東北の被災地はどうなっているか

大災害後の人と社会のあり方をめぐって

 日 時 : 2012年5月13日(日)午後2時
 場 所 : 矢元台ショッピングセンター2階 会議室
 講 師 : 岩村義雄(神戸国際支縁機構代表,「みんなで考える9条・明舞の会」世話人代表)
 主 催 : 「みんなで考える9条・明舞の会」 

<> 石巻の訪問 

 市街地に入ると,国道398号線沿いには,大型量販店,ショッピングセンターが軒並みに並んでいます。昨年から毎月,来ていますが,出店ラッシに圧倒されます。コンビニ,ホームセンターはすぐ見つかります。駐車場はひしめきあっています。日本中の幹線道路沿いに見かける光景です。震災直後,一次補正予算案が出る前は道路もありませんでした。短期間でよくこれまでと,人間の回復へ向けた力に目を見はります。津波で被災した町でやっと開店した店はどうなっているのか,不安がよぎります。そんな零細商店は店を正式に開くこともできないにちがいありません。地元の商店について目をこらして見ますが,見つけることができません。やはり,震災後の特需の恩恵を受けるのは,チェーン店であり,東京にある本社社屋が潤います。新幹線も,道路も販売する大企業にとって有利だったことでしょう。
 石巻市の魚市場周辺の約30万平方メートルには水産関連の会社は200社以上ありました。しかし,国,宮城県の復興に対する怠慢のためでしょうか,冷凍関係2社,加工関係10社のみしか再開できていません。被災地倒産は阪神淡路大震災の3.3倍です。系列に属さない零細企業は,事業再開の予算も下りず,加工,冷凍・冷蔵設備の復旧はできていません。大手の日本製紙,セイホク,山大などは事業再開をしていましたが,震災失業は12万人であり,水産加工は道のりが険しいです。 
 やがて,渋滞の市街地から水産関連の工場があった門脇町に入りました。「テレビなどで見ている光景とぜんぜん違う。何も復興なんかしとらん。」とあちこちで高校生たちがつぶやきます。「ひどすぎる。国や県はどないするつもりやねん。」「今日湊中学校に行ったのですが,そこの時計が2時46分と言うちょうど地震がおきた時に止まっていたことです。あの震災から一年がたつのにまだ残っていたのがやっぱり復興支援が必要だと思いました。」(高2 檀上卓史)。 

(1)   被災地の実態
 a. 
日本人の食糧は日本人が作らねばならない 

 ボランティア作業開始前に,石巻市渡波地域農業復興組合の阿部勝代表から歓迎のあいさつがありました。「農業に挑戦してみたい方,手を上げてください」と参加者に問われました。2~3人かと思いきや,4分の一に相当する15人近くの若者が手を上げたのを見て,阿部さんは驚かれました。

 「先祖伝来の田んぼを守らねばならない。日本人の食料自給率が40パーセントしかないこと。米を作り続けねばならない。日本はうかうかしているとどんどん外国からTPPで米が入ってくる。日本はなにも生産できなくなる。」と実状を語りました。高校生井上涼介君は「人間の一番の生きる意味は平和な家族を作ること勉強やお金はそのあと」という阿部勝さんのメッセージが印象に残ったようです。 

 機構に委ねられている4反(40㌃)の田んぼはすでに冬期湛水(たんすい)のため,水を張っており,作業はありません。水やドロの中には,すでに巣穴をあちこちにつくっているイトミミズ,土にもぐっているマルタニシ,時おり尻の先を水面に出して空気を呼吸する姿がかわいらしいヒメゲンゴロウが生息しています。またニホンアカガエルの卵塊がありました。
 美しいイトトンボや,蚊に似ており,刺さない「蚊柱」をつくるユスリカや,カゲロウの幼虫が3月に生息を始めています。(朝日新聞 2012年3月16日付参照)。
 田植えができる用意が万端です。
 田んぼ,植樹,医療班,がれき作業の4班に分かれて,作業を始めました。海班は,吹雪いていたため,漁ボランティアができなくなりました。日程表を作成し,綿密なスケジュール通りに,効率よく,能率を求める都会生活と異なり,第一次産業は天候に左右されます。
 「田んぼでは,鶏糞を蒔くのですが,風が強いので,ちゃんと思うところにまけません。鶏糞が舞い上がり,目に入り,マスクがないから呼吸もこらえたりしました。」と村上裕隆君は述べます。 

 b. 日本の貧困な農業政策

 政府は1970年以降,減反をすすめています。半分の農地がなくなりました。一方,外国米を日本の生産量の9パーセントも輸入するようにしているのです。海外に行かなくても資源=モノは国内に豊かにあるのです。高校生横浪伸哉君は,「農業が日本を支えている」,髙野快太朗君は「日本は世界有数の資源国」と理解を示して報告書に書いています。続いて,古谷桂信氏が小水力発電についてこれからのエネルギーとして有益であることを語りました。ダムを造らず,環境を大きく変えないで,身近な水が地域を豊かにするという話です。「日本にもエネルギーがたくさんあるんだ」と高校生森島清貴君は感心していました。大企業の機械設計の技術者であった甲斐田敏氏も「水を利用する代替エネルギーは有効である」と関心を示していました。 

 今の日本では米を作ろうと思っても,機械代に相当な費用がかかります。機械のローンのために働いているのです。コンバインが7~800万円。田植機が250~300万円。トラクターが300万円。乾燥機やモミすり機なども必要です。ところが機械は一年の内数日しか使わないのに,7,8年でこわれます。リースにしたとしても年間200~250万円の減価償却費を出さないといけません。油代や修理費などのメンテナンスもかかります。反あたり10俵(1俵60キログラム)できるとします。農協で60キロを1万円で引き取ります。農家が直接,産地地消の店で売れば,1万8千円~1万9千円になります。ブランド米だと2万円を越えます。100俵販売したら,200万円の売り上げになります。しかし,年報200万円は高卒の初任給くらいのものです。阿部さんは,北海道のように広大な農地を目指して,農業経営を成功させようと先陣をきっていました。

 経費の視点から機械代に年間200万円以上かかります。耕耘機は,田植え,稲刈りには当たり前の時代です。軽トラックも必需品です。ガソリンなどの燃費,動力の油,農薬,肥料などの経費を考えると,機械代のために農業していることになります。利益などぜんぜん見込まれません。

 そんな農家にとって厳しい時代に追い打ちをかけるような震災です。3.11の津波,塩害は,農業で子供に継がせる夢をも打ち砕いてしまいました。生活がしていけないのです。皆さん,食を自分たちでまかなう農を取り戻さねばなりません。残念ながら日本の村々から人は消えています。農を失って国は成り立たないのです。工業文明は永遠に続きません。太陽の沈まない国と言われたスペイン,ポルトガルもギリシャ,イタリアに続いて,経済は停滞しています。あの産業革命を行なった英国も英国病で経済はだめになり,厳しい状態です。会社にしても,何十年も潤うことの保証はないのです。食べるモノは自分の国で作るようにしましょう。

 高校生加藤剛君は,石巻に来て,「農家の高齢者,日本の農業の秩序が変わって悪い部分が起きていること」と,現実に直面したことを実感したようです。 

 コメは奥が深いです。神戸国際支縁機構のボランティアの若者たちは春には田植機,秋はコンバインを使ったら,田植えも収穫もできるぐらいに考えていました。しかし,代掻(しろか)き,肥料,用水,排水,雑草との戦い,天候や生育度合いなど経験が必要です。今年が良かったから来年も大丈夫という保証はありません。手塩にかけてコメを育てます。耕作に必要な機械や肥料,資機材は高いのに,コメはなぜ下がるのでしょうか。日本人の食糧は日本人が作らねばなりません。ところが農業では経営が成り立ちません。なぜなら機械の購入,維持費,肥料など経費が収穫のコメの販売代金を上回っています。専業ではやっていけないのです。兼業で会社のボーナスなどを機械のリース,修理代などつぎ込まねば維持できません。 

 c. コメなしでやっていけるのか

  アメリカ最大手流通資本ウォルマートの100%子会社であるスーパー・西友は,中国産のコメを販売し出しました。「中国吉林省米5キロ」であり,1,299円です。日本では一番安い米でも1,780円です。大消費地東京では,一般に安いコメは,1,800円くらいします。外食産業でも輸入米に触手を伸ばしています。牛丼チェーンの大手松屋フーズは2月以降,約7割の店でオーストラリア産米をブレンドしています。 とうぜん吉野家,すき家なども検討に入っています。かっぱ寿司も1月から米国産米を用い始めました。すかいらーくも輸入米を使用する検討に入っています。商社やスーパーは自分の儲けのことしか考えていません。冷夏や豪雨,台風で野菜が不作となると,値があがります。するとすぐに商社が中国などに買い付けに行って,スーパーが特売をやります。値があがっても農家は売る野菜がありません。豊作になったらなったで,すぐに値が暴落します。売る野菜がある時でも,箱代,手数料などを引くと利益が残りません。豊作になっても,不作になっても,泣かねばならないのはいつも農家です。

 ガソリン代はあがるが,コメの値段だけはさがるのです。農業経営は厳しい。若い人々が就きたいと思っても,生活すらできません。結婚などできないのです。

  日本全体が考えなければならない大きな問題です。私たちが高くても安心できる国産のコメ,野菜を食べていくようにしたいです。 

 阿部勝さんは言います。「農家の大多数が反対しているのに,どうして政府はTPPをすすめるのか。TPPは日本の農業をつぶすものだ。」安い農作物,400万トンのコメがアメリカから自由に入ってくれば,どうなるのか。防腐剤など何が含まれているか,だれも何も言いません。ヘリコプターに乗って,農薬を散布している大規模農場のアメリカ産のコメは何の予防や検査もなく雪崩のように入ってきます。やすけりゃ良い,輸入食料に頼ったらいいと本気で考える消費者はいるでしょうか。田舎がつぶれたら都会もつぶれるのです。宮城県村井嘉浩知事は,「水産業復興特区」構想を発表。漁業権の民間開放を打ち出しました。12月には,被災した県内142港に関して「拠点漁港」60港へ集約化と6割の漁港の切り捨て方針を発表しています。農業についても,「法人化や共同化による経営体の強化」を打ち出し,農民から農地を奪い,広大な更地をつくり出しています。野村総研の提言どおり,「二種兼業農家の農地の買い上げをつうじた農業法人等への農地の集約化や専業農家の法人化支援」が県の方針となっています。ちなみに野村総研の所属する野村ホールディングスは外資が44%の株式を握っています。村井知事は,アメリカCSIS(戦略国際問題研究所)と関係が深い松下政経塾出身です。東日本大震災復興構想会議委員に登用されたのも米国と直結しているからでしょう。「宮城県だけで集団移転や土地の区画整理などに2兆円が必要である」と,消費税増税を主張しています。

(2)  漁業と山林事業は一体
 a. 
第一次産業はどうなっているのか 

 かつて日本は世界一の水産大国でした。漁獲量は1970年代には,1000万トンもあり,8割を遠洋漁業と沖合漁業が占めていました。200カイリ規制のため,遠洋漁業は厳しくなり,漁獲量は400万トンほどに下がっています。遠洋漁業者は養殖漁業に転換し,現在,沿岸漁業と二本柱になっています。明治末期には300万人従事していた漁業者数はいまでは20万人まで減っています。 

 漁業と山林事業と深く関わっています。山を源流とする河川が田んぼに流れ,湾にまで続いています。農薬・肥料によって損なわれていないきれいな河川は沿岸漁業にとって生命線であります。川の栄養分や無機物がプランクトンの栄養となり,養殖の牡蠣,海苔の出来具合に関係してきます。東北地方の唯一の海苔産地として,石巻湾と松島湾があります。石巻湾支所のノリの年間生産は7200万枚,約6億円で,カキの4億円を上回ります。県内では七ケ浜支所,東松島市の浦戸支所でも海苔の養殖が試みられています。海苔の収穫で忙しい時期に地域のために,日本で最も良種のカキ,海苔が養殖されている渡波湾万石浦に注ぎ込む下水で,海水が汚染されないことも大切です。海に一番たくさん排水を出すのは,農家です。肥料,農薬は漁業関係者にとって歓迎されない元凶です。東日本大震災の後,石巻市渡波地域農業復興組合の阿部勝さんが無農薬,無肥料の米作りを始めたことは海苔養殖に携わる丹野さんにとっても,朗報です。養殖ノリの芽が「バリカン症」問題,赤腐れ病(Red rot)もノリ養殖に,ノロウイルスは牡蠣養殖に大きな損害を与えます。したがって,湾に注ぎ込む排水も自然生態と大きく関係しています。どうしたらきれいな水を循環させることができるかが石巻に行った際,開いている会合の大きな目的です。

 山も田や湾に注ぎ込む水源の河川を生み出します。田んぼで米などが生育し,海で海産物,魚類などを食する石巻市渡波の人々,子供たちが安全に営みをすることができます。 

 b. 日本人は食生活を変えなければならない  コメからパン,魚から肉

  漁業衰退には「魚離れ」の影響もあります。日本人は以前,一人で一日に,約100グラムの魚を食べていました。2006年には,魚介類と肉類の消費量が逆転し,2009年には,肉類83グラム,魚介類は74グラムになりました。日本のコメ消費量は,1955年頃には,一人当たり年間120キロ(約2俵)のコメを食べていました。現在では年間一俵(60キロ)に減っています。 

 つまり,日本人の食生活はコメからパンへ,魚から肉へと変化しています。なぜでしょうか。どこかの国が儲かるように日本人は汗流して働いて,そこの国の食品を購入して貢献しているのです。自分たちの首を絞めているのです。 
 家庭料理で母親がどんな料理をするかを見て,料理を教えなくても子供たちは育つのです。コメ,魚をもっと台所で調理し,食卓に並べなければなりません。大根も白菜も,魚もご飯の味に良く合うのです。

 第一次産業の農業,漁業,林業に共通していることがあります。参加者の松本真祐さんも語っています。「『いいものを作れば,いい値段で売れる』時代が来ればだと思いますが,食物については,その年ごとの豊作・不作による供給とお客さんのニーズによる需要のバランスに左右される事が難点ですね。」と述べていますように,収入が安定していません。ですから,就活でも,農林漁に若者は関心を示さなくなっています。製造業に対しても,技術,職人の勘,伝統には距離をおいています。一見,企業は毎月のサラリーを保証しているかのようです。しかし,産業は安定しているとは言えません。大手家電も熟練労働者,工場も国内からなくなり,海外では苦戦しています。

 c. 田山湾の回復

  不安定に思える農林漁の基盤がないと,日本列島の民は生存できないのです。関西空港から沖縄まで980円で行ける飛行機のチケットが売り出されたそうです。「安い」ものに人々は狂奔します。子供の時,「安かろう,悪かろう」と祖母や,大人からよく聞かされたものです。今では,大量販店などに,人々は列を作って群がります。国内で生産された質の良い食に対して,値段を考える前に安全,栄養,健康に寄与する賢明な判断を民衆がもつようになることが望ましいでしょう。

 食糧自給率を考慮すると,産業を優先してきた国々でも,自分たちの食はちゃんと確保しています。日本だけが,他国から資源,食糧を依存する体質を改善するどころか, 悪化の一途を辿って40%以下になっています。

 子々孫々に残せる自然生態系の循環を回復しなければなりません。地球にやさしい水の流れ,山→田んぼ→海。海(蒸発)→山に雨→川という天恵の環境こそが人間が口にする食糧の安全,健康,平和の実現の糧となるでしょう。神戸の二人の若者が就活から就農活動に変わりました。

 大人の視点で,仕組みを変えるのではありません。若者たちが荒廃した被災地で汗を流して,どうしたらよいか,発信し,変革していくことができるようなしなやかな発想,思潮,価値観をもてるようにしましょう。

 (3)  ボランティアとは
 a.
 震災失業

 今,石巻の仮設住宅で孤独死が大きな問題です。自分だけが生き残ったこと,仕事も生活の保障もなくなった人たちは言うのです。「どうしてオレは死ななかったのか」「なぜウチのかあちゃん,子供たちが死んでしまったのか」と自分を責めるのです。渡波の近くの仮設住宅では,一ヶ月に10人が悲嘆のあまり後追い自殺をしています。人間の命は自然界の獣,草木,岩,小川とは異なり,創造者から与えられたものです。日本人は,自分の命が神様から与えられたものであるという思いが希薄ですから,逆境に追い込まれたりすると,死に物狂いで生きようとはしません。仮設住宅を尋ねますと,ゴミ箱にはいっぱいのアルコールを飲んだ空き缶だらけだったりします。自分の体,命は自分のものであり,どのように処理しても,「何をしても自由だべ」という思いがございます。聖書のヨブ記では,家族,財産を嵐によって失ったヨブという人物がいます。皮膚を病で患い,吐く息も臭くなった夫ヨブに妻は自殺をすすめます。「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って,死ぬ方がましでしょう」となじります。夫は答えます。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは,神から幸福をいただいたのだから,不幸もいただこうではないか。」(ヨブ 2:9,10)。

  自分の命は神様がお預かりした貴重なものです。生き残った人間には,それぞれ神様から託された使命があるでしょう。自殺は神様への反逆になります。もちろん,仮設住宅でそんな宗教メッセージは御法度です。今は,みんなで,どのように自ら命を断たなくてもいいような共同体をつくるかが鍵になります。無縁社会から,縁で結ばれた私達の絆を深めていくムラ社会を作り上げていきましょう。 

 b. ボランティアの心構え

  仮設住宅だけでなく,在宅被災者は,生活力がないため仮設に移れないことを揶揄して,「二階族」というような中傷もされると,こぼしておられる方もいました。在宅被災者にも,医療面で,心のケアのためにも,定期的に訪問すべき課題が浮き彫りになりました。 

 被災地の人々を弱者と言い切っていいものでしょうか。生活力がなく,弱い立場に立たされている人々について,「弱い人」という言い方はふさわしいのでしょうか。立場の弱さについて人間としてのひよわさと混同してしまってはいませんか。阪神淡路大震災の後も,空腹な方々のために炊き出しをするとか,三角公園の方たちのために寝泊まりできるようにするのも大切な働きと言えましょう。炊き出しは弱者に依存心がついてしまうからはダメだとか論議する以前の問題です。しかし,いつまでも「~のために」というところで止まっていたら,やがていつか新たな差別構造を造り出していることになります。石巻市でも,ボランティア団体が君臨する方程式がなかったかと言えば,やはりあるボランティア団体が君臨し,被災者のためにむしろ有害だと批判されたこともありました。持っている人は与えればいい,持たない人はもらえばいいというような上下関係ができあがってしまっていました。与える側・受ける側が定着してしますと,双方の人間としての尊厳が失われます。福祉活動の落とし穴がそこにあります。私たちが神戸から被災地へ行くとき,はじめて参加したボランティアの方々が,「ここの人たちは自分たちより弱い人々だから…」という思いがあるなら,そのボランティアは自分を与える側の立場に置いていることになります。そういう視座は接し方の随所に現れます。すると弱い立場の人々をさらに弱くし,自立の芽をつみ取ることになりかねません。ボランティアが交通費,休暇,食費を用意して相手のことを思ってする,そのことがしばしば相手を傷つけてしまうことがあるのです。そうしたジレンマは奉仕活動にはつきものです。なぜ良い動機でボランティアをしているのに,相手を傷つけてしまうのでしょうか。相手に対して,自分で立つ力がないものと決めてかかり,「~のために」というかかわりに終始してしまうからではありませんか。弱い立場に立たされている人も生きる気力,希望,仕事へのやる気があるのです。「~のために」という思い上がりではなく,「~と共に」という意識を変えないとボランティアは継続できません。

 被災地へ赴くボランティアが肝に銘じておかないといけない事柄があります。貧困の問題は復旧,復興,再建の遅れの構造に起因します。つまり貧しい人々が聖人ではありません。裕福な人々が罪人なのではありません。おしなべて,貧しいからといって称賛されるものでもありません。石巻を例にあげますと,門脇,南浜町より高台だったために被災から免れて,日和山の人々の生活は以前と変わらず,裕福だからといって責められるべきではありません。私たちの多くは,巨大な構造の中で,抑圧する側ないしは抑圧される側のどちらかに立たされていると考えていいでしょう。どちらの側に立っているかで,私たちの考え方,行動の仕方,感性に大きな影響を与えます。 

 c. 正義を貫く

 私たちは,仮設住宅,「みなし仮設」[民間や公営の住宅を仮設住宅とみなす]にも移ることができず,2階で貧しい生活を余儀なくされている人々から学ぶことができます。阪神淡路大震災の被害もいつしか忘れ,借り上げ住宅の強制退去の人々の暮らしも人々の関心から風化しつつあります。ともすると平気で人の物を欲しがったり,テレビのコマーシャルの影響で貪欲に物質主義に陥ったりしがちです。しかし,東北では,今,二重ローンや,わずかな年金で生活している弱者は,「震災から十ヶ月経っても,一向に改善されない」と涙ぐみます。震災失業者は39%に上ります。「死にたい」「生きていても仕方がない」「なんで助かったんだろう」と死線すれすれにはいつくばっている人々は人並みの幸福を味わうことができません。貧しい人々が被っている欠乏の責任は,正義が喪失してしまっている社会構造に起因しています。だから抑圧され,疎外されているのです。貧しい人々は苦しむ側であり,罪を犯される側です。神戸からのボランティアは,弱者と連帯することが目的です。生きる気力を失った人々の言い分を取り上げることであって,私たちの言い分,能率,効率,仕組みづくりを押しつけることではありません。あくまでも,一方的な義援金,モノの提供,労働力の奉仕,親切の押し売りではなく,共に行なうことが必要なのです。真の連帯は,「我々」と「彼ら」という区別がなくなったところから出発します。また,弱者,貧しい人々を決して,美化するような動機で接してはならないでしょう。農林漁のボランティアと平行して,仮設住宅で内職の講習会を定期的に開いているのも,自立していただき,正義を行なうコミュニティを一緒に築きあげるためです。

 道のりは長いですが,手を携えていきましょう。

 5月27日から,石巻に田植えに行かせていただきます。古代米を花巻市の佐藤正弘さんからいただいて,コウノトリの「田んぼアート」をする予定です。ご都合がつく方は三日間の田植えに「共に」汗を流す喜びがございます。
                                               以上                         
                                                    

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