佐賀水害ボランティア報告 2019年9月1-3日

佐賀県北方町(きたがたまち)『サガテレビ』(2019年9月4日付)。

 

「自然を管理するスチュワード精神か,原始的自然を求めるのか」

           主日説教  2019年9月8日 神戸国際キリスト教会 牧師 岩村義雄

完全原稿 自然を管理するスチュワード精神か,原始的自然を求めるのか

英文完全原稿 Which one do we seek, Stewardship Principle that controls nature or Primitive Nature?

主題聖句: ルカの福音書 3章5節 「谷はすべて埋められ,山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに,でこぼこの道は平らになり」。

<序>
 毎年,夏から秋にかけて日本列島のどこかで,土砂が崩れます。素人であるにもかかわらず,東日本大震災の2011年から「土」に取り組むようになりました。神戸国際支縁機構は,被災地の地面を這いつくばりながら,近年,炊き出し,傾聴ボランティア,「田・山・湾の復活」のため,災害地にかけつけています。搔き立てる動機のひとつに「土」に対するこだわりがあります。やがて宮城県石巻市渡波,神戸市西区友清,そして海外ボランティアで行った先々で,自然の「土」を世話するはたらきに仕えるようになっています。土を耕すことには,労働だけでなく「文化」という意味があります。 英語で農業のことを「アグリカルチャー」 (agriculture)といいます。「アグリ」は「畑」という意味です。畑のカルチャーが農業です(ちなみに養蜂は apiculture,つまり「蜂のカルチャー」)。カルチャーに当たる言葉はみなラテン語を共通の語源にしていて,その元になっている動詞「コロー」(colo)は「住む」,「耕す」,「世話をする」,「育てる」,「崇拝・礼拝する」という意味の言葉です。現在では「カルチャー」は日常語になってこのような語源が意識されることはありませんが,語の歴史「をさかのぼるとそうなります。文化というと学問や芸術などの精神的な働きのことだけだと考えがちですが,キケローというローマの文人が「魂の耕作が哲学である」といったように,文化のもとは「耕す」という,人間の土とのかかわりにあります[1]
 集中豪雨,土石流,洪水などによって,「土」が咆吼(ほうこう)しています。
 なぜ作物を収穫する前に,地形が無残に変わり果ててしまうのでしょうか。2016年,熊本県の益城(4月14日 死9名,関連死267名),2017年,福岡県松末(7月5日 死者40名,行方不明2名),2018年岡山県真備(7月6日死者59名,行方不明8名),北海道厚真(9月6日 死者37名)と,毎年のように災害が発生しています。今年も,8月27日6時24分において警報が出ました。佐賀県,福岡県,長崎県で大規模な災害が起こりました。佐賀県は筆者が16歳の時,出会い,26歳まで個人的に世界観を導いてくださった恩師末次一郎の出身地です[2]
 防災に対する責任は,遠く離れた中央の災害統治本部,被災体験のない識者や現地の役所の机の上ではできません。現場に足を運び,爪痕,証言,原因を探求することから始まります。

2019年9月2日撮影

(1) 「防災」が後手にまわっている実状 
 a. 佐賀県武雄市の被災

 9月1日,神戸市に本部がある神戸国際支縁機構は10人乗りハイエースで佐賀県北方町(きたがたまち)に向かいました。第44次東北ボランティアに参加した佐賀大学出身の田中幸輝君(26歳)から現地の様子を聞きました。通勤時間帯にも重なり,走行中に動かなくなる車も相次ぎました。六角川による浸水で,武雄市の大町町は全体のほとんどが冠水したということでした。
 福岡,佐賀両県で死者は計4人となりました。8月28日に武雄市と福岡県八女市で車が流されるなどして男性2人が死亡。29日には,浸水した武雄市の住宅から女性1人の遺体,訪問している2日に大町町の六角川で1日午後,鉄工所から流出した油を止めるオイルフェンスに遺体が引っ掛かっているのが見つかったと毛利さん(66歳)から聞きました。
 国土地理院が8月28日に上空から撮影した写真と,浸水地点の標高データを基に推計したところ,県内の浸水被害は,小城市を流れる牛津川周辺で最大の深さ約3.1メートルに達しました。武雄市の六角川の周辺では東西約14キロにわたって浸水が発生し,市内の北方町志久では深さが約2.7メートルに達しました。一時孤立した大町町の順天堂病院周辺でも,深さ1~2メートルの浸水がありました。小城市の牛津川の周辺は南北約10キロの範囲が浸水しました[3]
 水を吸い込んだたたみ出しは一枚につき最低4人のボランティアが必要です。災害発生から5日後に本格的にボランティアを社会福祉協議会,ボラセンが受け付けているようでは,被災者にとり忍耐の限界です。公務員はたくさんおられても,たたみ出しをしている場面をどこの被災地でも見たことがありません。全国から自発的にきたボランティアの管理をしていますが,復旧,復興,再建の棲み分けを考慮するなら,まず地元の公務員が汗をかくべきだと耳にしました。

 b. オイル漏れ
 追い打ちをかけるように,佐賀鉄工所の大町工場から流れ出た「焼入れ油」(熱処理に用いる鉱油)の被害を受けています。冷却用のクエンチオイルです。人体の健康に直接的な害はありませんけれど,付着した農作物は収穫できません。『佐賀新聞』によると,約5万リットル流出しています。大町町には吸着マットがいたるところで見受けられます。地元の人で,油の流出量について「国内では例を見ない最大規模」とおっしゃる方もおられました。
 佐賀県によると,油の流出範囲は大町工場から東と南東方向に約1キロに及んだそうです[4]。農作物への被害は水稲25.8ヘクタール,大豆15.3ヘクタール。流出面積は推計で約82万5千平方メートルに及び,「国内でも類を見ない最大規模」と指摘する専門家もいます。
 佐賀鉄工所は,国内年間売り上げ480億円を誇る自動車用ボルトのトップメーカーです。1990年にも冠水の際,オイル流出の失敗から,工場のかさ上げなど努力してきました。今回のオイル流出後も迅速に付近一帯に社員が総出で給水シートを配布し,住民には廃棄するため回収をすると回収を触れ告げておられました。佐賀鉄工所は午前10時すぎ,大町町の佐賀鉄工所から「油およそ11万4000リットルが六角川に流出した可能性がある」と消防に連絡をしていました。なぜなら工場近くを流れる六角川が増水し,工場内に水が流れ込んで油が流出したとみられるということです。果たして,盛土をして水害に備えてきた佐賀鉄工所に責任があるのでしょうか。

 c. 冠水
 9月2日,傾聴ボランティアの際,お出合いした大町町下潟の千綿(ちわた)盛彦区長(73歳)は聡明な方です。被災状況,復旧,復興について地域でも信頼されています。ご自身の家の給湯,室外機は損なわれていても,地域の人たちのために東奔西走なさっておられました。

大町下潟(しもがた) 千綿盛彦さん(73歳)

 1990年の水害の規模を二倍以上であることを示されました。孤立した順天堂病院付近は天井近くまで浸水したとおっしゃいました。8月28日の夜には,順天堂病院に併設する老人保健施設でも入院患者が孤立しておられます。「死を覚悟した。子の命を助けることだけを考えていた」。佐賀県武雄市北方町の病院職員,渡辺将人さん(30)は妻と1歳3カ月の長男の3人で,自宅の集合住宅2階で孤立状態となったことも報道されていました。[5]
  大町町で9月2日未明午前5時に,六角川に国交省などがポンプ車による排水をしている排水ホースを視察しました。六角川に流し込んでいたかどうか,何カ所かを回りました。

大町 パナソニック工場の裏側 
2019年9月2日午前6時

順天堂病院前 2019年9月2日

(2) 六角川の叛乱の原因
   a. 河岸の内水氾濫

 六角川は,白石平野を緩やかに蛇行しながら流下しています。有明海の河口部に六角川と牛津川が合流して注いでいます。海面すれすれの低平地です。外水氾濫(川からの氾濫)と内水氾濫(川への排水不能)が複合的に起こる水害常襲地帯として長年,地域住民を苦しめてきました。有明海の約6mにも及ぶ干満差のため,六角川流域の地帯は満潮時には海面よりも低くなります。海から50キロも離れているにもかかわらず,海の影響で,水はけが悪いのです。ですから,1990年に水害が起こった被害を教訓に,下水の汲み上げ等を行いましたが,それによりかえって地盤沈下が発生 して,非常に水害が起りやすい特徴を持っています。

 b. 排水機場の不備
 度重なる氾濫に国は腰を上げて,内水氾濫が起きないように対策を講じてきました。H.W.L(ハイ・ウォーター・レベル 「堤防が耐えられる最高の水位」)理論に基づいています。1990年の氾濫を繰り返さないために国は,莫大な予算をかけ,市街地や農地の冠水を防ぐために,巨大な「排水機場」を建設することにしました。たとえば,排水量が1秒間に50m3しかない「板橋排水機場」だけでも41億5100万円を計上しています。六角川沿いに36もの「排水機場」を造りました。用水路などの水を遊水池に誘導しポンプで河川に送り出す仕組みです。自然の脅威を人間は技術によって管理できるという思い上がりがないか吟味すべきでしょう。
 たとえば,河川の水位が H.W.L を超えると堤防が決壊するというアキレス腱があります。「排水機場」は無用になります。今回も,排水機場に二人が交替制で勤務しており,3日間は不眠不休で六角川に田んぼなどの水を送り込んでいましたが,六角川が満水近くにまでなったので,排水ポンプは停止するように国から指示がなされました。

板橋排水機場
2019年9月2日  [6]   

板橋水門 2019年9月2日撮影

 関西大の河田恵昭・社会安全研究センター長(危機管理)は,排水機場の停止で被害が広がった可能性を指摘し「浸水の恐れがある排水機場は全国にある。国による現状調査と財政措置を伴った対策強化が必要だ」 と述べておられます[7]

 c. 国交省の判断
 1990年の時と同じように,六角川の堤防が破堤する恐れがあると判断したため,国交省は「排水機場」のポンプ停止を命じました。その結果,佐賀鉄工所のオイルの流出の原因になったと筆者は判断します。もちろん,「排水機場」の役割は水路や支流の水をポンプで河川に出すことです。河川の水位が高まり,堤防決壊の恐れがある場合は,ポンプを停止することもあるでしょう。しかし,1990年以降,最近では,2017年7月5日,福岡県朝倉市松末の土砂災害時に六角川は破堤する危険水域に達していました。にもかかわらず国交省は対策に怠慢であったので,国交省の態度はそしりを受けてもやむを得ないのではありませんか。

  筆者が減災の視座から危惧したことがあります。ダムの放流,遊水池,ポンプの三つの事柄です。第一番目に,岸川防災ダム(今出川),天ヶ瀬ダム(瓦川内川)などの放流についての検証がなされないまま排水機場を建設したのではないかと国交省のポンプ運転調整方針から想起します。次に,「遊水池」の確保より,最新の河川技術である排水機場に依存しすぎたとしかいいようがない無計画さが露見しています。三つ目に,ポンプ活用が河川に集中していて,有明海に排水する工夫がなされていないことによって,堤防決壊への過度の緊張がぬぐえなかったと判断しました。
 もちろん筆者はボランティアの現場主義であり,土木,河川,ダムなどについて素人です。毎年の豪雨災害について抜本的に防災対策の見直しをすべきと痛感させられています。

『石巻かほく』(2011年8月12日付)

 筆者の自慢話と受け止められないように願います。
 2011年,東日本大震災で地震,津波のため,地盤が80センチ下がった宮城県石巻市渡波で,冠水
のため生活,農業,養殖が立ちゆかなくなった窮状を目の当たりにしました。そこで,大型ポンプを設置するように企業と連携しました。大型ポンプを搬入し,生活圏,河川,浄水場から海水排出することに成功しました[8]

(3) 人災
 a. 技術信奉主義の限界
 1995年1月17日発生の阪神・淡路大震災で近隣は言うに及ばず,神戸市の中心街は壊滅状態になりました。さながら戦時下の様相でした。佐賀県武雄市出身の貝原(かいはら)俊民[1933-2014]氏が兵庫県知事でした。「創造的復興」という名文句を打ち出した人としても知られています。震災後,兵庫県は,神戸空港,神戸市営地下鉄,最先端医療など次々と国からの復興予算を注ぎ込みました。外観は短期間の内に復興を遂げたと評価されています。
 震災翌日の18日,神戸市都市計画局は職員を集め,長田区内を自転車やバイクで巡回させました。なぜでしょうか。同区では,震災より10年ぐらい前から再開発の計画がありました。ハコモノを計画通りに建造できるか,震災でどれくらい建物が破壊されているかなどを調べるために,職員たちは必死で見て回ったのです。復興は,被災者の生活再建が基礎とされるべきです。まずはライフライン,そして経済的に体力のない零細企業や個人商店などを優先的に考慮しなければならないはずです。
 しかし,行政は「創造的復興」と称して,神戸空港や地下鉄,最先端医療など大型プロジェクトを優先しました。10年前の計画を実現に至らせるために,復興予算や国から資金を,多くの反対を押し切ってハコモノ造りに使いました。「創造」とは本来,無から有を生じることを意味しています。阪神・淡路大震災からの復興は決して「創造的復興」とは言えません。役人の名声欲を満たしたにすぎません。「禍(わざわい)の中に福あり。今までやりたいと思っていてもできなかったが,震災によって21世紀都市をつくっていくことが可能になった」と貝原知事(当時)は語られました。
 しかし,復興は外観ではなく,心の充足が得られることが肝要です。ひとりでも震災の悲劇で痛み,苦しみ,怒り,くやしさが温存しつづけないように心すべきでしょう[9]

 b. 農作物の被害
 高橋町の農家でイネを3町ほど栽培している野田利輝さん(80歳)から佐賀県の良質の米について話を聞きました。日本穀物検定協会によりますと,「さがびより」は「米の食味ランキング」で最高ランクの”特A評価”を8年も獲得し続けています。香りや粘り,硬さも全国の注目を受けています。しかし,自然条件が影響して,かつては塩分濃度が高くて,九州の「ヒノヒカリ」の後塵を拝していました。しかし,六角川が有明海まで約29キロある地帯は「感潮区域」と言われています。

  野田さんは,むしろ0.7~0.8パーセントの塩分が理想的なコメの味を増し加えていると,説明してくださいました。

野田さんと村上裕隆代表
記念撮影

村上裕隆代表(右),佐々木美和事務局メンバー(中央)は毛利さん(66歳)と被災状況を聞いています。

 東日本大震災の直後,津波で覆われた田んぼは海水の塩分のため,とうぶん栽培はむずかしいと農家の方たちはあきらめておられました。近隣の登米市では,稲穂が丈夫になり,おいしいコメをつくるためにわざわざ塩を撒くという農法を耳にしたので,石巻市の農夫の方たちに話しますと半信半疑ながらも,塩害をだれも言われなくなりました。
 武雄市のオイル流出で稲刈りまで1ヵ月以内という収穫時に黒くなっている稲穂もありました。田畑を見てみますと茶色く濁って,油が浮いているのがわかります。そしてまだ臭いもかなりしました。鉄工所のオイルだけでなく,自動車,重機の転覆によるオイル漏れも稲穂を黒くしていました。黒ずんだままの田畑が残りそうです。農家の鵜池(うのいけ)幸治さん(34歳)は,代々受け継いできた農地を前に立ち尽くします。「自力での復旧は難しい。この思いをどこにぶつければいいのか」,と嘆息なさっています。あちこちに黒いキュウリが転がり,枝や葉が茶色く染まっています。浸水したビニールハウスに,鼻をつく油の臭い。油が沈んだ土も取り換えなければ農業はできません。コメ,大豆,野菜の収穫を佐々木美和事務局メンバーも案じています。

オイルで黒ずんだ稲穂
2019年9月2日

機構は3人で武雄市田んぼを見て回りました。
2019年9月2日

 県によりますと,油が流れ込んだ大町の農業被害は少なくとも水稲が約25.8ヘクタール,大豆が15.3ヘクタールなどとなっていて,これらの作物の収穫はできないとしています。被災後6日
経た9月2日,田んぼと道路の区別がつかないほどです。水はまだ引いていませんでした[10]

 c. 自然との和解
 肥沃だった「土」は油で損なわれています。田山湾は本来,自然の領域です。「自然」という言葉は「生まれる」とか「生じる」という意味のラテン語nascereから派生しました。つまり,まだ芽が出る前の胚状の段階です。人間が「開発者」として,自然を「耕す」=「開発する」という価値観は「自然」から利潤を追求していく動機が支配しています[11]
 自然を儲けの対象としてみなす価値観の変革を提言しないと,21世紀の半ばまで行く前に,地球は消滅する瀬戸際に立たされています。災害が起こるやいなや被災地に向かって,ひたすら被災者との「縁」を築き,心の復興について仕えてきました。「災害救助法」によっても守られない人権の軽さと格闘しているうちに,それらの原点に「自然」を「支配,管理,利潤」の対象としかみないグロテスクな人類の姿が浮き彫りされてきました。毎年,次から次へと大地が亀裂し,被災者の孤立死,自死についてセーレン・キェルケゴール[1813-1855]は,“絶望は罪である”と指摘しましたが,復興住宅では「死に至る病」が蔓延しています[12]。魔力を失った「森」に高速道路,トンネル,ダムができることによって,「自然」が機械になりました。飼い慣らされた自然は中世の修道院からはじまったと言っても過言ではありません[13]。森林を伐採し,果樹園を造り,均整のとれた人口のエデンの園を造ってきました。
 今こそ,巨大災害に嘆息するのではなく,「謝罪」し,「和解」していく福音に「改革され続ける」のではなく,「改革されなければなりません(to be reformed)」[14]

<結論>
 阪神・淡路大震災を契機に,「100年に一度の災害」には施設設備などの外観の復興より,心の復興を。「1000年に一度の巨大災害」に備えて,自然界の生き物との和解を回復すべきです。殺虫剤,化学肥料,気候変動などによって,世界の昆虫種の40%が減少しています。数十年で絶滅の可能性を示唆する論文も散見されます。チョウも甲虫も半分の種が減少中です[15]。受粉のため飛来する隊列こそ,小動物の生存を守ります。自然界の生態こそ,いかなる強力な軍備をもつ人間の軍隊を凌駕するのです。
 土木,道路,ダム建設者は行動原理として,主題聖句を用います。「谷はすべて埋められ」(ルカ 3:5)です。スチュワード精神により,自然を支配し,完成することを目指してきました。一方,マイクロプラスチック,原発,太陽光パネルなどの廃棄が人類生存を脅かす故に,「自然に帰れ」,と原始生活へ回帰を希求する反動もあります。ルカ 3章5節はイザヤ書 40章4節の引用です。「谷はすべて高くされ」(『口語訳』)と書かれています。“Every valley shall be lifted up” (JPS Tanakh 1917),“Every valley shall be raised up” (NIV),“Every valley shall be exalted” (King James 2000)と真逆の解釈がなりたちます。AかBかの二元論ではなく,聖書的思惟は,自然支配か原自然回帰の二者択一ではありません。2019年7月14-20日にヒマラヤ山脈に近い被災地バルパックを訪問しました。孤児に寄り添う目的でした。バルパックは何世紀にもわたって自然を破壊した高速道路建設がなされていません。行き来する道がありました。動物も共生しています。人間の心のふるさとをこわさないで,自然に仕える先人の知恵,世界観,文化こそ聖書に記されています。「正しき者は動物の思いがわかる」と記されている通り,私たちは被造物の生存を脅かすような振る舞いをしてはいけません。未曾有の自然災害が毎年繰り返される今こそ,人類は自然にひざまずく時です。(箴言 12:10)。
 欺瞞と暴力に満ちた市場経済の勝ち残りゲームに疲弊した現代人をなぐさめ,いやし,喜びをもたらすのは「土」と共生する自然界の生き物です。彼らに君臨するのではなく,仕えていく時に,自然と共存共栄する「新しい地」で,生きるいのちを謳歌することができるでしょう。被災は世界観を変革するツールだったと後世に自分たちの子,孫たちが口ずさむ日が来ますように。

 稚拙な説教原稿を翌週,神戸国際支縁機構の村田充八理事に校正していただきました。また不明瞭な箇所について翻訳家徳留由美氏,大阪大学院生博士後期課程の佐々木美和氏にも感謝します。

[1] 神戸国際支縁機構の紹介パンフレット(2011年11月作成),
『まじわり』第51巻(水垣渉 まじわり出版局 2015年 4頁)。
[2] 拙論『キリスト教とボランティア道』(第 26 回宗教者災害支援連絡会2017年17-22頁)。
[3] 国土地理院 https://www.gsi.go.jp/BOUSAI/R1_kyusyu_heavyrain.html
[4] 『佐賀新聞』(2019年9月5日付)。
[5] 『西日本新聞』(2019年8月29日付)。
[6] 「六角川水系 4 排水機場群」事後評価説明資料 (九州地方整備局武雄河川事務所 2005年10月24日17頁)。
[7] 『毎日新聞』(2019年9月3日付)。
[8] 『石巻かほく』(2011年8月12日付)  神戸国際支縁機構としては,日揮株式会社や日本国際協力センター(JICE)の協力を得て,サウジアラビアから545kWの三台を2011年7月末に石巻市長に贈呈できるように橋渡しをしました。
[9] 拙論『「心の復興」がなおざりにされた阪神・淡路大震災』(『クリスチャントゥデイ』(2018年1月17日付)。
[10] 『サガテレビ』(2019年9月2付)。
[11] 『自然に対する人間の責任』(J.パスモア 間瀬啓充訳 岩波書店 1998年 56頁)。
[12] 『死に至る病』(キェルケゴール 斎藤信治訳 岩波文庫 1992年 124-127頁)。
[13] 『動物裁判』(池上俊一 講談社現代新書 1990年 180-186頁)。
[14] 『戦争と聖書の平和―歴史修正主義を貫く宗教的根本動因を問う―』(村田充八 宣教と社会問題に関する委員会 2016年 119頁)。
[15] 『NATIONAL GEOGRAPHIC』(2019年2月18日)。

稚拙な説教原稿を翌週,神戸国際支縁機構の村田充八理事に校正していただきました。また不
明瞭な箇所について翻訳家徳留由美氏,大阪大学院生博士後期課程の佐々木美和氏にも感謝します。