5月27日~31日,59名がJR朝霧駅を出発。兵庫県立農業高等学校の澤井正志教頭引率の32名が大型バスで,他の三台のバンで向かいました。

 1. 岩村義雄    神戸国際支縁機構 代表 
 2. 本田寿久   〃          事務局長
 3. 山本智也   〃          リーダー
 4. 村上裕隆   〃          事務局員
 5. 住友健史    サントリー勤務
 6. 藤谷幸二    休職中
 7. 三浪翔太   甲南大学経済学部3回生
 8. 佐伯貴大   休職中
 9. 森脇勇太   〃
10. 大麻 淳   年金生活者, 
11. 田畠雄次   広告会社勤務
12. 鍋島 隆      NPO法人社会還元センターグループ わ 
13. 箕迫健治   山崎パン勤務
14. 林 三郎     医療研究者
15. 國宗賢太郎 滋賀大学4回生 YMCA指導者
16. 土山雄大   京都大学法学部4回生
17. 河崎慈朗   社会福祉研究者
18. 内本光一   自動車販売

女性
 1. 後藤真子   専門学校入学予定
 2. 徳岡美穂   会計
 3. 吉田 桜    オーストラリア帰国者
 4. 瀬戸口千加   今年大学卒業休職中
 5. 田坂由佳   今年大学卒業休職中
 6. 有田玲菜   京都大学法学部3回生
 7. 藤本静華   神戸学院大学4回生

 1. 藤本英樹   運転手
 2. 川端鉄也    〃

兵庫県立農業高等学校
 1. 澤井正志   教頭
 2. 辻 誠     教諭

県農生 30名
合 計 59名

 東北が片道1000㎞,約15時間の行程が身近に思えるようになってきました。代表が運転をしなくても,ボランティア参加者の中で,積極的に運転を担ってくださる方たちがおられるからでしょう。とくに,神戸国際支縁機構の本田寿久事務局長,山本智也リーダーたちが運転のベテランの藤谷幸二さん,三浪翔太さんを参加するように誘ってくれたこともあります。さらに,大型バスの運転手,藤本英樹さん,川端鉄也さんがいつも笑顔で接していた態度も印象的です。ボランティア車両4台は東北へ目指しました。効率,能率を追い求める現代人にはまどろっこしいほど,長距離運転です。待っている人たちの顔を思い浮かべながら,ハンドル捌きに集中します。高速バスの事故の報道が耳につきます。ボランティアは格安ツアーには属しません。しかし,バスの運転や機械の操作には神経を使いますし,かなりの集中力が必要です。深夜バスの事故は1人乗務でした。ですから,2人体制をとるのは当たり前です。東北訪問も安全を重視し,ボランティア保険も参加するすべての人に加入を徹底しました。

 JR朝霧駅に集合したメンバー27名,続いて兵庫県立農業高等学校の32名(引率者澤井正志教頭)の計59名(男性39名,女性20名)が集合。山本リーダーが心得を伝達。大津のサービスエリヤで夕食を食べます。夜の車窓から見られる光景は,色がありません。しかし,夜明けを待つ東日本の夜空は,重い雲が覆っているようです。ほとんどの参加者にとって,未知,一度も足を踏み入れたことがない地帯です。仕事を調整してきた人たちは眠い目をこすりながら,どんな被災地が待ち受けているのか,ある意味で好奇心が織り混ざった心境の面持ちです。

 三陸道から石巻市街地へ

 東北自動車道から三陸道,石巻市の河南から蛇田地域の通りに入ります。物質的に豊かな日本の象徴のように広い道路にはこれが大津波を受けた地域か想像することすらできません。何の不足もない,手に入れたいものなら,なんでも購入できます。このまま引き返したら,震災の悲劇は何も分からずに帰途についたことになります。石巻市役所前を走ります。50人近くの職員が津波の犠牲になったと言われています。JR石巻駅,市役所の目抜き通りは,震災前には商店が約1キロにわたって並んでいました。1年2ヵ月を経ても,シャッターが下りています。開店している店はわずかです。ベニヤ板,ブルーシートで覆われた店が点在しています。繁華街が北上川にぶつかるところで右折して,河岸の西側の舗装されていない道路を揺られながら,南に向かいます。5分ほど,沿道の全壊した家に参加者は固唾を呑みます。急にだだっ広い面が見えます。門脇,南浜町です。西光寺を経ます。昨年11月5日,チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が訪問したお寺です。門脇小学校前で,車を降ります。佇むと,参加者は,3.11の直後の時間帯に投げ出されたように,言葉を失います。当時は,死体,黒い津波の咆吼の臭いがありました。津波の高さはこの地帯では,7.7メートルもありました。いわば,二階まで襲ったことになります。ガソリン・スタンドの陸屋根の二階から屋上に這い上り,ひとりで救出を待ちながら,間に合わなかったケース,位牌を取りに戻った時,第二波に飲まれてしまった人,逃げ場を失って,あらん限りの声で「助けて」と叫んでいる人々の悲劇がフラッシュバックしているにちがいありません。門脇小学校の校庭で昨年末,紅白歌合戦で長渕剛さんの歌が日本中にこだましたところです。

 初めて石巻市役所を訪問した際,4階の係の方から,北上川沿いが「手のつけようがない」と言われました。情報がまだ正確に行政も把握できていないのはやむを得なかったことでしょう。市の中心に近い門脇,南浜,魚町ですら,死者,行方不明者,負傷者の確認はなかなかできませんでした。石巻の外れである渡波町も道路がずたずたにされ,がれき処理の車両も向かえません。ましてや牡鹿半島などについては,皆無でした。なにしろ津波の高さは「遡上(そじょう)高」が20メートルを超えます。女川の笠貝島は43.3メートル(都司嘉宣准教授東京大学地震研究所 日本経済新聞 2012年3月17日付)です。従来,岩手県宮古市の姉吉地区で記録された40.4メートルを越えています。昨年3月21日に,日和大橋には一台の車の往来もなかった。橋を渡ろうにも,途中で寸断されているのではとおそるおそる走ったことが思い出されます。石巻漁港の北側にあった魚町地帯を撮った写真の一枚が石巻の被害状況に用いられています。あれから1年と約3ヵ月。門脇町では,全壊の家のがれきも撤去されていました。見渡す限り,荒涼しています。ボランティアバスから降り立ったそれぞれは,目をこらして,生息している手がかりがないか見渡します。生命がないのです。1㎞北東側に日本製紙の再建された日本一の規模の工場郡が対照的に映ります。人家の前に停車して,降りてみると,猫の子一匹いません。二階は荒れ放題。夜逃げした跡と異なり,津波の勢いで散乱したまま。食器,着ていた衣類,生活の臭いがあるDVD,音楽を聴くためのヘッドフォンなどそのままで放置しています。おそらく震災後,一度も戻ってきてはいないのでしょう。恐怖を思い出したくないにちがいありません。まだ被災者は心の安定を得るところまで達していないのではと,惨状を見ながら,想像します。二階より上の部屋は,隙間からなのか,津波をかぶっていない3階の床部分もドロによって覆われており,モノは散乱,絨毯が敷いてあったかどうかわからない変容ぶりです。人が確かに住んでいたと思わせる痕跡は,幼い子供の玩具の赤,黄色,青の色です。グレー一色の部屋に対照的にころがっています。あのあひるで遊んでいた子供は無事に逃げおおせただろうか。今,どこにいるのだろうか,と問いに対する答えもなく,空しく胸に響きます。
 地盤も沈下しています。石巻は平均約78センチで,発電機で海へ排水するまで,市街地は日に二回,水上生活でした。震災前に,石巻漁港は水揚げ岸壁の長さ 1,200m と魚市場の上屋根の長さ 652mはいずれも日本一の長さでした。水揚げ量,水揚げ高ともに日本有数の大漁港であったのが,復旧には長い道のりです。

参加者 住友健史さんの報告

<神戸から石巻へ>
集合場所の朝霧駅で、私は本田リーダーの自家用車であるミンバン乗せて頂きまし
た。
同乗したのは本田さん、藤谷さん、田端さん、そして私の4人。
職業も住まいも別々ですが被災地石巻で何か役に立ちたいという4人の思いは同じ
だったと思います。
ほかにも2台の車と県立農業高校の生徒30名を乗せたバスで、神戸から13時間かけ
て石巻に向かいました。

<現地視察>
朝7時に石巻に到着、まずは門脇町・南浜町地区を見てまわりました。
この近くには石巻漁港があります。東に旧北上川が近くに流れており、西には日本製
紙の工場があります。
沿岸部の家々はすべて津波で流され、町ごと消えていて、壊滅的な被害を受けていました。
殺風景な更地が広がる中に、石巻市立門脇小学校がありました。
地震と津波、そして直後に発生した火災により黒く変色した校舎は、見るも無残な光
景でした。
教室には泥まみれのランドセルや上履き、熱で溶けたテレビなどがあり、被害の大き
さを物語っていました。
この地区でどれほどの人が犠牲になったのか、どのように津波が襲ったのか・・・。

 

沿岸部の道をさらに東に進むと長浜幼稚園がみえてきました。
海がすぐそばにある幼稚園です。
何とか園舎の形は残していましたが、教室の中は泥だらけになっており壊れたピア
ノ、
子供用ビデオ、倒れた遊具など、悲惨な状況でした。

次に渡波町に行きました。
渡波町は神戸国際支縁機構が震災直後からボランティア活動を行ってきたベースとなるエリアです。
本田リーダーから震災直後にここで、飯ごうで飯を炊きながら瓦礫の撤去作業を行
い、夜は車で寝るという当時の過酷な様子を教えていただきました。
渡波町の佐藤様宅を訪問しました。佐藤ご夫妻は我々の突然の訪問にも関わらず、温かく迎えて頂きました。
神戸国際支縁機構のステッカーを貼っている車をみて目を細めてらっしゃった姿をみ
て、震災後に岩村代表をはじめボランティアの方々がこの地区で奮闘し、地元の方の信頼を得ることができているのだと思いました。
奥様には、ボランティア全員分のあたたかい紅茶まで出して頂きました。
本来我々が元気づけなければならないのに、逆に元気を頂いてしまって、恐縮しっぱ
なしでした。

佐藤様宅がある渡波地区は1メートル以上地盤沈下しており、冠水してひどい状態
だったそうです。
24時間ポンプでたまった水をくみあげ、海に排水することでようやく人が通れる状態
になりました。
渡波地区は湾内の入り口部分にあたる町です。
地震の直後に、第一波の津波が湾内を襲い「万石橋」にぶつかりせき止められている
ところに第二波、第三波が押し寄せ、後ろから押される形になって津波が湾内にどどっと入ってきたという当時の様子を佐藤様から聞くことができました。
この地区でも多くの方が津波で流され亡くなりました。
1960年のチリ津波のときにはそれほど大きな被害がなかったため当時の様子を記憶されているかたの中には今回の地震で避難さえしなかった方もいたそうです、それらの多くの方は津波に流されたと聞きました。

<田植え作業>
沢田地区の田んぼをお借りして、コウノトリの田んぼアートに挑戦しました。
古代米を含む様々な品種の苗を植えて、コウノトリを描きます。
事前に小牛田農林高等学校の生徒さんが絵柄にそってポイントを打ってくれていたの
で、そのポイントにしたがって決められた苗を植えていきます。


泥に足をとられながら手で1つずつ苗を植えていく作業はすぐに腰の痛みとなりまし
たが、皆で声をかけながら3反弱の田んぼにすべて苗を植えることができました。
田んぼアートをしても直接的には地元の方の支援に繋がるわけではありませんが、コ
ウノトリが羽ばたく姿を描くことで、明日への希望という願いを込めることができたと思います。
秋の収穫期に、黄金色の稲穂の空を、白いコウノトリが飛ぶ姿が今からとても楽しみ
です。

<石巻市役所訪問>
田植え作業の後、数班にわかれました。
ガレキ処理班、養殖作業班、被災地宅訪問班、田植え班です。
私は被災地宅訪問班に加わり、計7名で行動しました。
被災地宅訪問前に、石巻市役所を訪問し、石巻市の亀山市長とお話する機会を得ることができました。
訪問メンバーの県立農業高校や大学生からの質問に1つずつ丁寧に答えて頂きまし
た。
どのような町づくりを目指していますかという質問に、「まずは農業、林業、水産業
を立て直したい。そして災害に強い町、また人、モノ、カネが町の中で循環するようコンパクトな町づくりを目指している」とのこと。
また雇用問題は待ったなしの切実な課題だということがわかりました。
賃金の安さから、水産業には人が戻らず、より賃金の高い国や県の緊急雇用事業に
人が流れていることも懸念されてました。
世界3大漁場に挙げられる豊かな漁場を抱える石巻、水産業なしの復活は考えられません。
画一的な助成ではなく、各地域の特性を活かした支援の必要性を感じました。
多忙なスケジュールの合間を縫っての市長との会見は、当初10分程度の約束でした
が、学生たちの素直な質問に真摯に答えて頂くうちに時間を忘れ、結局30分もの時間が経っていました。
最後に亀山市長を取り囲み皆で写真を写しました。

 災害復興の最前線にたって日々奮闘している市長との時間はとても貴重なものになりました。

<養殖作業お手伝い>
養殖作業班は、牡蠣の卵を付着させるためのホタテの貝殻の仕掛け作りを手伝いました。
穴を開けたホタテの貝殻にヒモを通して36枚で1セットを作ります。

 國宗賢太郎さん

 これを何セットも作るひたすら地道な作業ですが、これも石巻の有名な牡蠣作りに微
力ながらお手伝いできているという充実感を得ることが出来ました。

<最後に>
今回のボランティア参加に際し会社から休暇をもらい、前から一度は自分の目で見た
かった
被災地に来ることができました。
報道では復興のニュースを中心に流れてきますが、石巻は復興とは程遠い状況でし
た。
壊れたまま放置された家や学校、行き場を失ったガレキの山などを見ると、
いつになったら元のさかな町に戻ることができるのか、そして自分は何ができるの
か、考えさせられることばかりの3日間でした。
生き残った人は、生きる希望を失うぎりぎりのところで何とか立ち上がっておられま
した。
佐藤ご夫妻、被災者宅を訪問したトシ子さん、阿部勝さん、宿泊場所を提供頂いた道
場の小野寺館長、
丹野清石巻市議会議員、いろんな方からお話を聞き、私自身が震災に負けない力と勇気をもらうことができました。
石巻はもう私の第二の故郷のような気がします。
今後も継続して石巻の復活に微力ながら尽力したいと思います。

最後になりますが、ボランティアが初めての私がこの3日間「有意義に」そして「安
全に」被災地で活動することができたのは、岩村代表をはじめ神戸国際支縁機構のスタッフの皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
帰りの石巻駅に送って頂いた車中で、岩村代表から「我々は息の長い活動のために決して表にはでることなく、目立たないように活動しています」という言葉に心を打たれました。
これからのボランティア活動は夏の暑さとの戦いでもあります、くれぐれもお体には
お気をつけてください。