第62次東北ボランティア 報告

 3月20日,JR朝霧駅に初対面の参加者は緊張した面持ちで集まり
ます。本田寿久事務局長と本田博之君(第37,56次,青活祭)が一
行を見送りに来ました。

 宮城県石巻市の門脇小学校前に全員で立ちます。ちょうど5年前
の2時46分の警報がなり,津波が襲ってきた場面をフラッシュバッ
クする光景に釘付けになります。
 南海トラフが言われていますが,実際にどのように自然の驚異が
襲うかを想像力を働かせる材料が目の前に立ちはだかります。

20160321津波跡

5年前の津波跡。第一波,第二波が壁にまざまざと残っている。

宮城県石巻市 倒壊家屋 2016年3月21日

宮城県石巻市 倒壊家屋 2016年3月21日

                 道家茉莉子(関西大学2回生)
 私はこのボランティアに申し込んだ時,他の参加者の方々はどん
な人達なのだろうと不安でした。また,東北は寒いと分かっていま
したが,テレビでしか見たことがなく,想像し難かったので,その
点においても不安でした。
 しかし,いざ当日に集合してみると皆さんとても良い方々ばかり
でホッとしましたし,現地の人々も皆さんとても温かく私達を受け
入れてくださって安心しました。
 東北の寒さは身にしみて,身体の芯まで固く縮こまってしまいそ
うなほどでした。そんな寒さの中,門脇小学校を見学させていただ
きました。赤いランドセルが泥だらけのままでガラスや土まみれの
廊下に放置されていたのがとても印象的で,なにか居たたまれない
ような気持ちになりました。
 代表のお話しの中に,門脇小学校を当時の傷跡を残したままにし
ておくのか,震災のトラウマによって当時の傷跡を見るだけで気分
が悪くなる人々のために取り壊しをするのかでもめているというお
話しがありました。
 私は残しておくべきだと思います。なぜなら,後世に伝えるべき,
教訓や戒めなどがあると思うからです。
 関西の1人のボランティアの意見ですが,参考にして頂けたら幸
いです。
                         道家茉莉子

 午前中,語り部に耳を傾けながら,長浜町,松原町,渡波町など
を歩いていますと,ひとりの男性に出合いました。その方は命から
がら逃げた際,家族を失っています。

石巻森林組合佐藤健児代表理事組合長による語り部。

石巻森林組合佐藤健児代表理事組合長による語り部。

 神戸の≪動画参照≫「借り上げ復興住宅」問題で取り組んでいる
河村宗治郎氏(「被災者連絡会」会長 79歳)と合流します。石巻
でも15年後には,同じように被災者を冷遇する行政の対応がないよ
うにするためです。
  下の画像 後列右端が河村宗治郎氏。

2016021河村宗治郎

20160321森林組合

                 森田浩史(調理師 後列右端)
 僕は初めて東北ボランティアに参加させていただきました。
 東北に来るのも初めてなので元の状態を知らずに来ましたが,や
はり思っていた以上の衝撃をうけました。
 東北の状態を初めて見た時は少し違和感を感じました。
 場所によっては道や,建物など,すべてが新しかったのです。
 その光景を見た時は,とても怖く感じたのです。
 あっ!ほんとうに津波がすべてをのみこんでしまったのだと思い
ました。話をきくと,外観はキレイにみえるが,内装は良いとは言
えない状態だと。
 今日1日で色々な話を聞きましたが,僕が心に残っているのは,
風呂で会った,一般のお客さんでした。
 その方が言うには,私たちは,津波と生きていく覚悟がある。一
階が浸水すればリフォームをするし,家が流されれば,時間がかか
っても建てなおせばいい!
 その方は家族が亡くなっているのにもかかわらず,元気に強い心
をもって,僕に話してくださいました。
 そういう人たちのためにも,僕はボランティアをしていきたいと
思いました。
                          森田浩史

傾聴ボランティア 右端 中尾歩。

傾聴ボランティア 左端 青木日和, 右端 中尾歩。

 

                     青木日和(看護学校)
 このボランティアに参加して門脇小学校を訪問した時,被災した
方々の恐怖を思い知り,心が傷みました。また,被災地の状況やそ
の背景は写真で見るだけではわからず,行って自分の目で見て実感
し,検証してみないとわからないことがたくさんあるのだというこ
とを知りました。
 仮設住宅の訪問では,被災した方々がボランティアに初めて来た
私達を温かく迎えてくださり,あの時の辛い思い出を語ってくださ
いました。
 家族や友人を亡くされた方々の心は深く傷つき,震災のとき,助
け合いの国と謳い,復興を着々と順調に行っているかのように報道
で言われていた日本でした。
 しかし,実際は外観だけで資源など中身が伴っていない復興作業
がおこなわれていることがわかりました。また,被災者のストレス
が大きく,過剰な飲酒や精神崩壊状態になるなど,新聞に大体的に
取り上げられることがなかった当時の被災者の生活の悲惨さもなか
なか具体的に報じられることはありませんでした。
 実際にボランティアが大勢参加したとはいえ,全ての被災者に平
等に手が差し伸べられず,食料や資源,その他の支援の手の取り合
いになることも多かったと思います。
 私は仮設住宅に住んでおられる,ある女性に「ボランティアの方
々が農業の手伝いに来てくれるのはいいけどね,本当に手伝って欲
しい場所は別の場所なのよ」という意見を聞き,震災で受けたスト
レスを発散できる場がなく,狭い場所でひとまとめに暮らしていた
当時の被災者の方々のストレスのぶつかり合いが多かったであろう
ことを感じました。
 震災がきっかけでおきた未解決の問題は未だ解決されていないも
のもたくさんあります。
 これらの問題は行政やその対象となる市民だけで解決できるもの
ではないと思います。
 もっと広い世代が深く現状と問題を知って自分の意見を持ってか
かわっていかなければならないと気づきました。
 今回のボランティアで学べることが多くありました。一緒に学ぶ
仲間ができたり,それを支えてくれる方々がいたからだと思います。
本当に参加できてよかったです。
 今回,東北ボランティアに参加させて頂くにあたり,最も気にな
っていたことは,東日本大震災から5年経っている今,ボランティ
アに参加し本当に意味があるのだろうか,復興支援できるのだろう
かということです。また,このボランティアでの目標として考えて
いたことは,今年から警察官の道を歩む上で今後災害等が起きた時,
何をすべきかということを1つでも見つけたいということです。
 まず,私の心配事は,代表の言葉で早くも解決しました。東北は
まだ,復興していない。メディアは,復興しているということを大
げさに取り上げるが,現地はそうではないということ。
 自分の目で石巻市を見た時も,復興が終わったなど,少しも感じ
ることができませんでした。
 流されたまま土台のみ残っている家,住人が行方不明で当時のま
まになっている家,舗装されていない道路,仮設住宅に住み続けて
いる方々,震災のストレスで苦しんでいる方々,今日見ただけで多
くの問題点を確認することができました。5年と長い時間が経過し
ていると思っておりましたが,5年をかけてもまだまだ復興は終わ
っていませんでした。
 警察官として何をすべきかということは,どこかで困っている人
がいたら,場所に限らず積極的に支援に参加すること。実際に福岡
県警が支援しているという話を聞いて嬉しく思い,自分もそうあり
たいと感じました。しかし,支援に行くということは,警察官でな
くても可能なので,人生の目標にしようと考えております。警察官
としては,震災直後の犯罪を抑制する為,防犯パトロールや講習会
等で支援したいと考えております。また,警察としての目標が少な
すぎるのでこれから増やしていきたいと思ってます。
 今回経験したこと,感じたことは,今後の人生で役に立つものば
かりだと思います。傾聴ボランティアでは,話をして頂き,厚くも
てなして頂き,喜んで頂き,こちらが元気をもらい楽しい経験がで
きました。東北人の暖かさを感じました。今回参加しなければ出会
うことのなかった仲間ができました。
 最後まで時間を無駄にないことなく,有意義な時間にしたいと考
えております。
 代表,リーダーをはじめ,神戸国際支縁機構の方々,東北でお世
話になった方々へ感謝致します。
 また,1日でも早い復興を願っております。また機会があれば参
加させて頂きます。
                           中尾歩

                           三野知子
 私は東日本大震災後,テレビやインターネットなどで被害の状況や
復興の様子などを見ていましたが,自分の目で見て,現地の人と話が
してみたいと思い,このツアーに参加しました。
 石巻に着いてみると,津波被害から5年が経っていたため,がれきは
ほとんどありませんでした。たくさんのキズがついた墓石を見て大き
な被害を受けた門脇小学校の中を見させてもらいました。
 津波におそわれたそのままの状態がとても生々しく,言葉が出ません
でした。
 また,児童のほとんどが逃げだせたけれど,数名が逃げ遅れたこと,
子ども達を迎えに来た(避難しにきた?)人々が小学校の駐車場で車ご
と津波に襲われたことを聞き,ここでたくさんの人が亡くなったのか
と思うと,とても恐ろしく,悲しくなりました。
 その他にも旧渡波地区の松原町ではとても多くの人が亡くなったこ
と,お寺の住職には心に深いキズが残ってしまったこと,海岸の松林
にひっかかり,引き潮に流されても助かった人がいること,津波と高
波のちがい,点々と残るキレイにみえる家は2階が被災していて外観だ
けが修理され,中は直されていないことなど,知らなかった多くのこ
とを代表から教わりました。
 班に分かれての活動では,中尾さん,青木さんと一緒に仮設住宅に
住む88歳と84歳のご夫婦から,津波が起きたときのお話しを聞きに行
きました。いきなりインターホンを押して訪問したにも関わらず,家
の中にまねいて下さいました。ご夫婦は震災当時,女川に住んで漁師
をしており,海産品を売ったり,別の食べ物と交換してもらうため,
青森へ行っていたそうです。そのため自身は津波の被害に遭わず,目
の当たりにすることもありませんでした。すぐに女川へ戻ろうとしま
したが,道路が寸断されており,戻れませんでした。
 数日後,戻ってみると家があった場所には何もなく,家があった位
置さえわかりませんでした。不思議なことに衣類なども何も見つから
なかった,海が全て持って行ったと言われていました。
 幸いなことに,お2人は命が助かり,家族もみんな無事だったそうで
す。
 あと1年ぐらいしたら女川にできる住宅へ移り住める,家賃も安いの
で助かると話しておられました。お2人はたくさん話して下さり,たく
さんの食べ物もくださり,自身の今までのことも話して下さって,と
ても楽しい時間でした。
 初めは見ず知らずの人から話を聞き出すなんて,相手はどう思うの
かと思っていましたが,明るいお2人にこちらが元気をもらいました。
 明日1日,ボランティア活動ができるので有意義にすごしたいです。
                           三野知子

農作業

農作業

2016021木村褜治a

左 三野知子さん。

 

 

20160322田屋由加里

 神戸国際支縁機構の協力団体NPO法人<参照>ボランティアインフ
ォ田屋由
佳利記者が密着取材しました。代表と日赤病院の北川禮子前
園長のお見舞や,宮城県水産会館の宮城県漁業協同組合の小野喜夫理
事長,渡波支所で丹野一雄会長ともお会いしました。
 ちょうど漁業協同組合での朝9時から午後4時までの海苔の仕分け作
業に仕えていたメンバーたちと合流しました。

右端 伊達洵希君。

右端 伊達洵希君。

                    伊達洵希(同志社大学)
 石巻に到着する少し前,菅生のSAでメンバーの皆さんと現地はど
のような状況だろうかと話しました。僕はそのとき,テレビで見た
ような整備が進んでいない町の様子を思い浮かべました。しかし高
速道路を下りてすぐの町には新しく建設された商業施設,家電量販
店などが立ち並び,想像していたような状況ではなくむしろ綺麗な
町といった感じでした。その時は復興が進んでいる事を単純に喜び
ましたが,あとで岩村代表から新しく建設されたのは東京の大手企
業のお店ばかりで昔からの商店はなくなってしまったという話を聞
き,自分が見た光景は素直には喜べないものだったと知りました。
その後訪れた海岸沿いでも新しく住宅建設が行われていましたが,
建設会社は東京の会社でした。東北へはお金がまわっていないので
す。また,職がなく困っている東北の方々が沢山いらっしゃるとい
うことも聞きました。震災から5年が経ってからのボランティア参
加は少し遅かったかと思っていましたが,上記のような復興の過程
における問題は5年経った今参加したからこそ知れた事だと思いま
す。また,現地に赴いたからこそ知れたことでもあります。今回の
ボランティアへの参加はただ体を動かすだけでなく考えさせられる
ことも多いものとなりました。
                          伊達洵希

20160322修空館前

 

 

 

 

 

20160323朝霧歩道橋a

 

 

 

 

 

20160323玉子焼き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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