第1次インドネシア・ボランティア 2018年9月30日~10月5日

 2018年9月28日,インドネシア・スラウェシ島中部でマグニチュード7.4を越す大地震は6メートルを越す大津波で被害をもたらしました。発生から一夜あけ,死者・行方不明者が1374人を超すなど惨状が徐々に明らかになってきています。
 神戸国際支縁機構が,休日である9月30日に飛行機の予約がとれたのは奇跡みたいなものです。大地震,津波の最大の被災地パル市に向かいます。そこで孤児が大人になるまで教育費として,「カヨ子基金」は毎月3千円を全額届けます。
 すでに,機構は孤児の家をバヌアツ,ネパール,ベトナム,シリアなどに取り組んできました。

インドネシア国スラウェシ島のパルで夫,父親を亡くした家族。2018年9月28日

津波から逃げる住民 パル 2018年9月28日

津波の犠牲者 インドネシア国パル 2018年9月29日

<序>
  日本から28時間半を経て,スラウェシ島(Sulawesi island)の最大の被災地パル(Palu)に到着しました。羽田空港まで,飛行機,新幹線,高速道路は台風24号の影響で使えませんでした。ボランティアはある意味で「ゴキブリ道」です。人が絶滅しても生き残るというしぶとさを持つ生き物です。交通手段がないから離日をあきらめるわけにはいきません。9月28日に発生したマグニチュード7.4より,被災した人々は交通手段どころか,ライフラインも破壊されました。犠牲者の数もインドネシアに入国する時には,1000人を越えていました。そんな地獄を体験している人々に寄り添うのに,便利な飛行機,高速鉄道,快適なハイウェイが使えないから来れませんでしたという言い訳は通用しないでしょう。被災地にはない乗り物で,ボランティアをしに来てやっているという態度は無神経というか,上からの目線です。何かをしてあげるという押し付けになります。ですから私たちは地図と格闘しながら,寸断されている下道を探しながら荒野に向かいます。14時間かけて,神戸から下道を通って羽田空港を目指しました。神戸国際支縁機構の村上裕隆代表(28歳)の気転の利いた道路の選択,気力,タフさが,ガルーダ・インドネシア航空の離陸時間に間に合いました。出発時間の16時間前に予約できました。9月30日は日曜日のため,航空会社などには電話で申し込むことができない中,なんとか座席の空席にもぐりこめました。
 出発の時,村上安世さんがお弁当を息子に持たさせてくれました。家庭料理の味わいです。2年前に亡くなった妻カヨ子が20代のサラリーマン時代から東北ボランティアに行く時もいつも持たせてくれた弁当の香りです。外出,出張,旅行の時は,行き先々で郷土料理を楽しむことより,健康を考え,朝早く起きて,一緒に行く人たちの分も作っていました。ですから,外食することは私たち夫婦はほとんどありませんでした。配偶者の愛妻弁当の味わいを久し振りに,堪能し,心温まりました。「あなた,おいしかったでしょう」,という妻のやさしい声がよみがえりました。
 東北ボランティアで機構の恩人である北川禮子元園長(万石浦幼稚園)が乳がんから回復なさったものの先月,急逝なさいました。幼稚園を退いても,地域の独居の人たちのためにも食事会を開いたり,食べ物を届けたり,ボランティア精神の旺盛な方でした。毎月,お合いして,神戸からの機構の若者たちも励まされていました。言葉だけでなく,よくごちそうしてくださいました。残されたご主人毅さんは奥様に先立たれて傷心なことが痛いほどわかります。愛する家族を失う辛さ,孤独,寂しさを味わっているからこそ,自然災害で家族を失った人々の心の痛みに寄り添うことができます。
 パルのうめき声が聞こえて来ました。「呼んでいるよ,呻いている,助けて」という子ども,夫を亡くされた女性たち,弱い立場の人々です。いてもたってもいられません。今週は人と合う約束,セミナー,炊き出しなどの予定をいつしかキャンセルし出します。無責任男と言われようが,子どもたちの泣き顔が自分を駆り立て,突き上げます。気づいた時はパスポートを探しています。おカネはいつもありません。松尾芭蕉[1644-1694]が異郷の地を歩いて現地の人と対話する機会を増やし,質実剛健にひたすら歩いた模範があります。18の行脚の掟の一番目に「樹下石上に臥すとも,あたゝめたる筵(むしろ)と思ふベし」と。それより1600年以上昔にキリストも言っています。「旅には袋も二枚の下着も,履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(マタイ 10:10)。バヌアツ,ネパールなどでも最も貧しいダリット層と寝起きを共にしてきました。食べるものは備えられるものです。
 
(1) 赤道直下のスラウェシ島
 a. 三重苦による死者1374人
 インドネシアの首都ジャカルタで乗り換え,次にスラウェシ島のマッカーサーで乗り換えて,28時間半で目的地パルに到着。マッカーサーからはプロペラ機であり,乗客のほとんどはインドネシア国内からの救援,ボランティア関係者のみです。パルはスラウェシ州の州都であり,人口は34万2,754人です。2) 
 現地について日本にいる時にはわからなかったことが地面の激しい隆起による被害です。地震と津波だけではなかったのです。地元の人によると,マグマが噴き出したのだとか,液体化など流言飛語が飛び交っていました。
 

リトボー 2018年10月2日



 インドネシアでは空港でも冷房の効いたお店はありません。空港にやっとたどり着いて,汗だくだくであっても,自然の風が鉄板の上のような地を歩いて燃えている体温を和らげるのです。快適な生活習慣をしている者には,自然の恵みにオンチになっていることでしょう。どこに行ってもハエは群がりますし,蚊などの小さな虫は共存しています。国際宗教である仏教は本来殺生をしないように日本人を導いたものです。しかし,現在は,レストラン,高速道路のサービスエリヤ,オフィスには電撃殺虫器が備えられています。東北ボランティアの行き帰りの道中,休憩でサービスエリヤに立ち寄るたびに,色々な虫,蛾,ユスリカなどの墓が青色蛍光灯で気味悪く輝いています。コンセントから電源を抜きたくなる衝動を抑えるのに一苦労します。「僕だちだって生きる権利がある」,と小さな生命は叫んでいます。一方,人間様はまるで不倶戴天の敵であるかのように,根絶しようとしています。現代人は良心の呵責が麻痺したのでしょうか。今日の日本人ほど虫嫌いはいません。いつからこんなに冷血になったのでしょうか。前述の芭蕉は,行脚の第二の掟に,「腰に寸鉄たり共 帶すベからず,惣して(そうじて)ものゝ命を取る事なかれ」と自然界の命をむやみに殺めないように説いています。
 
 b. 親日的
  日本人がほとんど訪れたことがないにもかかわらず,パル市民は,「こんにちわ」「ありがとうございます」「はじめまして」と日本語で話しかけてこられます。2017年3月の第2次ベトナム・水害ボランティア報告でも言及したこてですが,第二次世界大戦終了後,現地に残留した旧日本軍たちの存在を黙視することはできません。なぜなら1945年9月2日,アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で無条件降伏したことを聞き及んだからではないでしょうか。兵士たちは帰国して汚名をそそがれることに躊躇したのではないかと筆者は考えます。そのまま現地に残り,かつての部下たちからの嘆願もあって,引き続き軍人として生き延びる決意をしたのではと想像します3)。インドシナ独立戦争に貢献し,初代大統領スカルノ[1901-1970]はそうした旧日本軍将校たちに国家最高の栄誉の勲章を与えました。独立戦争で命を投げ打った日本人は英雄墓地に葬られています。インドネシアの空港などで顔つきも日本人と見間違うほどの人たちもいます。パルに着いた日,発音しやすいようにラカダと名乗っておられる被害を受けたココホテルの総支配人にお会いしました。従業員やお客さんたちに対してもはや何もしてあげられないにもかかわらず,ゼロからやり直す志までは砕かれていませんでした。祖父は高田性でした。筆者が日本人だという理由だけで,散乱した外に運び出されたソファに座るようにすすめて,飲み物を寛大にごちそうしてくださいました。
 
 
 インドネシアは日本に実習生で訪れた人々も少なくはなく,非常に親日的です。ただ筆者の外観がインドネシア人に見られることがなかったのは残念でした。ほとんどのインドネシア人は片言の日本語を覚えています。日本人の英語力「サンキュー」「ハウアーユー」「グッド」を使いこなせるようにです。 
 
 c. モラルについて
 2011年の宮城県石巻市の震災直後には,「秩序正しい日本人」というメディア報道とは逆に盗難などの現場を見聞きしてきました。しかしパルで3か所の刑務所が倒壊し,1200人以上の囚人が脱走したにもかかわらず,色々な被災現場に入り込んで来ましたが,身の回りの所持品について盗難を心配する必要はありませんでした。日本が一番安全と信じているのは,原発が世界で一番安全と信じていたのと同じようなまちがった常識です。
 飲む水がなく,汗を流すことなど夢のまた夢です。かつて日本人は水はただのように思っていましたけれど,今のパルではおカネをいくら持っていても役に立たないようです。使うところがないのです。子どもにチョコレートと金貨のどちらを選ぶかと問うと,チョコレートの方を選ぶでしょう。そのたとえから子どもは価値が判断できないと考えるのは早計です。金貨があるならいくらでもチョコレートが買えるので,子どもは愚かだと大人は判断するからです。しかし,おカネは大切ですが,おカネ,金貨,冨の奴隷となるより,子どもの感性の方が時にはすぐれていることを貪欲な成人は学ぶべき視点があります。
 パルでは水の方が貴重です。とりわけうだる炎天下の被災地から被災地へ徒歩で渡り歩くと喉がくっつきます。中東で学んだことですけれど,小石を見つけてあめ玉のように口の中でなめて,口の中が乾燥しないように努めます。何キロも歩くと自ずと息が荒くなり,口があいてしまうのです。すると渇きが増します。一度にペットボトルを飲み干しても渇きはいやされません。そんなとき,地元の被災者は日本からの訪問者に思いやりを示し,何も言わずとも貴重な水を分けてくださったりします。バヌアツ,ネパール,ベトナムや中東では,水は必ず沸騰させてからでないと飲みませんでしたが,電気を使えないので,日本から持ってきているコ
イル式のお湯沸かしも使えず,感謝して生水をいただきました。一日一食ですから,下痢をすることもありません。水気はすぐに汗になって発散されます。用を足す回数は極端に減ります。どこもトイレは使えない状態でした。食事は一日おにぎり一つの分量を食べることができれば幸運です。一週間,断食する覚悟でいつも海外ボランティアに向かっています。ところが山中,密林,砂漠など,未知の異境は必要以上に神経を使い,緊張,体力消耗の連続です。一段落すると,急に空腹,渇き,人間が持っている本能の目覚めがあります。すると断食して三日目のような耐える限界に遭遇します。それでも貧しい子どもがこちらを見つめていると,分け合っていただくことが常です。そんな子どもの笑顔がパワーを与えてくれるのです。すなわち飲食物より,人との関係,つまり「縁」の方がはるかに逆境を耐える力となるものです。神の国とは,「我と汝」の「縁」が「ボランティア道」の基本です。
 手洗いはどこもかしこも水が流れないので,激臭が付近にただよっています。東日本大震災の2011年3月21日,東北自動車道の泉サービスエリア,最初に医療物資を届けた石巻市の斉藤病院,避難所で会った釜小学校も同様でした。しかし,激臭で辟易とするのは人間の死体です。犬,猫,動物などの腐臭とは比べものになりません。鼻からこめかみに突き上げる痛みを伴う異臭です。ちょうど食べ物がないからいいものの,食欲は当分遠ざかります。「イエスが,『その石を取りのけなさい』と言われると,死んだラザロの姉妹マルタが,「主よ,四日もたっていますから,もうにおいます』と言った」と中東の乾燥した地域でさえ,「四日」で臭うのです(ヨハネ 11:39)。被災地パルで救助ボランティアをするのは三日目,四日目,五日目です。遺体の損傷も激しく,津波と同じように地震や隆起による被災も直視できません。画像参照。
 

死体発掘 ロアロアホテル 2018年10月3日

(2) 
 a.
 8階建のホテルRoa Roa Hotel

 b.

 
 c
 
(3) 
 a.
 
 b.
 
 c.
 
<結論>
 
 
 
 

 

インドネシア地震・津波救援募金

郵便振替     口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構
 もしくは
三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863  神戸国際支縁機構 岩村義雄

書き込める方はインドネシアと記してください。神戸国際支縁機構は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,被災地へお届けします。

目標額 200万円

現在 139,500

岩村義雄,神戸国際キリスト教会,白瀬小一郎,水谷弥生,忠内 一由,忠内有紀,
藤丸秀浄(法専寺住職),ホームチャペル・キリストの花嫁,野添宗英,野添澄,
金 貴順,神戸聖福教会,高橋一正,