出会いは,これからの私にとってかけがえのないものになると思います。

 今回の活動で,私1人が被災地に特別な何かが出来るわけではないことを改めて思い知りました。しかし,私はこの神戸の同世代の皆さんに,少しずつでも石巻を含めた被災地の現状を知ってもらうことこそ私に出来る復興支援だと思います。ほんの些細なことかもしれませんが,まずは身の回りにいる人へと,私が見た被災地の今を伝えていきます。

 最後になりましたが,夏の終わりに素敵な機会を与えてくださった神戸国際支縁機構の皆さん,特に現地でお世話になりました代表とリーダー,この度はありがとうございました。また参加させていただく際には,是非よろしくお願い致します。