第42次東北ボランティア報告

2014年8月17~20日 宮城県石巻市渡波にて

女川仮設住宅沿道

第42次東北ボランティア 女川町仮設住宅の沿道整備を終えて

修空館にて  小野寺脩館長先生が撮影してくださったが,代表がちゃんと動画モードから静止画に変えていなかったため,大爆笑。

第42次東北ボランティアに参加させて頂いて

                      近畿大学1回生 植地亮太

 先日は宮城県石巻市に行かせて頂き,本当にありがとうございました。高校2年のときに実際に被災された方の話を聞かせて頂き,その時から現地に足を運びたいと思っていて,ようやく実現できました。

 自分が中学3年の卒業式前に起きた東日本大震災から3年半もの月日が経ちました。テレビの仙台空港の津波の映像が今も忘れられません。

 最初にバスを降りた場所は門脇小学校の周辺で,ほとんど周りに何もなく雑草が生えていました。これが津波の恐ろしさなのかと思いましたし,津波は何もかもを流してしまうんだということを感じました。また,数少ない残っていた建物も津波の恐ろしさを教えてくれた気がします。

祈りの杜前で

 西光寺の住職さんの話を聞かせて頂きました。その話は自分の心に響いて染み込んできました。国・行政・教育委員会や真実を伝えないマスコミへの怒りが大半を占めていたように思えます。大震災が起きて,大きな被害を受けた,そのような時に“怒り”が込み上げてくることが今の日本の状況なんだと感じました。

 その後,まだあの時のまま残っている家に行きました。その家はとても立派で町でも一,二の裕福な家だったそうです。1階は津波の跡がそのまま残っていたような感じで,自分が最も印象に残っているのは海の潮の匂いです。津波というのは様々な形で跡を残すんだなと思いました。

大山宅

 2日間に渡って傾聴や,農業,漁業のボランティアに従事しました。自分は稲の収穫前にする栄養分をとってしまうイヌビエを抜く作業をさせてもらいました。正直,稲刈りに役立つのかなとも思いました。しかし,こういう小さなことを積み重ねていくことが大切なことなのかなとも思いましたし,小さなこと,大きなことに限らず,心を寄り添わすことに大きな意味があるのかなと思いました。

際前a

万石浦かき工場

 最終日には,ニュース博物館「石巻ニューゼ」に行かせて頂きました。そこでは,当時の写真が展示されていたり,小学生の作文が展示されていたりしています。武内宏之館長から地震・津波発生時の説明をくわしく語って頂きました。

 一枚の展示写真がありました。その写真は津波にのみこまれましたが,奇跡的に助かったカメラマンが届けた写真でした。そのカメラマンは何度も睡魔に襲われ,凍死しかけたそうです。その寝そうになった時に歌を歌ったそうです。その歌は子どもの時にお母さんから聞かされた歌ばかりだったと言っていました。人間は絶体絶命の時になったら,自分も親のこととかを思い出し,自分を奮い立たせることが人間の強さなのかなと思いました。絶体絶命の中で生き抜いたエピソードに圧倒されました。こうやって写真という形で残すことは当たり前ではなく奇跡のようなものだと思いました。

 今回東北ボランティアに参加し,自分が学んだことを自分自身がどう受けとめ,行動に移すかによって実を結びます。石巻の方々も思いやりに基づいた行為を望んでいると思います。
 実際に行って見てみないとわからない,気づかないことばかりでした。改めて自分にとっての“当たり前”って何なのか,自問しました。“当たり前”に思い込んでいることが横着,無関心なことではないかと考えさせられました。

 とりわけ,今回のボランティアを通じて出会えた仲間とのつながりを大切にしていきたいと思います。皆とても魅力的で素敵な人たちです。自分にとって良い刺激をあたえてくれました。こういう人たちと出逢えることも決して当たり前じゃないと思いましたし,ありがたいことなんだと思いました。

 また,継続して参加させて頂きたいのでよろしくお願いします。本当に貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。

修空館

 事務局コメント 報告者植地亮太さん,西田怜奈さん,森 花梨さんは丹波水害にも9月12日,参加されます。本田哲郎セミナー受講者だけでなく,修空館も支縁してくださいます。

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