2016年5月1日(日) 東京大学本郷キャンパス

<参照>「キリスト教とボランティア道」 講演

20160501東京大学にて

2016年10月17日 <参照>ボランティア道の母逝く

2015年1月9日,阪神・淡路大震災20周年にあって,ボランティア
元年からの小さな働きについて,ラジオ関西のインタビューを受けま
した。

ボランティア道看板

村上裕隆君 ひょうご青少年活動フェスティバル実行委員会で展示

はばタン文字

20150208デュオ神戸e

本田寿久事務局長作成の看板が会場で際立っていました。本田洋子夫人もかけつけてくださいました。

「震災後のボランティア道」 ラジオ関西 15/01/09 午後6時30分~45分

                     (社)神戸国際支縁機構
                         代表 岩村義雄

<序> 阪神・淡路大震災は1995年1月17日午前5時46分に起きた
地震により,6,434名,東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分
に約2万人の命が犠牲になりました。あれから20年,また4年,都市
機能は一見回復したかのように見えますけれど,人間が置き去りに
されたように思います。人間復興が大事ではないでしょうか。
 いとおしい人との切ない別れに,「千の風になって」の歌詞を聞
いて涙ぐむ人も少なくありません。
 「借り上げ復興住宅」の入居期限は20年です。一人暮らしの高齢
者が多く,終(つい)の棲家(すみか)をも求めています。そこから
出て行かされると,入居後築いてきた人間関係はおざなりになりま
す。JR兵庫駅前の訪問しているキャナルタウンも90%が高齢者です
が,どんどん追い出されるように移転しています。  阪神・淡路
大震災がボランティア元年と言われます。あれから20年,ボランテ
ィア道とは何でしょうか。

(1) ボランティア道とは何か

 ボランティアは被災者が人生行路を誤らないように,苦海をいたず
らに漂わないようにします。寄り添うように小さな働きを通じて,
人々との関わりをもっています。
 日本人だけでなく,人間は「○○道」とよく使います。茶華道,
武士道,騎士道などございます。聖書でも「道」[ギリシア語 ホドス
ホドス]は(人生の)行路,生き様,生き方を意味します。
 ボランティアも人間である以上,時に判断を誤ることもあります。
たとえば,丹波水害時のように,ボランティアはいらないと断わり
の行政発表があったとしましょう。もうボランティアの役割は終わ
ったと関わりをやめてしまう早合点です。ドロ出し,がれき処理,
物資援助から少しずつ軌道修正し,傾聴ボランティアに軸足を移し
ていきます。「咲くまでは草と呼ばれる野菊かな」とさりげない触
れ合いを続けていこうとします。見た目の回復や情報の荒波に翻弄
されることなく,ぶれない働きを続けることが求められます。
 1995年からボランティアのグループは表札のないお年寄りの家を
戸別訪問してきたり,身寄りのない方の身元引受人になったり,家
事,買い物,散歩などにご一緒したり,メディアにも注目されない
働きがなされています。 ボランティアは社会全体の制度を決め,
運営に貢献するのではありません。制度を支えるエネルギーを提供
するのでもありません。ボランティアは外見上,わからないように
縁の下の力持ちとわきまえます。聖書の「隣人を愛しなさい」を黙
々と実践します。

(2) 日本特有の復興姿勢

 約20年経ち,LSA(生活援助員)がおられても60パーセント以上
の被災者が独居,孤独,激しい高齢化で見離されています。認知症,
家賃の値上げ,健康面のむずかしさにほんろうされています。
 日本は国土が狭く,他国との陸続きの国境もありません。狭いから
こそ根付の国として手先の器用さによってきちんと完全なものを造る
ことができます。一方,大陸では細部にこだわるより,本質は何かを
常に問い,探ります。 仮設住宅にしても,家の中はきれいにしてい
ますが,周囲は物を整理せずに雑然としています。チェルノブイリ原
発事故の後,農家を見渡してみますと,景観が日本より整っています。
 私たちは自分の範囲を決めて,きちんとまじめ,誠実にやろうとし
ます。ですから内と外が異なるのです。
 神戸市長田区の御菅(みすが)西地区は震災で約8割が焼けました。
制度として,復興区画整理事業が行われました。被災した住民の8割
は元の場所に戻ることを望みましたが,実際に戻ることができたのは
3割足らずです。
 復旧,復興,再建をなんとか制度で解決しようとしてきました。ハコ
モノのプロジェクトを考え出します。神戸空港,地下鉄,先端医療技
術などです。前より立派なものを造ろうとします。バブル経済がはじ
け,地価は下がりつつあったにもかかわらず,まだ右肩上がりの成長へ
とあせります。震災前より立派に,より大きく,高くという発想で復
興が進められてきたのではないでしょうか。

(3) 制度より人間をたいせつに

 敗戦70年ですが,敗戦直後は「人間とは」の問いを日本人はすべ
からず真剣に考えたのではありませんか。
 阪神・淡路大震災という未曾有の艱難辛苦を体験して,避難所など
で隣人や見も知らない人,在日コリアンなどと心から会話する機会が
生まれました。東日本大震災が4年前に起きた時も夢のような共同社
会が瞬間風速ですが生まれました。 石巻市では住民の半数以上を高
齢者が占め,存続が危ぶまれているところに大地震,津波が襲いました。
いわゆる「限界集落」です。集落維持ができません。 震災失業,人
口流出,消費税があがり,2007年,夕張メロンで有名であった夕張市
が破産宣告をしたように,次は自分たちの街もそうなるとこぼす人た
ちが少なくありません。日本の復興はこの程度なのに,原発再稼働,リ
ニア,オリンピックとはあきれかえります。現代人の貪欲さが被災,
被曝,孤独死,孤立死を忘却させ,他の人を顧みなくさせています。

 したがって,制度では人を救えません。人は人によってしか変えら
れません。不安,独居,孤独に寄り添うのは制度ではできません。
人間です。復興から立ち直った寺社仏閣,教会,宗教施設は単なる
風景にしかすぎません。愛する者を失った哀しみ,自分だけが生き
残ってしまった哀しみ,親しい者の哀しみに寄り添えないことの悲
しみ,他者の哀しみを自分の哀しみに感情移入できるのは人間だけ
です。ボランティアは悲しみを入れる器です。

<結論> きれいな野菊と見るのは人々の目であり,評価にすぎませ
ん。自らはそうした人の目を気にせず,黙々となすべきことを行っ
ている姿こそ尊いもの。人知れず,仕えていくのです。ボランティ
ア道とは一人ひとりは痛みつけられた人々に支え合って,つながっ
て織りなす共同体の下働きです。

 季刊誌「支縁」No.11 第三面から

 現地の人たちの痛み,苦しみ,くやしさに寄りそうには機構の力
はあまりにも微力です。
 「人の苦しみをやわらげてあげられる限り,生きている意味はあ
る」 と,ヘレン・ケラーは書きました。

 資格,技能,体験が豊かな人たちは軍隊(自衛隊),政府,行政
と連携しながらプロジェクトを実施できます。ハコモノを造るには
周到な企画,運営機関,実施する財政が伴います。
 幼い子ども,とりわけ孤児,働きの大黒柱を失った女性,独居の
高齢者は,一番後回しになります。阪神・淡路大震災や,東日本大
震災は良い実例です。被災から立ち直るには,手厚い思いやり,気
遣い,ケアが必要です。ハコモノの復旧,復興, 再建が緊急,迅速,
潤沢な資金が投入される一方で,忘れられている陰があります。見
捨てられ,息をひそめている哀しみがあります。光と闇の二極です。
孤児や寡婦にとり,空港,地下鉄,高度な医療施設とは無縁です。
 ボランティア活動も二極性があります。潤沢な資金を用いて,外
観を震災以前に戻す作業は歓迎されます。一方,目立たないゲリラ
のような訪問活動は地味です。マニュアル,周到なスキル,資格を
効率よく展開するのでもありません。行政,専門家,医師たちが到
着する前に,息も絶え絶えの人たちのところにだれよりも早く赴む
きます。ライフライン,衣食住,健康に必要な生活を失った人たち
の状態を見つけ,近づき,手当し,お世話します。時には,食べ物,
生活費,応急手当を施します。
 機構は後者に徹します。目立たない仕える働きです。パイオニア
の精神,サバイバルに必要な智恵,徹底して仕える謙遜さが求めら
れます。話し合う友として,語る対象を失った人たちの呻きの孤独
に隣り合わせるのです。「喜ぶ人と共に喜び ,泣く人と共に泣きな
さい」
 (ローマ 12:15)と寄りそうのです。西暦1世紀,マリアとマ
ルタは兄弟のラザロがなくなり,悲しみに打ちひしがれていました。
「イエスは,彼女が泣き,一緒に来たユダヤ人たちも泣いているの
を見て,心に憤りを覚え,興奮して,……涙を流された」 (ヨハネ
11:31-35)と記録されています。宗教者であろとなかろうと,哀し
みの息により,横隔膜の筋力が弱っている人に出会うならば,感情
移入するものです。 「終わりに,皆心を一つに,同情し合い,兄
弟を愛し,憐れみ深く,謙虚になりなさい 」
 (Ⅰペテロ 3:8)の気持
ちに揺り動かされます。「同情し合い」(ギリシア語 スムパセース
スムパセース「共に」+「痛む」の意。英語sympathy ≪同情,あわ
れみ,同感≫の語源)が動機になります。
 つまり,同じ痛みを共有します。共苦を自然体で表します。「心を
一つ」(ギリシア語ホモフレーン ホモフレーンa「横隔膜を一つに」の意)
になってはじめて他者との間柄性が生まれます。

 苦縁には,社会的な資格,学歴,技術は重要ではりません。へりく
だりの精神が何よりもたいせつです。他者のために役立ちたいという
志があればだれでもできます。
 ボランティアは専門家でなければならないというわけではありませ
ん。弱っている人に感情移入できる人ならば特別な資格,訓練,知識
がなくても務まります。つまり最も大切な資質は心です。なぜならば,
辛い思いをしている人と横隔膜で接するからです。
 2011年からの学生たちの東北ボランティアでの働きを通じて,確
信します。まったくの素人であっても,被災地では強力な助けになり
ます。道路を造ったり,破壊された岸壁を修復したり,手術などの医
療を施すわけでもありません。家族,友,家屋を失った人たちのそば
に存在しているだけです。「人間」(じんかん)に居合わせているよ
うにします。孤独さ,不条理な死,明日の生活を不安な人たちと向か
い合います。
 「独りぼっちではないんです」
 「神戸の僕たち,私たちは続けて来ます」
 「みんなで乗り越えましょう」
 と心でつながる契機,「支縁」が「死」んだ生活に息吹を吹き込
みます。共生, 共苦,苦縁によるコミュニティの誕生です。

季刊誌「支縁」No.12 第三面から
 第2次ネパール・ボランティア報告   植地亮太(第42次,丹波水害)

 東北ボランティアに参加して,自分のためだけではなく,他の人々
のために少しでも役立ちたいと考えるようになり,8月30日~9月7日,
もてるものとして体力,時間,少しのお金によって,海外ボランティ
アに挑戦しました。生まれてはじめて訪問する外国,それも4月25日
に阪神・淡路大震災以上であったネパールです。カトマンズ空港に着
くと,ネパール人の熱気,笑顔,談笑の勢いに驚きました。道行く車,
単車,自転車もエネルギッシュです。豊原正尚副住職にチベット仏教
の寺院に案内されました。
 初日の夜は,岩村代表は貧しく定職,持ち家,結婚において差別さ
れているダリット層と親しくなります。泊まるホテルも地震でだめに
なっているから寝袋を持っていくぐらいに思っていました。しかし,
違うのです。ボランティアは家や家族,財をなくした人たちに寄りそ
うために,野宿するのだと言われます。大切なモノを失った人に感情
移入するには,「~してあげる」という上からの目線では心が通じま
せん。実際,東北ボランティア,前回のネパール訪問やバヌアツなど
でもボランティアはホテルに泊まりません。貧しさ,乏しさ,空腹を
共有してこそボランティア道なのだと学びました。初対面にもかかわ
らず,彼らは見知らぬ日本人のために,地面に寝床をつくってくれた
り,温かい人情味あふれる接し方に心打たれました。寝袋がとても暖
かく感じ,休みました。
 ネパールも日本も同じ多神教の国です。日本の「能」の筋書では,
旅人が一夜の宿を乞うと必ず門前払いです。「一見さんお断り」なの
です。日本とネパールはずいぶん異なるなあという印象です。日本の
JRや乗り物で出会う初対面でも家族のように受け入れ合うようにな
ればいいなあと寝床で思いながらいつしか熟睡していました。

第三面①20150901ビゼソリ寺院清掃後

ビゼソリ寺院 左端 筆者 隣 代表 右端 村田義人さん

 フォークや箸を使わず,右手で食事をし,道ですれ違う人にも「ナ
マステ!」(こんにちは)とあいさつする習慣にもすぐに慣れました。
二日目は,ネパール人の心のふるさとであるビゼソリ寺院 Bijeswori
templeに連れて行かれました。そこで一緒に行動している大学生村田
義人さんと清掃ボランティアをしました。旅行者と異なり,現地の人た
ち,被災した人々と共生するボランティア体験は与える側というより受
ける側の感動,未知の人たちとのつながり,縁がとても強烈でした。し
てあげたという感覚はなく,むしろ「サンキュー」と言われたりするこ
とによる励ましをこちらがたくさんいただきました。ネパール人は物質
的には決して裕福とは言えません。しかし,よそ者であろうとなかろう
とふところが広く,惜しみなくもてなしてくれます。私たちがぜいたく
をしないで,ボランティアの格好,態度,笑顔をしていること,被災地
で少しでも役立ちたいという気持ちが伝わり,そうしてくださったので
しょう。

ネパール報告会各紙カラー

新聞寄せ集め 2015年9月16日,県民会館で報告会

 3日目は,マナハリという田舎に行きます。アデッシュさんの家族
や,キリスト教会にも泊めていただき,お腹がはちきれるほど食事な
どで歓待されます。ボランティアは貧しい人たちと共生するというこ
との体験を深めていきます。大都会のカトマンズは,震災後,約3ヵ
月を経て,倒壊家屋を脇目にお金持ちはどんどん元のぜいたくな生活
に戻っていく面が見受けられました。一方,数時間離れた地方に行き
ますと,つつましいながら,親,家,友達を失った子ども,孤児たち
は歯を食いしばって耐えています。私たちにできることは限られてい
ます。孤独な子どもたちに寄りそうことによって,彼らが大人になっ
たとき,同じように,寂しい思いをしている人たちに積極的に近づく
ことができるようになればいいなあと思ったりしました。
 未知であった国に出かけ,庶民はどこの国でも正直であり,お互い
に受け入れあうという見聞を深める機会を与えてくださった神戸国際
支縁機構に感謝します。たとえお金がなくても,言葉が通じなくても,
文化がちがっても世界中の人たちと親しくなれる自信が深まりました。
大学を卒業して,日本と海外を結ぶさらなるチャレンジをしたいと願う
ようになりました。おそらく国内にいただけなら思いもしなかった契機
でしょう。ありがとうございました。

クリスチャン新聞(2016年10月23日付)

クリスチャン新聞(2016年10月23日付)