地震と津波に遭遇して

石巻市被災者 阿部捷一

  平成23年3月11日午後2時46分突如起こった大地震。70年生きて来て今までに経験したことのない大きな揺れでした。海岸地帯に住む私は、小さいころから祖父母に「地震が来たら津波と思え」と聞かされていた言葉を思い出しました。とっさに妻とともに、高台に逃れ難をまぬがれました。二泊三日の外泊でした。水もなく、食べ物もなく、持っていた2,3個のキャンデーで飢えをしのいで三目目の朝、津波の去った町に降りて行き、自分の家に向かいました。もう津波に流されて何もないだろうと思っていたのに、瓦礫の中にしっかりと残っていた自分の家を見たとき涙がこみあげてきました。家に入ろうと入口をさがしましたが、瓦礫の山に阻まれて入ることができません。避難所である公民館に妻を待機させ、一人瓦礫の山に向かいました。登れるところを探しながら、家にたどりつくと建物は残っているものの一階部分に津波が入り込んで、見るも無残な光景でした。家の中の漂流物や泥に汚れた家財道具をかたずけるためには、家の周りの瓦礫を取り除いて、スペースを作らないと、どうにも身動きがとれません。茫然と立ち尽くしていると、瓦藻の向こうから声が聞こえてきました。「阪神淡路大震災の時の恩返しに来ました」と声だけでなく、瓦礫を取り除いている様子です。きらきらと輝く目、きびきびとした動き、唖然としていた私は、背中をドンと叩かれたような思いでした。「何をしているんだ。ぼんやりしていないでしっかりしろ」と励まされているようでした。この時が、神戸国際支縁機構の皆さんとの出会いでした。ボランティアの皆さんの持っている大きな教育力に心が動かされました。おかげさまで家の周りの瓦礫はなくなり、感謝な気持ちに満ちました。

 

渡波3丁目 日に2回,冠水。 久宝 実さん

渡波3丁目 津波で親を亡くした隣の子ども

 家の中は、まだ汚れたままですが、あせらず少しずつ片付けに励んでいます。

 7月3日(日)神戸国際支縁機構の岩村義雄先生と宮城学院女子大の新免貢先生と石巻市雄勝地区の被災地を訪問させていただきました。北上川の支流、追波川の道沿いに車を進めると以前は、風光明媚な川沿いに建ち並んでいた民家は、跡形もなく瓦礫と化し、形をとどめている建物も使用できないほどに傷んでいました。河口より5キロメートル以上も離れているのに、津波の爪痕は残っていました。途中、児童と教師合わせて82名以上もの犠牲者が出た大川小学校の方向をみると今もなお不明者を探すための作業が警察や地元消防団の方々や保護者の方々で続けられていました。私が、かつて同僚として交流のあった若い先生も犠牲となりました。胸が締め付けられる思いでした。心で冥福を祈りながら雄勝へと向かいました。

 雄勝峠のトンネルを抜け、峠を下るとかつて落ち着いたたたずまいを見せてくれていた雄勝の町並みは、見る影もなく無残に瓦礫と化していました。知人の家は跡形もなく、廃墟となった状況からは,どこに逃れたのか消息を知るすべもありませんでした。心を痛めながら瓦礫と化した街並みを抜け雄勝船越地区に向かいました。目標となるものが流され壊れているので道を間違えて進んでしまうほど,識別できなくなっていました。後戻りすることによって通い慣れた道を見つけることができました。小さな峠を越えると積み上げられたがれきの向こう側に<参照>船越小学校の建物が見えました。以前、私が勤務したことのある船越小学校は、少し高台にあるにもかかわらず、谷合を駆け上った津波に見るも無残に飲み込まれていました。建物は残ったのですが、授業の再開には、かなり手をかけなければならない状況です。船越地区は、約130世帯350人の人たちは、ほとんど集落を離れて避難所などに逃れているそうです。地区で待っていてくれた中村さんや中里さんに話を聞くと、地区の小学生35名は、保護者とともに避難して、無事であることを聞き、安心しました。高台にあった2件ほどの家の人たちは、一時避難して、そこから別の地域に移って行ったそうです。中村一成さん夫妻も離れている避難所から被災した自宅に戻って来て待っていてくれました。ありがたいことでした。

 海岸にあった集落は、ほとんど流されて跡形もなく、犠牲者も出たそうです。気持ちを察すると詳しくたずねることもできませんでした。漁村の命は、漁場と船そして作業場です。仕事の場所を失った失望は、並大低のものではありません。それでも、仕事を始めたいと、漁協の人たちは、自分たちの浜の瓦礫を片付け、仕事にかかれる準備をしているそうです。そのたくましさに勇気づけられました。漁具とか船とかたくさんの問題を抱えているのですが、きっと乗り越えていくことでしょう。

 次に雄勝<参照>名振地区に向かいました。高台にある満照寺の住職である畑山貫梁さんを訪ねました。寺の前に建てられたコミュニティセンターという建物に地区の人たちが避難しているということで案内してもらいました。すぐ前に仮設住宅が建設中でした。この浜も船越と同じように壊滅状態に遭遇し,避難なさった人たちから話を聞くことができました。この浜は、高齢化しているとのことで、児童生徒は、今はいないということでした。それでも何名かの犠牲者が出たそうです。センターに入ると,私が、以前、お世話になった方の奥様に会うことができました。ご主人の訃報を聞き慰める言葉もありませんでした。ここの人たちは、目の前に仮設住宅が出来つつあるのに仮説には移りたくないと話していました。いまの避難所のように周りの人たちとの交流が薄くなってしまうと心配していました。浜の仕事の状況については、船越地区と同じ課題があるようでした。住職にお礼を言って、この日は、石巻に戻りました。

 翌日は、女川の町へ訪問しましたが、町は瓦礫だらけで知人との連絡もとれませんでした。半島沿いの漁村の被害状況を見ながら、女川原子力発電所へ、中へは入れてもらえませんでした。原子力発電所PRセンターで係りの人の説明を聞き、不安な状況であるというような危機を感じました。

 その後、牡鹿半島表側に回り、鮫浦、大谷川、谷川の壊滅した浜を見てこの地区の小学校があったことを思い出しました。谷川地区に建物が残っていましたが、ガラス窓は、津波に打ち抜かれて,見る影もありませんでした。地区の人たちが避難するのはどこだろうと考え、思い当たったのが旧大原中学校でした。そこへ行くと道の見える場所におばあさんが一人腰かけて何かを待っているようでした。「<参照>谷川地区の人たちはどこに避難してますか」と尋ねると「体育館にいるよ」と答えてくれました。そこで、避難した方たちの話を聞くことができました。「あそこにいるおばあさんは、孫の帰りを待っているのです。」と話してくれました。何とも言えない気持ちになりました。おばあさんに声をかけ,言葉につまりながら,その場を去りました。一人でいる不安に耐えきれず学校から帰る孫を待っているのでしょう。

谷川小学校 千葉幸子(こうこ)校長  阿部捷一元校長 新免 貢氏 7月4日

 谷川小学校の子どもたちは、大原小学校に間借りして勉強していました。私の以前同僚であった校長と対面して無事を喜び合いました。そして、14名の子どもたちを無事に守った機転の利いた判断を称賛しました。震災から3日前後が一番つらかったと思います。笑い顔こそ少ないけれど子どもたちは、フラフープや移動図書館の車に目を輝かせていました。

 浜の様子は雄勝地区と大きく変わらず漁村としての苦悩を抱えているようでした。港の復旧、漁具、漁船の確保に苦労しているようです。

今回の訪問で、感じられたこと

1一目も早いライフラインの復旧(水道、ガス、電気、電話、食糧や生活用品の確保等)

2仮設住宅の設置(コミュニティ、安全、安心な場所へ)

3生活基盤である働く場所の確保(漁協、作業場等)

4豊かな漁場漁港の整備(陸上海上による瓦礫の撤去、海底の生態調査)

5子供たちの教育の場の確保

 子供たちの教育という観点で今回の地震と津波で子供たちの心は傷つき、恐怖と不安は計り知れないものがあります。家を失ったり、家族を奪われたり、教科書や学用品まで、身の回りのすべてを失っている子供もいると思います。今は、それらを聞き出すことは可哀そうであり、自ら語りだすのを待つほうがよいと思います。避難した転校先の学校で不安定になっているという子供の話も聞きました。しかし、子どもたちは、今回の経験の中からたくさんの学習をしていると思います。その経験が自然の教育力となって強い子供たちに育ててくれると思います。ボランティアの献身的な姿や活動を見て希望と憧れを見出しているものと信じています。それらは、近い将来子どもたちの力となって身についていくことでしょう。物を持ってきてくれなくともいい。自分たちの浜で活動してくれているだけで尊敬のまなざしで見ていると思います。今落ち込んでいる気持ちをいやすためにどこかの学校との文通などがあれば励まされることでしよう。これから、保護者の生活基盤が定まってくれば、おのずと学校統合,廃校などの問題が出てくると思います。それには時間がかかりすぎると思うので、今できることを少しずつ積み上げていくことが必要です。現職の先生方に期待します。建物や設備がなくても人としての生き方は、教えることができるのです。

感想

石巻市の漁村を訪問させていただいて、改めて自然の力の大きさの前に人間の無力さを思い知らされました。また、その反面人間のたくましさと生きる力も知ることができました。
 行政の動きと今生活している人たちとの思いの差も見せつけられました。それでも、今回の震災を教訓として、無理をしないで出来ることを見つけながら前進しようと思っています。余震と津波への不安と近くにある原発の不安を抱えながら、毎目を過ごしています。