第七次東北ボランティア報告(第二次農ボランティア)

2011年11月20~23日

 初日の朝,予定通りより,35分早く石巻市渡波に到着した。東日本大震災で壊滅した石巻の臨海工業地帯や,魚町,渡波町を見てから,鹿妻小学校の駐車場に二台の車が到着。10人乗りと8人乗りである。初めて足を踏み入れた岩崎勝行氏は思わず,口から「これはひどい」と発した。
 三浦俊博教頭先生が一行の労をねぎらってくださった。8時半には,阿部勝代表,NPO田んぼの岩淵成紀理事長からの日本の農業の在り方,農法,福幸米について参加者に説明があった。

 機構代表, 阿部勝代表,  岩淵成紀代表

 モントリオールの国際会議から帰国したばかりの岩淵理事長も自ら鍬やスコップを手にして汗を流した。11時から,菊地昭博氏(新規の20㌃の依頼者,復興組合副会長)と懇談。午後から,佐々木猛裕氏も大崎市からやってきて,強力な援護射撃をしてくれた。
 機構に,田んぼの四反を石巻市渡波地域農業復興組合から委ねられている。冬期湛水(たんすい)に着工できるように,がれき処理に取り組んだ。

津波によって,渡波60町歩の田んぼに流された生活の痕跡

 二日間にわたって,あぜ道を造った。あぜがあると,鹿妻小学校児童生徒の生物生態研究にも有益であろう。鹿妻小学校の清元吉行校長も好意的に機構を迎え入れ,農ボランティアに協力してくださっていることは感謝である。

農ボランティアに連続している参加している山本智也君(大学4年生)―手前。村上裕隆君(20歳)―右。北村 徹氏(若者たちからの信望が篤いリーダー)―左。

 宮城学院女子大学の新免貢教授は,12月の農ボランティアには約30名の女子学生たちも合流できるように計画したいと申し出があった。すでに,兵庫県立農業高等学校の高校生たちも派遣してくださる予定だから,マイクロバス一台では参加人数が越えてしまう。

あぜがなかった所にあぜを造る。右 勝村弘也氏,左 岩崎勝行氏。

 11月20日の往路で,すでに凍結注意,80キロの速度制限などを考慮すると,車も冬用の装備が必要である。 

 代表は,石巻市役所で,渋谷宗産業部農林課長と面談し,若者の農業への就労課題や,米食の定着化,渡波の宅地造成について語り合った。三浦敏壽稲井土地改良区理事長とも電話だけだが連絡をとりあった。翌日,双方共,現場に来る予定を耳にした。

 夜,勝村弘也氏(手をつなごう東北-兵庫代表)が合流。共に「元気の湯」の天然温泉で汗を流した。勝村教授は,京都大学農学部出身。農ボランティアにも積極的にかかわっていきたい熱意が参加者たちを鼓舞した。

 機構代表は,阿部勝氏ご夫妻のご自宅に感謝の意を表しに行くと,いつものように居間にあがるように勧められ,三人のお孫さんたちとも楽しい談笑をした。阿部勝徳ご夫婦が出かけておられたので,再会ができず残念であった。

 宿泊は,和田順子氏のご好意で宿舎を提供していただいた。冬用の寝袋を用意しているが,ことのほか,冷え込みがきつかったようだ。 

 二日目の昼食のため,思いもよらず,佐藤金一郎氏から差し入れがあった。午前中の肉体労働の疲れがいやされた。さすが地元の方だけあって,一行の居場所を目ざとく見つけて届けてくださった温情に頭がさがった。学校側は,三浦教頭が昼食時用にお湯を自ら用意してくださった。地元の多くの方々のご好意がびんびんと伝わってくる。

「ふゆみずたんぼ」 では,除塩を行わず,水を増すことによって,塩分濃度を減らし,海水に含まれるナトリウムイオンなどの要素を活用する。二回ほど,満水にしてから排水する。排水路を二日にわたって取り組む。

 先回,田んぼに激励に駆けつけてくださった長浜幼稚園の先生方は,仮設住宅で収入が困窮している方たちに副業として呼びかけてくださった。「まけないぞう」というタオルを作成して,関西で販売する企画である。被災地NGO協働センター村井雅清氏が神戸から作り方の指導に来た。渡波でも順調に滑り出していることを耳にして,安堵した。

 22日(火)午後4時から約1時間,丹野一雄委員長,阿部卓也支所長など宮城県漁業協同組合の8人と話し合いの機会をもつことができた。丹野委員長が渡波湾の万石浦の漁業の実態を語った。課題や,問題点も浮き彫りになった。 

 3.11以降,養殖した稚貝に種の付着率が高くなった。長年,蓄積していたヘドロが津波によって流された。その結果,渡波湾のカキの養殖に取り組む漁業組合員は例年にない良い結果に驚いている。カキの稚貝の種の付着率が約5倍になっている。 

 およそ四半世紀前から,石巻漁港の拡大や,市街地の人口増大に伴い,下水処理場の管理能力が限界を超えているせいで,海は汚れる一方であった。汚いヘドロなどの油分が養殖海域に幾層にも占拠していた。 

 今回の大津波は,長年にわたり蓄積していた養殖への悪影響をなくす作用をしたのだろうか。ちょうど台風の後に,大気汚染が覆っていた列島全体がさわやかな空気になるのと同じように,海底に効果を発揮したことになるのではと思った。 

 人間の居住生活が,自然の営みを崩している事実も見逃せない。 

 万石浦の養殖ノリの芽が「バリカン症」になってしまうのは解決できていない。まるでバリカンで刈ったように短くなってしまった状態である。成長していないため,大きな被害である。因果関係はまだ不明であるが,河川から注ぎ込んでくる水質に原因があると言われている。

 また近年,ノロウイルスがカキの養殖にも悪影響を与えている。感染性胃腸炎患者の糞便に含まれるノロウイルスが生活排水を通じて,海に流れ込むわけである。つまり,感染者の排泄物に含まれるウイルスは下水処理場なんかでは完全に取り除けないからである。したがって,排水が流入する養殖される貝類などから検出される。

 人間による海への汚水は,塩分濃度を下げ,年々漁場を損なっている。たとえば,赤腐れ病(Red rot)もノリ養殖に大きな損害を与えている。

 工業の進展に平行して,人口島,臨海工場,埋め立てにより,地形が変わる。漁師たちには,長年培ってきた感が通用しなくなる弊害が生じる。地勢の変化は,潮の流れを読めなくしたりする。 

 しかし,仙台汚水処理場に対して,異議申し立てをした漁業側は,仙台市を相手にして裁判で敗訴した経緯がある。水質検査の証拠を提出しても,汚染の原因が養殖などに打撃を与える決定的な理由ではないと退けられた。 

 漁業組合の委員たちは,異口同音に,「水産特区」についても反対していた。三陸沿岸には,小さな港が1万戸ほど散在。天候や潮の流れを識別できる一人前の漁師には即席ではできない。ましてや漁師がサラリーマンには転向できない。海の男としての経験は今,村井嘉浩宮城県知事による大型プロジェクト構想で葬り去られようとしている。企業の金儲けを優先する「水産特区」構想はまさに切り捨て復興と言えよう。 

 農ボランティアに参加している理由も具申させていただいた。 

 日本は今,東日本大震災以後の国作りを考える瀬戸際に立たされている。第一次産業である農林漁業を切り捨てては国が成り立たない。政権担当者は熟慮していただきたい。かつて産業,興業だけを優先して,国の食糧生産を,ないがしろにして発展した国はないだろう。世界に遠洋航路で資源を求め,強大な産業国であったスペイン,ポルトガルの現在の経済的衰退を教訓とすべきだろう。18世紀から19世紀にかけて,産業革命を行なった英国。七つの海を支配した世界一の帝国であった。だが,英国病と言われるほど,1960年代以降,経済が停滞した。勤労意欲も失せてしまった。英国,スペイン,ポルトガルのいずれも世界に先がけて冠たる工業文明の旗手であった。日本だけが工業によっていつまでも繁栄を維持できることなどありえない。明治維新以降の富国強兵政策は終焉させねばならない。

 1964年からの自由化の大波の中で,二つの課題がある。競争力を強化することではない。第一に,農,海,森に汗する若者をどのように造っていくかである。つまり教育も含めて,社会の支えにもなる第一次産業に携わる若者が増やさないと,日本は地球上のマップから消えてしまう。TPPが効力を発するのは約10年後。現在,日本の農業を牽引するのは70歳代。10年後はまだなんとか現在60歳代の人たちが残っていようが,20年後には,我が国の食糧に携わる人はいなくなる。
食糧自給率を考慮すると,産業を優先してきた国々でも,自分たちの食はちゃんと確保している。日本だけが,他国から資源,食糧を依存する体質を改善するどころか,悪化の一途を辿っている。

 農に就労する若者は著しく少ない。就活で厳しい時代でさえ,農活をしようとする新卒の学生,フリーター,ネットカフェ難民たちはいない。日本全体に見られる傾向であるが,汗して生産に従事する仕事は人気がない。第一次産業や,第二次産業などの労苦より,楽をしてお金を儲ける業種に向かう傾向があろう。明治維新以降,勤勉さという生き方より,スピードをもって収益を得る拝金主義[マンモニズム]に犯されている。3.11は,日本の目指してきた方向性をUターンさせ,無縁社会からムラ社会を回復し,祭や,共同体意識を見直す精算の時とすべきだろう。

  いつまで悪法を続けるのか。1952年7月15日,農地法により,耕作する者だけに農地所有を認めるという「耕作者主義」がある。若者が農業をやりたいにもかかわらず,遊休地は売ってもらえない。農地所有者が死ねば,まったく違った親戚かだれかの手にわたり,宅地になっていく。農業をやめたら国は農地を買い取る制度を作るべきだろう。

 子々孫々に残せる自然生態系の循環を回復しなければならない。地球にやさしい水の流れ,山→田んぼ→海。海(蒸発)→山に雨→川という天恵の環境こそが人間が口にする食糧の安全,健康,平和の実現の糧となろうと,語ることが許された。

 「恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように。」(ホセア 10:12)。

  願わくは,新しく農に就労する若者たちと,漁業に従事する若者たちがスクラムを組んで,日本の和を推進してほしい。そのためにも石巻市渡波地域農業復興組合と漁業組合の連帯を期待したい。次に,林業との連携である。

 用水溝に飛来したカモ 福幸米を作る渡波にコウノトリ,トキが飛来するのはいつだろうか。

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