32名の兵庫県立農業高等学校の生徒たちが,16時に加古川に集合。安積俊之教頭,辻誠教諭,本川清裕教諭の3名の引率者。最年少の安井綸君(小5)たち39名を乗せた大型バスがJR朝霧駅に16時半に到着。狩口地域センターの横にあるきつね塚古墳公園で出発式。直前には,溝田聡士氏の講話を約1時間,聞くことができました。

 神戸国際支縁機構の農ボランティアに参集した層はバラエティにあふれていました。二人の休職者,大学受験浪人生,神戸製鋼の定年退職者,経営コンサルタント,大学教員,高校を卒業した新社会人,小学校,中学校教師たち,大学生など九州,広島,東京などから参加。4泊5日を共にする64名と運転手2名に,山陽バスの星一夫氏が雨の中,見送ってくださいました。

 

   石巻市渡波にて 

 約15時間を経て,石巻市に入りました。宿泊場所である修空館に午前8時に到着。小野寺館長の暖かい歓迎と,女性たち,運転手にご自宅を開放してくださる配慮に感激しました。荷物を下ろして,作業着に着替えて,石巻の被災地帯に向かいました。

 市街地に入ると,国道398号線沿いには,大型量販店,ショッピングセンターが軒並みに並んでいます。昨年から毎月,来ていますが,出店ラッシュに圧倒されます。コンビニ,ホームセンターはすぐ見つかります。駐車場はひしめきあっています。日本中の幹線道路沿いに見かける光景です。震災直後,一次補正予算案が出る前は道路もありませんでした。津波で被災した町でやっと開店した店はどうなっているのか,不安がよぎります。そんな零細商店は店を正式に開くこともできないにちがいありません。やはり,地元の商店について目をこらして見ますが,見つけることができません。震災後の特需の恩恵を受けるのは,チェーン店で あり,東京にある本社社屋が潤います。石巻市の魚市場周辺の約30万平方メートルには水産関連の会社は200社以上ありました。しかし,国,宮城県の復興に対する怠慢のためでしょうか,冷凍関係2社,加工関係10社のみしか再開できていません。被災地倒産は阪神淡路大震災の3.3倍です。系列に属さない零細企業は,事業再開の予算も下りず,加工,冷凍・冷蔵設備の復旧はできていません。大手の日本製紙,セイホク,山大などは事業再開をしていましたが,震災失業は12万人であり,水産加工は道のりが険しいです。

石巻市繁華街の商店       渡波三丁目の商店      水産関連施設

 やがて,渋滞の市街地から水産関連の工場があった門脇町に入りました。「テレビなどで見ている光景とぜんぜん違う。何も復興なんかしとらん。」とあちこちで高校生たちがつぶやきます。「ひどすぎる。国や県はどないするつもりやねん。」「今日湊中学校に行ったのですが,そこの時計が2時46分と言うちょうど地震がおきた時に止まっていたことです。あの震災から一年がたつのにまだ残っていたのがやっぱり復興支援が必要だと思いました。」(高2 檀上卓史)。

 

廃校となった湊中学校  

日本人の食糧は日本人が作らねばならない

 19日(月)午前の作業開始前に,石巻市渡波地域農業復興組合の阿部勝代表から歓迎のあいさつがありました。「農業に挑戦してみたい方,手を上げてください」と参加者に問われました。2~3人かと思いきや,4分の一に相当する15人近くの若者が手を上げたのを見て,阿部さんは驚かれました。

鹿妻小学校集合 阿部勝,勝徳さんの歓迎のあいさつ

 「先祖伝来の田んぼを守らねばならない。日本人の食力自給率が40パーセントしかないこと。米を作り続けねばならない。日本はうかうかしているとどんどん外国からTPPで米が入ってくる。日本はなにも生産できなくなる。」と実状を語りました。高校生井上涼介君は「人間の一番の生きる意味は平和な家族を作ること 勉強やお金はそのあと」という阿部勝さんのメッセージが印象に残ったようです。
 阿部勝徳さんが「今日はかなり寒いので,健康管理に十分留意してください」と気遣いを全員に述べてから,行動開始に移りました。 

 機構に委ねられている4反(40㌃)の田んぼはすでに冬期湛水(たんすい)のため,水を張っており,作業はありません。水やドロの中には,すでに巣穴をあちこちにつくっているイトミミズ,土にもぐっているマルタニシ,時おり尻の先を水面に出して空気を呼吸する姿がかわいらしいヒメゲンゴロウが生息しています。またニホンアカガエルの卵塊がありました。

 美しいイトトンボや,蚊に似ており,刺さない「蚊柱」をつくるユスリカや,カゲロウの幼虫が3月に生息を始めています。(朝日新聞 2012年3月16日付参照)。
 田植えができる用意が万端です。

 田んぼ,植樹,医療班,がれき作業の4班に分かれて,作業を始めました。海班は,吹雪いていたため,漁ボランティアができなくなりました。日程表を作成し,綿密なスケジュール通りに,効率よく,能率を求める都会生活と異なり,第一次産業は天候に左右されます。

 「田んぼでは,鶏糞を蒔くのですが,風が強いので,ちゃんと思うところにまけません。鶏糞が舞い上がり,目に入り,マスクがないから呼吸もこらえたりしました。」と村上裕隆君は述べます。

 

   桑の植樹                              田んぼの鶏糞蒔き 

 炊事は,山本智也リーダーが買い出しなど,献立を計画。12月に参加した長谷川千紗さんも出発前に協力していただきました。石井 穣さん,木野多恵子さんが補佐になり,岸本豊さん,宍戸紀彦さん,西大介さん,宮本大地さん,安東裕貴さん,平田遼太さん,末永綾子さん,西村智尋さん,佐々木桃子さん,西田祥子さん,田尾香子さん,櫻井莉彩さんたちが64名分の調理に取り組みました。お米が,「10キログラムでは足りない。」と,あわてて,追加の買い出しに行ったりしていました。施設には,大きな炊飯器がないため,鍋にしたため,米がうまく炊けなかったり,悪戦苦闘の第一日目でありました。高校生はさながら断食明けのように何度もお代わりをするため,すぐに鍋の底をなめるような食べる有り様でした。高校生たちが,食器洗いを率先して願い出てくれました。

 食後は,講義。代表が,食を大切にしないと日本は滅びると強調しました。日本は政府が減反をすすめています。一方,外国米を日本の生産量の9パーセントも輸入するようにしているのです。海外に行かなくても資源=モノは国内に豊かにあるのです。高校生横浪伸哉君は,「農業が日本を支えている」,髙野快太朗君は「日本は世界有数の資源国」と理解を示して報告書に書いています。続いて,古谷桂信氏が小水力発電についてこれからのエネルギーとして有益であることを語りました。ダムを造らず,環境を大きく変えないで,身近な水が地域を豊かにするという話です。「日本にもエネルギーがたくさんあるんだ」と高校生森島清貴君は感心していました。大企業の機械設計の技術者であった甲斐田敏氏も「水を利用する代替エネルギーは有効である」と関心を示していました。

  修空館前にて。

 宿泊場所はあたり一面銀世界でした。修空館がある桃生町には,「3月3日に,零下17.2度になった地域がある」と小野寺脩館長は教えてくれました。朝食も食べ終え,鹿妻小学校の集合場所に大型バスと,バン三台が向かいます。

 白石喜久夫校長,石巻出身の橋浦勉教諭,白石一夫教諭に率いられた三人の宮城県立農業高等学校生の計6名が来ました。ちなみに宮城県立農業高等学校は日本最古の農業高校です。一般に地名がつき,県名を用いません。兵庫県立農業高等学校と宮城県立農業高等学校は県名がついています。一度も交流をしたことがない両校がはじめて出合います。阿部勝,勝徳さんのあいさつの後,白石校長は語りました。名取市にある校舎が津波で甚大な被害があい,仮校舎ができるまで三校に分散し,9月以降,ようやく授業が再開できたことなどです。
 三人の宮農生のあいさつに続いて,兵庫県農側から,農業クラブ飼育連盟の会長松浦実咲さん(高2),および生徒会会長,会計,副会長などが記念品を宮農生に贈呈しました。

 

 宮城県立農業高等学校と兵庫県立農業高等学校の交流 阿部捷一氏と白石喜久夫校長

白石喜久夫校長,安積俊之教頭,辻誠教諭,本川清裕教諭,橋浦勉教諭,白石一夫教諭も協同作業。

 日野謙一氏の報告からの抜粋です。「そこに宮城県立農業高校の校長と理科の先生が来られていて,皆であいさつを受けました。宮城農高は,津波で学校が壊滅したこと,まだ校舎は出来ていないが,今年の入試で定員の240人が入学する予定であることなどを話されました。本当に良かったなと思いました。そうこうしているうちに,宮城農高の生徒が3人(園芸科)と教員が3人来られました。そこで,宮城農高と兵庫農高との交流会が,田んぼの畔道で始まりました。何ともいえない,不思議で興味深い光景でした。震災が2高校の生徒や教員をつなぎ,『農』がその結びになる。新しい時代の幕開けを感じました。この場面を設定した岩村代表にも感謝です。兵庫農高から,準備してきた手作りのプレゼントが,宮城農高に手渡されました。何とも感動的な絵です。昼食をとるとき,宮城農高の校長先生と少し話をする機会がありました。これまでは,学校が内に閉じる,他の学校とかかわりを持たずにきたが,これからは外に向けて学校間の関係を大事していこうと考えている,と言われていました。今回の出会いが,新たな学校創りに生かされると思い,本当に頑張ってほしいと心から願わずにはいられませんでした。」

 小5 安井綸と西村。 右写真 後列左から,石井,古山,西,前列西田,田尾,木野(敬称略)

 鹿妻で桑の植樹や,鹿又の田んぼの二班に分かれて,作業をしました。

 上品の郷の温泉で昨日に続いて,汗を流しました。阿部勝徳さんの娘瑞穂さんも大量におにぎりをにぎってくださり,一同感激しました。夕食を食べてから,講義でした。

 代表は,前夜に引き続いて,語りました。「今の日本では米を作ろうと思っても,機械代に相当な費用がかかります。機械のローンのために働いているのです。コンバインが7~800万円。田植機が250~300万円。トラクターが300万円。乾燥機やモミすり機なども必要です。ところが機械は一年の内数日しか使わないのに,7,8年でこわれます。リースにしたとしても年間200~250万円の減価償却費を出さないといけません。油代や修理費などのメンテナンスもかかります。反あたり10俵(1俵60キログラム)できるとします。農協で60キロを1万円で引き取ります。農家が直接,産地地消の店で売れば,1万8千円~1万9千円になります。ブランド米だと2万円を越えます。100俵販売したら,200万円の売り上げになります。しかし,年俸200万円は高卒の初任給くらいのものです。阿部さんは,北海道のように広大な農地を目指して,農業経営を成功させようと先陣をきっていました。
 経費の視点から機械代に年間200万円以上かかります。耕耘機は,田植え,稲刈りには当たり前の時代です。軽トラックも必需品です。ガソリンなどの燃費,動力の油,農薬,肥料などの経費を考えると,機械代のために農業していることになります。利益などぜんぜん見込まれません。
 そんな農家にとって厳しい時代に追い打ちをかけるような震災です。3.11の津波,塩害は,農業で子供に継がせる夢をも打ち砕いてしまいました。生活がしていけないのです。皆さん,食を自分たちでまかなう農を取り戻さねばなりません。残念ながら日本の村々から人は消えています。農を失って国は成り立たないのです。工業文明は永遠に続きません。太陽の沈まない国と言われたスペイン,ポルトガルもギリシャ,イタリアに続いて,経済は停滞しています。あの産業革命を行なった英国も英国病で経済はだめになり,厳しい状態です。会社にしても,何十年も潤うことの保証はないのです。食べるモノは自分の国で作るようにしましょう。」

 高校生加藤剛君は,石巻に来て,「農家の高齢者,日本の農業の秩序が変わって悪い部分が起きていること」と,現実に直面したことを実感したようです。

 

 2回目参加のひとり 横浪伸哉君。  阿部勝徳さんから農について学ぶ

 三日目,医療班が在宅被災者訪問のために,渡波に向かいました。被災者は,仮設住宅,「みなし仮設」[民間や公営の住宅を仮設住宅とみなす],在宅被災者の三種類に分かれます。7297戸の仮設住宅に対して,160名しか見回りがいません。きめ細かい戸別訪問により,孤独死などに対応すべき課題があります。臨床18年,訪問看護4年の経験のある安井美和さんは,佐々木桃子[慶應義塾大学看護医療学部3年生]さんたちと,計6名で,佐藤金一郎ご夫妻の家に立ち寄り,奥様の暖かいもてなしを受けました。去年の3月から,家族のように,機構の若者たちを迎え入れてくださっています。仮設住宅の方たちのために,「まけないぞう」を製作し,少しでも収入を得ることができるように協力していただいています。佐藤氏の手品を拝見して,緊張していた気持もほぐされました。渡波三丁目の被災住宅を戸別訪問。訪問してみると,被災地のいろんな断層が見えてきます。たとえば,防波堤を作るために,立ち退くように言われている海沿いの地域には,津波でも奇跡的に被害のなかった家があります。一軒目の内海京子さんは言いました。「ここを新しく建て直した費用のおよそ五分の一ぐらいしか退去料が下りないのです。それでは新しい所に移転するにしても,土地さえ買えません。何の被害もなく,きれいなままなので,動きたくありません。」 

 立ち退き内海宅

 次に,訪問した志摩新子さんは福島県の弟さんからの葉書をみんなに見せてくれたそうです。フクシマ原発の被害について訴えていました。「あー、恵み豊かな自然がなんということだ。原発で甘い汁を吸った やから(族)は絶対ゆるさない」とデジタルカメラに録画させていただいたとのことです。

門脇町 彼岸に東京より姪が戻ってきた菊地さんの弟夫妻は72歳で津波に襲われ,家ごと流され,いまだに行方不明。家の敷地に花が手向けられていた。

 仮設住宅だけでなく,在宅被災者は,生活力がないため仮設に移れないことを揶揄して,「二階族」というような中傷をされると,こぼしておられる方もいました。在宅被災者にも,医療面で,心のケアのためにも,定期的に訪問すべき課題が浮き彫りになりました。

 長浜幼稚園            内部                決壊した堤防

 長浜幼稚園は堤防が決壊し,無残な廃墟となっています。大阪の小学校の教員である西大介氏は「石巻の一部だけがひどいと思っていましたが,まちがいでした。実際に手のつけようがない場所が延々と続いていることに,驚きました。」と述べています。長浜幼稚園の勤務先だけでなく,鹿妻地区でひどい被害を受けた神山由佳先生,遠藤佳苗先生に,転勤先の万石浦幼稚園に立ち寄り,お会いできました。

 安積俊之教頭。長浜幼稚園の神山由佳先生,遠藤佳苗先生。鹿妻の神山由佳宅。
 農ボランティアの若者に平塚幸子先生が差し入れをくださってからの縁です。

 渡波の海岸線には,まともな住居は残っていません。「牡鹿新聞」の発行所に立ち寄りました。地盤沈下の影響もあり,冠水が他の渡波の地域より,ひどく,震災時には,印刷機のある部屋の天井まで水が覆いました。去年9月に再開された「牡鹿新聞」のバックナンバーを平塚宏行夫妻から受け取りました。二階で新聞を作っています。渡波だけでなく,女川まで網羅しています。石巻市の震災後の息づかいがよく取材されている貴重な資料です。

 

    「牡鹿新聞」発行所 

 辻教諭が指導して作成した兵庫県立農業高等学校のキーホルダーは,岸本さん,福原志代さんの2名が,持って,在宅被災者にプレゼントしていました。他に,石巻市役所の市長室,農林課,道路課,鈴木健一石巻森林組合代表理事組合長,宮城県漁業協同組合事務所,稲井土地改良区事務所の鎌田事務局長,渡波公民館などを急ぎ足で訪問し,現地の方々に喜ばれました。

 ボランティア一行は歓迎され,感謝されています。阿部勝ご夫妻,勝徳ご夫妻,孫の三人,阿部捷一氏,佐藤金一郎氏たちからも差し入れがありました。生まれて初めての農作業,鶏糞を蒔いたり,桑の苗を植樹したり,雑草刈りにいそしんだ参加者も充実した体験をしたと異口同音に語ります。医療班は在宅被災者を訪問。石巻市の復旧,復興,再建が気の遠くなるほど厳しい現実に直面しました。

 「田山湾を生き返らせる」を目標に,私たちの食である農林漁に仕えるボランティア63名と2名の運転手,宮城県立農業高等学校の6名,被災地の方々と5日間でひとつのコミュニティができました。年齢も,性別も,職業も,社会の縮図のような共同生活をしました。

   狩口地域センター 解散式

末永,佐々木,木野,田尾,石井,山本,西村,宮本,安東(後列 敬称略)

 「神戸国際支縁機構の方々や一般の方々も仲良くしてくださってボランティア行って良かった」と高校生岸本友紀奈さんは語っています。「5日間本当にありがとうございました。みなさんに本当によくしていただいてとても楽しいボランティアでした。何もできなかったけれど参加して本当に良かったと思えています。」と中学三年生関直人君も述べていました。 

 参加者の全員が,再度,参加したいと述べてくださったこと,別離において,抱擁したり,固い握手をみんなでしたことも印象的でした。解散式で,門田舞さん(高2)は,「はじめてのボランティアでしたが,被災地の現状を見て,またいろんな出合いを通じて,価値観が変わりました。」と結びました。 

 広島で経営コンサルタントをしている岸本実さんもすぐに報告を作成。修空館道場の小野寺脩館長の「震災で気づかされた,人間の原点に返る」思い,農業の復活・自立に頑張っておられる阿部勝さんと勝徳さんの「作物に心を込める」思いについて触れておられました。

 大所帯になり,いたらないことばかりであったにもかかわらず,忍耐強く被災地に仕えてくださった皆さんの真摯な精神態度に感謝申しあげます。