津波がどの高さまで襲ったかの跡が残っています。屋根に船か自動車がぶつかったのでしょう。この家の住人はどこへ行かれたのでしょうか。

玄関の下駄箱 人形が住人のお帰りを2年2ヶ月待っている

 決して風化させてはいけない

3.11を忘れることなど東北のだれもできません。しかし,全国の報道に旬ではないのでしょうか,暗い情報だからでしょうか。被災地の惨状や怒り,悲しみ,くやしさをとりあげなくなってしまいました。東北三県の記事と言えば,威勢のよい大型プロジェクト,復興した一部しか扱われていません。おそらく5年,10年経ても,更地,倒壊した家屋の光景は変わらないようです。地震,津波は過疎,高齢化,少子化に追い打ちをかけ,限界集落,無縁社会になりました。産業は復興していません。にもかかわらず楽観的に報道されており,現実の厳しさが無視されています。
震災の被害額は宮城県石巻市では4,270億円です。
石巻市の震災失業も深刻な問題です。水産加工などの有効求人数656人の応募に対して,211人しか求職しません。数字だけなら復興しているようでも,水産加工の会社でかつて培った技術はいかされていません。機械化などの理由です。ですから,求人を出しても人が集まりません。したがって,生産高,売上などの数字だけで復旧,復興,再建したと軽々に判断できないのです。石巻は東洋一の水産業を誇っていましたが,なかなか復興が進んでいないのです。生産高(4,337トン2013年3月),売上(4億6,535万円同)の数字だけでは判断できません。(河北新報 2013年4月10日付)。従業員数がどれだけなのか,3.11前と,現在でどれだけ違うか比較できていないもどかしさがあります。ちなみに,宮城県石巻市人口は15万1,263人(3月現在)と,人口流出に歯止めがかりません。

今回,7度の東北へ足を運んでいる勝村弘也(神戸松蔭女子学院大学教授)氏が田植えにも参加されるだけでなく,参加者たちに学識豊かな農や,東北復興についての課題を作業の合間や,道中,熱心に語っていただいたことも大きな励みになりました。

神戸ではケミカルシューズの街であったことが忘れ去られています。かつては元町などの高架下にはいくつもの靴屋さんがあったわけですが,今は見られません。だから若者たちの多くはかつて神戸がケミカルシューズの80パーセントを生産していたことを知らないのです。
18年前の教訓が活かされていません。
阪神・淡路大震災の場合,現在,被災者だったのかどうか,なかなか判断できません。移動したりしているからです。しかし,石巻市の場合,街全体が地震,津波,震災関連死などを被り,2年2ヶ月たった今でも同じ場所にしがみつくように生活しているので,一目瞭然です。
石巻市の前と現在を比較できる人,たとえば語り部,地方新聞,郷土史研究家などが克明に記録に残すことが求められます。
今回,神戸国際支縁機構のメンバーはもっぱら田植えに従事させていただきました。約2反の田んぼに,若者たちが自分たちで,昨年同様,田植機などの機械を使わずに,手で田植えをしました。山本智也君(24歳),村上裕隆君(23歳)の二名が2011年9月から阿部勝氏に農の特訓を受けています。今回,村上裕隆君がリーダーです。24回,石巻市に一緒に訪問しています。阿部家全体で実の子どものように米の作り方を教えてくださっています。(ラジオ関西 2013年5月24日付)。

さて,問題は放射能です。フクシマ原発から100キロ離れていない石巻市地域も食品に放射線被曝から免れる保障はありません。3,4年後に甲状腺ガンの症状をもつ子供が大量に出てきた場合,被爆の原因に食品である米について因果関係を否定することはむずかしくなると思われます。この品種の米なら大丈夫という根拠も薄弱です。日本のどこにいてもホットスポットで放射能は襲いかかります。食品の安全,とりわけ主食である米の放射能問題に真摯に取り組まないと日本の将来は不安な時限爆弾をしかけられたようなものです。TPPにより,米国から400万トンの米を輸入すれば安全だということにならないところに深刻な危機が潜んでいます。農薬の問題があるからです。
今年の秋からは冬期湛水(たんすい)田により水中生物,プランクトン,ミトコンドリアを含めて約5800種類以上が育つにようにと二人は願っています。水中生物がセシウム137と セシウム134,プルトニウム,ストロンチウムなどの放射性物資について米の生育にどれだけ寄与するか,研究し,成果を上げるかについて実証することが課題です。科学的な根拠を証明しなければなりません。

阪神・淡路大震災を体験した際,仮設住宅の立地ロケーションが買い物,診察,通学に不便であったこと,近隣とのコミュニケーション不足,余震がある際の連絡網の不徹底などの解決策は未処理のまま東北で同じ不便さを継承しています。
みなし仮設,借り上げ住宅で20年後の生活についてどんな未来図があるか不明瞭なまま実施されています。

今回も,在宅被災者戸別訪問を通して,傾聴ボランティアにいそしみました。三度目の参加者ヘルパーをなさっている伴 美樹江さん,介護士である西尾竜子さんが一軒ずつ丹念に訪問します。西尾さんは車の運転してくださり,代表は助かりました。石巻市文化財保護委員長である谷川正明住職や,神戸の若者たちを大歓迎してくださる佐藤金一郎,晴美ご夫妻,市役所などへ行くこともでき,縁を深めることができました。
おいしい「みやこ」の昼食もボランティアにとり,感激でした。

第25次東北ボランティア参加させていただきました奥野理恵です。

簡単ではありますが,この度貴重な体験をさせて頂きました報告をまとめましたので,ご一読いただければと思います。

日程:2013年5月19日~5月22日

田植え前

作業内容:田植え

初めてのボランティア参加という目線での報告にはなりますが参加前には不安ところが多くあり,参加の勇気がなくなりかけたところが正直ありました。
自分に何が出来るのだろう,何も出来ないんじゃないかと。
今,参加を終えた心情には,出会えた方々への感謝の気持ちしかありません。
ありきたりな言葉でしか伝えることができない自分の無力さを実感してます。ボランティア体験後の今 頭に浮かぶのはもっとも優先すべき行動は,つたない言葉でも記録を残し,自分の知人に話すことです。
地元関西から車で何時間も離れた石巻市今暮らす場所の,いつでもその状況になりうる未来の場所なんだと感じました。被災地の復興状況は,テレビや新聞など誰かの意志が加わった2次的情報であるのに対し,この度の訪問は,自分の目・鼻・耳など五感を使って得た情報は今後の「生きる」目的への財産になりました。
自分が行えたことは本当に無力で,何一つ貢献できたといえることはなく,現地の人々に教えてもらうことが,あまりにも貴重で多くの量があり,すべて頂くことしかできない自分です。

自分が伝える情報が,周りの人へどのくらいの影響を持ち,意図を持って,受けいれられていくかは伝わった人個人の価値観によるところだと思いますが,それでも,何かを伝える行為によって 考える切欠・知ろうとする切欠作りへと一瞬でも頭をよぎることに貢献したいです。
また,25次ボランティア参加にて同じ時間をすごさせて頂きましたメンバーの志の強さ・広さに触れさせていただいたことにも感謝しかありません。
本当にありがとうございました。

追記:代表へおつかれさまでした。 少しでも休養を取れとれますようにお祈りとまた,このような貴重な体験と奥様からの差し入れなどのお心使いありがとうございます。5/25日ですが 代表が講義をされるとおっしゃっていたので 参加させて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

修空館前で,小野寺脩館長先生が撮影

第25次東北ボランティア報告                             榧 裕美

この度は,大変お世話になりました。引き続きお世話になりますが,どうぞよろしくお願い致します。第25次ボランティアに参加させていただけたこと,私にとって本当に貴重な体験となりました。時間ができ,以前から気になっておりました東北へ行こうと決めた際に発見したのが縁でした。ボランティアができたかどうかはわかりません。とにかく今の現状を自分の目で見て感じてきたいと思っておりました。でも,代表がおっしゃられるように,そっと側にいるというか…気づいたら来ていたっていうのでいいのだと思いました。
そして,実際に現地を目の当たりにしたときには(門脇,南浜地区,渡波地区…),呆然としてしまいました。更地に違和感を覚えず見つめてしまいましたが,よく見るとその中にちらりほらりといくつか家が残っているのですが,そこが住宅地だったと聞いたときには,想像ができないくらいでした。残されている家には番号がかかれていて,住人が見つからず解体することができないとのこと。申し訳ないと思いながらおじゃまさせて頂くと,窓も壁もなく,めちゃくちゃだけれど絵本や好きなアイドルの切り抜き,玄関には靴が何足もあって家族の生活がそこにあったことを語っていました。そのまま止まっています。胸がいっぱいになりました。時計が同じ時刻をさしたまま止まっているのも頭から離れません。
それから,今現在そのときの行動の出方(幼稚園バスの経路等…)について裁判が行われているという話には,さらに胸が痛くなりました。突然の非常時にもし自分なら最善の道を選択できたのか。災害があった苦しみの上にさらに人間同士が争わなければならない。辛すぎます。

その後,現地の方にお借りしている田んぼにて,田植えを開始。田植えは初体験です。農家の方からどんな風にするのか教わりながら始めましたが,田植え用の長靴でないためにぬかるみに足を取られて進めず。長靴はあきらめて素足に!久しぶりの感触,泥の中は足を入れていると温かくなってくるようで,少しずつ身動き取りやすくなっていきました。ひと束ひと束,水田の土の中にぎゅっぎゅっと優しく強く植えました。ひもを張ってそのラインに植えるということも,ひと束ずつ手でつかみ取ることも全て初めて知りました。太陽の下で黙々と植えていると,生きているって実感がしました。みんなでやっていると笑いも堪えませんでした。手も口もよく動きました。午後には随分ペースダウンした気もするのですが(笑),昼食は,農家のお嫁さんお手製のお弁当がすっごくすごく美味しかったです。

そういえば,田んぼにアメンボや糸とんぼ,あまがえるがいたのは久しぶりの嬉しい再会でした。田んぼの周りには大きなたんぽぽにわたげ,よもぎも茂っていました。目の前に広がる山と田んぼがいっぱいの景色,たまりません。畦道もどこまでも続いていそうです。本当に美しいです。ぜひ,みなさんに見てほしいです。運がよければ,犬座りのねこも見れるかもしれません!!午後からの作業を終えたとき,半分は植えることができていて安心しました。

夜は道場を宿舎として提供して頂いている小野寺脩館長先生のところでお世話になりました。道場に足を踏み入れたのは初めてで,いろいろな物がぴしっと整理整頓(直角水平?!)されている姿は,気持ちよかったです。寝袋の下に敷く布団やかけ毛布など,いたれりつくせりでした。館長が聞かせてくださった話も心にしっかり残っています。ここにうまく記すことができず残念です。

2日目は田植えの続き,どんどん植わっていく田んぼにわくわくしました。みんなで一面やりきったときは,達成感になんとも言えない気持ちになりました。これからの苗の成長が気になって気になって仕方ありません。2日間とも農家の方が手伝ってくださいました。その方とおしゃべりをしていると方言がわからず必死で考えていた私です。その表情を見ては,すぐに説明してくれました。次回があるなら,きっと少しでも石巻弁を取り入れていきたいです。他愛もない会話がすごく嬉しかったです。またこの農家の方とお会いしたいです。 田植えを終えてから,あちこちで田んぼを見る際に“きれいに並んでいるな”,“何本ぐらいの束にしているな”…など,田んぼを見る目が変わりました。

田植えではなく,在宅の方の聞き取り,傾聴に行かれていたメンバーからは,合流する度に話を聞かせてもらい自分も聞いたような気持ちになりました。現地の方々は話したいこと,聞いてほしいこと,もちろんだまっておきたいことも,でも吐露したいこと,たくさんあるのだと感じます。2年たった今だからこそ,少し吐き出せる,聞いてほしいこともあるのかと思います。そんなところに,ふっと寄りそっていけたらいいなあと感じました。代表のお話の中に,共苦するというのがありました。同じ体験はしていないけれど,今の辛い気持ちに一緒に胸を痛められたら,少しでも本当に少しだけ何かが変わるのではないかと思うのです。そんな風に寄り添うことで,また身近な人たちにもそんな気持ちを大切にしていける気がします。

帰りに寄っていただいた石巻NEWSee(石巻日日新聞),そこでは1時間ほどにわたり,震災当時の様子を聞かせていただきました。私がテレビで見聞きしただけだは想像できない現実でした。その苦しみ,大変な状況を越えてこられて今があることを絶対に胸にとどめて,現地の方々と関わっていきたいです。震災の翌日から貼り出された壁新聞についても,記者の苦労と思いを強く強く感じました。震災の状況の中で,正しい情報,信頼できる情報がどれだけあっただろうと思うと,本当に希望になったと思うからです。
こちらで販売されている「惨景,そして前へ」のパンフレットには,私が初めて知る現状もありました。何より起こったことを忘れてはならないと思いました。震災時と震災後の石巻を知りました。でも今,土地に触れ,人に触れ,震災前の石巻市についても知りたいと思います。

ゲットしました『おらほのラジオ体操』のCDはいろんなところで流します♪気になる方は,ぜひyoutube「おらほのラジオ体操」!で。

3日目の帰宅直前,「元気の湯」で現地のおばさんと少しだけおしゃべりしました。その際におっしゃられた(いつまでもボランティアに頼っていたらあかんねけどねぇ。)という言葉がものすごく胸に響いています。いろいろな思いをそこから,私解釈ではありますが感じました。今回活動をしながら,現地の方の言葉や話を聞きながら,どういった関わりが求められているのか,すごく悩みました。それを言葉にできないのですが,活動を続けながらもこんな風に,常に心の中では悩みながらやっていくことも大切なのかなと思います。
また,新聞社の方から教わった“防災を生活の一部にすること” を広めると共に実践していきます。

文章をまとめるのが苦手で長々となりましたが,今回ご一緒させていただいた皆さま,本当にありがとうございました。4日間のいろいろな思いと共に,最終日に作業を終えて見た夕日,帰りの車から見たお月さま,そして朝日がとってもきれいだったことも胸に刻まれました。皆さんがとても器の大きい面白い方たちで,緊張しやすい私は居心地がよく,すごく自然に過ごさせてもらいました。
なんだかひとつのチーム,代表の言葉をお借りすると“家族”で,そんな方々と出会えたことが嬉しく,ご縁を大事にしていきたいです。本当に本当にありがとうございました。またご一緒できることを願っております。