「キリスト教と防災」(英文付) Christianity and Disaster prevention 関西学院大学 2019年12月17日

完全原稿 「キリスト教と防災」
Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and Disaster prevention

 東北ボランティア,千葉県布良(めら),佐賀県武雄北海道厚真(あつま)町,岡山県真備(まび),広島県小屋浦,呉市市原,愛媛県肱川(ひじかわ),福岡県松末(ますえ),熊本県益城(ましき),鬼怒川丹波水害など,および海外ボランティア,炊き出しは常時募集しています。「スケジュール」をご覧ください。 ⇒ スケジュール  

携帯 070-5045-7127(岩村義雄) 080-3101-1151(村上裕隆)

「キリスト教と防災」
                       2019年12月14日  関西学院大学
                       神戸国際キリスト教会 牧師 岩村義雄                

 主題聖句: イザヤ 58:12 「あなたがたの中のある者は とこしえの廃墟を建て直し 代々に続く礎を据える。あなたは『城壁の破れを直す人』 『住めるように道を修復する人』とも呼ばれる」。(『聖書協会共同訳』)

<序>
 9・11テロ[1]を契機として,キリスト者としての価値観は変わりました。伝道によって日本人を変えることができると考えていた視座は粉砕されました。それまで雨の日も,風の日も,雪の日も毎朝JR朝霧駅前で大きな声をはりあげて,路傍伝道をしていました。阪神・淡路大震災発生の1995年以降,通勤の人たちが教会へ足を運び,洗礼を受け,クリスチャンになっていただきたかったのです。どの日本のキリスト教会の牧師より,忙しく路傍伝道に情熱を注いでいたと思います[2]。しかし,アメリカの同時多発テロは自分自身が変わる必要があることに気づかせてくれたのです。「時は満ち,神の国は近づいた[3]。悔い改めて(ギリシア語メタノイア ≪視座を変えて≫の意)福音を信じなさい」,と叫んでいた自分の回心のカイロス[4]でした。(マルコ 1:15)。打ち込んできた信仰姿勢が砕け散った瞬間に真の回心が生じました。それまで社会の破れについては沈黙し,むしろ多くの破れを再生産していたのです。そこで自分に死にきる道への路程が始まったのです。

(1) 壊れている日本
 a.  「環太平洋火山帯(Ring of Fire)」
 バヌアツ,インドネシア,日本などにおいて,度重なる自然災害が人命を奪いました。日本,フィリピン,インドネシアなどは「環太平洋火山帯(Ring of Fire)」と呼ばれています[5]。データを見てみますと,21世紀の最初の 18年間(2001年1月から2018年3月)で,東日本大震災,バヌアツのサイクロン「パム」,インドネシア国パルなどの死者数は,すでに20世紀の犠牲者の総数を上回ています[6]。

 b. 日本の破れ口
 2011年3月11日,神戸国際支縁機構の大学生たちは3日後から準備にかかりました。3月21日,宮城県石巻市渡波(わたのは)に入り,壊れた地域の叫び声を聞くことになりました。「幽霊でもいいから会いたい」,という親族を失った女性のことばは宗教家としての思考を停止させました。十字架の教会の中で,会堂の装飾,建造物,聖歌隊のかもしだす安易な慰めの装置ではいやすことができない現実に直面しました。
 以下のように『石巻かほく』新聞に記されています。「2万1千人の内,90パーセントが津波から「てんでんこ」に逃げたそうです。腰の部分まで冷たい海水につかりながら,ひたすら雪の舞う中での逃避行を耳にしました。津波の牙が襲い,一階がずどんとがらんどになってしまった家が点在しています。」[7]  キリスト教会の反応はどうかと言えば,内向きでした。「彼らは,わが民の傷を安易に癒して『平和,平和』と言うが,平和などはない」(エレミヤ6:14)と,書かれているように,礼拝で“主の平和”を唱えるために教会,牧師館,被災した信徒の家の再建などがなされました。「民の傷を安易にll’q; (ヘブライ語カーラル≪手軽に slightly≫)」癒すことが優先されました。そのために全国,否,全世界からの義援金もあてられました。礼拝に来ることができていない教会員や求道者を訪問することもなされました。そのことによって,聖職者が被災現場に足を運ぶことになりました[8]。つまり,壊れた被災地の民を慰めることにより,教会会員の平和を維持するために祈り会,応援,支援のためと教会は協力し合ってきました。しかし,東日本大震災を契機に少しずつ利他的な取り組みもはじまった観があります。

 c. 被災者との乖離
 宮城県石巻市では,2018年末の時点で,かもいなどが傾いたままでちゃんと障子や襖がしまらない家が2352戸にものぼりました[9]。ほとんどの教会は個々の被災者には寄り添いませんでした。動いてこなかったというより,「常温社会」の空気を吸っている影響です。ゆったりお風呂につかっているような状態です。「公より私」「将来より今」「期待より現実」(イマ,ココ,ワタシ)の価値観が教会にも行き渡っています[10]。宮城県石巻市の石巻キリスト教会では,当時,日曜礼拝への参加者が震災前の2倍以上になったと言われました[11]。しかし,8年後の今は,元通りの人数と聞きました。教会は被災者の「叫び」を聴き取ることができたのでしょうか。「自然災害などによる予期せぬ突然の死別」と「病気などによる,ある程度予測が可能な死別」は根本的に異なります[12]。津波などによる突然の不条理の死は「別れ」の時間を許しません。愛する人と最期に「別れ」の時間を与えられることなく,強引に家族の団らんに終止符が打たれてしまいました。ですから置き去りにされた家族は,受け入れられない突如の事実にただただ茫然としてしまいました。行き場のない怒り,苦しみ,くやしさ,‘ああしておけばよかった’の後悔の念に苛まれて,毎夜,涙で枕を濡らすことになりました。今もなお,海の波の音にトラウマがあります。眠ることができません[13]。キリスト教会に足を踏み入れて,「イエス様を信じた者は救われました」,という宣言の福音について繰り返し,告白することに当惑されています。胸の内は空洞のむなしい旋律が響きわたっている被災者にとり,すんなりと説教は魂の芯に達しません。礼節により出席した集会もだんだん足が遠のきます。なぜなら「慰め」であるはずの福音や罪の悔い改め、礼拝出席、献金のために日曜日を過ごすことでは、「神に対する嘆き」がいやされないからです。
 「ラマで声が聞こえる 激しく嘆き,泣く声が。ラケルがその子らのゆえに泣き 子らのゆえに慰めを拒んでいる 彼らはもういないのだから」に記されている「彼女は慰めを拒む」のはなぜでしょうか。(エレミヤ 31:15)。
 「自分よりもっと大変な思いをしている方が大勢いるので自分は本当の意味での被災者ではない」,と多くの被災者が考えるからでしょうか[14]。「どんなにつらくても,この苦しみは誰にも迷惑かけずに自分の精神力で乗り切るのだ」,と感情を押し殺し,自分一人の力で悲嘆を乗り越えようと考える人もいました[15]。「受縁力」がない日本人特有の傾向も一因だからでしょうか[16]。
 かつての筆者がそうであったように,キリスト教会は伝道によって人を回心させることができると考えてきました。しかし,日本人を変える前に,キリスト者が変わらねばならないことに迫られています。被災者が教会で「慰めて」ほしいと願わない理由にクリスチャンは目覚めなければなりません。

(2) 逃避の神学 から 解放の神学への回心
 a. 被災地の傷を再生産するキリスト教会
 キリスト教会は福音,支援と,キリスト者が残した霊的遺産の恵みに満足しています。しかし,被災者の怒り,苦しみ,くやしさに鈍感なのです。限界集落の実状にあまりにも無関心です。今日の教会に信者が増えるような「役に立つ情報が欲しい」「つらい話は聞きたくない」「復興を進める上で災害の爪痕は消した方がよい」という流れが大勢を占めています。礼拝に集っても,震災が「紙の上の歴史」として風化させるエートスで満ちています。一方,「臨床宗教師」[17]や,「布教を目的とせずに支援にあたる」釜ヶ崎キリスト教協友会の理念と活動などもあります[18]。子ども食堂に取り組む教会もあります。
 被災地の現場では,形状を復旧,復興,再建することはできても,被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害),孤立死,傾聴ボランティアに寄り添う対話が非連続になっています。被災者の愚痴,不満,無気力を耳にすることもなく,神への叫びという嘆きを聴き取る時間の経過を軽んじています。叫び声を聴くためには訪問回数や対話の時間を増やして,気心が知れるようになる関係性が求められるでしょう。つまり親しい友であろうとすることが求められるでしょう。吟味する必要があります。

 b. 貧しい人を選ぶ
 聖書にある嘆きの祈りは,自分たちにはなすすべのないことを知っている周縁の人々によって書かれました[19]。神は,「貧しい」「最も小さい」,最も弱い立場にある人びとのすぐ近くに近づいて来られる存在です(詩編 113:6)。それは,貧者の罪が小さいからということではなく,「小さい人」は罪にまみれた世から排除されてきました。生き馬の目を抜く経済社会には,アリ地獄のように制度から脱落すると,這い上がれない仕組みがあります。
 初代教会は,「私の愛するきょうだいたち,よく聞きなさい。神は,世の貧しい人を選んで信仰に富ませ,ご自分を愛する者に約束された御国を,受け継ぐ者となさったではありませんか」,と選んできたのは,すべり台社会からはみ出た人びとです。(ヤコブ 2:5)。佐賀県などを襲った記録的大雨(2019年8月27日)から,間を置かず,千葉県などに台風15号が襲いました。神戸から千葉県の南房総布良(めら)の「傷」の近くに留まることになりました。第7次千葉災害ボランティアに加わった5人の内の2人は制度から弾き飛ばされた「路上で生活をしている人」です。神戸国際支縁機構は2014年4月から東遊園地(神戸市役所隣)における毎週の炊き出しを通じて、人々と親しくなっています。東北ボランティアに参加された方たちにより,炊き出しは始まりました[20]。家なく,いわゆる会社勤務もせず,住民票をもたず,生活保護の受給の対象にならない社会からはじき飛ばされた人たちです。
 機構のマネジメントをなさっている方は,今まで,はばかることなく,「路上生活者はなまけものなんだ。こじきは3日やったらやめられないように,あいつらは役立たずだ」,と揶揄されていました。親しくなった路上生活者は西日本豪雨ボランティアで,広島小屋浦4丁目,呉の市原や,岡山県倉敷市真備(まび)町でがれき撤去やドロ出し,畳替えなどをされました。一番率先して,辛い,重い,汗びっしょりになるはたらきに取り組まれ,最後の最後まで忍耐強く仕えられるの見て,会社の経営者でも経験するような間違った先入観を、「悔い改め」(ギリシア語metanoe,wメタノエオー)られました[21]。

 第11次西日本豪雨ボランティア 201911月10日 広島県呉市中原

 その人たちが言われるには,一般のキリスト教会はきらびやかで,敷居が高く,決まり事が多く,居心地が悪いとのことです。裕福な人びとのエリート意識をくすぐる建築,美術,音楽で装飾されている現実があります。

 c. 破れの近くに留まらない教会
 被災地で家族,仕事,友人をなくした人々にとり,「防災」 に首尾よく対応できれば「平和」なのでしょうか。約200戸あまりの布良には5つの区があります。最大の神田町の嶋田政雄区長(76歳)は先週,12月9日地区内の住人たちのことでため息をついておられました。台風15号発生からちょうど3ヵ月を経ていても,行政による罹災証明に疑義があるからです。「半壊」と「一部損壊」の基準があいまいなため憤っておられました。役所からの改定の返事がなかなか来ないこと,「災害救助法」によっていくら支援されるかについても不明瞭なのです。「全壊」は村で3件だそうです。「全壊」と査定されると300万円と,28年前にできた法によって決まっています。ところが,私たちがお世話になっています小谷登志江さん(77歳)の家は二階が飛ばされ,平屋になり全壊です。ところが,独身ですから,150万円になります。
 半壊,一部損壊家屋については59万5千円が支給される予定です。そのお金は被災者ではなく,屋根などを修復した業者に支払われます。したがって,被災者本人は一円も受け取らないことになります。鋸南(きょなん)町竜島に住まわれる神田弘志&芳江夫婦は憤っておられました。自分の家は明らかに大規模半壊なのに,一部損壊と適当に査定されましたから憤懣やるかたありませんと,ご近所の方たちも怒っておられました。「見舞金」については,全壊ならば1万円,半壊などは5千円が被災者に支給されます。メディアを通じて,「激甚(げきじん)災害」指定にしましたと,安倍晋三首相,菅義偉官房長官は胸を張って言いました[22]。屋根,天井,壁などが損傷していても,5千円では修理もできません。泣き寝入りです。布良神田地区だけで3ヶ月の間に5人がどこかに出て行かれました。転居されたのでしょう。なんのあいさつもなく長年親しくしていた幼なじみとも別離の寒風が吹いています。都会にはない典型的な仲間意識の強い村民たちが自然災害によってばらばらになってしまいそうです。したがって,神戸国際支縁機構は住民の願いに沿って,弁護士を交えた会を開きます。防災を考慮する際,佐賀や千葉ではじまった民間ボランティアの活躍が今後,望まれます。被災からいのちを救出する働きは,消防士,消防団,自衛隊も無視できませんけれど,実際には地域住民の「支縁」がどこでも基本です。

(3) 防災
 a. 火山
 物理学者である寺田寅彦[1878-1935] の「天災は忘れた頃にやって来る」の名言は有名です。しかし,21世紀に入ってからの地震,津波,火山活動は「死都日本」を特徴づけています。とりわけ神戸には天災が忘れないうちに襲い続けてきました 。日本人は災害と隣り合わせに生きているようです。神戸の災害史は日本列島の天災の縮図と言えます。災害に見舞われることが多い神戸は六甲山系が影響を与えているようです。
 2018年12月22日午後9時27分(日本時間22日午後11時27分)頃,インドネシア中部のジャワ島とスマトラ島の間に位置するクラカタウ火山が爆発し,山体崩壊が起きました。スンダ海峡で津波が発生し,死者・行方不明者は200名を超えました。筆者は第2次インドネシア・ボランティア(2019年1月7-13日)において,スンダ津波の惨状について,インドネシア国Jenderal Cipta Karya長官,東京大学でも講義された経験があるMaryoko Hadi博士と2時間にわたり,自然災害について話し合う機会がありました[23]。その際も,日本の火山爆発を心配しておられました。

左からIr.Edward Abdurrahman大臣,筆者,書記Grace Christiani,Dr.Maryoko Hadi 2019年1月11日 ジャカルタ教育省

 神戸大学の巽好幸[たつみ よしゆき 1954-]教授は日本全体を廃墟とさせる火山噴火が必ず起こり,「日本喪失」,と警告されています[24]。火山爆発は南海トラフ,首都直下型地震,台風などより深刻な災害です。
 2019年に頻発した自然災害を見ますと,神は創造の働きを終えて休まれてしまった印象です。ちょうど時計のぜんまいが巻かれ,時を刻み始めた後に,安息に入られたのでしょうか。
 「神よ,わたしのために清い心を造り 私の内に新しく確かな霊を授けてください」の「造り」はヘブライ語ar;B; バラーです。(詩編 51:12)。「初めに神は天と地を創造された」の「創造された」と同じヘブライ語バラーです[25]。したがって,今も創造のみわざは完成へと向かっての途上であります。
 無から有を生じるクレアチオ・エクス・ニヒロ(ラテン語 Creatio ex nihilo 無からの創造)ではなく,新しい天と地への途上にある創造の働きがクレアチオ・セクンダです。

 b. 秩序ある設計
 自然界は全能の神の御手による業を実感させられます。日本では四季おりおりの動植物,山並み,産出される糧を口にして花鳥風月を愛でます。稀少品種の高山植物,山野を舞う蝶,身体の健康を促進する温泉浴を享受するために,高速道路,山間トンネル,巨大なサービスエリヤを利用します。人間の快適,便利,効率のために容赦なく自然界を従わせてきました。かつて暴虐で満ちていた地を見て,神はノアの洪水を起こされました。洪水直後に与えられた神託では,血を抜いて食べるように神は命じておられます。つまり「血は命」なので,むやみな動物殺りくを制限されたのです[26]。
 資源について企業利益を優先するあまり,足尾鉱毒事件が起こりました。田中正造議員[1841-1913]も主張しました。「草木ハ人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり。」「鳥獣虫魚貝山川草樹,凡天地間の動植物ハ,何一トシテ我ニ教へざるなけれバ,是皆我良師なり。アーメン」[27],と草木などの 自然を支配の対象ではなく,教え手とみなしていました。
 2018年9月6日,北海道勇払郡厚真町(ゆうふつぐんあつまちょう)で地震が起こったことをレバノン国ベイルートで知りました。自然をたいせつにしてきたアイヌモシリ[人間の静かなる大地]が地震によって損なわれることは想像できないことでした。「これで日本もおしまいか」,と悲壮な思いに襲われました。ベイルートから帰国後,時間をおかずに,アイヌの人々の集落の被害が気になり,2018年9月9日(日)に伊丹空港から新千歳空港に向かいました。
  2018年9月11日,ブラックアウトの厚真町から日高道を経て約45分車で走りますと,平取町(びらとりちょう)に二風谷(にぶだに)があります。「二風谷アイヌ資料館」もショーケースはこわれ,資料館の一階は片付けたガラス片で床いっぱいに散乱していました[28]。
 1965年資料には,平取町に466世帯,2313人のアイヌ人が住まわれていたと記されています。おそらく北海道の中で最もアイヌ人が多い地域と言えるでしょう。知恵の神オキクルミカムイが降臨した聖地だ,とカムイユカラ(神揺)で語り継がれています。現在の館長は萱野茂氏の次男管野志朗さんです。ユーカラ(ユカラ/叙事詩)やウエペケレ(散文の昔話)を語り伝えています。
  「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味します。アイヌの社会では,「アイヌ」という言葉は本当に行いの良い人にだけに用います。
 アイヌ人は生活の場であった森や川での狩猟民族としての生活の道を閉ざされ,「農耕をせよ」と無理強いされました。戦後政府が音頭を取って,儲ける目的でスギ,ヒノキを植林しました。外材の方が安くなって,山は放置されるようになりました。枝打ち,手入れもなされなくなり,里山も消えていきました。防災には,土砂崩れを防ぐ落葉樹などが欠かせません[29]。農耕のため森を大規模に開墾したり,牧畜のため森林を削ってきました。人間の欲望が実は最大の自然破壊であったことを現代は知らねばなりません[30]。

 c. ダムの放流
 防災には脱ダムに切り替える必要があります。2018年9月9日~14日には,160戸の内,4人が亡くなった幌内地区で,地震まで豆腐屋を営んでいた立浪年子さん(80歳)が地震の恐怖を語ってくださいました。前回,厚真ダムへは幌内(ほろない)の約2キロ手前の富里地区で道がなくなっていました。厚真町には5つのダムがあります[31]。町ではなく,国交省の管理下です。福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)[32]と同じです。厚真側流域の何カ所にも及ぶ巨大な地すべり性崩壊は何が原因かいまだに研究者も分析できていません。ダム建設に伴う大規模工事が地下30キロの震源地を誘発したことを否定する学者がいるならそのような嘘の安全神話について聞きたいものです。幌内地区は吉野地区に次ぐ被災の激しい場所でした。陸の孤島となっていました。
 国交省は新たなダム建設でなく,被災した厚真町住民に,即刻,復興予算を供与すべきでした。2017年7月5日,砂防ダム決壊による福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)の悲劇が起こりました。倉敷の水島臨海工業地帯に工場用水を提供する成羽(なりわ)川ダムの放流によって、6メートルの洪水が真備(まび)(2018年7月6日)を襲いました。日本最大の苫小牧工業地帯に工業用水を提供する厚真ダムが2018年9月6日に厚真川地区[厚真町・安平町(あびらちょう)・むかわ町]を襲いました。砂防ダム決壊、ダム放流、河川の護岸工事の稚拙さが自然災害の原因であると神戸国際支縁機構はしばしば指摘してきました。今年になってようやくダム放流の活字がメディアの社説などにとりあげられるようになったことは感慨深いものがあります。台風19号の最大の犠牲者を出した福島県いわき市についても,いち早くマスコミはダム放流について問題としていました[33]。
 神戸市都賀川(とががわ)では,1939[昭和14]年から1959年まで,1952,1953年を除き毎年改修工事がおこなわれてきました[34]。

阪神大水害(1938[昭和13]年7月3-5日)以降も徹底した都賀川上流の砂防ダムは造られました。

 阪神大水害(1938[昭和13]年7月3-5日)以降も,徹底した都賀川上流の砂防ダムは造られました。
 コンクリート砂防ダムは森林を伐採し,河川工事とセットになっています。川の両岸と川底がコンクリートの三面張りにされています。両岸と川底が3面護岸になっている構図では,水流の加速が増し,「鉄砲水」が発生します。一方,コンクリートではなく,石積みの「えん堤」は,えん堤の内側に土砂,岩石がいっぱいたまったあとでも流速を落とすという機能が働きます。そのため土石流がストレートに下流を襲うことを防止できるのです[35]。1938年の阪神大水害によると、その時点で死者933人,神戸市の72%,69万6千人が罹災したと記録されています。
 2008年,六甲山を源流とする都賀川(とががわ)で,鉄砲水により計26人が流され,5人が亡くなられました。そのときまで都賀川は「防災ふれあい河川」と住民に安全神話を与えられてきたのです。
 自然のなす驚異を前に,人間はもっと謙虚にならねばなりません。

<結論>
 自然災害は必ずしも天災ではなく,人災と判断できる事実についてボランティア現場にいると地元の人びとの話から伝わってきます。広島県は,広島県坂町小屋浦地区で発生した土石流が起きる前に,砂防ダムでせき止める計画を立てていました。土砂量約9000立方メートルの6倍超となる約5万5000立方メートルの土砂崩れを事前に想定していました。豪雨による流出量は不明ですが,砂防ダムは決壊し,同地区では死者15人,行方不明1人の被害が出ました[36]。
 「防災」を考慮する場合,3つの課題があります。一番目に,森林の世話,すなわち里山を復活し,土石流などを防ぎます。二番目に,ダム依存からの脱却です。三番目に,食糧安全保障です[37]。「あなたがたの中のある者は とこしえの廃墟を建て直し 代々に続く礎を据える。あなたは『城壁の破れを直す人』 『住めるように道を修復する人』とも呼ばれる」と主題聖句にあるように,『城壁の破れを直す人』の使命は,自然との調和,つまり和解のうちに歩むものです。ボランティアのメンバーは社会福祉協議会(ボランティアセンター)の下部組織になる必要はありません。監督下に入ると,壊れている日本の実態,原因,修復の思索ができません。むしろ民間ボランティアを立ち上げ,被災者を探し求め,長い時間をかけて,叫び声を聴く路程がたいせつです。壊れた限界集落に留まり,同じ息づかいをして,友だち以上に家族になる対話がないと,過疎,高齢化,少子化に押し寄せた惨状からの復旧,復興,再建にはつながらないでしょう。同胞のために,破れ口に向かいましょう。

 稚拙な説教原稿を,神戸国際支縁機構の村田充八理事に校正していただきました。また不明瞭な箇所について訂正していただきました事務局の翻訳家徳留由美氏,佐々木美和氏,土手ゆき子氏にも感謝します。

[1] 2001年9月11日,米国のニューヨークにある世界貿易センタービルをはじめ同時多発テロ。3000人近くがなくなった。“The New York Times”(2001年9月12日付)。
[2] 『クリスチャン新聞』(1998年2月1日付)。
[3] 「近くなった」ギリシア語h;ggikenエーンギケン(エンギゾーの完了形)は,もうすぐそばに来ているの意です。「近づいてきた」ではない。
[4] ギリシア語「カイロス」は「切断する」という動詞に由来する。誕生や死,決定的な出会い,社会的大変動のような重大な経験に用いられる。一方,クロノスは等質で持続的な時間概念である。「よろずのことにときあり」法政大学最終講義 (髙尾利数 2001年)。
[5] 拙論「危機の時代から刷新の時代へ ―その三 カオスから回復へ ―」 (2019年4月14日)。
[6] 拙論「同」。“Nikkei Asian Review”(Anthony Reid Australian National University website APRIL 4, 2018) “The 21st century has in its first decade already far exceeded the number of casualties from the whole 20th century”
[7]  『石巻かほく』(2017年10月9日付)。
[8]  『クリスチャン新聞』(2018年7月16日付)。
[9]  『NHK』(2018年12月12日午後6時半)。
[10] 『生活者の平成 30 年史 データでよむ価値観の変化』(博報堂生活総合研究所 2019 年 66-67 頁)。
[11] 『産経新聞』(2011年5月2日付)。
[12] 『復興と支援の災害心理学;大災害から「なに」を学ぶか』(藤森立男,矢守克也 福村出版 2012年 46頁)。
[13] 季刊誌『支縁』No.2 (吉川 潤2018年2月3日 2頁)。 
[14] 『市立室蘭総合病院医誌』36(1)― (2011)「東日本大震災における「こころのケアチーム」活動の経験から~ケアの必要性と「偏見」について~」(三上敦大 2011年 46頁)。
[15] 『悲しんでいい 大災害とグリーフケア』(高木慶子 NHK出版新書 2011年 58-59頁)。
[16] 『キリスト新聞』(2018年7月21日付)。
[17] 欧米のチャプレンをモデルとした日本的チャプレンであり,布教や伝道活動を目的とせず,日本の公共空間で,心のケアを提供する宗教者のこと。『日本宗教学会』「被災地から見た「臨床宗教師」の可能性と課題(公共空間における宗教的ケアのあり方 : 「臨床宗教師」の可能性,パネル,研究報告,第七十一回学術大会)」86(4) 谷山洋山 829-830頁。
[18] “キリスト教であれ,ユダヤ教であれ,どんな宗教であれ,そこに属しているから救いを保障されるわけではないのです。(中略)大事なのは福音を生きるということです。(中略)「うちの宗教に入らないと救われません」というような,ある種の勧誘や折伏のような宣教をする必要はさらさらない。無宗教でおしとおしたい人は,それでまったく問題ないのです。あくまでも大事なのは,福音的な視点をもつことであり,いちばん小さくされている人たちの痛みと望みに連帯した現実的なはたらきです”,と本田哲郎氏は語る。『宗教の社会貢献を問い直す―ホームレス支援の現場から (白波瀬達也 関西学院大学研究叢書 ナカニシヤ出版 2015年 153-154頁)。
[19] 『すべてのものとの和解』(エマニュエル・カトンゴレ,クリス・ライス 日本キリスト教団出版部 2019年 118頁)。
[20] 参照http://kisokobe.sub.jp/article/%E7%82%8A%E3%81%8D%E5%87%BA%E3%81%97/6737/
[21] メタノイア(新約に22回)には,「罪を悔い改める」というより,因習,伝統,常識という固定概念から180度転換を意味する。ヘブライ語はシューブで,旧約に1075回出ている。参照:拙論「死刑は聖書的か」。http://kicc.sub.jp/2013/10/29/%E6%AD%BB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%81%86%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%8B/
[22] 『日本経済新聞』(2019年10月10日付)。
[23] 拙論 第2次インドネシアボランティア報告。
[24]  『火山灰考古学』(新井房夫 古今書院1993年 1頁)。
[25] 創造(ラテン語クレアチオ・エクス・ニヒロ)は,「無」から「有」を産み出す行為。プラトン[紀元前427-347]著の『テアイテトス』によると,造られたものではなく,永遠の存在していた物質でデミウルゴスが世界を創造(ラテン語クレアチオ・セクンダ)したのとは異なります。(参照:『キリスト者の世界観』アルバート・M・ウォルタース 宮崎弥男訳 西部中会文書委員会 1998年 35頁)。
[26] 創世記 9章4節「ただ,肉はその命である血を一緒に食べてはならない」。人間が生きていく食物として自然を与えられたということは,同時に動物を絶滅から保護し守るためにスチュワードシップという概念を,人間は自然より委ねられたのです。むやみに殺りくしないために「血=命」という規範,つまり「血」は神が食するものとして,動物が苦しまずに死ぬ屠殺行為を認められました。
[27] 拙論 「田・山・湾の復活」― 宗教倫理学会夏季一泊研修会 ― 2013年 関西大学飛鳥文化研究所,『田中正造 全集第11巻』(田中正造全集編纂会 岩波書店 1979年 330,341頁)。
[28] 拙論 「技術至上主義は自然災害をもたらす―第1次北海道地震ボランティア報告―」アイヌ語「ニプタイ」の“木の生い茂るところ”が由来。東北以北には,アイヌ語からとられた地名が多いです。とりわけ,北海道庁のアイヌ政策推進局アイヌ政策課によりますと,北海道の市町村名のうち,約8割がアイヌ語に由来しています。 北海道の漢字が難しい理由を調べてみると,もともと先住民であるアイヌの人が付けた地名が存在し,そのアイヌの言葉に合うように漢字を当てたようです。
 お合いした萱野志朗さんのお父様である茂[1926-2006]さんは1950年代から約50年にわたってアイヌ民具を集め,アイヌ語の記録にも積極的に取り組まれました。息子である志朗さんは「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の館長,学芸員です。
[29] 拙論「田・山・湾の復活」― 宗教倫理学会 ―(関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス 2013年)。 http://kicc.sub.jp/2013/08/23/%E3%80%8C%E7%94%B0%E3%83%BB%E5%B1%B1%E3%83%BB%E6%B9%BE%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E3%80%8D/
[30] 『自然の問題と聖典』(平林孝裕 関西学院大学キリスト教と文化研究センター 2013年160頁)。
[31] 拙論「技術至上主義は自然災害をもたらす」 http://kisokobe.sub.jp/article/12559/ 『キリスト新聞』(2018年10月1日付)。
[32] 拙論「九州松末ボランティア報告」 http://kisokobe.sub.jp/article/10343/ [33] https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2414801938627900&set=pcb.2414802411961186&type=3&theater
[34] 『兵庫の砂防』(兵庫県土木部砂防課 1966年 18頁)。
[35] 『六甲山を切る』(高尾清 毎日新聞社神戸支局編 1969年 185頁)。
[36] 『毎日新聞』 (2018年8月10日付)。
[37] 季刊誌『支縁』No.29(神戸国際支縁機構発行 2019年11月10日 4頁)。