12/11/18-21

参加者 

 1. 岩村義雄  代表
 2. 山本智也    リーダー
 3. 村上裕隆  事務局員
 4. 吉川 潤     〃
 5. 岸本 豊    KOBELCO定年退職
 6. 原 浩司    鴻池組 来年タイ駐在所長
 7. 重田大輝  京都外国語大学
 8. 藤本志帆  大阪教育大学
 9. 小川沙織    〃
10. 西 佑華    関西大学社会学部心理学科
11. 津村啓造  立命館大学経済学部
12. 宮崎萌美  神戸大学医学部
13. 渡辺憲司  京都産業大学法学部
14. 村尾晃介  不動産経営 

 11月19日(月)午前8時に,石巻立町復興ふれあい商店街の多くがシャッターが降りている。マンガロードを経て,門脇,南浜町,魚町の倒壊のすさまじさを14名の参加者は固唾を呑んで見る。復旧,復興,再建など何十年もかかることはだれの目にも明かである。廃校になった湊中学校の正門の時計は午後2時46分で止まったままである。かつては野球の名門校であったことがいにしえのかなたのようである。目に入る光景は時が止まっている。隣接の湊第二小学校も損壊が激しい。

 先月はまだ園舎跡が残っていた長浜幼稚園も撤去されていた。渡波はすでに20数回来ているが,同じである。海のへりの盛り土を積み上げている舗装されていない道路を走る。阿部捷一氏ご夫妻がいつも若者たちを歓待してくださる。ご自分の家が津波に覆われて,がれきとライフライン寸断でもう住める見込みはなかったそうな。1年7ヵ月前の写真数点を編集して,A42枚のレポートを作って,参加者に渡した。解説によると,43日目,親類の葬儀に出たくても,喪に服する礼服もなにもかもなくなった状態。45日目,水道は開通しても水漏れで閉口してしまった。64日目,ガスは通っても,冠水は住宅地を脅かす。余震はひっきりなしに発生して,住民は不安であった。山のようながれきがボランティアによって片付いていったことを感謝される。佐藤金一郎ご夫婦にもあいさつする。いつもように自分の息子,娘が帰ってきたようににこやかに迎え入れてもらう。 

 第18次[10月10-14日]は,稲刈りに従事。「田んぼアート」の30アールの天日干しにした。

 さいわい雨も降らず,期待をもって,阿部勝氏のご自宅を訪問。養殖,在宅被災者訪問グループの三班に分かれて,作業に従事する。石巻森林組合鈴木健一代表理事組合長から大正時代の脱穀機を重いにもかかわらず,阿部代表は備えていてくださった。頭が下がる。勤勉な農に携わる人となりに若者たちも感謝する。

 石巻市沢田のコウノトリの田んぼアートは,天日干しされている。11種類で,夏には紫,白,赤,黄色,緑色などの古代米がまったく同じような色合いになっている。穂の長さ,茎の太さがないと識別できないほどである。

 

 足でこいで脱穀機を回転させ,先の稲穂だけをとりわける農具である。現在は機械を用いるため,約半世紀以上前にすでに農夫たちも見る機会はなくなっている。郷土の博物館ぐらいにしか残存していない農具を使ってみて,先人の知恵に驚く。

 

 翌日の収穫祭には,古代米をおにぎりにして出す故,午後には,14名全員が田んぼに参集した。東北の日の落ちる時間は早い。周囲が暗くなり出した頃,ようやく作業は終わり,天日干しのため組んだ竹材などを阿部家の車に積んだ。やってみるとけっこう足に負担がいく。九州の宮崎県から参加した村尾晃介さんは冷え切ってしまった面持ちであった。

  8月20日,石巻刷新会議で,稲刈りをした米を地元に提供する際,新ノリができる11月以降ならば,漁業組合も協力できると約束を丹野典彦氏,本田知章氏などが,丹野清市会議員と話し合った。

 

 第17次[9月16-19日]の「縁」から「結」の集いで,吉野雄一氏,阿部清義氏,千葉幸一氏と親交を深めた。

 渡波ではじめて,秋の収穫祭をすることに乗り気になられた。渡波地区振興協議会が秋の収穫祭をすることで,神戸も参加することになった。

 長浜幼稚園の教師であった平塚幸子さん,神山由佳さん,遠藤佳苗さんが昨年10月の田んぼ作業の時には差し入れをくださった。三人は震災後,万石浦幼稚園に園児たちと共に転職していた。今年3月には,ボランティアの途中,再会できた。そんな縁もあって,秋祭のことを電話で切り出したら,北川禮子園長先生が,二の返事で園児たち約60人によるの「よさこい踊り」を申し出てくださった。父兄たちも参加するならば盛会になるだろうと,吉野雄一会長に報告すると,よろこんでくださった。吉野先生は83歳にもかかわらず,地元の牡鹿新聞などに後援名義を呼びかけてくださった。また渡波地区老人連合会,渡波区長連絡会にも動員を,婦人会には踊りなどを孤軍奮闘のように準備にいそしまれた。若い頃,武道で鍛えた精力的なお姿には励まされた。おかげで,後援名義も石巻市役所,石巻市教育委員会,渡波公民館,朝日新聞仙台総局,三陸河北新報社,石巻日日新聞,牡鹿新聞,ラジオ石巻FM764,渡波区長連絡会,神戸国際支縁機構,石巻刷新会議,宮城県漁業協同組合,石巻地区森林組合,万石浦幼稚園,渡波地区老人連合会からも得られた。

 ちなみに亀山紘市長から,14日,神戸に電話があった。20日に出席の調整中であるが,きわめて予定が混んでいるとのことであった。

 プログラムなども,中里憲次事務局長が検討していた。 

 しかし,震災復興について,過疎,高齢化,少子化の渡波の地域で,はじめての祭をするには,準備期間が足りなかったようだ。神戸のボランティアは本番の裏方であって,何もしなくてもよいことだったが,前日のミーティングに参加して背筋がつめたくなった。模擬店が一軒もない。火が使えないということであった。神戸からお願いしていた仙台や他のボランティア団体も模擬店を開けないことになる。つまり断らざるを得ない状態であった。動員もわからない。料理も婦人会が動くと聞いていたが,メニューは決まっていなかった。あるのは神戸側で提供する古代米と漁業組合からの新ノリ,佐藤金一郎氏の尽力による鹿肉だけであった。ひびき福祉会から預かってきた神戸の大根,丸大根,里芋を用いることをボランティア側で提案した。急遽,ボランティア予定を変更して,前日,準備に奔走した。ビンゴゲームや,会場飾り付け,園児たちへの贈呈など,穀町の大橋商店を調べて,吉川 潤さん,宮崎萌美さん,西 佑華さんと代表4人で出かけた。牡蠣も前日,5キログラムを購入することになった。

 

 当日の20日,秋祭のために,120キログラムの古代米を渡波公民館に運ぶ。2階で炊飯する段取りである。

 

 一年以上にわたり,農林漁のボランティアを通じて,マニュアル通りに効率,能率良く作業ができない訓練を受けていたことも役立った。天候や,状況に応じて,方程式通りには進まないことも学んでいた。だから,ハプニングに対しても動揺することなく,若者たちは黙々と仕えた。ゼネコンの鴻池組の管理職である原浩司さんも計画性を重んじる仕事の習慣があっても,被災地では切り替える順応性の大切さを述べた。フィージー諸島で仕事をした際,修得されたようだ。岸本 豊さんも,一流会社で勤務し,先の展望のプランを常時,考える企業戦士であった。退職後,菜園をしていくなかで,人間の数字の生産性追求よりもっと大切な価値観を考えて,決していらいらすることもなく笑顔で対応されている。

 

 10時半,本番が始まった。中里事務局長の司会で,万石浦幼稚園の園児たちが元気よく,踊ってくれた。あまりにも,出席者は励まされたのか,遅れてきた父兄のためだろうか,アンコール依頼があり,再度,演じてくれた。来賓のあいさつとして,末永秀雄渡波町区長,丹野清市会議員,米谷富宏支所長,阿部清義大宮町区長,千葉幸一宇田川行政区長と続いた。多忙な中,石巻森林組合鈴木健一代表理事組合長もあいさつを聴衆にした。

 

 午前中,重田大輝さんは2回目である養殖のボランティアに他の三人,村尾晃介さん,渡辺憲司さん,津村啓造さんと汗を流した。新ノリの収穫である。

 

 宮城県漁業協同組合丹野一雄のりを包んだ古代米のおにぎりの味はどうか,ボランティアは不安でいっぱいだった。固い,ねばっこさがない,甘くないと瑞穂の国では米の味に敏感だから,食後の感想を恐る恐る聴いてみた。すると皆さん,「おいしい」の連発。けっしておせじではなく,言われたのには,山本智也君,村上裕隆君,吉川 潤さんたちは感無量だったにちがいない。牡蠣汁も好評であった。中里事務局長の提案であった。つづいて,婦人会の調理の腕のきわめつけとして,鹿肉による汁ものだ。にんにくによって臭みをとるかどうか,尋ねられたので,代表として,むしろ臭いままで提供するようにお願いした。すると臭みなどなく,肉も柔らかく,豚汁では味わえない見事な高級料理になった。生まれてはじめて食する人たちも,思いがけない味にお代わりをすることになる。12時間の準備の成功の背景には,地元の女性たちの献身的な思いやりがこもっていたことは言うまでもない。

 

 

 午後のプログラム開始1時半前,佐藤金一郎氏の手品にも聴衆は沸いて,笑った。

 

 ビンゴゲームが司会藤本志帆さん,宮崎萌美さん,小川沙織さんによってなされた。老いも若きも番号の発表に一喜一憂した。なにしろ高齢者たちもいるから,「もっとゆっくり数字をもう一度」と何度も催促される。するとにこにこと大学生たちが,応じる姿も好感がもたれる。

 

 次に,神戸からのボランティアをいつも宿泊で受け入れている修空館の小野寺脩館長による「120歳の長寿をめざす体操」が導かれた。ユーモアいっぱいの指導に全員,年齢を忘れて笑い転げるように,鳥,猿,虎,熊,鹿になりきって固い体を動かす。皆さんは10歳は若返った顔をしていた。

 

 最後に,吉野雄一会長から神戸国際支縁機構にねぎらいの言葉をいただいた。

 しめくくりに千葉幸一氏が来年の秋も今年のはじめての試みの教訓を土台に集まりましょうとあいさつをした。西 佑華さんも写真撮影に徹してくれた。他のボランティア団体からの参加者によるチューリップの球根の提供,ハーブティなどの無料提供も人気があった。中里事務局長の手配に感謝したい。 

 夕方4時頃から,希望者11人で,在宅被災者戸別訪問を始めた。吉川 潤さん,宮崎萌美さん,西 佑華さん,小川沙織さんのチームと,代表以外に5人,原 浩司さん,村尾晃介さん,渡辺憲司さん,津村啓造さん,藤本志帆さんの二班である。急速に冷え込む伊勢町で約1時間,初対面の方から震災体験を直接,聴くのは良い経験になった。間接的に聞いていた被災体験の生々しい恐怖を本人の口から証しされて,若者たちの心情の中心にまでえぐり出されたようだ。

  石巻の温泉につかり,帰途に就く。それぞれのレンタカーを4人近くが交替で運転する。現地の疲れがあったにもかかわらず,元気に近畿に戻ることができた。別離の時でも,ほほえみが絶えず,再会を約束して固い握手を交わした。

 実り豊かなボランティア活動ができたのも,送迎をしてくれた本田寿久事務局長,後藤真子さん,家内の祈りがあったからこそであろう。