第63次東北ボランティア 報告

2016年5月22日~25日

本田寿久事務局長がJR朝霧駅前に集った7名を
励まし,送り出しました。

20160525田植え

「石巻かほく」(2016年5月25日付)から抜粋

20160523南浜町20160523南浜町a20160523南浜町b

20160523南浜町e

「牡鹿新聞」(2016年4月22日付)

「牡鹿新聞」(2016年4月22日付)

第63次東北ボランティア
大島健二郎(第1次熊本ボランティア)

今回の東北ボランティアに参加して震災による3.11被害の甚大さが分かりま
した。何も無い荒れ地になってしまった宮城県石巻市門脇町,南浜町の元住宅
密集地や,震災の時のまま残っている門脇小学校を見たことで,大勢の命が失
われたことや,津波によって全てが押し流されてしまったことが身近に感じら
れました。
特にショックが大きかったのは住民の方々の精神的な苦しみの大きさでした。
目の前で家族を失くされた方,罪悪感などから他人と会うことが出来なくなっ
てしまった方,自殺してしまった方など様々な方がおられることが分かりまし
た。一見普通の家に住んで普通に暮らしているように見える方でも表情や声か
らは深い悲しみや苦しみが伝わってきました。ボランティアに参加する前は,
震災はどうしようもない現象なんだから「仕方ない」ことだし,いつかは乗り
越えられるんじゃないかとか,思ったりしていました。また被災者同士で悲し
みを慰め合えるし,震災という明確な原因は自分独りだけに襲いかかったので
はないから,ある意味ではあきらめにくくても受け入れざるを得ない苦境と考
えたりもしていました。地獄体験も他人にも伝えやすいとも思っていました。
しかし,一人ひとりの辛い試練はたいへんな精神的なトラウマであることが現
地に足を運んでみてはじめて感じました。
ボランティアとして何が出来るかというと,何もたいしたことはできないと
消極的に考えていました。実際,何か特別立派な偉業をしたりとか,派手なパ
ーフォーマンスを伴った働きができるものではないことも実感することができ
ました。しかし,今回参加したことにより,震災ボランティアがどういうもの
なのか少し分かった気がしました。壮絶な被災体験をなさった方たちのお話を
聞いたり,田植えをしたり,沿道を耕したりしました。ボランティアが目に見
える形ですぐに役に立つわけでもありません。しかし,私たちが共にいること
は被災者の方々の心に何かつながりができ,お金や,支援物資とはちがう人間
と人間の結びつき,心の通いがあるだけでも被災者にはかけがえのないもので
ある場合があることを思わせられました。そのためにボランティアに行くので
はないかと思いました。
仮設住宅に住んでいる子どもたちと沿道整備の後で少し遊びました。子ども
たちが元気だったのが救いでした。仮設住宅は窮屈だろうし,親を亡くした子
もいたかもしれません。でもあれほど元気な子どもは石巻市のどこでも見かけ
ませんでした。逆境にもめげない子どもたちから励まされました。東北を襲っ
た悲劇は計り知れませんが,だからこそそうした苦悩,試練の中から被災して
いない他の地域の子ども達にはない,素晴らしい芽が育っているように思えま
す。人の痛み,悲しみを理解する大人が増えれば,自分だけがよければよいと
いう日本を変えていく可能性があるのではないかと思いました。
第3次熊本ボランティアに向かいますが,ボランティアとして特別なことを
するのではなく,だれにも語ることのできない哀しみ,辛さ,苦悩を持たれて
いる方に自分から寄り添うために行きます。共に「いる」だけ,それがボラン
ティアだとわかったことを感謝しています。

20160523沿道整備a

第1次熊本ボランティアに参加した大島健二郎さん。 沿道整備。2016年5月23日。

 

20160524園児たちb

20160524園児たちa

20160524園児たち

20160524阿部捷一

境北仮設住宅子ども達

第63次東北ボランティア
嶋田 仁(和歌山工業高等専門学校5年生)

あれから5年。とてつもないエネルギーをはらんだ地震は,数多くの家屋を
倒壊させただけでなく,津波という凶器を使い,人々や思い出,希望までを
も一瞬にして消し去っ てしまいました。僕はその時15歳でした。
東日本大震災が起こってから,毎年被災地を訪れたり,被災地域の友達等と
数日間とも に過ごす機会がありました。僕の中で特に鮮明に記憶に残っている
話を紹介させていただきます。僕のある友達は福島県に住んでおり,震災発生
時はお母さんと車に乗ってい たらしい。そこに,津波が押し寄せました。友達
の乗った車は勢いよく流され,水圧で 外にも出れない状態となってしまいまし
た。一命はとりとめたものの,その時の恐怖は 決して消えないと言います。そ
れから2年後のある夜,僕も共にいた宿泊所で温泉に入 っているときに地震が起
きました。浴槽の水面はバシャバシャと揺れ,友達はそれが当 時の記憶を思い
起こさせてしまい,震えてうずくまり泣き続け,しばらく動けない状態 になっ
てしまいました。被災された方の傷というのは,到底僕たち被災していないもの
には分かりきれない,凄まじいものだと分かります。そして2016年5月,僕は
ボランティアとして神戸国際支縁機構と共に,宮城県石巻市へと向かいました。
目の当たりにして,浮ついた感情がなくなりました。復興が進み,新しい家が
立ち並ぶ 場所や堤防が築かれたところもありましたが,海岸近くの多くの場所,
一面野原に変貌し,何もかもなくなっていました。そんな光景を見て,僕が一番
感じたのは,性懲りもなく住宅再建する欲望よりももっと深刻な問題です。被災
者の方の心の傷や精神的なス トレスです。
特に忘れることのない体験をしました。宮城県境北団地の仮設住宅の子どもた
ちと触れ合ったことです。彼らはとても人懐っこく,「ブランコ押して」とか
「缶蹴りしよう」 と言って,沿道整備の疲れを忘れて共に無邪気にはしゃいだり
しました。しかし,帰り 際になると,一人の長沼成也君(小学校1年生)が僕たち
の乗ってきたバスに隠れて乗り込んでいました。成也君は「明日も遊んで」とせ
がみました。僕たちは次の予定があったため,成也君を半ば無理やりおろすしか
ありませんでした。立ち去ろうとすると,成也君は「もう来てくれないんでしょ」
と手を離そうとしません。代表から,ボランティアの人々は「また来るね」と言
って立ち去るが,再び戻ってくる人はいない。子どもたちが あんなにも僕たちと
の別れを悲しんでいたのは,ボランティアがしてしまった功罪だと言われました。
そのことはすごく胸をしめつけました。我々は翌日,再び彼らに会いに行きました。
住所も名前も知らない子ども達にもう一度会う,ただそのために必死に子どもの姿,
仮設住宅を探しました。約半時間,偶然再会することができました。子どもたちも
本当に嬉しそうな表情を見せてくれました。昨日は見せなかった笑顔で,僕たちの
胸に飛びつきました。そのとき,ボランティアに参加して一番感動の時でした。仮
設住宅で近隣住人に気を使い生活し,大きなストレスを抱えている子どもたちの,
心からの笑顔 を引き出せたのは,最高の喜びでした。
僕がボランティアを終え,学校に帰ると「ボランティアどうだった」と聞いてく
れる友達が何人もいました。僕はその人たちに「言葉では表せない。学校では学べな
いことが本当にたくさんある。ぜひ一回行ってみてほしい」と伝えました。ボラン
ティアに参加してはじめて様々な真実が見え,考えることができます。代表曰く,
「ボランティアはイマジネーションの想像力ではなく,クリエイション(創造力)で
ある」と。自分たちでその都度遭遇する行動を考え,実行していく。その意味がよ
く分かる体験を沿道整備,田植え,被災地で出会う人々の交わりで味わいました。
ボランティアは参加者をもまた成長させます。ぜひ,機会をつくりまた参加したい
と願いました。ありがとうございます。

20160524長沼

20160523千葉富男

 

上河規江(兵庫県立城西高校元教師)

 神戸国際支縁機構の東北ボランティアに参加するのは、今回が初め
てであった。それだけに多くの期待が私の胸を膨らませていた。
案の定、博学、人柄、ユーモアのある岩村代表のような人には、い
まだかつて出会ったことがなく、彼に出会ったことだけでも今回のボ
ランティア参加には意義があったと思っている。これはボランティア
活動とは言えないが、彼からはいろいろなことを学ばせてもらった。
さて、一番印象に残ることと言えば(これもボランティア活動では
ないが)、何と言っても生の大川小学校を見たことである。直接目に
触れないように小学校全体が
カバーされており、その姿がどれだけ衝
撃的なものかを物語っていた。
小学校に足を踏み入れる。心臓がどきどきしている。そして、震災
直後にがれきの街を歩いて涙した時と同じ涙がまたあふれてくる。言
葉が出ない。机椅子が泥をかぶったままひっくり返っている。子供た
ちの絵が、教科書が、名簿があちこち泥まみれになって散乱している。
子供たちの悲鳴が聞こえてくる。先生たちの叫びが
聞こえてくる。
全てが泥をかぶり、机も椅子も棚も壊れ、そしてその中から笑顔の
子供たちの写真が出てくる。一瞬にしてその時の平和が失われていっ
たのだ。思わず、手を
合わせ冥福を祈った。
その悲惨さを体験したわけではなく想像するだけで、こんなことを
語る自分が悲しくなる。そして、さらにこんなボランティア活動に参加
して、「何か力になれることを」などと思っていることがなんとおこが
ましいことか…
そんな思いも仮設住宅の子供たちや、田植えの準備をした後その中で
どろんこ遊びに夢中になっている子供たちの笑顔がわたしを救ってくれた。
おこがましいとは思っても、何の力にはなれなくても、やはりわたし
はボランティアに出かけてしまうのだろう。今となっては、「なぜ」と
聞かれても自分でもわからない。 
                            上河規江
20160523沿道整備上河規江

沿道整備をする上河規江さん 2016年5月23日

 

 

 

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