第22次東北ボランティア報告

宮城県石巻でのレポート

(感想に近い形になると思いますが…)記させていただきます。   畠中 美希 

 JR朝霧駅集合前 事務局で 
左から右へ 山本智也君,代表,関 弘典君,村上裕隆君,藤本英樹さん,川村祥郎君。

 2月17日~2月20日にかけての宮城県石巻へのボランティア。始めは学生さんが多いのに圧倒されました。今までは社会人の方が多かったので,実際年齢などは関係のないことなのですが,若い方は思いを素直に言葉にできる力を持っている気がしました。

 

 門脇町で 

 神戸からの長い道のりようやく石巻到着。石巻へは昨年の9月女川地区に,遺骨捜索を兼ねた瓦礫撤去で訪れた事があったのですが,その時も1年半経って想像以上に進んでいない現状に唖然としていたのを覚えています。今もなお,捜索が続いていること,とにかく,早く見つかってほしいと祈るのみです。

 今回は,門脇小学校の地区。多くの生徒の声であふれかえっていただろう小学校。裏山にはしごをかけて渡ったというお話は,改めて思い返しても,なかなかイメージができません。寒い中,ただ“生きる”ための手段に,皆,必死だったと思う。タイムスリップできるのなら,そのはしごを渡りきった児童たちを抱きしめてあげたい。“恐さ”“不安”“寒さ”色々な事をこらえ,頑張ったと思う。もちろん,児童だけでなく先生たちも尊敬する。「先生」と呼ばれては,いるが1人の人で。私がその立場だったら,どう行動したのだろう。自分の出した指示が,大勢の“命”を左右する。何が正しいなんて,その場で分かるはずもなく…。だから,先生達も尊敬する。

  

  魚町

 取り壊しされていない家屋に入らせてもらった。本当は心苦しかった。他人の家へ,しかも土足へ。もし,家の方が天から見てたらどう思うのかな,など考えてみたりもした。「ごめんなさい,おじゃまします」と心の中で謝りながら,家の中へ。外からでは分からない現状があった。2年という月日が何なのか分からなくなった。私は,この2年たくさんの人と出逢い,たくさんの経験をした。だけど,家の中は,2年前と変わらない姿だったのだと思う。
 2階に上がったとき,小学生くらいの子のお部屋だろうか,たくさんの自分の足あとがあった。小学生くらいの時は,何でも,とっておいて思い出にしてた。大人になって見返した時“あー,あのときこうだったな”って思い出すために。“思い出”が思い出にできなくなってしまう。と,考えたら,涙が出てきそうだ。まだ振り返るほどの思い出がたまっていない小学生。多分,“今”を楽しんで過ごしてる年ごろやと思います。別の部屋で結婚式の写真を見つけた。
 ほんまに幸せそうで,こんなこと考えたらあかんと思いますが,せめて2人で一緒に逝ってたら,いいなと。これだけ大勢の方が亡くなった今回の災害。生き残っておられる方の声を聞くと,やはり,“辛い”という感情があると。目にした事実は消せない。PTSD[心的外傷後ストレス障害]になられた方もたくさんいると岩村代表がお話してくださいました。

 私達は,そういう事実を“知る”ことができました。ただ,心の病になった方,その周りの方は,これからもずっとその病と戦っていかなければなりません。私に何ができる訳ではないですが,その“知る”ことを,一時だけのことでなく,これからも,現状を,知り続けていこうと思います。それが今私にできることの一つかなと…。 

   竹林の伐採作業

  地域の方との,竹の選定作業。寒い寒いとはいいながらもやっていくうちにあたたまってきて,ご指導してくださった阿部さんとの会話,東北訛りで時々,何のことか分からないこともありましたが,阿部さんの笑顔が本当に素敵で,寒さもふっとんでいきました。差し入れなどもいただき,いたれりつくせりで,東北の方の“奥深さ”を身に染みて感じました。

 

 お宿として空手道場を貸してくださった小野寺館長先生,高血圧だとのことで。見るからに,ずっと気を張っておられ,きっとそういう性分なのでしょうが,体が崩れてしまいそうです。夜寝る前,頼りないながらもマッサージさせていただきました。さっきと,うって変わって,穏やかです。(それでも,気張ってる感じです。“トントン”というドアのノックで“さっ”と起き上がる程に)翌日,体が楽になったとのことで,よかったですが,できれば続けて施術したいなという気持ちがありました。多分,また色々考えて,頭で考えすぎて,血圧上がりそうです。
 岩村代表 次回,お会いしたら足湯30分勧めてみてください。できれば熱めのお湯で,入浴剤,少し混ぜて,椅子に腰かけてできるので,TV見ながらでもできますし(多分,やられないかもしれませんが)とりあえず,高血圧のときだけでも。

 翌朝,小野寺館長が見せて頂いた門下生の選手宣誓。思わず拍手が出そうに(すればよかったのですが),大きな,思いがこもった言葉です。他の誰もが言える言葉ではなく,まひるちゃん・良くんやから言える言葉だと。改めて津波で失った多くの命が,たくさんの人の中で生きているんだと思いました。友達という,唯一無二の財産が,思いの中でこれからもずっと生き続けていってくれたらなと思います。

 

 漁ボランティアのグループ。

 家屋訪問では,震災当時のお話をたくさんしてくださいました。私の伺ったお宅の方は,震災で,人の良い所,悪い所が見えたとおっしゃっていました。避難所である体館での生活。プライバシーもない中で,やっぱり見えなくてもいい面まで見えてしまうのでしょう。今は,その方とも普通に接しているとのことで,慣れない中で,上手過ごせなかったのかもしれません。あのような中で“支え合い”という事に関しては,本当に人の優しさに触れたと言います。そのお宅のお母さま自身,体育館に独りでいる中学生くらいの子に声をかけて,初めは,警戒され,なかなか会話ができなかったそうですが,色々ごはんや,何やと持っていっているうちに打ち解け,本当に最後別れるときには,「おっかあ(←その話してくれた方)に会えてよかった」って,言われたとのこと。この言葉が本当に嬉しくて,今でもずっと心に残っているとのことでした。私もその話聞いた時,涙が出てきそうでした。

 こうして,被害に遭われた方の体験を聞くと,今こうしている事が,どれだけ有難いことか。本当にいつどうなるかなんて分かりません。昨晩も震度6の地震が栃木周辺で起きました。余震も長いことあったようです。今,私がこうして,この文を書いていることも,平穏に過ごせてることも,全て,ありがたいことです。もしかしたら,今,同じ時間,関東・東北方面の方は,地震で不安に思っているかもしれません。だから,今を大事に生きていきたいです。色んな方と,出会い,自分の視野を広げ,もっと大きな人になって,色んな人を支えてあげる人になりたいです。

 

 佐藤金一郎氏の歓迎

 岩村先生に出逢えた事,この支縁機構に参加できた事,参加した方々と仲良くなれたこと,東北の現状を知り,地元の人に関われたこと,本当に本当にいいご縁になりました。
 岩村先生のように,ずっと継続的に関わっていくという事がどれだけ大変かは実際分かりませんが,大変なことだと思います。でも,岩村先生のユーモアあふれる人柄,人情深い思いが,きっと色んな人の心を動かし,行動へと導いているのだと思います。

 私にできることは,時間とお金に余裕があれば,現地に赴き,お金があれば,支援金に回し,時間もお金もなければ,多くの方に自分の見たもの聞いたものを伝え,時間に余裕があれば,各地で行われているチャリティーイベントに参加することです。3月11日が近づくこの時期,各地で色々なイベントが行われます。私がこれから働く北海道の杏園堂鍼灸院でも,3月11日にチャリティーライブが行われます。どんな形でも多くの方々が関心を持ってくれたらいいなと思います。

 最後に長距離運転して下さった運転手さん,山本リーダー,参加者の皆様に感謝です。お陰で無事すごせましたし,楽しかったです。そして,この機構を運営して下さっている岩村代表には本当に感謝いたします。この企画があるから,私は現地へ行ける訳でして本当にありがとうございます。 

 長い上に,字も汚く,誤字だらけで,誠に申し訳ございません。春は近づいてはいますが,寒い日は続きます。どうぞご自愛下さい。またお会い出来る日があればと願っています。

                                      パソコン入力 村上裕隆

                              

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