長浜幼稚園 教師
平塚幸子

 あの日は三月だというのに雪が降り、寒い日でした。

年度末という事で卒園式をひかえ、卒園式の練習を行いました。

 あの時間は、送迎の最終バスが出発した後で、預かり保育を利用していたこども達が20人程園に残っていました。職員は7名残っていました。地震が発生すると同時にこども達を机の下にもぐらせたり、何も倒れてこない広い場所に集め安全の確保に努めました。普段から99.9%の割合で宮城県沖地震がくると言われていたので職員の中でも多少の心構えと、こども達も他の地域に比べると地震に慣れている部分もありました。

 ちょうど二日前にも地震を園で体験したばかりでした。

園にいるこども達は身の安全が確認出来ましたが、送迎バスのこども達は大丈夫か心配で揺れがおさまらないうちに何度も園バスの携帯に連絡を取りましたが、つながることはありませんでした。長浜幼稚園は幸いにも地震での建物の被害はなく、物が倒れるくらいでした。しかし、外を見ると地面のコンクリート部分が割れ、水が噴き出していました。停電もして情報収集も出来ない状態でしたが、尋常じゃない揺れに津波が来るのでは…と思いました。地震の後にすぐお迎えに来てくれた保護者もいましたが、このままここにいてはいけないと判断し、こども達にはジャンバーを着せ靴をはかせ職員は着の身着のままで外にでました。その時、防災無線からは大津波警報を知らせるサイレンが聞こえていました。

 長浜幼稚園では、地震津波に対するマニアルを保護者に配布していました。津波の警報が出た時の避難場所が近くの渡波中学校に指定されていましたので中学校にむけて走りました。

 怖くて泣き出す子もいましたが、慰める余裕ももちろんなくとにかく抱っこをして走りました。その時の光景は今も目に焼き付いています。近くの運送会社の方たちは避難することもなく仕事をしていました。海の方を見ているお年寄りもいました。そして、国道は車で大渋滞でした。多分、私もそうでしたがあの防波堤を越えて津波が来るとは誰も思っていなかったはずです。

 もうすぐ中学校に到着という時、防災無線から女川に津波が到着した…という知らせが聞こえてきました。

 学校の前では、中学校の先生方が誘導してくれ、3階まで上げてくれました。近所の方も避難をしてきたり私達が中学校に避難しているのを知り迎えに来る保護者もいました。そして、送迎バスもこども達を全員送り届けて幼稚園に戻りましたが、私達がいないのを確認してすぐ中学校に来て無事再会しました。その後すぐです、あの大津波がきたのは…。こども達に津波を見せては一生のトラウマになってしまうと思い、周りがいくら泣き叫んでもいたつて平然とこども達と話をしたり、不安にさせない様、笑顔に努めました。その後、津波が二波三波ときたのは言うまでもありません。二階校舎まで水は突き破り、三階にいた私達は孤立した状態でした。

 

 

 その日は、石巻に、いや東北に日本に何がおきたのかわからず、ただ暗い寒い中朝がくるまで待ちました。あんなに長い夜は初めてでした。でも、こども達は疲れたのか早めに寝てくれ、誰一人も泣くこともなく頑張ってくれました。

 翌日になり、食糧もない状態で、こども達も不安から体調を崩し始めた子もいました。

 とにかく、早く親に引き渡さなければ…。と思い大津波警報が解除されるのを待って親を探しに外にでました。そして、あの衝撃な光景に驚きました。戦争…?の後かと。そして、長浜幼稚園はもうないだろうとその時思いました。まだ水の引かない道や民家の屋根、倒れた車の上などをただ必死に歩いたのを覚えています。

 

 

幼稚園の屋根が見えた時は嬉しかったのと同時に変わりはてた幼稚園に言葉を失ってしまい、ただ涙でした。

 

 

 子ども達との思い出や何年もかけて築きあげてきた物が一瞬にして消えてしまい、自然の怖さや破壊力を知る事となりました。震災後、三日目に預かっていた子ども達をすべて親や知人に返すことができました。

 そして、私達職員も家族の安否が分からない状態でしたので一度帰宅することにしました。その後、園児の安否確認の為、職員で家や避難所を回りました。正直、渡波、鹿妻地区に住んでいる家庭がほとんどでしたので安否確認には一週間以上はかかったと思います。無理かと思っていた卒園式も姉妹園を借りて行えることが決まり、周りの業者さんの御支援で証書も作り直していただきました。そして、私達は何度も長浜幼稚園に足を運び子ども達の制服を瓦礫の中から見つけては洗う事を繰り返していました。それともうひとつ長浜幼稚園の園旗を必死に探しました。そして、卒園式前日にやっと見つけた時には感無量でした。

 卒園式は無事終わり、子ども達を送り出すことが出来ました。何もないところからのスタートでしたので、本当に周りの方々からのご協力に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

 長浜幼稚園では、海が目の前ということで津波に対してのマニアルを地震の大きさによってどの様な対応をとるか、保育中、送迎中によってもどの様な対応をとるのか保護者に知らせてきました。また、教師間でもどの様な対応をとれば良いか話合いもしてきました。子ども達には防災クッションも準備してもらいそれを使って避難訓練も行ってきました。しかし、その日は実際クッションをかぶることなく急いで避難することになりましたが…。それと、震災がおきた時、保護者にきちんと引き渡す事が出来るように園児引き渡しカードを作成していました。引き渡しカードには、保護者の緊急連絡先はもちろんですが、お迎えに来てもらう時の優先順位なども書かれており、保護者の方にとっても意識づけにもなっていたと思います。

 

 そして、今回私達は渡波中学校に避難しました。鉄筋で高さはありますが、海からは近い場所にあります。

助かったので言えることかもしれませんが、もし、中学校に避難して何かしらあったらどうして海の近くににげたんだ…と言われたかもしれません。

 今回の震災で私達、教師は命を預かっている、命と向き会っている事を実感しました。

 子ども達の親からは、助けていただきありがとうございました。と感謝されましたが、私達からいえば子ども達がいたおかげで私達もすぐに避難をして命を救われました。逆に子ども達に感謝です。

 

 反省点ももちろんあります。震度5以上の地震や津波警報が出た時は保護者にすぐ迎えに来て下さいとしていましたが、今回子ども迎えに来ようとして津波の被害にあってしまったお母さまもいました。

 幼稚園では子ども達をお預かりしていますので、自分の身の安全を確保してからお迎えに来て下さいと直しました。そして、今後の課題はバスで送迎中、ここの地区を走っていた時はどこに避難するかなど場面、場面での避難場所を決めておくことが大切と思いました。

 

 今回の震災を体験して、絶対ということはないと言う事を実感しました。

 普段からの備えはもちろん大切で、日頃のシュミレーションが必要です。そして、とっさの判断力が大げさかもしれませんが運命を分けることになるのかもしれません。

 今回は何もほとんど持たずに避難しました。逃げるのに精一杯で、もしかして貴重品だ何だと持っていたら逃げ遅れていたかもしれません。園児引き渡しカードが入ったリュックのみ持ちました。

 あんな経験はもうどこの子ども達にもしてほしくありませんが、私達の経験が少しでも今後の震災に対してお役に立てればと思います。