「田・山・湾の復活」

農ボランティア班 季刊誌「支縁」No.1  山本 智也

⑦「田んぼアート」  2012年

田んぼアート前  2013年

第29次「田んぼアート」コウノトリ 宮城県石巻市沢田

 2011年9月,大学3年生の時から,農ボランティアを約1年させていただいて感じたことです。子どもの頃から親戚,家族に農家をしている人はいませんでした。田園地帯を写真や景色として綺麗と感じるだけでした。津波で被害を受けた石巻市渡波の田んぼ作業によって人生観が大きく変わりました。毎回筋肉痛になるくらい重労働でした。ましてや機械を使わずに手作業でほとんど行なってきました。だからとても気が遠くなる作業です。現代社会で親しんできたゲームやアルバイトなどではパーフェクトに向けて頑張ります。しかし,農の場合はこれで完璧とか,マニュアルなど存在しません。自らの努力が結果を出すこともあれば,天候によっても左右されます。そのため普段僕たちが生活している世界とは違う世界です。直接,土や植物に手で触れて,人間の無力さを感じました。

 企業や,ヴァーチャルな世界と比べて,第一次産業の農林漁の世界は大きく違います。相違は創造的か受動的かどうかです。会社などの組織では,教育実習を受け,社是に従い,給料に見合う仕事をするといった受動的な考えです。うまくいかないと誰かのせいにしてしまいます。つまり,損得の考えや,効率が僕たちの頭を支配します。無駄なことは意味がないと切り捨てます。しかし,土を耕し,作付けなど,無から有を生み出す創造的な働きはすべて自分の責任です。また,責任転嫁をせず,他の人々の立場になって考えることができます。つまり心を育てる環境が創造的な考えには生まれます。学校ではなかなか創造的な考えは養えません。田んぼからは学べることが多いです。現代ではコンピューターやテレビなど誰かが創造したものを僕は便利だと感心していました。コンピューターなどにも学ぶことはたくさんあります。しかし,先人が築いてきた良い世界を忘れてコンピューターの世界に偏りすぎではないかボランティアは教えてくれました。

 僕はこれから一世紀も生きられません。100回も田植えや稲刈りができないのです。せいぜい50回くらいです。だから次の世代にも創造的な考えが繋がるように田んぼをしていきたいと思いました。

 今回の東日本大震災が,神戸から共に行く若者たちを次々と覚醒させました。神戸国際支縁機構のひとりとして加われたことを喜んでいます。瑞穂の国の多くの賢人の方々や,先祖のように少しでも若い世代の人に伝わるように務めていきたいと願っています。

 稲穂b

  季刊誌「支縁」No.2

 10月,「田んぼアート」の古代米も生い茂り,傾むきかけている稲穂が目立ちました。8月の終わり頃が一番,コウノトリのデザインが際立っていたように思えます。

コウノトリ看板

 神戸からのメンバーは,稲刈りを経験したことがほとんどありませんでした。震災で弟をなくされた阿部勝さん(70歳)は,刈り方と束ね方を教えてくださいました。「ザクッザクッ」と小気味良い音とともに,みるみるうちに稲が刈られていきました。8~10株をひとまとめにして置いていきます。続いて刈り取った稲を束にして数本の稲わらでくるりと回していとも簡単に束ねてしまいます。みんなポカンと見ていました。

稲刈りe

 いよいよ稲刈りスタートです。参加者がやってみると,ザクザクという気持ちの良い感触と音がしません。なぜなら,古代米の苗を田植えする際,2~3本ではなく,6~9本ほど植えていたせいです。素人では,鎌かまの一回の刈り込みでは切れないからです。神戸から人数分「のこ鎌」を用意していました。まるでノコギリのようにごしごしと一束を切り落とさねばなりません。一回ではなく,力を入れて束を切り落とすのは女性参加者には相当きびしい労働だったにちがいありません。しかし,慣れてくると,「ザクッザクッ」という音と手に伝わる感触が気持ちよく,すっかり熱中していきます。3株ほどの稲を一つに束ねます。束ねた稲を2~3本の細い藁(わら)で紐(ひも)代わりにして,ぐるりと一巻きにし,きつく縛ります。藁の両端を交差させて撚(よ)ります。撚った藁を輪の中へ通してできあがりです。これできっちりと稲は束ねられます。稲刈りは刈るよりも束ねる方に時間がかかります。親指で押し込んで束を仕上げるのです。何十株も束ねていると,「親指が痛い」とか言い出し始めます。手伝ってくれた地元の農家のたくましい大場さんも初日で,「キツイべ」と音ねを上げておられました。

 11種類の古代米ですから,一度にコンバインで一気に刈り込むわけにはいきません。とてつもない作業に参加者の思いには二日間で刈り終われるのだろうかと,よぎりました。しかし,ボランティア参加者はだれひとり文句も言わず,黙々と稲刈りを続けました。

 初日には,3反の内ごくわずか,十分の一ぐらいしか刈り取ることができませんでした。

  季刊誌「支縁」No.3

 二日目は,三・五反全部の稲刈りを終えることと,天日干しのためのやぐらづくりが課題です。阿部勝徳さんが,「これ全部刈り取らないと,地元で神戸国際支縁機構は笑いものになる」と活を入れました。するとボランティアの皆さんにエンジンがかかりました。手で刈る人一人に対し,束ねる人は三~四人の割合です。交替で休憩をとりながら,作業に全力投球し,後半の猛烈な追い込みでなんとか田んぼアートの面は刈れました。

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  稲架掛け

 天日干し

 市販のお米のほとんどが「機械乾燥」です。刈り取った稲は籾(もみ)ごと機械に入れ,短時間で乾燥させます。一方,昔の天日干し乾燥は太陽と風の力でゆっくりと乾燥させます。私たちは天日干しに挑戦します。

 日本中,天日(てんび)干ぼしの風景は少なくなりました。「稲架掛(はさか)け」は三本の木で三脚を二組作って,その上に長い竹たけ竿ざおをのせます。この竹竿の上に稲をかけていきます。宮城県,岩手県では「ほにょ」というイースター島・モアイ像ような天日干しがよく見られます。

ほにょa

 ほにょ

  天日で干した稲は,さんさんと輝く太陽の力と海からのさわやかな風を受けます。昼夜の寒暖差によりアミノ酸と糖の含量が高くなります。また稲を逆さまに吊るすことで,稲穂の油分や栄養分,甘みが最下部の米粒へ降りてくると言われています。ですからボランティアの愛情がつまったおいしいお米に仕上がります。

 作業が夕方になり,「稲架掛け」や「ほにょ」が夕日に染まってとてもきれいでした。日本の子どもたちにつなげたい風景の一つだと思います。

  季刊誌「支縁」No.4

 第三面稲こき白黒第三面足踏脱穀機イラスト脱穀後

 

 

 

 

 

稲扱き(いねこき 足踏脱穀機)

 

 石巻森林組合の鈴木健一組合長は,代表がご自宅を訪問した際,納屋などを見せてくださいました。足踏脱穀機を貸してくださると気持ちよく言われたそうです。鈴木さんは収穫祭にもかけつけて,神戸の若者たちをいつも励ましてくださる恩人です。炭焼きなどもさせていただいています。

 阿部勝さんが鈴木さん所有の大正時代の脱穀機を重いにもかかわらず,運んでくださっておられました。労苦にボランティア一同は感激しました。

 足踏脱穀機は1910[明治43]年に「千歯」にとってかわりました。大正の末からは電機モーターになり,今では機械コンバインの時代です。参加者のだれしもが生まれて初めて見ます。

 東北では稲いね扱こきとよびます。脱穀は稲穂の束の籾(もみ 殻のついたままの米) を穂から引き離す作業です。

 天日干ししておいた稲を「稲架掛(はさか)け」からおろします。

 脱穀機のドラム部に稲穂を載せます。足でペダルを踏んで,U字型の太い針金を逆に打ち込んだ円筒を回転させます。籾を扱こきとります。最初の一俵分(60㎏)のお米を脱穀するのに三時間くらいかかりました。

 落とした籾をブルーシートの上で藁(わら)や屑(くず)やゴミから分けます。一粒も無駄にはしません。子供の時,ご飯粒を残したりすると,お百姓さんが丹精込めたお米を粗末にしてはいけないと,大人は注意したものです。

 近年の機械では籾に傷がつきますが,昔の脱穀機は食品にやさしいです。

 お米をとったあとの茎の部分が藁です。藁細工に用います。箕(みの 雨具),藁人形,畳たたみ,縄,屋根,わら半紙,米俵などを作ります。また,藁は牛のえさとなり,牛フン堆肥(たいひ)を作ります。僕たちの目指す「田・山・湾の復活」には欠かせません。稲は無駄なくすべてが使われます。昔の人の知恵です。収穫に向けて家族や村の仲間と力を合わせて,心をひとつにして成し遂げます。里山を取り戻すのに田植え,稲刈り,脱穀はとても大切な接着剤の働きです。

 みんなで脱穀したお米を渡波の収穫祭で食べていただけると考えると作業は楽しくてしようがありません。

新古代米

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20130608田植え

 

 

除草

第25次

コウノトリ 村上裕隆作成

「稲架掛け」(はさかけ)

「稲架掛け」(はさかけ)

 農作業

 森田久美子

 

 

 

 

 

 

 

 

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