牡鹿半島 聞き取り調査 (7)  谷川小学校 

石巻市立谷川小学校 聞き取り調査 岩村義雄11/07/04

 谷川小学校が間借りしている大原小学校(中山一弥校長)に向かう。谷川小と大原小は何度も交流をしている。授業も一緒にすることも以前からあった。阿部捷一氏は言う。「どこだったべか。」良く精通しており,土地勘もある。にもかかわらず,風景がかわっているせいか。大原小学校の標識が辻のがれきの中に立っていた。「ここだべさ」。左折して,高台にある学校への坂を上がる。

大原  7月4日

 校門を通って,運動場に入る。子供の時,よく見かけた二宮金次郎の像を見た。思わず佐藤氏に言い放った。「こんな小さかったのですか」と。幼い時には,大きく見えていた残像とのギャップがそう言わせたのだろう。都会では偏差値さえ良ければ,高学歴を掴める。いかに要領よく勉強するかばかり身につける。マルバツ式の即効性のある正解率を求める学習姿勢は問題だ。二宮金次郎のように勤勉に,要領など度外視して,もくもくと学習する風潮ははやらない。結果さえ良ければ合格する。途中の思索,忍耐強い洞察,創造的な発想を育てる社会ではない。デカルト的数値を追い求める成功の法則が支配する世の中である。優勝劣敗の法則の経済優先のメカニズムに負けない者が生き残る。今回の東日本大震災後の「水産特区」などは典型であろう。
 阿部氏が教頭で勤務していた時代に,大原小に鶏舎を造った。子供たちがニワトリや小さな生き物に親しむことができるようにした。児童たちが当番で餌をやったり,糞をそうじしたり,自然と共に生きる。教育として功を奏しただろう。しかし,都会ではめんどくさい,汚い,辛いと苦情を子供が言えば,親は学校側に抗議するかもしれない。日本全体を見渡しても,自然と隣り合わせの生活ができる環境を私たち自身がだんだん狭めていっているだろう。過疎の地に住みつくことは,命の危険とも隣り合わせであることを覚悟である。しかし,排気ガス,汚染,疎外の都市生活より,鳥の糞,薪のこげやすす,うるしにかぶれるなどの方がずっと人間本来の美しさを味わえるだろうに。

 

大原小学校 入口

 大原小の入口に谷川小の案内表示もある。二階の教職員の部屋と案内された。「谷川小学校」と廊下にかけられた看板の奥が教室。阿部氏は千葉幸子校長(57)と机を並べて仕事をしていた頃が再会によってよみがえったようだ。共に教育者としての同志である。
 千葉氏は3月11日の壮絶な体験を語り出した。阿部捷一氏の感想文にあるので詳しくは書かないでおきたい。

 地震警報が出た。“6メートルの津波”らしいと地元の人たちが叫んでいる。谷川小学校は避難場所である。住民20人ほども学校に集まってきた。牡鹿半島で最も小規模校である。第一波が襲って来たとき,千葉校長は,体育館と二階建て校舎の間に津波が見え,とんでもないことになったと慄然とした。

地震前の校舎と体育館 2010年11月12日撮影 谷川小ブログから

 校庭に集まっている子供たち14名に41号線の県道へひたすら走るように指示した。津波は速い。一気に体育館が流された。校舎も2階まで水没した。ハリセンボンが泳いでいた水槽,百葉箱,朝礼台,グランドのネット,さつまいもを植えた畑も何もかもなくなった。

 地震が発生したら津波警報が出るのを待たずにすぐに逃げるという訓戒は浜の漁師たちは知っていた。小学校でも避難訓練,火災訓練,原子力防災訓練をしてきたが,津波に襲われようとは思ってもいなかった。

 津波は波浪と異なる。神戸の海岸線で生活しているせいか,「波浪警報」はよく耳にする。サーフィンは海嘯を利用して楽しむスポーツである。波浪や,海嘯は2メートルの高さがあっても短い。しかし,津波の場合,2メートルの高さが約100メートルの幅があると,岬,島嶼,V字型の湾に入るとぐっと縮められ,高さ,速度が変わる。波浪は目で追うことができる速さである。しかし,津波の到達速度は深さ5キロメートルの深海では時速700㎞で飛行機並みである。水深500メートルでは時速250㎞,水深100メートルで時速100㎞,波打ち際では時速35㎞である。ちなみに時速35㎞は自動車の速度で考えればわかりやすい。オリンピックの100メートル競技の選手の速さである。平地で津波と競争して勝てる人はまずいない。谷川浜には,高齢者,ハンディキャップの方,乳児もいた。すぐに逃げなければならない。坂を10分登れば,平地とはずいぶん違う。
 第二波が追いかけて来る。第三波で,家屋をもっていく音,引き寄せる音が不気味に鳴り響く。
 千葉氏は言う。90歳くらいの村の年長者が言った言葉が印象に残った。「あんなに速いのは始めてだ。底が見えた異様さ。牡蠣の養殖の種苗が全部丸見えだべ。生まれた始めて見た恐ろしい,とんでもないことが起こるべ。」と。
 県道のチューリップを植えているふれあい花壇を越えて,杉山を必死に登る。「後ろをふり返ってはいけない」とだれかしら叫ぶ。聖書に,「彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき,主は言われた。『命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと,滅びることになる。』(創世記 19:17)と書かれている。まさに滅びないために,「後ろを振り返ってはいけない」,明白な警告を無視してはいけない。ただし,自分より,弱い人がいる時,手を差し伸べる感性を持ち合わせているべきだろう。律法主義的に「後ろを振り返」らず,我先に自分だけ助かろうとする態度を聖書は勧めてはいないだろう。「いかに幸いなことでしょう 弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかかるとき 主はその人を逃れさせてくださいます。」(詩篇 41:2)。31歳の男性教師は90歳の老人を背負って,山に逃れた。小高い丘にある神社に避難。雪が降ってくる中,住民約20人とともに不安な一夜を過ごした。児童たちは全員が横にくっついて並んで,教師たちがまわりを囲む。2日目は隣の集落に移動して食事を分けてもらった。おきぎり一個ずつ。前日の給食から何も食べていない。しかし,生徒たちは,じっと耐えた。3日目に全児童が保護者と再会を果たすことができた。

 谷川浜はすべてが流出。どろどろの状態である。

 

後列 教頭 千葉幸子校長 岩村 新免 貢 阿部捷一
児童生徒たち 7月4日

続く 谷川小学校,大原小学校,湊小学校訪問など。

出典

(1) 「第二回被災地便り」神戸国際支縁機構 (2011年5月4日)。
(2) 「石巻日日新聞」(2011年3月22日付)。
(3) 「市報いしのまき」(2011年3月27日)。
(4) 西本願寺震災支援ネット [宗教者災害支援連絡会(宗援連) 2011年5月23日]
(5) 「三陸河北新報」(2011年6月28日付)。
(6) 「生活再建ハンドブック」(ファイナンシャル・プランナー 日本FP協会
  東北ブロック 2011年5月25日)。
(7) 「唱えれば救われるのか」(神戸国際キリスト教会説教 2010年8月29日)。
(8) 『日本人になった祖先たち から解明するその多元的構造』(篠田謙一
  NHKブックス 2008年)。
(9) 「捕鯨の町の未来のために~捕鯨産業に蹂躙された町、鮎川~」(茂木紀行 1996年)。
(10) 『牡鹿町史 牡鹿町誌上・中・下巻』(吉岡一男,大塚徳郎 牡鹿町史編さん委員会 1988年)。
(11) 『女川町誌』続編 (女川町誌編纂委員会 1991年)。
(12) “有馬四郎助”(「ESD実践の草分けとしての賀川豊彦」阿部志郎 賀川豊彦献身100年記念
  神戸プロジェクト 2009年)。
(13) 『牡鹿町史中巻』(同 2005年)。

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