インドネシア・パル支縁 2018年スラウェシ島地震
開所式 「カヨコ・チルドレン・ホーム」 2019年9月12日

『ラダー スルテン紙』(2019年9月14日付)
第4次インドネシア・ボランティア
日 程 : 2019年9月9日-15日,ガルーダ航空 ホテルには泊まらず,宿泊は現地の協力者の家で宿泊します。
津波と地震のセットが昨年2018年9月28日18時2分43秒にスラウェシ島の北部を襲いました。パル市のヘトボ,タリセ,バラロアなどや,ドンガラの被災地を巡りました。傾聴ボランティアを通じて,孤児探しを繰り広げてきました。
皆さまからご寄附によって,パルに孤児のための養護施設の建設がはじまり,明日,開所式に至りました。現在,孤児たちの里親が日本に求められています。みなさまのご協力をお願いします。
一度も足を踏み入れなかった最大の被災地であるシギ・ビロマルを訪問しました。津波が押し寄せなかったにもかかわらず,大地が液体のように揺れ動き,直線道路がぐにゃぐにゃに今も曲がっています。裂け目であるクレバスに飲み込まれ,一命をとりとめた体験も聞かせていただきました。住民から逃げる時の撮影動画を見せていただきました。
夕方6時はまだ明るかったのに,地震,流体化が起こるやいなや,恐怖のため全地は真っ暗闇になったと生き残った被災者は語っておられました。「トロン」「トロン」(インドネシア語「助けて!」の声が耳から離れない苦悩を聞きました。
自然災害の頻度・犠牲者数,不安材料はおそらく日本が最大でしょう。2018年スラウェシ島地震の最大の犠牲者を出したシギ・ビロマルはぎっしり住宅があったにもかかわらず,今は荒野になっていました。
シギ・ビロマルの最大の悲劇は,キリスト教会で賛美の練習をしていたクリスチャン34名の高校生が逃げ遅れて死んだことです。「アラワクバル」(インドネシア語「神さま!」)と,信仰心があるないにかかわらず,叫んで山の方へ逃げています。
ルスタムさん(63歳)はひとりで小屋に住んでおられました。かつては水路があり,田畑を耕しておられましたが,今は川は干上がってしまい,生活は乏しい状態になっておられます。
シギ・ビロマルの仮設住宅の子ども達が集まってきました。ゲームをして,水,食料,学校にも行けない乏しい生活を少しの時間,忘れて,笑って過ごしました。
子ども達とゲームをして過ごしました。神戸スイミープロジェクト(栗須哲秀代表)のご好意で腕につけるだっこちゃんに大喜びです。
第4次インドネシア・ボランティア② 2019年9月9-15日
開所式の朝,神戸国際支縁機構のネパール支部責任者のハリ・マハラジャン夫婦をパル空港で迎えました。7月のネパール・バルパックで孤児捜しをアデッシュ・スイング氏と共にしました。
ステファン・リンボキの努力で,孤児のための養護施設ができ,12日(木)午後4時に開所式になりました。遠くから,ご近所から,入れ替わり立ち替わり来られました。子ども達はゲームをすることにより,新しい友と共に笑い,恐ろしい記憶を忘れさせるのです。イェニーさん,妹のノマさんが裏方の世話をしてくださるおかげで豊かな食事が来会者に振る舞われました。キレイさん,ケンさん,キャサリーンさん,ノブユキさんたちのよく手伝っていました。
13日(金)には,ハリ・マハラジャン夫婦と傾聴ボランティアで知り合った被災地巡りを再訪問しました。内陸育ちの二人には,津波の脅威について当時の被災のままの状況を目の当たりにして茫然として立ちすくんでおられました。
『ラダー スルテン紙』(2019年9月14日付)
https://radarsulteng.id/dirikan-kayoko-children-home-bagi-anak-yatim-piatu-korban-bencana/
We went around the damaged areas of Donggara, and other places. Looking for orphans through listening volunteers since a set of tsunami and earthquake struck the northern part of Sulawesi at 18:02:43 on September 28, 2018 last year.
Thanks to donations from Japanese citizenship, the construction of an orphanage for orphans began in PAL, and the opening ceremony was held on the 12th of September.
Yoshio Iwamura, who is a director of KISO (Kobe International Sustaining Organization) visited Sigi Bilomar yesterday, the biggest disaster area I never stepped on. Mr. Iwamura heard several terrible experiences when the earth swayed like a liquid, some neighbors were swallowed by the crevasse. Even though it was still bright at 18:00 in the evening, as soon as the earthquake and fluidization occurred, the whole area became dark because of fear. The surviving survivors were heard “Tron” and they cannot forget such screaming shout, he heard.
KISO held the opening ceremony for the orphan’s facility which was built at BTN Palupi Permai, Blok.V5.No.14. It is “Kayoko Children Home.” It is available for at least 5 children.
This May Yoshio Iwamura went to disastrous location Banga, offer water and materials with a medical doctor Ms.Ophy Calbiies and she made up her mind to support Kayoko Children Home as a doctor.
She attended the ceremony and she showed interest in children.
Mr. Hari and Mrs.Saraswati Maharjan, who were representatives of the Nepal branch of Kobe International Sustaining Organization blessed the new facility in Palu.
Above all, neighbors
I heard the hardship that I can’t leave.
パル被災者数 2019年4月末日 インドネシア国
被災者 州都パル 40,738人
シギ県 93,187人
ドンガラ県 36,346人
パリギ・モトン県 2,728人
17万2,999人
死者 4,845人
被災家屋数 70万人
被災者 17万2,999人
※ 実際には,地中に埋没しているので,死者,行方不明者数の実数は確定できないと,パル市民の多くは述べています。
第3次インドネシア・ボランティア 救援金募金
全訳
SILATURAHMI:中央スラウェシ州の書記(次期長官とパル市民は期待),Hidayat Lamakarateと会った 岩村義雄。
MUGNI SUPARDI記者 ENTERTAINING: 岩村義雄は,ペトボの液状化で両親を失った子どもの一人であるフィドラスの世話を始めました。
日本人,岩村義雄がパルの被災者の子どもたちを支援
PALU – 中央スラウェシ州の地震,津波,液状化の被害を受けた子供たちを支援することを目的としています。日本から来こらました男性は,身寄りがない子どもたちを探しています。両親がいない被災者の子どもたちは,施設のうちの1つに住む場所を備え,成長して自立できるようになるまで資金が里親から支給されます。子ども用施設はBTN Palupi Permai Blokに建設予定です。 V5 No.14の地番です。「カヨコ・チルドレン・ホーム」です。カヨコさん自身は,約3年前に亡くなった妻の名前から取ったものです。この夫 婦は子どもたちに恵まれていなかったので,岩村義雄は放棄され孤児になった子供たちを助けるために世界に出かけています。 「カヨコ・チルドレン・ホーム」は,施設で大人になるまで,孤児1人あたり月額3000円の教育費支縁が提供されます」,と本誌に語りました。 今回の支援では,岩村義雄は,災害の被害を受けた子どもたちのために日本人から集められた寄付金です。最初に,岩村義雄は2018年9月31日,つまり震災から3日後にパルにやって来ました。彼はBASARNASメンバーと一緒に救助活動をしました。 教育省 Ir.Edward Abdurrahman, M.Sc長官や,地質研究家Maryoko Hadi博士と,会談しました。インドネシア各地に教育機関を建造する議題,火山の噴火にどう対応するか,日本からの支縁について約2時間話し合われました。その後,ジョコ・ウィドド大統領宛の井戸敏三兵庫県知事,久元喜造神戸市長の親書が手渡されました。
現時点では,彼の高貴なはたらきのためにパル市に四度目になる岩村義雄の訪問が9月14日に予定されています。ホームの家の開所式です。施設は少なくとも5人の子どもの予定です。 第3回目の訪問である昨日の水曜日(5月8日)に,岩村義雄はペトボの液化中に両親を失った子どもの一人と会いました。仮設小屋で出会った4歳半の少年フィドラスは,祖母のCarida Muhammad(58)と同居しています。震災時に11人の家族をペトボの液状化で亡くしました。「二度目のフィドラスとの出会い,私たち神戸国際支縁機構,「カヨ子基金」の意図や支縁を家族に伝えましたが,それでもフィドラスは彼の祖母から離れることはできません。この仮設小屋ではフィドラスの祖母は他の妹たちために調理する役割があるのですぐにホームに入れない」,という説明がありました。岩村義雄が直面している問題は,祖父たちなど親戚が通常孤児を手放すことにすぐに同意しないということでした。しかし,現実的な子どもたちの生活,学び,将来への見通しを考えると,一番,子ども達にとって良い選択であると判断されるのは時間の問題です。 彼はまた,神戸国際支縁機構の目的と「カヨ子基金」の目的をパル市に説明することにより,中央スラウェシ州務長官H Moh Hidayat Lamakarate MSiと会談にこぎつけました。被災した子どもたちのための施設を建設するための費用として,機構は土地,維持管理,人件費を含まない100万円を提供しました。立地条件として,施設は学校やモスクの近くに建設されます。子どもの教育は円滑になり,またモラルなどの宗教に関する知識も得られやすい環境にあります。 「このはたらきのために,私たちは適切なパートナー,ステファン&イエニ・リンボキファミリーを見つけました。そして,リンボキ家族は施設を建設して維持するためのまかないにも責任をもちます。この家族はパルの子どもたちの世話をする最も適切な人です」,と彼は言いました。 以上
Yoshio Iwamura SILATURA HMI: Clerk of Central Sulawesi Province, Yoshio Iwamura who met with Hidayat Lamakarate.
MUGNI SUPARDI Reporter ENTERTAINING: Yoshio Iwamura started taking care of Fidoras, one of the children who lost their parents due to petobo liquefaction.
Japanese, Yoshio Iwamura supports children of victims of Pal
PALU-aims to help children affected by earthquakes, tsunamis and liquefaction in Central Sulawesi Province. Men who came from Japan are looking for children who have no children. Children of victims without parents have a place to live in one of the facilities, and funds are provided by foster parents until they can grow and become independent. A children’s facility will be built at BTN Palupi Permai, Blok. V5. No.14. It is “Kayoko Children Home”. Kayoko himself was taken from the name of his wife who died about three years ago. As this couple was not blessed with children, Yoshio Iwamura is out in the world to help the abandoned and orphaned children. “Kayoko Children Home” is told in the journal that an orphan will be provided with an education fee of 3,000 yen per month, until an adult at an institution. In this support, Yoshio Iwamura is a donation raised by Japanese people for children affected by the disaster. First, Yoshio Iwamura came to Pal on September 31, 2018, three days after the earthquake. He rescued with BASARNAS members. I met with Dr. Ir.Edward Abdurrahman, Director of M.Sc, and Dr. Maryoko Hadi, Geologist. The agenda for building educational institutions in various places in Indonesia, how to respond to volcanic eruptions, and how much support from Japan was discussed for about two hours. After that, I was handed over autograph letters from Toshizo Ido, Governor of Hyogo Prefecture, and the mayor of Kobe, Mr. Kizo Hisamoto.
At the moment, a visit for Yoshio Iwamura, scheduled to be held for the fourth time in Pal due to his noble work, is scheduled for 14 September. It is the opening ceremony of the facility. It is available for at least 5 children. Yoshio Iwamura met with one of the children who lost her parents during Petobo’s fluidization on Wednesday, May 8th, the third visit. The four and a half-year-old boy Firdaus, who he met in the temporary hut, lives with his grandmother, Carida Muhammad (58). At the time of the earthquake, 11 families were killed in Petobo’s fluidization. “I met my family for the second time, and we told the family about the intentions and support of “Kobe International Sustaining Organization”,“Kayoko Fund,” but Firdaus still can not leave his grandmother. In this temporary hut, Firdaus’s grandmother has a role to cook for other sisters, so she can not go home immediately.” The problem facing Yoshio Iwamura was that relatives, such as grandfathers, usually did not immediately agree to let go of orphans. However, given the realistic life, learning, and future prospects of children, it is only a matter of time before it is judged to be the best choice for children. He also held talks with the Secretary of State of Central Sulawesi, H Moh Hidayat Lamakarate MSi, by explaining the purpose of “Kobe International Sustaining Organization” and the purpose of the “Kayoko Fund” to Palu city. As an expense for the construction of a facility for the affected children, the organization provided 1 million yen including land, maintenance and labor costs. As a location condition, the facility will be built near the school or mosque. The education of children is smooth, and it is easy to get knowledge about religions such as morals. “For this work, we found the right partner, Stephan & Yeni Limboki Family, and the Rinboki Family is also responsible for failure to build and maintain the facility. This Family is the most appropriate person to take care of the children of Palu,” he said.
昨年2018年9月28日午後6時2分43秒に発生した大地震マグニチュード7.5,6メートルの津波でパルは死都になりました。多くの行方不明者が未発見です。被害の全容は泥で覆われたため,重機などでは解決できない規模です。死臭が漂う中,9月31日,ボランティアをしたペトボは,日本の被災地松末,岡山県倉敷市真備(まび)町,広島県小屋浦4丁目と同じように,まったく変わっていませんでした。わずかな住居跡の残骸地で,地割れのクレバスに家ごと飲み干された家族の面影をはせる被災者の涙を見たら,声をかけることもできず,抱きしめるだけです。 ⇒ ヘトボ https://youtu.be/L3MVdCrfeho

被災地に物資を届けるのは大事なボランティア道のひとつです。しかし,最も大切なことは,共に,「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」抱きしめて,共に泣くことです。(詩編 56:9)。言葉,物資,人数よりはるかに大切です。
9歳のひとり娘をなくしたキンダンゲンさん(45歳),ムスリムとしてお祈りしている時に父と娘を失いました。慰めの言葉,カウンセリング,励ましなどいりません。抱きしめるだけでいいのです。だれでもできるのがボランティア道です。
第四日目には,パルから1時間半かけてジャングルのバンガにオフィ女医が同行してくださいました。彼女は「カヨコ・チルドレン・センター」の専属医師です。バンガは2019年4月28日(日)午後6時に泥が320人の村を完膚無きまでに襲いました。負傷者が200人に及んだと村の代表リアさんは語られました。村の真ん中を流れる川にかかる橋も流されました。上流にはダムがあることすら村人はほとんど知りません。 ⇒ https://youtu.be/dJWZPOLJ3lc
9月に「カヨコ・チルドレン・ホーム」の開所式
第2次インドネシア・ボランティア 救援金募金
パルの大地震,津波,隆起から101日目です。ジャカルタ空港でBASARNAS 国家捜査救助庁のKresna Riyanto Chandra氏と再会。親日的なインドネシアをガルーダ航空を乗り継いで,再訪問しました。 リンボキ家族が迎えに来ておられ,「カヨコ・チルドレン・センター」を拝見し,励まされました。 21世紀に入ってから18年間[2001年1月〜2018年3月],インドネシアにおける地震,津波,火山噴火による死者数は,20世紀の総数をすでに上回っています。「環太平洋火山帯(Ring of Fire)」に属する日本も同様です。
⇒ https://youtu.be/xLONfk-Gjkg ペトボー地区 Petobo area
ドンガラ地区 Donggala
中部スラウェシ州の州都であるパルから34kmにあるドンガラ Donggala Regency には,2018年10月31日に向かった時は,道路はなくなっていました。単車の後ろに乗せてもらって,郡都バナワ Banawa目がけて悪路を走りました。しかし,引き返さざるを得ませんでした。燃費がなくなりました。 2019年1月15日,ステファンのスズキのジムニーで訪問したドンガラは観光地であった一部に道路整備は終わっていましたたが,観光客はいませんでした。スラウェシ島では,州都パル,隣りのシギ県につづいて3番目に被害が大きかった地域です。
Dongara 2019年1月15日
地震,津波,隆起で家を失った難民のテント。真冬の神戸
教育省 Ir.Edward Abdurrahman, M.Sc長官や,地質研究家Maryoko Hadi博士と,会談しました。インドネシア各地に教育機関を建造する議題,火山の噴火にどう対応するか,日本からの支縁について約2時間話し合われました。その後,ジョコ・ウィドド大統領宛に井戸敏三兵庫県知事,久元喜造神戸市長の親書を手渡しました。
第1次インドネシア・ボランティア 救援金募金
第1次インドネシア・ボランティア報告 2018年9月30日~10月5日
2018年9月28日,インドネシア・スラウェシ島中部でマグニチュード7.4を越す大地震は6メートルを越す大津波で被害をもたらしました。発生から一夜あけ,死者・行方不明者が1374人を超すなど惨状が徐々に明らかになってきています。 神戸国際支縁機構が,休日である9月30日に飛行機の予約がとれたのは奇跡みたいなものです。大地震,津波の最大の被災地パル市に向かいます。そこで孤児が大人になるまで教育費として,「カヨ子基金」は毎月3千円を全額届けます。 すでに,機構は孤児の家をバヌアツ,ネパール,ベトナム,シリアなどに取り組んできました。
完全原稿 第1次インドネシア・ボランティア報告 Complete manuscript of English ⇒ Complete manuscript of English 1st Palu’s Report
リトボーは液状化ではなく,土地が隆起して建造物が全壊となりました。
津波に襲われた最大の被災区域タリセ
パルの有名なイエロー・ブリッジも飴のようにぐしゃぐしゃに被害を受けました。パル市を東西にかかっている橋は正式にはPonulele(ポヌレレ橋)です。市民にとり自慢の橋であったことを耳にしました。
(2) 被災地の地獄 a. アジア競技大会
2018年8月18日~9月2日に開かれた第18回アジア競技大会はインドネシアの首都ジャカルタ・パレンバンで開かれました。今回,大被害が出たパルはインドネシア中部に位置します。インドネシアでは4番目に大きな島,スラウェシ島(旧セレベス島)にあります。島はアルファベットKの形をしています。 大地震が起こる一ヶ月前には,インドネシアの国中が熱狂しました。大会前にジョコ・ウィドド大統領は「金メダル16個,総合10以内」と期待していました。しかし,大会終了時には,インドネシアは金メダル31個,計98個のメダルを獲得していました。順位は中国,日本,韓国に続く4位でした。とりわけバトミントン王国であったのが,近年弱体化して,前回には最下位という屈辱を味わっていました。ところが金メダルと復活したものですから,国中たいへんな盛り上がりになったばかりでした。
インドネシアのスカウト人口は世界で最も多い国です。アメリカが約597万に対して,インドネシアは810万3,835人が登録されています。1912年オランダ統治時代からボーイスカウトがインドネシアで始まりました。スカウト運動(スカウティング)学校教育にも取り入れられています。スカウティングを通じて,モラル意識が幼い時から培われています。パル市の被災地でもなんども親切な行為を受けました。たとえば,モノを落としても,すぐに気づかせてくれます。背中の痒いところまで手が届くような気遣いを示すのは,スカウティングの影響だと思います。被災地のいたるところでスカウトのユニフォーム姿を見かけました。
筆者の恩師にインドネシアで過ごされた入船尊[イリフネ タカシ 1934-2001]先生がおられます。神戸大学付属平野の病院に末期がんで入院なさっておられました。面会時間5分と制限されていました。四国の方や多くの方々が並んでお見舞いを待っておられました。ひとりで入室しますと,強く手を握りしめられ,離してくださいませんでした。渾身の力でしょうか。とてもふりほどくこともできず,45分が経過しました。66歳とは思えないほどきれいな澄んだ目をしておられました。面会直後,激痛でベッドから転げ落ちたと翌日聞きました。そして天国に逝かれました。当時,筆者は教理において異端との論争に終止符を打ち,キリスト教会の一致という新たな道に足を踏み入れようと不安でいっぱいでした。入船先生はいつも温かく励ましてくださいました。教え子のことを気にされ,筆者に委ねられました。あまりにも過度な期待であったのでうろたえていたことを見抜いておられたのです。ですから病人とは思えない力で握られ,筆者も迫力に押され「はい」と答えるだけでした。その入船先生が9年間過ごされた地に来るのは不思議な因縁でした。入船先生はインドネシア人の敬虔な霊性に接触し,臨在する神と共に生きる生涯を貫かれたのです。その先生を育てたインドネシア人に恩返しで仕えるのは喜びでした。
岩手県宮古市田老地区にあった防潮堤は「万里の長城」と呼ばれていました。世界で一番,津波防災の象徴的な存在だっただけに,海外からも視察が頻繁でした。
インドネシア救助隊は全国から志願して集まってきました。床に寝泊まりするところから20人ずつ単位でトラックに乗り,早朝から午後8時までリトボーで応急手当,遺体確認,搬送などに従事します。チャンドラ・クリスナさん(32歳)は,全国からの隊員達に筆者を紹介し,仲間として受けて容れてくださいました。応急手当に携わります。cure(キュア 治療する)ではなく,care(ケア 手当てする)に徹します。
救助隊は夜には,全員,床の上に寝ます。水がないので,手洗いはできる限り控えます。
パルの孤児たちのための施設
食事をしたくても何も売っていません。日本と比べて,インドネシアは物価は非常に安く,日本人には暮らし易い国です。しかし,パルには,ありとあらゆる店が損壊しており,何も売っていません。水もありません。ガソリンに給油する車の列はえんえんと繋がっています。午後7時から1キロ以上続く順番を待つこと,朝方4時にようやく店員から購入できます。ただしひとり1リットルだけです。もっともパルから遠くへ行くことは道路が寸断しており遠出はできません。
郵便振替 口座 00900-8-58077 加入者名 一般社団法人 神戸国際支縁機構 もしくは 三菱東京UFJ銀行 462(三宮支店) 普通 3169863 神戸国際支縁機構 岩村義雄
書き込める方はインドネシアと記してください。神戸国際支縁機構は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,被災地へお届けします。
目標額 200万円
現在 1,913,200円
岩村義雄,神戸国際キリスト教会,白瀬小一郎,水谷弥生,忠内 一由,有紀, 藤丸秀浄(法専寺住職)(2),ホームチャペル・キリストの花嫁,手島勲矢, 金 貴順,楠元留美子,石川満澄,石川久子,辻 良雄(3),山下妙子(2), 千葉幸一(宮城県石巻市), 松本真祐,菊池則子,高橋一正,河内常男, 神戸聖福教会,「小さくされた人々のための福音」講座(3),栗原 健, 坂井良行(高野山真言宗西方院住職),日野謙一,宮坂信章,宮坂和子(3), 安田吉三郎,松岡泰夫,廣森勝久,土手ゆき子,池永タケコ,平川 新, 鄭 恵姫,高橋秀典,山本雅規,保田 薫,山本 稔,野崎和子,久原満里子, 崔 勝久,森 隆充,廣瀬素子(2),東垂水ルーテル教会,山下 寛,山下弘美, 小野寺 脩(宮城県石巻市),畠田 敬,中山圭子,森 祐理,山本美和子, 村田充八,平松幸子,井本敦幸(3),飯塚和彦,高橋真澄,兵頭晴喜(2), (株)ムラサキスポーツ,服部良一,村上安世,鶴崎祥子,西上千栄子, 東本願寺熊本会館仏教青年会,古本純一郎,後藤仁美,藤原加寿子, 日本自由メソヂスト葛城キリスト教会,米澤澄子,湊 乃莉子,久留島琴(3), 主イエス恵愛教会,高橋 務,白方誠彌,熊野千秋,坂本直子, 遠藤トシ江(宮城県石巻市),西本伶子,仙 浩二,朝日泰治,朝日華子, 神戸聖福教会,釧路福音キリスト館,日本基督教団神戸栄光教会, 岡部京子,浜崎照夫,樋口 實(朝倉市松末),東原良学,恩田 怜,藤本英樹, 朴 大成 ,鄭 恵姫,福井重男,福井昌子(2),渡辺 徹,野添宗英,野添澄, 白承豪,日本基督教団久宝教会,白瀬小一郎,阿部和夫(宮城県石巻市), 神戸マラソン実行委員会,藤本英樹,金山良雄,松森正樹,日野謙一,山本 桂, 赤坂さちこ(岩手県紫波郡),阿部純子(宮城県石巻市),秋田喜代子,福森恵美, 石井泰代,永野由美子,池田裕子,福寿恵美,島田信一,
竹内喜子さまから2,232円分の切手が提供され,感謝しています。
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