「田・山・湾の復活」

養殖d
  海苔の養殖ボランティア 2012年1月17日 石巻市渡波

 漁ボランティア班4名は,まず,壊滅になった本田巧さん(61歳)の家のがれき処理を手伝いました。母トシ子さん(92歳)は今でも現役で海苔の選別に手際よく,目を光らせて働いています。休憩の時,トシ子さんは,質のいい本田のり のできたてをとってボランティアのメンバーにストーブで焙って,「ほら,食べてみぃ」と差し出してくださいました。焙ると磯の香りが部屋に立ち込める,こ れが本来の美味しいのりの味なのか,神戸の都会で暮らしている私たちは感激しました。軽く焙って深緑色になったら食べ頃,柔らかいのに歯応えがあって,味付けのりじゃないのに天然アミノ酸の甘みが口に広がります。

 それから海から戻ってきた船に昼から乗せてもらい,養殖場に向かいました。

 大田隆行さんのうしろが本田巧さんの住居。取り壊しの予定。右が海苔の納屋

 寒いことは予想していましたが,海上は冷え込みます。午前中のがれき撤去の時は暑いくらいでした。足の裏にカイロをしたり,インナーソックスも役 に立ちません。夜は零下5度。巧太さんは,言いました。「この仕事をはじめて半年じゃけど,いまだに足の裏の冷たいのにはどうしようもないべ。がまんする しけぇーない」と。寒さが身にしみて,のりの摘み取りを始めても,手が冷えて感じがなくなるので,舟べりに手を打ちつけて,手に活を与えるそうです。10 分も続けていると手が赤くなり,冷たい感じがなくなってきます。海苔摘み作業は,夜明け前の暗いうちに始まり,夜10時頃まで続きます。渡波湾から石巻湾 まで,およそ半時間,海苔摘みの小さな作業船(適採船)で向かいます。のり漁場の中程から沖合でないと,良いたねはつきませんから,渡波湾ではなく,石巻 全体が見渡せるところにまで行きます。自分の棚と他人の棚とを間違えぬように確認できるボールに持ち主の名前が書いてあります。船でいかだに乗り上げると 網が損なわれます。黙っておけばだれがしたかわからないそうです。ちゃんと持ち主に謝罪をするのが礼儀だそうです。陸も海も人が見ていないところで,他人 の持ち物を損なった場合,どうするかで人間性が表れると知章さんは言っていました。

 海苔養殖場

 本田さんの海苔養殖のいかだがある地点に着きました。震災前は170ほどあったのが,今は100に減ってしまっています。長さが約70メートル (30間×1.8㍍)を二つつないだ幅3.3メートル(11尺)の網についた海苔を巻き上げて収穫します。震災の影響で例年より遅く,11月28日から5 月頃まで毎日,休みなしに朝早くから夜遅くまで働きます。一網で大体乾のりにして二千枚位ののりをつみとるのに,約一時間位かかります。色の濃いのりが網 にびっしりとついていました。一日に,3万枚から7万枚の水揚げをしないと,新しい機械のローン返済などのやりくりができないそうです。私たち漁ボラン ティアは,一年で一番忙しい時期に,手伝っているのか,邪魔しているのかとても気がかりでした。本田さんは,よくできた息子さん二人がおられることを誇り に思っておられます。「勲章のようだ」とも話されていました。
 5月~7月は,網の修理や,9月の種付けに備えて,準備します。ですから同じ湾で,牡蠣の養殖と兼任できないほど忙しく働きます。


松本真祐さん 本田巧太さん 大田隆行さん

  1月も,海水中の栄養分も多いので,色沢の良好な,軟らかいおいしいのりがとれます。しかし,知章さんは,浮かぬ顔をして,網をたぐり寄せて,言葉を放ちました。「こいつめ。」と赤腐れ病(Red rot)の海苔を見て,嘆息していました。

 Ⓒ 赤腐れ病(Red rot) 2012年1月17日午後2時28分 石巻湾 撮影 岩村

 さらに,10分ほどすすめると,船を停め,知章さんはネットをたぐり寄せました。「これはバリカン症と言って,育たないんです」「原因は何です か」「湾が汚れるのはいろんな理由が言われています。湾の岸壁の工事のコンクリートによる灰(あぐ)とか,はっきりはわかりません。」「田んぼの肥料,農 薬や,生活排水も大きな原因ではないか,私たちで因果関係を調査してみます」と約束しました。

 Ⓒ バリカン症 2012年1月17日午後2時32分 石巻湾 撮影 岩村

 摘んだ海苔は自宅の作業場に運び込みました。心地よい疲れを覚えて,初体験をしたボランティアたちも充実した満足感で午後3時半に渡波湾に戻ってきました。

 午後に収穫した海苔

 全自動海苔乾燥機で抄きます。上潮のきれいな海水で大きな笊の中に入れて,ちょうどお米をとぐようにして,よく洗います。こののり洗いをよくする ことで,良い乾のりができるそうです。製造も,のりを入れれば水洗して細断し,自動的に簀に抄いて乾燥機の枠に取りつけ,乾燥終了後,乾のりを簀から剥が す機械にかけられ,生のりから乾のりになるまで約3時間で,2~3千枚の乾のりができあがります。’

 

 全自動機械

 出来上がった海苔は,品質を揃えて箱詰めして漁業協同組合の品質と等級を検査するところに運びます。農とは異なり,漁の場合は,自分の海苔をご近所に配るぐらいはできますが,直接,店へ持って行って売ることはできないようです。
 17日,漁ボランティアは本田さんご家族に見送られました。

牡蠣の養殖ボランティア

  季刊誌「支縁」No.4 鈴木 武八(第18,24次)

 牡蠣イラスト

 牡蠣(かき)

 宮城県石巻市万石浦の「種ガキ」は,日本だけでなく,世界的にも有名です。宮城県では,1600年代に松島湾で行われた地まき養殖が始まりとされています。すでに300年を超える歴史があります。農林水産省によると,2009年の種ガキの全国販売量約87万連(一連は貝60枚分)のうち,宮城産は約78万8千連と8割以上を占めます。カキ,ワカメ,昆布,ホタテなどの漁業者が加入する宮城県漁業協同組合によりますと,東日本大震災で約1万600人の組合員のうち430人以上が死亡または行方不明となりました。

 2013年4月,男性3名,女性2名の養殖班が渡波の丹野靖識(やすのり)(36歳)さんを訪問します。作業場は鹿妻(かづま)と言う田畑に囲まれた一角です。作業工程を教えていただきました。

 ホタテの貝殻の中央部分に小さな穴をあけます。アイスピックのようにとがった穴あけ用のハンマーを使います。山積みされたホタテの貝殻の仕分けをします。丸みのある白いワンコと平たい赤みがかったサラッコに,次に大小と仕分けをします。次はワンコ,サラッコに穴を開ける作業です。できるだけ中央部分に穴を開けるように指示されます。

採苗器(さいびょうき)つくり

 地元の石川さん,阿部さんたちご婦人は,慣れています。あれよあれよという間になさり,少しくらいのずれなら良いですよ,と言われるのです。もしかしたら,我々は,仕事の邪魔をしているのではないかとさえ思ってしまいます。強過ぎると,穴が大きくなり,弱いと針孔みたいで,やり直すと,穴が二つ,三つと開いてしまいます。

 少し風が吹きますが,日差しもあり,屋外での作業にしては,快適です。

 3時を過ぎた頃に,休憩しましょう,との声が掛かり,ティータイムです。作業場の皆さんから,お茶,お菓子などの差し入れをいただき,恐縮しました。作業場の皆さんには,子供の頃ここの海で遊んだ話,お子さんやお孫さんの話,震災時のこと等,色々なお話に時間を割いていただきました。気が付けば,時間も午後4時近くになっています。各班が集合する時間です。中途ながら,第一日目の作業を終了して,厚かましくも,丹野さんの車で,機構の集合場所まで送っていただきました。養殖班,在宅被災者の傾聴ボランティア班合流後,マイクロバスで農の班を迎えに行き,まだ明るいうちに,大街道の温泉,元気の湯へ移動しました。入浴,夕食をゆっくり済ませ,途中,コンビニに寄り,買い物をして,宿泊先である,教育空手道場「修空館」へ向かいました。やや離れた場所にある道場ですが,道場長と懇親後,前夜の車中とは違い,寝袋の中ながら,手脚を伸ばして,就寝出来ました。やや冷え込みを感じましたが,朝六時の起床時間迄,充分な睡眠がとれました。

 起床後,全員で道場の掃除,雑巾掛けをして,道場長の見送りを受け,7時半に出発,通勤渋滞のなか,渡波を目指しました。又,途中でコンビニに寄って,朝食,飲み物等買い込んで,車中で朝食を済ませ,それぞれの作業班の持ち場へと向かいました。

 養殖班は,九時に作業場入りです。前日の作業の続きと,昨日の打ち合わせ通り,現場に行ってから丹野さんの指示に従います。二日目は,農の班から女性が一人,養殖班へ加わり,六名での作業です。マイクロバスを降りて,作業場に入ると,ホタテの貝殻の山では,もう作業が始まっていました。又々,作業されている地元のご婦人たちの手を止めさせてしまいました。

 夏,卵からかえったカキの幼ようせい生(赤ちゃん)は,約二週間,海の中をただよいながら過ごします。その後,幼生は海水中の固い物にくっつく習性があります。そこでこの時期にホタテ貝の貝殻を海中に入れておきますと,うまいぐあいに,カキ幼生(約0.3㎜)が付着します。幼生を付着させることを採苗(さいびょう)と言います。

 毎年七月中旬頃から九月中旬頃まで行います。

 ほたて穴空け作業

 採苗器(ホタテ貝に穴をあける作業)

 牡蠣イラストa

 季刊誌「支縁」No.6 菅野増徳(第32,33次)

   楽天イーグルスがプロ野球日本一に輝いた時である。

「海苔の養殖船にはベテラン船員しか乗れない。それがルールである。しかも,繁忙(はんぼう)期にそれを体験できる意味は大きい」と,機構代表からの説明である。前日,マリスト国際学校の筋骨隆々のダイス先生と高校生2名が乗船。大変な労苦だと聞かされていた。メンバー交替で,村上リーダー,藤本さんと私の3名が挑戦する機会を得た。

 他のグループ,稲扱き(いねこき 足踏脱穀機),沿道整備,傾聴ボランティア,収穫祭準備と分かれて宿泊。朝が早いので,昨夜に続いて,佐藤金一郎・晴美宅で,泊めていただいた。

11月4日? 4時30分起床?

 未練たっぷりに心地よい布団から這い出すと,湯気の上がる握り飯が用意されていた。晴美夫人が早くから起きて握ってくださっていた。米の一粒一粒に味わいがあって,この上なく美味しい。そして何よりもお心遣いが御馳走であった。心身ともに暖まった3人は長靴とカッパを着込んで,海苔養殖の現場へと急いだ。船員の皆さんと共に,トラックで港に向かう。一言二言の挨拶だけで乗り込んだ。海の男たちは口数が少なく,息詰まる。“船上作業” 全長が12m 程の平らな長方形の船体,操舵室が船尾にあるためデッキが広い。岸壁を蹴って船首から乗り込む。先ず目に入るのが大きなフォークのような物。高さは4mを超えているだろう。次に目にしたのが左舷のデッキ上に据えられたローラー。電柱を3m位の長さに切ったような物が胸の高さで台の上に横たわっている。

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 どこに立てば良いのか,どこに座って良いのかさえも分からないうちに船が動き出す。港を出た船は飛ぶような速さで海上を走り,10数分で最初の筏いかだに到着。

 水深は約13m 。浮き流し式栽培法と呼ばれる海苔収穫である。これはオモリと浮きで筏を固定し,その筏に目の粗い網を張って海苔を育てる。網の目は一目が官製ハガキくらい。長さが約70m(30間×1.8m)を2つつないだ幅3.3m(11尺)の網についた海苔を巻き上げて収穫する。私はこのローラー操作をさせてもらったが,細かな調整に慣れなくて,緊張する持ち場であった。港を出てから戻るまでの約10時間は,昼食も休憩の時間も最小限に抑え,冷たい海上での作業をひたすら重ねる。海の男たちの険しい顔,潮風に耐えてきたしわの中に,不慣れな私たちに対する慈しみ深い気がある。「いい出来だ」丹野船長も仲間も表情が和らいだ。海は透明感がある。何と表現すればよいか,「軽やか」と云うべきだろうか,「明るい」と云うべきか,そんな色合いの沿海である。

 「初物」と,丹野さんからひとつまみ手渡していただき,今季初の収穫を口に入れる。船の空気が一気に和やかなものに変わった。海水で塩気は濃いが,生海苔の風味と甘みがそれに勝って舌にひろがる。

●水産特区より伝統●

 海の幸に恵まれた石巻湾,良種の海苔の味はどんな疲労もいやしてくれた。貴重な経験をさせていただいた。渡波の丹野典彦さんたちの仕事に接し,教えられた。水産特区なら企業の歯車で,朝5時から上司からのマニュアル通りに働かされる。

海の男たちはやりきれない。情熱をもって挑む誇り,海で幼い時から親に教えられてきたカン,長年の体験から培った技術は教科書や机の上の計算では得るとはできない。水産復興もこうした地道な伝統を引き継ぎ,活かすものであってほしい。