第4次バヌアツ・ボランティア報告

完全原稿 ⇒ 第4次バヌアツ報告

 2018年4月1日,イースターの日,礼拝を終えて,関空から出発。スタージェットJQ16便が予定より2時間45 分遅れました。ゆとりがあると判断して,パソコンに打ち込んでいると,搭乗時刻のぎりぎりになってしまいました。出発ゲート38番に到着するとパソコンが見当たりません。はじめてのことではないとはいえ,必要なら出てくるだろうと,祈りました。スイスポートの岡田さんが指示して,税関を出たところから,お手洗い,カートなどくまなく探してくださいました。洗練された航空会社の責任者の細やかさは最初のつまずきをなごましてくださいました。モノを置き忘れる失敗ははじめての経験ではありません。シリア・ボランティアに向かう2017年12月28日にも出発空港で同じ失敗をしました。その時は顔面蒼白といいますか,未知の場所についての詳細な情報を一切確認できなくなります。紛失の手続きなど必要な事項のすべてパソコンに覚えさせていました。およそ30分間,思い当たるところを全速力で探したところ,お手洗いの棚にパソコンはありました。粗忽さに対する神様からの戒めとしか思えませんでした。
 妻カヨ子は「もう一度,どこであったのかを思い出して,そこからたどってみるしかないわ」と,助言されたことがあります。2016年3月でした。東京大学で講演する原稿をパソコンに打ち込んでいました。神戸市三宮から車で帰途に着くとき,車の上にパソコン類を積んだまま出発していました。約50分かけて家の近くに戻ってきたとき,車内にパソコンがないことに気づきます。葺合警察署に忘れ物について連絡しようと試みますが,つながりません。「あなた,またなの」,と家内に言われるのを覚悟しながら,電話すると,「出発点に戻って,そこから帰ってきたらどうかしら,もし必要なものなら必ず見つかるから」,と。出発点に戻り,通勤の帰宅ラッシュに30分すると山麓バイパスのトンネルにさしかかります。そういえば,トンネルの中で何か音がしたなあとよみがえってきました。たとえトンネル内にもし落下していたとしても,ノートパソコンは何度もひかれてぺしゃんこになっているにちがいありません。速度を時速20キロ以下にし。目をこらします。後続の車には迷惑ですけれど,ハザードランプをつけながら低速走行です。3032㍍の布引トンネルの半ばぐらいの壁際に光るものが見えました。まちがいありません。停車して拾い上げると,表面などが損傷しています。スイッチをオンにしますと,起動しました。思わず,神さんとカミさんに手を合わせました。すぐに家内に報告すると,すかざず「あなたは私がいないといつも半人前だわね」,とたしなめられました。データが大切だっただけに助かりました。出発地点の駐車場を探すしかないと言われた事務所の原田洋子姉に翌日告げると,「人知をはるかに越えた奇跡ですね」,と言われました。家内の冷静な判断で窮地を逃れる機会は何度もありました。東北ボランティアを始めた2011年以降も,壁にぶつかる度に家内は思いがけない視点からの逃れ道を示してくれたものです。おカネはない,人はいない,時間がないなどないないづくしの悪戦苦闘の連続だったからです。八方塞がりの時に,家内は良きパートナーとして勇気を常に与えてくれました。
 機内に乗客は次々と入ってしまいました。今回は万事休すです。税関までトラムカーに乗って,探しに行く猶予はありません。心にいる妻にお願いしますが,「もっと落ち着いて行動しなさいという神様からの教訓ですわ」,と言われる始末です。パソコンなしに海外ボランティアははじめてです。あきらめて座席に座ります。おみやげをつめている大きなビニール袋を頭上の棚に載せようとすると,緑の小さなランプが光っています。あわててパソコンをビニール袋に入れたことを忘れていたのです。飛行機が離陸する寸前に気づかせていただきました。航空会社の皆さんに平身低頭に謝るしかありません。わざわざ最後の報告に機内まで連絡に来られた岡田さんに直接謝罪できたことで胸をなで下ろしました。失敗の連続の幕開けかと思うと気が引き締まります。
 離陸して,向かう最初の乗り換え地点はオーストラリアのケアンズです。寝袋と航空会社のブランケットを利用します。ケアンズは日本人が多く移住しているので,親日的あるばかりか,日本語が通じます。ケアンズは「リーマン・ショック」以降,経済が沈滞したため,日本人は少なくなったそうです。それでも小学校の1クラス25人の内,5人は日本人や国際結婚して生まれた日系人です。日本語補習授業があったりして,オーストラリア人の教師も日本語を習得するように刺激を受けています。ただし,ゴールドコーストのように,比較的日本人が少ない地域では,オーストラリア人は通りで露骨に日本人を見かけると蔑視するそうです。なぜなら第二次世界大戦の時,日本軍と戦い,戦死,負傷,捕虜として虐待されたなどの心の傷が残っているからです。
 ニューギニア航空でパプアニューギニア(PNG)の首都ポートモレスビーに向かいます。白人が多く住むオーストラリアから,黒人が4000年前から住みついている「真珠を散りばめた」ように美しいメラネシアに移動しました。バヌアツで親しくなったPNGの人たちの国に入って驚きました。ピーター・アイザック宣教師が何人もいるではないですか。声をかけようと,口まで出かかったあいさつの言葉を止めます。隣にも同じ人がいたからです。バヌアツにいるとき,バヌアツの人たちはPNGの人を一目瞭然で識別できると言われた意味がようやくわかりました。口元,および顔の表情が少し異なるのです。しかし,実際には筆者には明確な区別を述べることができません。ちょうど,日本人,中国人,コーリアンの外観の違いを的確に述べられないのと同様です。PNGの土産店には原住民のけばけばしい化粧や,衣装の服装などが目立ちます。4月24日のフォーラムに日本の先住民であるアイヌ人の川村兼一氏(旭川アイヌ資料館館長)をお招きし,「みんなで考える“ヒューマン・ライツ”」を予定しています。日本で抑圧されてきた歴史,今でも差別されている実態を語っていただきます。抑圧してきた支配,人権をないがしろにされてきた原住民の関係について無関心ではいられません。PNGの人たちと過去の歴史について語り合ってみると,聡明な反応があります。欧米の白人は軍事力を用いて,原住民を無知,野蛮,劣等民族とみなして無理矢理支配してきた構造が浮き彫りにされました。もし許されるならば,近い将来,PNGに再訪問し,孤児たちのためのボランティアをしてみたい希望がこみあげてきました。
 次に,ポートビラへの途中,「ソロモン諸島」国の首都ホニアラに立ち寄ります。ポートモレスビーからの乗客の8割は「ソロモン諸島」への入国のため税関手続きに進みます。観光目的で訪問する人たちがほとんどです。
 ホニアラから最終目的地,バヌアツのポートビラが飛行機の窓から眼下に見えます。超大型サイクロン「パム」は風速96メートル以上で,2015年3月13日~14日,16日のサイクロン「パム」は人口26万7千人の全土を暴風雨に巻き込みました。2014年に中国四川省の水害地訪問をして以来,最初の本格的な海外ボランティアをした地域です。ボランティアに行ったというより,むしろお世話になったなつかしい顔が次々と思い起こされます。首都ポートビラ空港近くになると,エファテ島のエメラルド色をしたビーチやサンゴ礁が見えます。海洋汚染に無縁な地上の楽園です。大きな虹がさしかかっています。あまりの絶景に,思わず携帯のシャッターを押す乗客たちがいます。

エファテ島 2018年4月3日

 家内に,「また戻ってきたよ。君の祈りがあってこそバヌアツの人たちと家族になれたし,楽園に再び降り立つことができるよ。君に感謝しているよ」,とこみあげてくる高まりがありました。
 バヌアツもオーストラリア,PNG,ソロモン諸島などと同様,入国荷物,身体検査,税関に手心を加えることはありません。世界共通です。兵庫県知事や,神戸市長の親書があったとしてもフリーパスはありません。ただ検査官によって,普遍言語により,目的を理解すると時間が手短に終えていただくことがあります。恩師末次一郎がはじめたJICA青年海外協力隊が所有している緑色の公的なパスポートや,現地の外務省の介入があれば待遇は異なります。「一ボランティアがそんな特権を利用して,楽をすることなどあてにすべきではありませんでしょう」,と言う家内の声が聞こえてきます。家内は常に筆者にとり良心の声です。
 2015年に,お会いしたボールドウィン・ロンズデール大統領は昨年6月17日に逝去されました。バヌアツの若者たちが国の将来を担っていく責任があると同席していた記者達に励ましておられたことが昨日のように思えます。東日本大震災直後に石巻市に500万円の救援金を寄贈された心の広い人でした。

『バヌアツ・デーリー・ポスト』(2015年4月25日付)。

 飛行機のタラップを降り,税関に向かう飛行場は,ケアンズ,ポートモレスビー,ホニアラと同じく気温は高いです。日本とは逆に暑く,Tシャツ一枚になりたくなります。荷物を確認し,いつもの到着出口の携帯売場で,フリーsimに交換しました。セウルさんが「イワムラさんですか」,と英語で近づいてくださいました。迎えにきてくれたのです。舗装はまだまだ完全に復興されていません。多量の雨が降ると,空港から中心街への道路は冠水します。地肌が露出した地方に向かいます。密林のようにうっそうと繁っています。子どもの頃,キャンプ場に向かうため何キロも歩いた光景を思い出します。樹木や草木の匂いがたちこめています。家屋,電柱や電線がいっさいないのです。日本の現代文明の生活を通して,便利,電化,そして物質面で不自由のない生活に浸っているせいか,無人島に独りで投げ込まれたようです。自然の豊かさが充満しています。日本で見られない高さ20メートルもあるジャングル特有の樹木で覆われています。鳥の種類でしょうけれど,猿のようなかん高い鳴き声も聞こえてきます。幼い時から野原をかけずり回っていました。勉強のため机に向かうことなどありませんでした。バヌアツや周縁集団のところへ遣わされるように備えられていたと言うなら,すかさず家内が「あなた,思い上がってはいけないわ。だれだって行けるように神様が導かれることを忘れているわ」,と言われそうです。そんな夫婦の対話をしながら奥地のようなところへ揺られながら向かいます。
 電線もないし,WiFiもないため,日本との通信が途絶えます。あるのは人情味豊かな人々との温かいあいさつ,もてなし,気遣いです。若者たちは仕事がないとはいえ,海の魚,樹木に実るバラエティに富む種類の果物が豊富にあります。大気汚染もありません。夜にはまさに宝石とも言える南十字星に心が奪われます
 バヌアツの車は基本的に燃費を無駄にしないため,エアコンを使いません。車も古く,ドアがちゃんと閉まりません。窓を閉めきっているとサウナのようです。ドアなどがぴったり閉まらない方が有益です。目的地エラタップには2000人ほどの住人がいます。およそ3000年前に住みついたと前回の訪問で聞かされました。マンモさん酋長夫婦が笑顔で迎え出てくれました。再会の抱擁をします。74才のジョンという父親は6人の息子をもうけました。その次男が話し合いで酋長に選ばれたマンモさんです。体格はがっしりしています。威厳があります。笑うとやさしく子ども達からも信頼されておられます。

酋長マンモ&メタス夫妻 20148年4月3日

 休むようにあてがわれた小屋は娘エステルさんが使っている部屋です。来客のためにわざわざ空けてくださいました。ライフラインは電灯が一個所だけついています。スイッチは電球をまわすことによってオフにします。大きなクモがいました。水は外に出て,約20メートルのマンモさん夫妻の住まいの真横のタンクへ行って,洗面をさせていただきます。水は雨水をためた貴重なものです。2015年にはじめて訪問した際,酋長に孤児の施設建造のため場所をお願いしました。約半時間の話し合いの結果,よそ者である神戸国際支縁機構に土地を提供すると寛大に言ってくださいました。そして孤児の施設にふさわしい提供地点に案内されました。おもいがけず一匹の大きなモナク蝶がそこを祝福するかのように飛んでいました。酋長もその感動的な場面はよく覚えておられました。「あの時,先祖からの大切な土地について決定したことは神様の思し召しだった。蝶と虹がその場所に現れたので間違っていなかった」,と言われました。バヌアツは長年,土地を他者に売ったり,ゆずったりしない不文律の言い伝えがあるため,快諾の場面にふさわしい奇跡のような虹と蝶でした。

 4月3日の夜,かやのあるベッドで横になります。蚊取り線香がたいてありました。外は雨が降っています。天井などを徘徊する「やもり」の鳴き声が聞こえます。「キュッキュッキュッ」,となつかしい鳴き声です。
 樹木に実っている果実を子ども達は喜んで口にします。ブラックサンドの孤児たちもいつも何か噛んでいます。日本では見かけないナウス,ナカダンボールやサトウキビであったりします。ヘブライ語でペリー 「種のある実を結ぶ果樹」(創世記 1:11)と言います。カインが神に捧げた「地の産物」(創世記 4:3)が豊かにあります。KBHセミナーで武庫川女子大学の大鶴勝名誉教授は,「肉をまだ食べることが許されない時代,人間の身体に必要な脂肪はそうした木の実,つまりクルミ,ピーナッツ,アーモンドで充分摂取できた」,と言われました。神の創造の一日を,文字通りの24時間に解釈すると,ノアの洪水まで人類は肉を摂取できなかったことになります。(創世記 9:2参照)。確かに,ピーナッツはポートビラの青空市場で日本円の50円も出せばいっぱい買えます。落花生の中には小粒ですが実が3つずつ入っていました。地球を土星の輪のように包んでいた天蓋が洪水としてなくなってから,肉食が許されるようになったという聖書解釈を受け入れるなら首肯できるでしょう。バヌアツは今でこそ,牛肉などを近隣諸国へ輸出していますが,脂肪の摂取は欧米人が牛を持ち込むまでは「木の実」でまかなっていたのだろうか,と想像しました。しかし,今回,新たな発見をしました。マンモ酋長が食するようにすすめた「バターフルーツ」がありました。バヌアツでは人々に「コヤバ」として知られています。確かに,実の色は黄色,つまりバター色です。たとえば蝶で印象的な色は黄色,バター色ですから,英語でバターフライと言います。この果実もそうなのかと,尋ねますと,酋長は首をかしげておられました。スプーンで一口食べるとすぐにわかりました。アボガドです。植物のバターで栄養価が高い果実です。肉食でなくても,アボガドから生きていくのに適切な脂肪分は果実からも得られたのではないかと考えたりしました。
 離日する3日前,東遊園地(神戸市役所隣)の炊き出しの帰途,神戸市長田区にある朝鮮学校に立ち寄りました。校庭にビワの木の枝が隣から垂れ下がっています。李実[リシル]校長に「児童生徒たちはビワの実をしみにしているでしょうね」,と申しあげると,「いいえ,今の子ども達は私たちの時代とは異なり,自然にできた木の実など見向きもしませんよ」,と聞き,驚きました。自然に蘇生したものより,人間が調理したものしか食べないとは意外な応答でした。飽食の影響でしょうか,空腹だった子ども時代,いちいち皮をむき,種ごとほおばり,ほのかな甘みを感激することはなくなってしまったようです。
 バヌアツでは餓死することはありません。エデンの園のようですから食べ物で枯渇することはないのです。むしろ日本の方が餓死の問題は深刻です。経済大国の日本は,1981~1994年までの餓死者が平均17.6人もいます。1995年以降,増えました。厚生労働省によりますと,2011年に日本では餓死2053人。97年から11年までに餓死した総数は2万5525人,年平均1053人となり,1日当たりでは5.6人,つまり4.2時間に1人餓死しています。一方,政府広報によれば,日本では年間1900万トンの食品が賞味期限切れのなどの理由で廃棄されています。

『石巻かほく』つつじ野 (2017年11月28日付)

 「受縁力」がないからです。核家族社会になり,安心して死期を迎えることもできないのです。 家族に看取られて死ぬのではなく,病院でつながれた電子器機が死亡時刻を告げます。長年住み慣れた家で「受縁力」を発揮できないからです。家で子,孫や曾孫に看取られながら,徐々に大往生することもなくなりました。幼い成員たちも「死」は現代の預言者である医者に委ねるのを見て育ちます。死ぬ直前までの壮絶な生き様,死への備え,いのちの尊厳について日本の現代の子ども達は学ぶ機会を奪われています。
 
 マンモ酋長の家のお手洗いは100㍍離れた場所です。3㍍四方の囲いの真ん中に腰掛ける二枚の板があります。深さは2メールぐらいです。アメリカのボーイスカウトが野外で造るトイレと同じ仕様です。水を流す必要はありません。用を済ませても近くに水はありません。衛生にこだわる日本人には耐えられない体験です。中心街を除いてバヌアツに外灯はありません。現地の人は懐中電灯ももっていません。筆者は懐中電灯を照らしながら細い道をすすみます。日本からもってきたプレゼント用の懐中電灯は喜ばれました。1月から3月は夏であり,雨期でもあります。3時間もすると部屋からトイレまでの途中で,クモが巣を作るために最初の長くて太いクモの糸を張ります。行くたびにその糸が首から上にからみつきます。酋長の父親は74才です。高齢になると夜,何度も用を足しに行くのが相場です。年配の人たちにとって遠いトイレは困らないのだろうかと酋長の弟のセウル牧師に尋ねました。すると,驚くべき答えが返ってきました。「夜に何度もお手洗いに行く年齢になる前に天国に行っていますよ」,と。つまり寿命が日本のように長くないということです。60才を過ぎて,現役バリバリの人は例外ということです。私たち機構の理事には80代の方がお二人おられます。お一人は米寿を超えています。しかし,有益な助言,指導,そして献金をしてくださっているかけがえのない存在です。オーストラリアのケアンズで知り合った日本人が日本では延命治療をしなくても,長命なことに海外に出て知りました,と言われていました。日本は医療に全幅の信頼をして,インフルエンザにかかるとすぐに病院で治療してもらったり,薬を服用します。しかし,オーストラリアや他の国々では,家で水を飲んで休んでおくのが普通です。つまり日本人ほど,自分を愛しんで健康を気にかける民族はありません。
 
4月上旬の4日間,毎夜,スコールが降りました。お手洗いに行くにも大きな葉っぱしかありません。筆者は子どもの時から傘を使わず,雨を舌で捕らえてきた習慣があるので,びしょぬれになります。風呂とかシャワーを村人は浴びる習慣はありません。バケツに水を入れて,汗ばんだ全身に流すだけです。酋長の奥さまメタス夫人は筆者のために大きなバケツに水を入れ,身体にかけやすい洗面器を入れ,部屋の入口においてくださっていました。なぜバヌアツの人たちは入浴の習慣がないのか,すぐにわかりました。手洗いから部屋に戻ってきた時,頭の髪の毛から足先までずぶぬれです。さっぱりしていました。昼は蒸し暑く,どこにもクーラー,扇風機,うちわはありません。自然の天恵である雨を浴びると,さわやかになり,冷房などは必要ありません。夜,とりわけ朝方は寒く,毛布をかぶらないと風邪をひきそうです。寒暑の差が激しいのです。
 部屋には靴を脱いで入りますけれど,風通しがよいせいか,小さな虫,葉っぱ,靴の裏についた土がどうしても床に入ってきます。リザという酋長の息子マックスの嫁が専属のように部屋の掃除,ベッドシート交換,茶菓を気遣ってくれます。電気掃除機をバヌアツでは見たことがありません。細く長い乾燥した植物でできている箒で何度も掃いてくれます。
 熱帯雨林と湿地帯のせいでしょうか。かつて大航海時代にオランダ人,ポルトガル人,英国人たちはメラネシアの国々に見向きもしませんでした。密林の奥に人々が住んでいることに気づかなかったせいもあるでしょう。
 2006年にイギリスのシンクタンクが発表した「幸福度調査」でバヌアツは世界一幸せな国に選ばれています。なぜ幸福かは「受縁力」に左右されると筆者は考えます。
 第二次世界大戦後,アメリカ人の開拓者精神,西部劇,ホームドラマの影響で,戦後の日本人の意識は変わりました。他者への「甘え The Anatomy of Dependence」,「甘やかし」,「甘ったれ」はドラスティックな勝ち負けの競争社会では生き残れないという風潮が徐々に日本人をむしばみました。(『「甘え」の構造』土居健郎 弘文堂 1971年参照)。西部劇のヒーローであるガンマンのように,人に迷惑をかけず,格好良くその場を立ち去る生き方が模範のように映りました。1953年のジョージ・スティーヴンス監督の西部劇『シェーン』のラストシーンで村を去るシェーンに対し,少年が「シェーン,カムバック!」と叫びます。ガンマンの生き方,つまり頼りになるのは自分だけというニヒリズムが残像として日本人の生き方にも影響を与えてしまったのです。油断はだめ,甘ったれない生き方こそ理想像とされてきました。しかし,バヌアツやフィジー,パプアニューギニアの幸福度が世界の最高水準なのはなぜか考慮する必要があります。たとえば,雨が降り,傘がなければ,すぐに貸して欲しいと見も知らない人に平気で尋ねる感覚です。現在の日本では考えられないことです。

ブラックサンドの孤児たち

 二日目,ブラックサンドの孤児たちと再会します。学校へ通学できるようになったみんなは成長していました。それぞれが住む家は藁の屋根,ブリキを用いた壁など簡素です。2㍍も掘れば水脈があり,井戸が村のあちこちにあります。ロシータという22才の女性は,霊的に取り憑かれていました。熱があったり,手足が冷たい,動悸が変調とかありません。本人は苦しんでいます。手をとり,祈るしかありませんでした。医療が行き届いていない国々に行くと,必ずよく似た症状の人々に遭遇します。健康の定義について,WHO(世界保健機関)は1999年,「霊的」という項目を追加しました。身体的,精神的,社会的福祉が整っていても,人間に本来備わっている宗教性を無視しているならば,健康とは言えません。

モーゼ・オベド大統領と会見 2018年4月5日

 三日目,午前9時に大統領官邸に訪問。大統領に陳情する人々がひっきりなしのようです。激務をこなしておられるモーゼ・オベド大統領に再会しました。昨年にご自宅でお会いした時は,まさか新大統領に選ばれるとはぜんぜん想像もしていませんでした。2015年4月22日,サイクロン被害で住民の多くが家屋に損傷があるポートビラに着いたその夜,親切にも筆者を宿泊できるように,息子に部屋を空けるようにしてくださった恩人でした。エステラ婦人たちにもお世話になりました。その時以来の縁です。
 なぜモーゼ・オベドさんが大統領に選ばれたのか,バヌアツで一番大きなキリスト教会の牧師と言えども,政治の世界とは無縁なのに不思議に思われるかもしれません。しかし,オベド牧師が所属するプレスビテリアン教会に接するとなるほどと思わせられます。いつ訪問しても,朝9時から夕方5時まで,会議をしているのに遭遇します。小会,中会,大会の議題があり,ひとつひとつを忍耐強く話し合っていきます。激しい反対,少数意見,専門家の発題などすべてをとことん論じ合います。決してトップダウン,一任では決定しません。全員が納得する民主的な結論に達するまで,時間を超過してもあきらめません。

バヌアツ最大のプレスビテリアン教会の会議 2018年4月6日

 物事を独断で導かないバヌアツ最大のキリスト教会の指導者の一人だから大統領に適任と民が判断したのでしょう。オランダの神学者アブラハム・カイパー[1837-1920]は1901年から1905年までオランダの首相も務めました。カイパーは「権利は,神に由来し,神は権利と責任を個人や国家だけではなく,家族や学校やマスコミ,企業,芸術などの中間的な組織にも割り当てられる。これらの組織は,それぞれ特定の生活領域を有し,それぞれは,国家など,他の領域からの侵害から自由であるべきだ」,と訴えました。ひとりひとりの権利が侵害されない自由を社会に貫徹しようとしました。一方,個々の人権もないがしろにされた制度にいつまで日本人は沈黙しているのでしょうか。バヌアツへ行く前日,前川喜平[1955-] 前文部科学官僚にエルおおさか人権会館でお会いしました。話の中で,オランダの社会保障を視察してみたいと述べておられました。バヌアツのオベド大統領も「領域主権」を尊重する流れです。他の教団,教派からも信頼されています。
 大統領との話し合いは予定より長くなり,次の相談者が控室で待ち構えていました。

 再度,ブラックサンドに向かいました。

ブラックサンド 2018年4月5日

 ブラックサンドで孤児たちと再開後,12時にテウマに孤児の施設を担当しているアマンダ家族に招かれました。メリー(13歳),レイチェル(11歳),タケフ(6歳),ジョン(2歳)と他にササさん(16歳)を含めた8人で,ハネムーンビーチに行きました。沖縄にもない絶景のサンゴ礁海岸です。海が透き通っています。海洋汚染もサンゴや貝によってアルカリ化して浄化されています。遠くからはエメラルド色ですが,実際は透明度が高いのです。海の底まで見えます。水温も高く,浸ると心地よいのです。砂は細かい粒子から成る真っ白さが特長です。プラスチック,ガラスやごみが浜辺にいっさいないことも驚きでした。ピクニックにふさわしく二種類の海の魚,野菜類のいためもの,調理した大きなタロイモ,バナナ,トウモロコシなど準備がたいへんだったと思われます。第3次の時,泊めてもらった際,ジョンはまだ赤ちゃんで泣いてばかりいたのに,みんなをおっかけて,海に入り,自然に泳げるようになっていました。

ハネムーンビーチ 2018年4月5日

 イソギンチャク,サンゴなど,手に取るように見えます。コバルドスズメ,チョウチョウウオなどゆらゆらと熱帯魚が泳いでいるのにとりこになります。石をどけたりして色々な生き物を観察していると,子ども達もはじめてそうした浜辺に生息するかわいい動物に関心を持ち出しました。競争するかのように,色々な種類のカニ,ヤドカリ,ヒトデを集め出しました。驚いたのは大きなアコヤ貝を見つけたことです。二枚貝で幼い子どもの指など食いちぎりそうな強い力で閉じます。中には天然の真珠が入っています。貝自身の裏側は宝石のようです。今年1月2日,第1次シリア・ボランティアでシリアの家具商が寛大にくださった青蝶貝は同じ仲間です。

 時間も忘れて童心に返り,子ども達と競い合うかのように海洋生物を集めました。
 その夜,酋長夫婦は息子マックスが海でとってきたマングローブの魚の夕食でもてなしてくださいました。
 長さ15センチぐらいの2匹の揚げた魚がごはんたっぷりの上にのっかています。他にはなんのおかずもありません。酋長と二人で手で食べます。しょう油などの調味料なしにいただきます。エラタップ村では最高のもてなしのようです。

 四日目
 エラタップ村の住人たちと会合を楽しみます。12時にプレスビテリアン教会のアラン牧師に招かれています。アラン牧師は超教派の監督であり,ある意味でバヌアツ国の全宗教の窓口の働きをされています。やはり3年前に出会って,とつぜんに200人の牧師たちの前でバヌアツ訪問の目的を語るように言われた時に出会った宗教指導者です。モーゼ・オベド大統領より宗教界では影響力のある人物です。アラン牧師からもう一個所,新たな孤児の施設について打ち合わせがはじまります。サイクロン「パム」直後からでは,物価も上がっており,建築資材が高騰だから,100万円では不足するだろうと話し合います。帰国してからメールで綿密な詰めを行い,8月に再訪問を依頼されます。
 1時半,ニュージーランド人とニュージーランドにおいて先住民族マオリ族との確執があったことを耳にします。1840年2月6日,英国政府とニュージーランド原住民マオリ族は「ワイタンギ条約」を結びました。英国人が原住民を動物以下の扱いで支配したこと,その先棒をかついだのがキリスト教の宣教師であったことをキリスト者は忘れてはいけません。なぜなら神への罪の「悔い改め」を説く前に人への謝罪を真っ先にすべきだからです。ところが,神に正当化された使命として宣教するグループは,異民族支配者と同じように,異教徒に対して奢り,差別,偏見をもつ傾向があります。とりわけ異端に対する流血の記録は歴史から消すことはできません。
 ニュージーランド政府は1995年,ワイカト・ナイヌイ部族連合に1億7000ドルを賠償することを決定しました。

「ワイタンギ条約」(宣教師のすすめでマオリ族は応じる場面を1923年に再現)

 バヌアツ訪問を通じて,白人が先住民を抑圧してきた歴史について見聞きしました。日本人もアイヌ民族,琉球民族の男を皆殺しにして,女性だけを残して同化してきた歴史があったことも忘却してはならない事実です。ニュージーランドやカナダ政府が謝罪と補償をしてきた勇気を教訓とすべきです。
 2011年,神戸市須磨海岸でイレズミをTシャツやタオルなどで隠すことをもとめる「須磨海岸を守り育てる条例」の規制となりました。神戸市民である筆者は今回のバヌアツ訪問を通じて,自分の内側であいまいにしてきた問題があることが浮き彫りにされました。ケアンズ,ブリスベーン,ポートビラで海外の若者の男女の多くに入れ墨を見ました。ファッションとして装飾しているのだろうか,それとも先住民族マオリ族などに対するシンパシー sympathy [「同情」,「共感」,「共鳴」,「悔やみ」の意]が動機ではないだろうか,と想起したりしました。
 マオリ語女性講師エラナ・ブレワートンさん(当時60歳)は唇とあごに入れ墨を入れています。2013年9月8日,北海道恵庭市の温泉施設で入れ墨を理由に入浴を拒否されました。ブレワートンさんは入れ墨が「母親や先祖を表す家紋のようなもの」と説明しましたけれど,受け入れられませんでした。アイヌの女性達も入れ墨があります。しかし,明治政府による1871年の一方的な風習禁止が差別感を生み,アイヌたちを苦しめてきました。(『週刊金曜日』平田剛士 2013年10月11日号)。

 空港にマンモ酋長や息子,セウル牧師が送迎してくれました。

左側セウル牧師

 しばらくするとタケフとジョンが駆け寄ってきました。ビーチに行った子ども達も見送りに飛行場までやってきています。バヌアツの学校は金曜日には午前中で終わります。オーストラリア,ニュージーランドやバヌアツでは宿題はありません。宿題をさせなくなった北欧の生徒たちの学力が世界のトップグループになりました。子ども達が自分たちの時間に遊び,自然を体験し,家の手伝いなどをする方が成績をあげることを知るべきでしょう。日本のように塾に行き,詰め込みの勉強をしても優秀な成績をとれないことに目覚めなければなりません。さもなければ,世界の中に溶け込むことのできない偏った日本人を粗製濫造することになるでしょう。

空港まで見送りにきたアマンダの家族

 「時間がない」「忙しい」「無関心」から脱皮するために,海外ボランティアは役立ちます。国境渡河する若者が輩出することを祈ります。

「カヨ子基金」を通じて,里親になってください。