2014年10月19日~22日

 園児たちも楽しむ脱穀 黄金の稲穂

稲こき機

 稲刈りをして稲架掛け。市販のお米のほとんどが「機械乾燥」です。刈り取った稲は籾(もみ)ごと機械に入れ,短時間で乾燥させます。一方,昔の天日干し乾燥は太陽と風の力でゆっくりと乾燥させます。私たちは3年連続で,天日干しに挑戦しました。
 日本中,天日干しの風景は少なくなりました。「稲架掛け」(はさかけ)は天日干しをしたヒトメボレを脱穀します。
 宮城県,岩手県では「ほにょ」というイースター島・モアイ像ような天日干しがよく見られました。

ほにょa

 天日で干した稲は,さんさんと輝く太陽の力と海からのさわやかな風を受けます。

稲架掛け  稲架掛けから束

 昼夜の寒暖差によりアミノ酸と糖の含量が高くなります。また稲を逆さまに吊るすことで,稲穂の油分や栄養分,甘みが最下部の米粒へ降りてくると言われています。ですからボランティアの愛情がつまったおいしいお米に仕上がります。
 作業が夕方になり,「稲架掛け」や「ほにょ」が夕日に染まってとてもきれいでした。地域の子どもたちにつなげたい風景の一つだと思います。 ― 季刊誌「支縁」No.3より ―

第三面足踏脱穀機イラスト

 足踏み脱穀機で稲穂からモミガラ(皮のついたままの米)を打ち落とします。足踏み脱穀機のドラム部です。ここが回転して穀粒を掻き落とします。足踏脱穀機は1910[明治43]年に「千歯」にとってかわりました。大正の末からは電機モーターになり,今では機械コンバインの時代です。参加者のだれしもが生まれて初めて見ます。
 東北では稲扱き(いねこき)とよびます。脱穀は稲穂の束の籾(もみ)(皮のついたままの米)を穂から引き離す作業です。天日干ししておいた稲をみんなで「稲架掛け」(はさかけ)からおろします。

2014年10月21日

園児と稲こき機

落としたモミガラを「通し」に入れてわらくずやちりを取り除きます。

20141024脱穀
   「牡鹿新聞」2014年10月24日付

 一粒もお米を無駄にはしません。

 1俵分(60㎏)のお米を脱穀するのに3時間くらいかかりました。

 お米をとったあとの茎の部分が藁です。藁細工用に用います。かつて藁でワラジ,箕(みの 雨具)や米俵を作りました。稲は無駄なくすべてが使われました。昔の人の知恵です。収穫に向けて家族や村の仲間と力を合わせて,心をひとつにして成し遂げます。里山を取り戻すのに田植え,稲刈り,脱穀はとても大切な接着剤の働きです。― 季刊誌「支縁」No.4より ―

 西村望さんの報告   武庫川女子大学4回生

 私はこのボランティアで岩村代表と村上リーダーと共に,農作業を中心に取り組みました。今回は「脱穀」をしたのですが,現在使われているような動力脱穀機ではなく,使用したのは「足踏み脱穀機」です。木製のドラムにU字型の太い針金の歯がさしてあり,ここに穂先を当てます。足踏み式ペダルで,ドラムに回転力を与え脱穀します。「足踏み脱穀機」の使用はなかなかコツがいり,慣れるまで少し時間がかかりました。

 稲こき機で籾を落とした後は,「通し」という1センチ間隔の網に揺すり,藁(わら)を取り除きます。次に「唐箕(とうみ)」を使います。上から籾を入れ,ハンドルを回すことによって風が起こり,その風を利用して藁や籾殻など軽いものが外へ飛ばされ,お米と分けることが出来る農具です。

唐箕

 昔ながらの農具 現代の石巻の農家の方たちも使ったことがない

 これらの農具は,全て現地の方に貸していただきました。鈴木健一石巻森林組合代表理事組合長のお宅や,大崎市の千葉富男さん,大きな唐箕を神戸国際支縁機構にご寄贈くださった三浦敏壽石巻市稲井土地改良区理事長のところに伺いましたが,皆さんにこやかに迎えてくださり,親切にしていただきました。

 傾聴ボランティア

 また,農作業以外にも西光寺の樋口伸生住職,渡波3丁目の神戸国際支縁機構の阿部捷一先生,佐藤金一郎ご夫婦との出合いもありました。前月,稲刈りの後,稲架掛けを手伝ってくださった仮設住まいの保原政美さんからはたくさんのレタスをいただきました。
 樋口さんが門脇小学校の前で,震災遺構について「人の口,言葉で伝えていかなければならないのでは。」とおっしゃっていたことが印象深いです。

西村望

 倒壊家屋の前で話しかけてくださった佐々木泰(65歳),泰弘さん(29歳)親子に様々な話を聞かせていただきました。二人が住んでいた地域の津波は湊中学のすぐそばです。泰弘さんは「震災のことを話しているとやはり当時のことを思い出す。」と。ご自宅の住居は,二階建ての家ごと津波で流されてしまい,200㍍先のある家にぶつかり止まったと言われました。おばあさんの親しかった前,隣の70代の人たちはみな犠牲になったそうです。親子で自分たちでコンテナなどを活用し家を作りました。「震災を経験していない私たちに,こうして色々なことを聞かれるのは嫌ではないか。」という私の質問に対して「まだ全然復興していないのに,被災者ではない人々には,もう復興したと思われている。辛いけれど,話していかなければ。」という風におっしゃっていました。

湊中学校後ろから撮影。

 佐々木泰弘佐々木泰氏と代表

 私は,自分がボランティア活動をすることに関して「偽善」なのではないか,という思いが少しありました。しかし“やらない善より,やる偽善”という言葉をある人から聞き,こんな私でも何か行動することが大切なのではないか,と思うことが出来ました。また家族や友人に話すこと,こうしてレポートを書かせていただき発信することで,少しでも「風化させない」ということに繋がっていくのではないか,とも感じています。

 被災者の方から話を聞いて,私はどのような言葉を添えたら良いのかも分からず,相づちを打つことしか出来ませんでした。しかし実際に自分の言葉で聞き,目を見て聞くことによって,相手の想いがひしひしと伝わってきます。実際に自分の足で被災地を訪れることによって,メディアの報道だけでは分からないことが多くあると思います。

 万石浦幼稚園の園児たちとの交流もかけがえのない体験です。

修空館 村上裕隆と園児

 最後になりましたが,岩村代表と村上リーダーには本当にお世話になりました。今回の参加者は私一人で心細かったのですが,岩村代表と村上リーダーが笑顔で迎えてくださり安心しました。岩村代表は冗談を言って笑わせてくださったり,色々と気遣ってくださいました。村上リーダーは神戸から石巻までの運転も,農作業で疲れた顔をせず懸命に取り組んでおられました。お二人とも温かく素敵な方で,四日間笑顔で過ごすことが出来ました。本当にありがとうございました。

西村望