第43次東北ボランティア報告 浪江町,双葉町,富岡町 未完

2014年8月31日~9月3日 福島被災地ボランティア

 女性参加者は福島県放射能被曝による胎児への影響を考慮し,お断
りしました。学者, 宗教者,ボランティア団体事務局員で構成されて
います。あらかじめ,案内してくださる現地在住であった吉田師(仙
台教区浜組町 富岡町西願寺[さいがん] 住職 56歳)と淳子夫人(51
歳双葉町光善寺出身)や,木ノ下秀俊事務所長(東日本大震災現地災
害救援本部,総本山京都東本願寺真宗大谷派仙台別院勤務)に, 五百
井正浩[真宗大谷派災害対策本部ボランティア委員長]が交渉してくだ
さっていたおかげで検問も難なく通過し,3年半前そのままの七町村
に入ることがで きました。

 宮城県石巻市渡波 ~ 福島県浪江町,双葉町,大熊町,富岡町,
楢葉町,広野町,川内村

 帰宅困難区域を訪問。公開できない膨大な情報なので未整理 一部,
「朝祷誌」で報告。

双葉町

福島県双葉町

 ≪動画参照≫ 無人と化した双葉町 2014年9月2日

防護服線量測定

富岡町で放射能測定 2014年9月2日

  宮城県石巻市桃生町の宿舎である修空館を出て,同町の浄音寺にあ
いさつに立ち寄ると,早朝にもかかわらず,加藤賢宗住職が浄財を気
遣ってくださ いました。三陸道から常磐自動車道の山元町で降りま
す。読売新聞福島支社の大月美佳さんから福島での様子を聞き,国道
6号線を南下していきます。震災後で すが,福島県にはおびただしい
車が行き来している光景を見て,すっかり回復したのかと思って,車
窓から見ていますと,半時間もしないうちに様変わりです。 草に覆
われた更地のような光景がぽつりぽつりと目に入ります。

浪江町

無人と化した浪江町  浪江町役場前

  浪江町役場前 死んだ街  色がある花を見て感動

 福島第一原発近くの浪江町に入ってくると急に変化します。走る車
は乗用車がなくなります。原発関連のトラックだけになります。道路
脇に待機する監 視のパトカーや,6号線には緊張した空気が張り詰め
ています。震災後福島県から兵庫県に移住した親しいあとりえとおの
画家≪参照≫渡辺智教さんが6月8日神戸市明舞で お話しくださいまし
た。震災後に,目に見えないけれど,放射線量は自分の身体の一部で
ある額で感じると語っておられました。

渡辺智教

 違法な侵入を取り締まる福島県警のものものし さとは違う何かが
漂っているのではと気になります。

 現地で案内を五百井正浩氏が依頼していた吉田信さんご夫婦とコン
ビニで11時の待ち合わせです。お二人はいわき市の仮設住宅から来
ます。私たちが訪れる前の週,8月27日に浪江町で唯一の「ローソ
ン」がオープンしていました。吉田さんに交渉した五百井氏は携帯
で浪江町のどのコンビニか確認した際,浪江町には一軒しかないか
らわかるとのことでした。 ローソンに入ると,どことも同じ陳列で
す。お会いした村瀬達也支店長は工事関係者のために,月曜から土
曜日,午前7時~15時までだけ開店することにして いますと語って
いました。予定より1時間前に着きました。浪江町役場を訪問してみ
ることにしました。バリケードがあります。JR常磐線浪江駅へ続く
通りを 見て,戦慄を覚えました。南北を走る商店街はもぬけの殻で
す。人っ子一人いません。街が死んでいるのです。原発のある富岡町
より三つ手前にある浪江町です ら,殺風景な無人の街になっていま
す。ゾンビによって皆殺しになった観があります。

 役場の玄関の小さな花壇には花があります。緊張をほぐしてくれま
した。人が世話している痕跡をみるとホッとします。役場の前に自動
車が停めてあり ました。駐車場から役場の建物を見ると人の気配が
します。アポをとっていませんが,街の様子を聞いて見ようと建物内
に入りました。すると役場の職員たちが 清潔な建物の中で,どこの都
市でも見られるように,仕事をしています。受付らしきものはありま
せん。若い美しい女性に直接,帰町準備室の表示のカウンター で,お
話しを傾聴させてほしい旨を伝えますと,ソファに一行5人と鈴木悠一
帰町準備室課長補佐が応対してくださいました。第1次産業である農業
と漁業が打 撃を受けたこと,帰還できないで二本松市,南相馬市,福
島市などの仮設住宅住まいの被災者との連絡調整に腐心しておられる状
況が伝わってきます。職員も全 員,南相馬市の原町などから車で通勤
です。地元に町民がいなくても行政はやることが多いこともわかりま
した。

 離婚や相続など家族同士の法的トラブルもあります。職員にとり悩
ましいのは,原発被害に関する賠償請求が認められない課題が大きい
でしょう。町民が帰還できたとしても田んぼ,漁業を再開する糸口は
ないのです。

 役場を出ると,公共施設などの土を除染したビニール袋が積んであ
ります。浪江町は除染した土を中間貯蔵施設として国道6号線の海沿
い地帯に承認していますが,破れて中から漏れているのにどうやって
運ぶのか気になりました。

放射能線量

 役所を出て,コンビニ近くに停車している男性二人に話しかけまし
た。人がいないところで勤務していますから,人恋しいのか初対面で
も気心が通じま す。仕事について猛暑の中,地図を塗り潰すように,
背中に線量計を積んで巡回すること,空き巣がよく入り込んで獣道の
迷路で困っていることなどについて堰 を切ったように話してくれまし
た。本人たちが会社から与えられている線量計は児童生徒が肌身離さ
ずもっているタイプの線量計です。放射能の単位は mSV(ミリシー
ベルト)です。国が避難の目安にした年間被ばく線量20ミリシーベル
トと聞き及ぶ方がおられますでしょう。メルトダウン(炉心溶融)では
数千~1万ミリシーベルトと報告されています。

 たとえば,病院の胸部CT検査1回の線量は10ミリシーベルトです。
エックス線撮影の200~300倍になります。そこで,「日本人のがん
の 3.2パーセントはCT検査が原因」「15ヵ国で,日本がもっとも
検査回数が多い」「発がん寄与度は、英国の5倍」(読売新聞 2004
年2月10日付)の報道もありました。医療現場も原発同様,お金や利
権が関与しています。慶応大学医学部の近藤誠氏が「CT検査でがんに
なる」と 「文藝春秋」(2010年11月号)で発表しますと,原子力関
連企業に籍を置く人々で構成される「日本原子力学会シニアネットワ
ーク」「エネルギー問題に 発言する会」「エネルギー戦略研究会」の
三団体から編集部は抗議を受けました。興味深いことに,医者や学会
は一切反論・批判はありませんでした。「CT検 査でがんになる」(近
藤誠 文春新書 2011年)。

 浪江町の役場に固定している線量計の数値によると,0.13マイクロ・
シーベルトです。「お持ちの線量計ではどうですか」と聞いて見ると,
ゼロと 言われます。ここはゼロだが,巡回している双葉町,大熊町な
どは数値が高くなるという反応です。さきほど豊原正尚氏(訪問団事
務局長)の線量計によると同 じ地点で計測すると役場のものより高く
なるのはどうしてか腑に落ちませんでした。そこで,作業員のもつ線
量計はゼロに対して,コンビニ前は0.23になる ことを申し上げると
けげんな顔をされました。納得がいかないのを確かめるために一行が
いるハイエースに連れて行きました。「比較してみましょう」との誘
い かけに応じてくださいました。すると線量計によって数値が違う
のです。ちなみにリックのように背負って計測する数字はGPSで直接
本社に送信され,本人た ちは知ることができないとのことでした。

 浪江町の最初の印象として,不可解な数字は滞在中ずっと思いから
離れませんでした。日立などの日本製の線量計は数値が低くなるとは
聞いていました が,計測の専門家たちでさえ,正確にはわかっていな
いのは衝撃でした。政府,行政が報告している数字よりはるかに高い
数値が真実だとわかってきました。

 そうこうしているうちに防護服をもって吉田信&淳子ご夫妻が現れ
ました。「浪江町への立入りのしおり」に従い,帰還困難区域に立ち
入る場合は防護服やマスクの着用と線量計の携行を義務づけられてい
ます。

 防護服を着用する際,靴を履いたまま二重に足を包みます。マスク
もします。後ろから見ると,宇宙飛行士みたいです。だれだか判断で
きません。膚の露出は顔のわずかです。声を聞いて,勝村弘也氏だと
わかります。

 二台で国道6号線をさらに進みます。国道につながる道路のほとん
どは封鎖されています。浪江町が雇用した警備会社の職員に,検問
所で一人ひとりの身分証明である免許証を提示します。人数確認だけ
が形式的にされます。そこから国道の交通量もはるかに少なくなりま
した。

通行証

 9月末に解除されると説明を聞き,防護服もなしで高線量の地域を
通過していいのだろうかと素朴な疑問がわきます。東京オリンピッ
クの聖火ランナーが走る予定だそうです。ものものしい警戒と,メ
ディアに流される福島県浜通りの復興内容の違和感にだれしもが当
惑します。

 車内でどんどん数値が高くなるにつれ,心臓の鼓動も高まります。
発電所の近くに来たものの被曝しないで帰ることができるだろうか,
と過度の緊張,不安,心配が交差します。

福島第一原発

 原発が見える地点では計測器は最高潮です。10マイクロシーベルト
を超えます。しかし,日立製とか日本のガイガーカウンターは外国製
に比べると数値が低く表示されるのには驚きます。

ガイガーカウンター数値

 もうCT(コンピュータ断層撮影)検査みたいなものという楽観的な
見方はなくなっています。日本の原発メーカーの差し金に騙されまい
という気持ちが参加者に通底します。

 先頭を走る吉田信さんが原発に一番近い地点で停まります。車内で
もみるみる高線量になっていきますご自分の線量計を手にして後続車
に近づき,「こ こでは浪江町の比ではないしょう。数値を計ってくだ
さい」と言われました。なんと最高値です。覚悟していたとはいえ,
ついに来るべき所まで来てしまった。 もうあとには引き返せないとい
うあきらめ,開き直り,すぐには死なないだろうと瞬間によぎります。
すると危険について吹っ切れたように無感覚になります。 ちょうど
3.11の際,大津波が襲ってきた海岸線の宮城県石巻市門脇住民たち
は,自分は大丈夫だろうという変な諦観が混ざった安心意識です。実
際は安全で はなく,波の犠牲になってしまったわけです。高線量の地
点で自分だけは大丈夫という妙な危機意識の麻痺が生じます。人間は
幾世紀にもわたる自然災害に対し ても,たかをくくる傾向があること
を自分にもあることを発見して,背筋が冷たくなりました。

 大熊町など,第二原発を通り過ぎて,車窓から見る光景は,浪江町,
双葉町,大熊町と変わりがありません。人がいないのです。

富岡町

 大きなK’sケーズ店にさしかかると,先導車は駐車するようにと指
示があり,横の約3.5メートルのフェンス前で降りました。すると,
富岡町西願寺(さいがん)と表示があります。

西願寺前

 横に差し込んだ二本の鉄パイプを取り除き,鍵番号を合わせて解
錠します。境内に入っていくと左手に墓があり,奥に本堂がありま
す。本堂前で檀家も すべて仮設住宅住まいであること,4000坪の
寺をどのように復旧するか,難題であることなど説明されました。
もはや寺に法要,法事,墓参りに常時訪れる 人がいなくなってしま
ったのです。東電に雑草刈りをしてもらったりしていますが,再建
はまったくの未知数です。地震で倒れた墓は富岡町の町長が信徒で
ある せいか,復旧され,帰還が許された方の手向けた花が枯れてい
ました。

 寺の裏には新興住宅地があります。まだ新築で入居者をこれから
募集する直前である家屋もあります。中を見ないで,外観だけでは
実状はわかりませ ん。約3年半にわたり,人が人っ子一人住まなく
なると,どうなるか廃墟と化した街並みを見ます。お店の看板,標
識,倒壊した家屋は地震で倒されたままで す。家の前に牛の大きな
糞がころがっています。畑が牛糞の肥料で臭うように通りから臭い
ます。ネズミが,酪農の家の人が殺すのは忍びないと放置した豚が
野 生化して,人がいなくなった家に入り込み,めちゃくちゃにして
います。ネズミ除けの樟脳の臭いもしました。飼い主がいなくなっ
た牛,豚,鶏は自分たちで餌 を得なければなりません。空き巣や盗
みがなされないようにと,無人となった各家の前にはフェンスが張
りめぐらされる以前のことです。動物は家の玄関から畳 や床の上に
入り込みました。地震で破損した箇所からこじあけて侵入します。
雨露をしのぐためだったり,食品が残っているのを嗅ぎつけ,食糧
をあさるのが目 的です。イノシシは人家に入りませんが,イノブタ
[イノシシと豚の混血]は家の中にこじ開けて侵入します。イノブタ
はイノシシの5倍の繁殖力があり,一頭 が年間20頭を出産しますか
ら,捕らえるための箱わなをよく見かけました。ちなみにイノシシ,
イノブタは放射濃度が高く,食用にはなりません。留守宅をち らか
し,糞で家の中,周囲は臭くなっています。天井裏ではネズミが我が
物顔に走り回ります。国が退去させた住民に午前9寺から午後4時まで
一日立ち入りを 認めた時,檀家のお一人はわが家の変わりように人々
はへなへなと座り込んでしまいました。

 昆虫少年であったせいか,葉っぱの裏に生息する蛾の幼虫が気にな
ります。被曝したら,変形したりしないのかと目をこらします。一方,
こうした昆 虫,微生物,害虫と嫌われている生き物がヨウ素131,
セシウム137と セシウム134を食物として分解しないか,黙想しなが
ら,吉田氏の説明に耳を傾け,住みやすい環境がだいなしになってし
まった人間の合理化,科学万能主 義,便利に対する飽くなき追求につ
いて反省します。

 震災後,3年半近くに,泥棒も徘徊するようです。しかし,住職に
よると盗む人はすべての家に入らないといいます。ちゃんと目のつけ
どころが違うそ うです。つまり,遠方からの窃盗団ではなく,地元の
人が帰還した際,押し入っていることがわかります。コンビニで出会
った放射線計測の作業者は福島県在住 の人ではありませんでした。空
き巣がいたるところを荒らしているという情報を1時間前に聞いた時,
福島の帰還困難区域には専門の窃盗団がいると言われ,思 い込んでい
ました。東日本大震災後の宮城県石巻市におけるキャッシュレジスター
荒らしや,金庫泥棒,商店の盗みも地元の人たちであることについて樋
口伸生住職や市役所の方たちによって教えていただいていたので,なる
ほどなあと人間に共通するあさましさを考えさせられました。遠くから
は重機を運んで窃盗する のは道も寸断されており,物理的に不可能だか
らです。

 K’zは開店間際に原発事故。開店一週間前でした。商品を運び込み,
陳列棚に商品を搬入しているところの封鎖命令。商品を全部搬出し,
一度も販売 する機会なく建ったままです。西願寺に到着した際,車が
二台大きな駐車場にありましたから,量販店は商魂たくましく再建に
備えているんだなあと思っていま した。

K’sケーズデンキ

 帰り際に,お客さんも帰還する予定もないのに,商売熱心ですね,
「何かイベントでもされるのですか」と,ととりとめもない質問す
ると「あれは3年 半前からあのままの車ですよ」「もったいないで
すね」「いやー,持ち出せない車輌は全額おカネを東電が払うんで
す」「そうですか,では持って行く人はいな いのですか」「車体番
号があるから盗めませんよ。ただね。おカネ目当てに,わざわざ古く
なった車を持ってきて,新車代金を弁償してもらう輩も何人かおりま
したよ」

 フェンスを元通りに戸締まりして,富岡町を去ります。次に,向か
うは双葉町です。国道6号線から街に入ろうとすると「原子力明るい
未来エネル ギー」の大きな表示が商店街の入口にあります。東電か
らかつては財政支援によって潤沢な恩恵に浸っていた街です。無人の
地域になるなどだれも想像するでき なかったことでしょう。

続く

長命山正福寺

 

 

萱浜

 福島県南相馬市原町区萱浜(かいばま)

 

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