第21次東北ボランティア報告

 北陸道から東北自動車道を二台のレンタカーが神戸市JR朝霧駅を出発して向かいます。計17名です。各車輌には,一台につき最低4人ずつの運転できるメンバーがこまめに交替します。疲れや睡眠不足の影響が少しでもあれば,運転を控えていただきます。
 支援物資や,餅米が予定をオーバーしていたため,自転車などは積み込めませんでした。浜口正人さん,「阪神宗教者の会」の西福寺や光円寺は寛大に餅米を提供してくださいました。石巻市渡波の子どもたちが喜ぶ姿を祈念しておられます。

 参加者全員の感想文を掲載すればよいのですが,三人だけの分を報告します。

 震災からもうじき2年が経とうとしているのに,復興しているというにはまだまだ程遠い状態で,時間が止まっていたかのように,初めて被災地を訪れた私にとってはほとんど進んでいなかったのではないかと思えるぐらいの状態だったことにショックを受けました。
 特に被害がひどかった地域ではまだ集められたガレキの山があり,ほとんどの家は津波により流されて,更地のような状態でしたが,点々とだけ,まだ新しそうな家だけが残っていました。しかし,家の中はぐちゃぐちゃでとても住めるような状態ではありませんでした。

 メディアでは次から次へと新しいニュースが飛び込んできて,震災のことを取り上げる事がどんどん減り,人々の記憶は薄れてきてしまい,自分もその一人だったと思い知らされました。

 テレビや新聞ではなく自分の耳と目で被災された方のお話を聞き,被災地を見て想像を絶する体験をされたんだなと感じました。

   門脇小学校前で,山本智也リーダーが撮る

 今も尚,大変な生活を強いておられるのに,私たちを温かく受け入れてくださり,神戸から来たことことにねぎらいや感謝の言葉をかけていただきました。

 阿部捷一氏の体験談     佐藤金一郎ご夫妻     阿部勝氏の農講義

 印象的だったのが,廃墟となった小学校の窓ガラスが津波や火事でなくなっていたところにベニヤ板が張られており,そこには子どもたちの手形やたくさんのメッセージが込められていました。また至るところに「がんばろう東北」というメッセージをみるたび,被災された方たちが再び立ち上がろうとする姿が感じられこちらが元気をもらった気がしました。

 今回初めてボランティアに参加しましたが2年が経とうとしている今,ボランティアに求められることも変わってきていると思いました。建物の再建という,目で見てわかる復興だけでなく,心に深く傷を追った人たちが本当の意味で復興したと呼べる日まで現地の方の声に耳を傾け,心の声を聞きだす努力をし,行動することが復興への道だと思いました。

  阿部節子さん宅        阿部純子さん宅

  以上,私なりに感じたことを長く綴ってしまいましたが,東北が一日でも早く復興できるよう,お祈りするとともにまた機会がありましたら,ボランティアに参加させていただきたいと思っておりますので,どうぞよろしくお願いいたします。
                                            木戸 佳奈子

 いつもお世話になっております。
 1月の石巻ボランティアに参加させて頂いた榊原です。 先日より,お話頂いておりました。 2月23日(土)「Let’s 農(know) 林漁」の件ですが,上司に相談したところ「せっかくなので行ってきなさい。」と快諾してもらえましたので,なんとか都合がつきました。ぜひ,参加させてください。

 また,ケニアでのボランティアの話ですがパワーポイントで写真等を見せながらお話させて頂きたいのですが,PCはお借りすることはできますでしょうか? 私自身,ノートPCを持っておりませんので,こちらで用意しなければならない場合は職場のPCを借ります。

 あと,以下は先日のボランティアの感想文です。
遅くなって申し訳ありません。

 今回の石巻ボランティアは一年ぶりに二回目の参加でした。正直,復興がどれくらい進んでいるのかを見るのを楽しみにしておりましたが,そんな期待は石巻に到着した瞬間,吹き飛ばされてしまいました。今もまだ撤去されずに廃墟と化した家や学校,撤去された後,何も建てられていない空き地,積み上げられたままの物凄い台数の車,巨大な瓦礫の山。去年石巻に初めて来た時の風景が容易に思い出せる程の変化の無さを見た時は何も言葉が出ませんでした。また,地元の方から伺った地元産業がまだまだ再開できていないという現状も,改めて復興がいかに容易でないことなのかを思い知りました。

 よくメディアで目にする「おかげさまで被災地は少しずつ元気を取り戻してきています。」という言葉は被災地の方とそれ以外の方で受け取り方に大きなギャップがあると思います。しかし,これは実際にその場所に身を置かなければ感じることはできないと思いますので,そういう意味では,今回のボランティアに参加したことは現実を知るいい機会になったと思います。

 また,写真家の阿部美津夫さん,石巻日日新聞の方々など,震災に負けずに力強く生きている方々の行動力には本当に驚かされ,人間の強さを感じ,自分も見習わなければと思いました。

フォトグラファー阿部美津夫氏  作 品

石巻NEWSeeの武内宏之氏に女性たちは熱心に耳を傾ける

 今回,2回目の参加にもかかわらず,やはり1回目同様,被災地の方々に対して自分が何かできたのかはよくわかりませんが,岩村先生の「被災地の方々と同じ空気を吸う」という言葉の意味が被災地の方々の話を聞くなかで少し理解できたというか,感じることができた気がします。

 毎回,自分に何ができるのかを考えさせられますが,考えることも大事なことだと思いますので,また機会を作って参加したいです。
                                       薬剤師  榊原 英朗

 

 

 この度のボランティアに参加させて頂き,誠にありがとうございます。
 被災地の現状を知り,石巻の人たちの暖かさを知り,また最高の仲間を作ることができた4日間でした。

 私は昨年,実家から離れて仕事をしていたのですが,職場で正しいことが為されていないことで辛い想いをしており,そのような中で母親を亡くし,それでも耐えて乗り越えなければいけないと思って頑張っていましたが,とうとう体も壊してしまい仕事を辞めてしまいました。それが先月の末のことです。それまでも人生の中で辛いことはたくさんありましたが,いつも乗り越えてきたのでなんとかなるだろうと思っていましたが今回は無理でした。
自信をなくし,職も失った状態で大阪の実家に帰ってきました。とりあえずゆっくりしようとは思ったものの,毎日やることもなく,何をするにも気分が滅入る状態でした。次第に怠惰な生活リズムになり,夜もなかなか寝付けないような状態になった時に,ふと東北に行ってみようという考えが浮かびました。自分が何をできるかなんて全くわからないけど,インターネットを開いてみればまだまだ必要とされているのだということを知り,たまたま目についたこの神戸国際支援機構の事業に参加することを決めました。

 被災地へ行くのは初めてでした。震災が起こった時は本当に恐ろしく感じていてテレビで流れる映像にただ衝撃を受けるだけでしたが,時が経って恐怖が薄れ,まるで過去の1部というようなイメージになりつつありました。
なので最初に訪問した門脇小学校の状態を見たときは改めて事の重大さに気付きました。そして,放置されたままの防波堤や積み上げられた車を見てまだまだ全然復興してないことに驚愕しました。今思えば復興予算の流用と言った問題が過去にありましたが,これは何が何でも酷いと思いました。もちろん震災発生時は未曾有の事態で政府も混沌とした中でなんとかしようと頑張っていたとは思いますが,結果的にこれだったら信頼も何もなくなって当然です。本当に知らないといけない部分をやっと知れたような気がしました。
ただ,被災者の方々の話は本当に心温まるものが多かったように感じます。ライフラインが途絶えて辛い想いをしたことや,色んなものが流されて絶望的にな経験をされているのに,私たちが関西から足を運んだ事に喜んで頂き,感謝の気持ちで迎え入れてくれました。そして,皆さんの笑顔が本当に素敵だなと感じました。なんだか,訪問したこちらが皆さんに元気をもらったような気がします。本当に感謝です。
 そして,ボランティア作業をさせて頂きました。私は『農』のグループで,緑色の袋に入った20kgほどの籾殻をトラックに積んで,5kmほど離れた農地へ運んで降ろすと言った作業を延々と続けました。1日目では終わらず,2日目まで持ち越しました。71歳の阿部勝さんがシャキシャキ動いているのを見て,負けてられないと思いました。そして,その作業中にふと自信がわいてきました。これまで自分がしてきた仕事がここで発揮されていると感じたからです。仲間とコミュニケーションをとりながら一つの作業を完結させていく,特に2日目は人数が減りリーダーも居ない状況の中なんとか終わらせてやろうという想いの中,5人で協力して終わらせる事ができました。なんとも言えない達成感,そして阿部さんに喜んで頂けた事が本当に嬉しくて最高に良い経験をさせて頂けたと感じました。
そういった作業を乗り越えたことで,初対面でぎこちなかった私たちも心を許し合い,様々な会話をするようになっていました。帰りの車では,原発問題について熱く語り合いました。何か思っている事はあっても声に出して原発問題について語り合えることなんてなかったので,本当にこの4日間を通して私たちは絆が深まったのだなと感じました。

 岩村先生はじめ,神戸国際支援機構,石巻の方々,そして共にボランティアに参加した仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。
 まだまだ大変な状況が続く中ではありますが,これからも何か貢献できればと思っています。そして少しでも多くの人にこの状況を伝えていこうと思います。
今後ともよろしくお願い致します。ありがとうございました。

                                              小西 健太

餅つき大会

 2013年1月22日,宮城県石巻市渡波の万石浦幼稚園(北川禮子園長)にて餅つきをしました。
 あいにくのお天気にも関わらず,元気いっぱいの園児と園児たちの親御さん,地元の300名以上にお集まりいただきました。農や,在宅被災者戸別訪問と平行しての作業でした。
 200名以上の分のおもちを用意すると聞いた時は,「もちつき」などしたことがなく,何からしたらいいのかさっぱり想像できませんでした。宿泊している修空館の小野寺玉枝夫人やボランティアみんなのお母さん的存在の小島芙美子さんが手馴れた手つきで私たちに的確に指示してくれたおかげで,不安もなく,準備をすることができました。地元の方は喜んでくれるだろうかと期待しながら,前日の晩から二俵(60kg)ものもち米を洗いました。当日使われる大量のお湯を沸かし,電気ポットに入れて保温して備えました。翌朝,五時起床で,次から次へと蒸篭でもち米を炊きました。炊きあがったふっくらとしたもち米は幼稚園でつく分と,餅こね器ですでについておいた分と小野寺館長の息子さんが作った立派な杵とうす二つと一緒に運びました。
 宿舎から四十分かけて,もちつき会場の万石浦幼稚園に向かいます。すでに幼稚園の先生,園児の母親たちや渡波婦人会(須田勝子会長)もスタンバイできている状態でした。また涼風園(中居勉施設長)からお借りした杵と臼もありました。渡波地区振興協議会(吉野雄一会長)の開会のセレモニーもありました。園長先生から子どもたちに,五人のボランティアがなぜ神戸から来たか,阪神・淡路大震災の時,どうだったか,お話をするように依頼されました。薬剤師の榊原英朗氏は前回,石巻に来てからケニアに行った体験を園児たちに話しました。ゲームをしたりして子供たちと,餅つきが始まるまで楽しい時間を過ごしました。

準備が整い,一ヶ所は屋内で,二ヶ所は軒下で「ぺったんぺったん」と餅つきが始まります。
 最初はもちをつくコツも分からなかったのですが,魚谷浩さんが「まずは杵を寝かして,こめづぶを潰すようにならしてから,こうやってつくんだよ」と見本を見せてくれました。合いの手も婦人会の方が見事なタイミングで,餅をつく人の左に座り上手にされていました。その光景に「これがもちつきか」と見とれてしまいました。
 園児たちが集まってきて,本格的にもちつきを始めます。「どうやってするの?」と言わんばかりに興味深そうに見ていました。「やってみる?」と聞くと,嬉しそうに「うん」と答えます。子供用の小さな木杵を渡すと,小さな体で重たい木杵を持ち「よいしょっ!」とかわいい声で餅を一生懸命つこうとしている姿がとても愛らしかったです。室内ではついた餅を園児たちの一口サイズと大人の一口サイズとにちぎり,きなことみたらしと二種類作りました。東北のきなこはうぐいす色をしているのに驚きました。関西では黄土色が一般的ですが,東北ではうぐいす色が主流だそうです。婦人会の大島ます子さんたちともお話しすることが出来,地元の方とも「もちつき」を通して交流することができてとても楽しかったです。私も幼稚園の時にもちつきをしたことがあり,うっすらと記憶があります。地元の千葉幸一氏,阿部清義氏,米谷富宏氏,丹野清市会議員,小野寺脩氏,平塚俊夫氏たちもお餅をほおばりながらおいしいとよろこんでおられました。

 ここにいる子たちも今日の事が少しでも記憶に残ってくれたら嬉しいなと思いつつ,万石浦幼稚園の先生たちに見送られながら,次のボランティア活動に移りました。

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