季刊誌「支縁
」から抜粋  連載

  「田山湾の復活」

 東北ボランティアに参加した若者たちが発行している季刊誌「支縁」
の第2号(2013年2月3日発行)から,東北ボランティアの働きの核になる
「田・山・湾の復活」を連載しています。
 大震災は無縁社会,孤族(こぞく)をますます広めました。単身の高
齢者,水産の仕事がなくなった中高年男性に「自己責任」をせまるこ
とはできません。地縁,血縁の関係をずたずたにした震災の影があり
ます。新しい縁作りに収穫祭は息を吹き込むきっかけになればと被災
地の方々はおっしゃています。

 便利で快適な現代生活は,人間が「非人間化」「非人格化」「機械
化」で疎外 アパルロトゥリオーa [ギリシア語 アパルロトゥリオーの原意
は「遠ざけられている,疎外されている,無縁になっている」]されてい
ます。自然の生態が狂い,動植物の絶滅危惧種も増大の一途です。原
子力発電所も人類を危機に陥れている現実から目を背けてはならない
でしょう。

 ボランティアは「小さな美しいこと」をするのが目的ではありませ
ん。自らを被災地で共苦する行為です。実際,2012年12月には車椅
子の方,86歳の方も参加しています。(ラジオ関西 2013年1月11日
放送)。

 「オレす(死)んだらば,だれも忘れでしまうべェ。津波のこども忘
  れでしまうべなス。忘れでぼしぐねえのス」

吉田育生&裕恵 ご夫妻(第20次)

 有能な人が効率,能率を追求してするのではありません。ひ弱な者で
さえ,主体的にかかわり,気が付いたら石巻市にいたというのがいいの
です。自由な中に新しい責任の感性が育っています。参加者が東北か
ら帰ってきた時に,皆,目を輝かせて新しい縁について語るのが印象
的です。被災者は「置き去りにされるのではないか」という不安がも
たげています。
メディアに出ない寂しさ,くやしさ,怒りに寄り添い,皮膚感覚で共
有しましょう。あなたも伴走者になってください。
(季刊誌「支縁」No.2から引用)。

 2013年4月13日の早朝,淡路島を震源地として地震がありました。
急な揺れで目を覚まし,阪神淡路大震災が頭をよぎった方も多かった
のではないでしょうか。
 私自身,18年前を鮮明に思い出しました。災害を改めて身近に感じ
ると共に,備えのないことに不安を感じました。ほぼ一週間に,千島
列島,宮城県沖,三宅島近海,鳥島近海にM6級の揺れが相次ぎまし
た。
 阪神・淡路大震災の時は,4ヵ月で倒壊した家屋の多くは撤去され
ました。しかし,東北では津波で更地になったままか,住めなくなり,
住んでいた人の生存するわからないで放置されている家が点在してい
ます。復旧,復興,再建が遅々として進んでいない東北。にもかかわ
らず,ボランティアのNPOなどが次々と撤退しています。財政が底
をついたからです。三回忌も終わりましたが,国,県も何もしてくれ
ないと,つぶやく被災者たちの心は凍てついています。地面を匍うよ
うな小さな働きですが,私たちの来るのを待っていてくださるので神
戸から今月も向かわせていただきます。 (季刊誌「支縁」No.3から)。


Ⓒ石巻市渡波町3丁目 2011年3月21日(月) 
SONY Cyber-shot DSC-TX1 撮影 岩村


Ⓒ石巻市渡波町3丁目 2011年3月22日(月) 
SONY Cyber-shot DSC-TX1 撮影 岩村

Ⓒ石巻市魚町 畳が津波によって天井に 2013年1月21日(月) 
SONY Cyber-shot DSC-TX1 撮影 岩村

2012年4月23日(月)午後1時半~午後3時 石巻市亀山紘市長の講演 
神戸文化ホール 大ホールにて

 「田・山・湾の復活」               主幹 岩村義雄

その一 序

 午後2時46分,荒廃がすごいのです。見渡す限り,がれき,崩れた
家屋,震災の爪痕がどこまでも続きます。石巻市でも4千名近くの人
々が犠牲になりました。「恐懼(おそれ) と陷阱( おとしあな)また暴
行と滅亡我らに來れり。わが民の女の滅亡(ほろび)によりてわが眼に
は涙の河ながる」(哀歌 3:47-48  『文語訳』)。
 津波は石巻市牡鹿半島の北東にある笠貝(かさがい)島を襲いました。
高さ(遡上高(そじょうだか))は43メートルです。明治三陸地震を上
回ったのです。山の樹木も海におおわれ,木々もだいなしになりまし
た。田んぼにも自動車などが串刺しになっています。日本で一番おい
しいカキ,リがとれる万石浦湾で生活する漁業の家も冠水でつかって
しまいました。
 山からの水が田んぼの稲などを育てます。積み重なった葉っぱが良
い土を作ります。きれいな水がおいしい作物を作ります。無農薬,有
機の土から出る排水が川となり,海に注がれます。「川はみな海に注
ぐが海は満ちることなく どの川も,繰り返しその道程を流れる」
(コヘレト 1:7『新共同訳』) 。自然は循環しています。山から海へ
行き巡り,海洋で蒸発し,雨となってまた山に降り注ぐのです。
 地球が誕生してからずっと自然界の生命もお互いに縁があります。
肉食動物によって草食動物が食い尽くされなかったのはどうしてでし
ょうか。草が地球のいたるところにあってありつけたからです。胃袋
の大きい牛,羊,うさぎなどの草食動物はたくさん子供を産みます。
反芻する生き物の胃には特別な微生物がいます。消化に役立つ微生物
と助け合って生き延びてきました。肉を貪る獣が襲いかかり,草食動
物の数が少なくなります。
 すると餌がなくなり食う獣が減ります。一方,おそろしい獣がいな
くなるといつしか食われる小動物の数が増えたりします。何世紀も繰
り返されてきたのです。  ( 次号に続く)

Restoration of the rice paddy, the mountain and
the bay

Kobe International Supporting Organization
Chairman Yoshio Iwamura

(1) The scar of the Tohoku Earthquake

At two forty-six p.m., the devastation is terrible. As far as the eye
can see, the rubble, the collapsed house, the scratch of the earth-
quake disaster continues. In Ishinomaki City however, nearly 4,000
people lost their lives.
“We have suffered terror and pitfalls, ruin and destruction. Streams
of tears flow from my eyes because my people are destroyed.”
(Lamentation 3:47,48)
The surbase shellfish ( the limpet ) island which is in the northeast
of Ishinomaki City Oshika peninsula attacked by the tsunami. The
height of the water is 43 meters by going upstream. It exceeded
Meiji Sanriku earthquake.
A tree on the mountain, too, was covered with the sea and the
trees, too, were completely devastated in the spoiling.The car
and so on were impaled in the rice paddies.
 Mangokuura bay, where the houses of fishermen who made a
living from Japan’s most delicious oysters and seawood laver
used to be, was also flooded.
Water from the mountains is used for rice in the rice paddy and
so on. Layers of leaves enrich the soil. Clean water helps produce
delicious crops. The water which drains from
the chemical-free and organic earth becomes a river and flows
out the sea. “All rivers flow into the sea but that any river flows
through the repeat field without sea’s filling. ” (Ecclesiastes 1:7
“The New Interconfessional Translation” )

Nature has circulatory system.
It flows from mountain to sea, evaporates over the sea, becomes
rain which falls again in the mountains. Since the earth was born,
life in the natural world has always been inter-connected.
Why is it that carnivores have not eaten all the herbivores?
It is because grass can be found all over the earth. Herbivores
such as cows, sheep, rabbits with big stomachs have a lot of
babies.
There is a special microorganism in the stomach of ruminating
animals. With the help of microorganisms which are good for
the digestion, they survived. Fresh-eating animals attack
herbivores and their numbers decreases. Then, as their prey has
become scarce, the number of flesh-eating animals also decreases.
On the other hand, the number of the all too soon eaten small
animals increases when their predators disappear. This is a
pattern which has been repeated over many centuries.

その二  自然と共に生きる

 自然は人間が恩恵を受ける源です。ところが,田山湾はお金を儲け
る所になってしまいました。貪欲さを満たすために農薬,成長させる
ためにホルマリン,能率のはかどる機械類を使います。食べる食物の
安全など一切考えません。人間が自然界の何よりも偉いかのように振
る舞います。里山にいたスズメやミツバチが少なくなりました。夕方
になると空いっぱいに飛んでいた小さな虫ユスリカもいません。食べ
る虫がいなくなったツバメも消えつつあります。
 東北地方も日本の他の地域と同じように,海の近くの沼地がなくな
りつつありました。住宅のため更地になったり,大きな水田にするた
めに自然環境が変わりました。ですから津波が襲った時,海から40キ
ロ離れた奥地にまで水が覆ったのです。海岸や河口の湿地を住みかに
するヒヌマイトトンボはどうなったでしょうかす1)。神戸から二年
間訪問していますが,出合えません。温暖化により,北へ移動してい
ったトンボ,蝶の住みやすい居場所がなくなりつつあります。

ヒヌマイトトンボ

 人間に地球を治めるようにという神の言葉があります。「神は彼ら
祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。
海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』
「従わせ
よ」[ヘブライ語カーヴァシ]や,「支配せよ」[ラーダー] が使われて
います。ラーダーは「(羊の群れ)を導く」(エゼキエル 34:4『新英語
聖書』) にあるように暴力的に抑えつけるのではありません。2)
間は自然をやさしくお世話せねばなりません。だが,利得のため,公
害,汚染,傲慢な支配によってだいなしにしてきました。自然と共に
生きる原点に帰りましょう。

 1) 沼地などの減少により生息地がせばめられ,絶滅危惧種に指定され
  ているイトトンボ。
 2) 『聖典と現代社会の諸問題』(樋口進 キリスト新聞社 2011年 76,
     77頁)。

(2) The stewardship

Nature is the source from which human beings benefit. However,
the rice paddy, the mountain and the bay had become a place to
make financial profit from. Agricultural chemicals are used in
order to meet demand, as well as formalin and, increasingly
efficient machinery to increase growth.
No consideration is given to whether or not the food is safe to
eat.
Human beings behave as if they mattered more than anything
else. The sparrows and the honey bees which were found in
Satoyama (undeveloped woodland near populated area) were
decreased. No midges can be seen flying in the evening sky.
Swallows that eat these insects have disappeared, too. In the
Tohoku district like other areas in Japan, marsh land near the
sea was already disappearing. The natural environment changed
to become a wilderness for the habitation and to make bid
wilderness and were transferred into vast rice paddies, the
natural environment changed. Hence, when the tsunami struck,
water was carried inland 40 km from the sea. What has
happened to the Hinuma dragonfly 1) which lived on the
seashore, estuary, and wetlands? I have been visiting from Kobe
for two years, but I haven’t been able to see one. With global
warming, dragonflies and butterflies who migrated north can live,
but the habitant is disappearing. God instructed mankind to rule
the earth and God blessed them and said to them, “Be fruitful
and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over
the fish in the sea and the birds in the sky and over every living
creature that moves on the ground.” 2) “Subdue”(the Hebrew
kabash) and “Rule over” (the Hebrew radah) are used. The word
radah is quoted in Ezekiel as well. We find it“have driven with
ruthless severity”(Eze 34:4 NEB) and does not mean “forcefully
exploit.”3)  So the human race must look after nature kindly.
However, for the sake of profit, we have wrought havoc with all
kinds of pollution, in the arrogant way we have ruled over the
earth. Let’s go back to starting point, living in harmony with
nature.

20121123第1回収穫祭

「石巻かほく」(2012年11月23日付)    田山湾の復活・渡波の秋祭り

その三 自然と共に生きる

 東日本大震災の年,宮城県石巻市牡鹿半島を訪問しました。シカの
名前が至るところにあります。 アイヌの人は鹿がたくさんとれると
カムイ(アイヌ語「神」)に祈りました。4)  リアス式の海岸線は津
波で家,命,仕事はすっかり流し去られています。案内くださった
阿部捷一氏はかつて地域の小学 校の校長です。沖から半島を見ます
と,緑豊かな山並みです。
 カエデやコナラなどの広葉樹が繁って います。森に入ると,腰ま
で落ち葉に埋まるほどです。落ち葉の下には長年にわたり積み重なっ
てきた腐葉土があります。カブトムシ,クワガタムシがもぐっている
のをみつけようと手をいれると,キノコの臭いがします。
 宮城県気仙沼(けせんぬま)湾で「森は海の恋人」の運動をすすめて
いる畠山重篤(しげあつ)さんが います。衰えた海の力をよみがえら
せるために,海に注ぐ川,そして上流の森を大切にしなければならな
いことに気づかれました。
 湾に注ぐ大川(おおかわ)上流の森(室根山(むろねさん))に苗を植え
ます 。1989年より50種25万本の広葉樹を子供たちといっしょに植
え始めました。山村に住む歌人熊谷龍子(りゅうこ)さんの「森は海を 
海は森を恋いながら 悠久(ゆうきゅう)よりの愛紡(つむ)ぎゆく」と
いう一首から生まれました。 5)
 耳を木にあててみると音がします。生きています。詩は樹木を語
源としてまさに歴史の中で流れているような響きがあります。

右側 畠山重篤夫妻ご自宅にて 左側 村上裕隆事務局員  2012年12月18日 山本智也撮影。

 私たちは自分勝手な生き方をして自然をこわしてきました。故郷
を忘れた放蕩息子です。「ここを 出て父の家に帰り」6)とふるさと
の自然を慕う息子にとり,帰るところは森です。森であるエデン の
園には「命の木」と「善悪の知識の木」がありました。7)   森林を
守るか,ダムを造るかの迷いを人間は繰り返してきています。東北
でもシカが増えて困っています。「命の木」とは,森の苗を大切に
し,自然の「生態系」を考えます。一方,「善悪の知識の木」とは,
自然を支配するヒトの「生命」を大切に考え,シカの数を減らさざる
を得ません。自然の「生態系」それとも人間の「生命」のどちらを先
に考えるべきでしょうか。「田・山・湾の復活」とは両方を考えなが
ら,みんながそうだとうなずく道を開きます。他の生き物といっしょ
につながりをもって自然と共に生きていくのです。( 次号に続く)

 4) 拙論「牡鹿半島 聞き取り調査(4) 」神戸国際支縁機構 2011年。
 5)  『歌集・森は海の恋人』(熊谷龍子 北斗出版 1996年)。
 6) ルカ 15章18節 『新約聖書 柳生直行訳』(新教出版社 1985年)。
 7) 創世記 2章9節 『新共同訳』。

(3) Symbiosis with nature

The year of the Tohoku Earthquake, we visited the Oshika
peninsula in Ishinomaki  city, Miyagi prefecture. This is the
place where the deer gets its name from. An Ainu person
prayed to “kamui”(the Ainu for “god”)  to be able to catch
a lot of deer.4)  Along the ria coastline houses, livelihoods
and lives were completely swept away. Our guide, Abe Shoichi,
was a formerly headmaster in the elementary school in the
area. When you look at the peninsula from out of sea, it looks
like a lush green mountain. The broadleaf tree of the maple
and Quercus serrate and so on flourishes. When you enter the
forest, the piles of fallen leaves come up to one’s waist under
the fallen leaves is humus which is the produce of many years.
If you put your hand in to find a rhinoceros beetle or stag beetle
with many crawling about inside, a mushroom smell will emerge.

In Kesennuma, Miyagi prefecture,  Shigeatsu Hatakeyama is
publishing the“the forest is the sea’s sweetheart”movement.
It was noticed that, in order to revive the acting forces of the
sea, the river which flows into the sea and the source of the
river in the forest must be tended to carefully. Young plants
are planted in the forest of Mount Murone where the Ookawa
River, which flows into the bay, has its source. From 1989 they
started planting 250,000 trees of so different varieties with the
help of local children.
This was born from the poem. “The forest loves the sea and
the sea loves the forest but the sea churns with love that is
eternal.”by Kumagaya Ryuko who lives in a mountain village.
5) There is a sound when attempting to hit an ear against the
tree. It lives. There is a sound as it is flowing through the tree
surely in the history as the etymology in the poem. Just as
the poem has been born from the womb of a tree, there is a
sound that resonates throughout history.

We have damaged the natural world with our selfish behavior.
We are the prodigal son who forgot his hometown.  “I will leave
this place and return to my father’s house” 6); just like the son
who longed for the natural environment of home we also are
to return home to the forest. In the forest which was the Garden
of Eden there was the tree of life and the tree of the knowledge
of good and evil.7)   Human beings continue to vacillate over
whether to protect forest and woodland or build a dam. Even
in Tohoku the increase in the deer population is becoming a
problem. The term “tree of life” reminds us we should take
care of young plants and (preserve) the ecosystem. On the
other hand “the tree of the knowledge of good and evil” points
to the importance of the life of human beings who rule over
nature, suggesting that the deer population must be culled.
Which should be given priority – the natural ecosystem or the
life (concerns?) of human beings?
If we think about the restoration of rice paddies, mountain
and ocean bay from both points of view we may find a way
everyone can agree on. We need to live in harmony with
nature and other creatures.

 1) Mortonagrion hirosei (species of damselfly), whose habitat
  of marshlands, etc., is disappearing and is listed as an
  endangered species.
 2) Genesis 1:28 The New English Bible.
 3)  Miscellaneous problems for Scripture and Modern
  Society
 Susumu Higuchi  Kirisuto-Shinbunsha 2011 pp.76-7.
4) Kobe international Supporting Organization “Oshika peninsula 
  survey (4) ” July 2nd in 2011.
5)  The forest is the sea’s sweetheart   Ryuuko Kumagaya
  Hokuto-Shuppan 1996 p.210.
6) Luke 15: 18 The New Testament Yagyu’s translation Shinkyo
  -shuppan 1985.
7) Genesis 2:9 “The New Interconfessional Translation”.

その四 白砂青松

  今から約120年前のことです。石川啄木は白砂青松(はくしゃせ
いしょう)で書きました。「砕けてはまたかへしくる大波のゆくら
ゆくらに胸おどる洋うみ」と波打ち際の波しぶきに感情が高まった
詩情を残しています 8)
 1927(大正2)年には,北上川河口から東に万石浦水道まで4㎞
の砂浜に約126mも松林が続いていたことが観光案内に残っていま
す。ハンモックや帽子を無料で貸しています。海辺の店で飯一膳2銭,
酒一杯2銭,漬物一皿2銭などと紹介。
 3・11で,高さ4mの堤防と,20mの防潮林の松並みを超えて,
津波が渡波町を襲いました。1897(明治30)年に,植えられたクロ
マツは震災でどうなったでしょうか。
 震災直後,地盤沈下で,壊れた長浜幼稚園(万石浦幼稚園に合併)
付近のクロマツはヘドロを呑み込んで真っ茶色でした。長い年月,飛
砂(ひさ),台風,霧などから渡波を守ってきました。海岸林は堤防
と違います。津波を止めることはできませんが,速度を弱めます。
 チリ津波(1960年)は日本を襲い,三陸で142名が犠牲になりま
した。日本まで17500㎞も離れています。それが22時間で到着しま
した。津波はつまり時速約730㎞ということになります。ジェット機
並みの速さです9)

長浜海岸イラスト
   長浜海岸 奥野理恵(第25次)

 渡波伊勢町の遠藤トシ江さん(83歳)は「新幹線より速くて,逃
げられんないちゃ」と恐怖体験を語っています。防潮林は海岸際で
津波をゆるめて人々が逃げる時間のゆとりの役割も果たしました。
他にも,津波の引き波で海に持って行かれそうになった時,枝に服
がひっかかって助かった人もいます。
 石巻市長面(ながつら)や,仙台市海岸公園,岩手県の名勝7万本
の「高田松原」の方は木が倒れ,流木化しました。海のもくずとなり,
何も残っていません。津波は襲い掛かり,幹を折るにとどまらず,
根元から引きちぎり,根がむき出しになっています。岩手県陸前高
田市は奇跡的に一本残った松を復興のシンボルとしています。
 松などの針葉樹は根が約45センチと浅く,天災には弱いのでしょう
か。代わりに広葉樹を植えてはどうかと,広葉樹林の植樹をする運動
が東北各地で起こりました。
 長浜の海岸林は「マツの枯死(こし)が目立つようになった」と研
究者にも見捨てられました 10

長浜松林 長浜松林  渡波 長浜海岸
    震災前                    震災後

 不思議なことに,長浜の茶色になった松林は死んでいませんでした。
2年を経て,再び新しい緑の葉が繁り始めました。生命力に驚きます。
なぜでしょうか。長浜のクロマツの背景と展望を次号で探ります。

 8) 1902(明治35)年5月28日,歌人石川啄木︹1886-1912は16歳
  [盛岡中学五年生]の時,修学旅行で石巻市渡波長浜に立ち寄った
  際,記しました。
 9) 『津波災害』(河田恵昭 岩波新書 2011年40~41頁)。
10) 『海岸林との共生』(中島勇喜・岡田譲 山形大学出版会 2011年
   グラビア13頁)。

その五

 津波は「遡上高」があります 11)

 6,7mの防波堤と,20mの松林のどちらがふさわしいか,じっくり
考えるべきです12)

サンプル遡上高

 長年,厳しい自然と真っ向からぶつかりながら,人間の営み,田・
里山・里海の生き物を守ってきた先人の知恵を切り捨ててしまっては
いけません。
 なぜ長浜の松林が残ったのか,30数回訪問してわかったことがあり
ます。ひとつに,海水浴のすべての砂が松林の根元付近を覆ったので
す。次に,長浜海岸のクロマツは密集しすぎていませんでした。100
㎡に18本ずつの間隔でゆとりがあります13)。すき間に,カワラナ
デシコ,ハマエンドウ,ネジバナが生い茂っていたと仮設住宅の今野
かづ子さん(64歳 松原町 現在防波堤工事中)は語ります。林務作業
の人件費もあって下草刈りや枝打ちの手入れを小まめにしていなかっ
たことも功を奏しました。太い松と細い低木が棲す み分けて共生して
います。人間生活も同じです。人口が集中し,摩天楼の都会だと窮屈
で,ストレスを感じやすくなるのと同じでしょう。つまり一見,松は
邪魔者の低木雑草などに松自身が我慢することによってたくましいマ
ツになっていたのです。人間は過保護によって成長が阻まれるように,
松だけの単層群落にするとひ弱になってしまいます。

②津波襲来イラスト
     長浜を襲った津波 奥野理恵(第25次)

 防潮林である松林は景観,冬の寒風,津波の速度をゆるめる役割を
果たします。無機質な防波堤,防潮堤は20mを超える津波にはまった
く無力です。コンクリートの予算に億単位をかけても住人の心に安ら
ぎはもたらされません14)

 地域のみんなでスコップひとり一杯の土をもって来るのです。1m
ほどの盛り土にします。その上に松林を移動します。自分たちの手で
海岸林を造るのです。ヨモギ,ヤブカンゾウ,フキ,シドケ,ハマニ
ンニクなどの下草や砂草植物,トベラ,マサキなどの低木,ショウロ
など微生物も植栽地を支えている大切な構成メンバーです。

 海岸林から無機塩類が湾に流れ出,植物プランクトンが育ち,魚
の餌となります。里海がよみがえります。美しい自然の回復は安心,
平安,誇りをもたらします。社会も同じです。社会福祉がなければ
生きていけないような高齢者,障がいをお持ちの方,シングルマザ
ーたちを切り捨ててはいけません。共生して織りなす結びあわされ
た社会こそが「ふるさとの木によるふるさと」です。

11) 亀山紘「東日本大震災における死」(「『死』を考える」講座
  神戸新聞会館 2012年4月23日)。
12) 「防潮林の津波に対する効果と限界」(首藤伸夫 海岸工学講演
  論文集 45 1985年 465-469頁)。
13) 「東日本大震災における公園緑地等第一次現地概査」報告 2001
  年5月16日 (社)日本公園緑地協会。
14) 「東北追悼と復興の祈り」(大國龍笙宮司談話メモ 阪神宗教者の
  会 2013年)。

20131114第2回収穫祭    20131102田山湾告知
田山湾の復活 「石巻かほく」(2013年11月14日付) 
「朝日新聞」(2013年11月2日付)。

その六
 里山とは機構である

 自然を耕し,雑木林,ため池,田畑を人間はつくってきました。里
山・田園・里海は循環した「機構」つまりシステムです。動植物など
の生態,土壌,風土だけではなく,人間の手による農具,石仏,薬草
などが関わっています。人が土を耕作を通して築いてきた landscape
風景です。
 日本に豊かにある資源は水です。日本のふるさとと言えば,森から
清水が湧き出て,田園を潤します。生活に必要な水,農耕,治水氾濫
にどう制御するか先人はいつも守ってきました。
 「春の小川」(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)は小学校で歌います。
文部省は当初,国がつくったとし,を口外しないよう指導していまし
た。高野,岡野の二人は「ふるさと(兎追いしかの山…)」,「紅葉(秋
の夕日に 照る山紅葉…),「春が来た(春がきた 春がきた…),」「朧
月夜(菜の花畑に入り日薄れ…)などのメロディも讃美歌15)から明
治,大正初めにつくられました。

 春の小川は、さらさら行くよ。
 岸のすみれや、れんげの花に、
 すがたやさしく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやきながら。

 それも日本人に里山を思い浮かばせる名曲です。
 春の小川とは,すみれやレンゲが岸辺にあることから,奥山や街中
ではありません。人里を流れる川です。上流部と異なり,人が水利を
考えて手入れしている田園の用水路です。道も,山道とちがいます。
市街地のように真っ直ぐなアスファルトでもありません。田畑の曲が
りくねった境界線が道です。春の小川は田んぼに水を届けます。水源
は河川,ため池などの堰から引いてきます。

第10次201202際前用水路づくり     
渡波際前の用水路づくり (第10次) 2012年2月
宮元輝君

 用水路は上下の勢いある河川と異なり,横向きの小川で毛細血管
のように里地をくまなく潤します。ため池も作り,日照りに備えま
16)

第5次201109堤ため池 
 渡波堤のため池 右側 亀山繁氏(第5次)

 里山は全世界にあります17)。日本と同じように,水車,炭焼き
小屋があったり,雑木林 copse≪カープス≫があります。春がくると
ブルーベル,イチリンソウが林床一面に咲きます。昆虫が花密に群が
り,野鳥も集まります。
 「主なる神は人を連れて来て,エデンの園に住まわせ,人がそこを
し,守るようにされた」18)「耕し」(ヘブライ語 アーバド
「仕える」の意),つまり耕作することから人類は始まりました。
「守る」(シャーマル「見守る,救う,世話する」の意)ことを委ね
られたわけですから,里山を損なわずに,人が安らぐ環境を守る責任
があります。

15)『唱歌と十字架―明治音楽事始め』(安田寛 音楽之友社 1993年)。
16)「平成9年度 農村振興局調べ」兵庫県岳で4万7,596か所,全国に
  は計210,769か所。江戸時代,ため池と300万平方㍍の田園が水
  害から守った。
17) 『里山を考える101のヒント』(日本林業技術協会 東京書籍
   2000年 48-49頁)。
18) 聖書 創世記 2:15。

その七

里山

 世界的な食料不足が日本に忍び寄るとき,食べ物を輸入に頼っている
日本の暮らしは危なくなります。
 「少欲知足」を忘れています19)。日本では,食料消費全体の2割に
あたる約1800万トンを捨てています。このうち,売れ残りや賞味期限
切れの食品,食べ残しなど,毎日3000万食が捨てられています20)
 余っている所と,不足している地域に開きがあります。人と里山がう
まくかみ合わなくなった時期と同じ頃に感謝の心を忘れるようになりま
した。

イラスト奥野理恵作   イラスト奥野理恵作

 「昔々おじいさんは柴刈りに」という民話があります。花咲かじじ
いや,カチカチ山,桃太郎などの昔話には山が必ず出てきます21)
柴刈りの「柴」とは雑木林に折れたり,落ちている細い木や枝です。
炊事や暖房の「たきぎ」になります22)。木の実,キノコ,山菜も
あり,雑木林は人と自然をつなげる役割をしてきました。奥山と里
山はちがいます。里山は人が何世紀にもわたって農夫が手入れして
きた交流の場です。里山と奥山の境界線を「峠」と言って,上と下
を区別します。
 奥山の高木の花ヤマハンノキ,ミズナラの色は地味です。人間,
昆虫も見向きもしません。一方,人による雑木林の桜,ホオノキ
ミズキにはいろいろな生き物がいます。トチ,クルミ,クリなど。
ドングリ,果実もあります。リス,イタチや,小鳥,昆虫が飛び交
い,食べる実が豊かでした。

 里山の集落には,田に水を届ける用水路(春の小川),ため池,雑
木林の三つが揃っていました。
 
 高度経済成長期に,できるだけ速く湾で水を流すコンクリート製の
U字溝が登場します23)。河川から用水路へ流れた魚などの生き物が
水田と自由に行き来ができなくなります。サンショウモ,タガメ,
コウノトリなどが田んぼから消えました。水中の生き物(植物・昆
虫・動物)と陸の生き物が切り離されてしまいました。田は微生物,
イトミミズなどによる分解浄化作用もできなくなりました。

イラスト奥野理恵作用水路   用水路(春の小川)
   水田と用水路の間には樋

 乾田になり,高額の農業用機械が田に入ります。農薬,化学肥料は
生態を狂わせました。生産を高める農業経済が日本中に広がります。
人は自然に溶け込むより,反収の経済を優先します。人間はもはや生
態系の一員ではなくなりました。
 したがって,里山の心の原像と引き換えに,儲けに走ったため,若
者はふるさとに魅力を感じなくなり,都会に出ます。

19『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』(岩波書店 1936年)にあ
  る「欲を少なくして足ることを知る」;「もっとも,信心は,満ち
  足りることを知る者には,大きな利得の道です。」
(聖書 Ⅰテモテ 6:6)。
20 世界では8億500万人近くが飢餓。食べられるはずなのに「食品
  ロス」は500~800万トン。コメの収穫量(2012年約850万トン)
  とほぼ同じ量。一方,発展途上国の8億500万人が十分な食糧がな
  い。(2014年9月16日 国連食糧農業機関FAO);毎日新聞 (2014年
  9月17日付)。
21 1929[昭和4]年に,日本国内で燃料として最初にLPガスが使用され
  た。1963[昭和38]年頃からタクシーの燃料として使われ始め,現在
  では国内タクシーの約80%がLPG車。
22 5228編の昔話の内,山に関係する民話は32パーセント。『全国昔
  話資料集成1』(佐藤義則 岩崎美術社 1974年44,111頁)。

20141202かほく収穫祭   
田山湾の復活 「石巻かほく」(2014年12月2日付)

その八 

防潮堤

 2013年3月,和歌山大学講師間森誉司≪ルビ まもり たかし≫さん,
看護師田平夢宇夜≪ルビ たびら むうや≫君と岩手県南東部の大船渡
≪ルビ おおふなと≫を訪問。大船渡は太平洋に臨む約4万人の港湾都
市。津波被害で死者340人,行方不明80人に及んだのは巨大防潮堤
がこわされたからです。震災から2年も経ているのに,海岸保全施設
(護岸や堤防,防潮水門,防潮樋門)が流れ,無残にも崩れていま
した。

大船渡防潮堤決壊

 大船渡の破壊された防潮堤 2013年3月18日

 津波から守る防潮堤

 人々が住むのは川が海に注ぎ込む扇状地です。東日本大震災の津波は
河川の堤防も乗り越えて,おびただしいビル,家をころがしました24)
昔から津波はたくさんの人のいのちを奪ってきました。1933年,昭和
三陸津波では岩手県宮古市田老地区では559戸の内500戸が流されまし
た。人間はなんとか被害をなくそうと闘ってきました。防潮堤,防波堤
は最後の砦のようです。1966年,世界最大の防潮堤が田老町に建てら
れました。車から見上げるほどの高さ10㍍,長さ2600㍍の分厚いコン
クリートでできています。現代の「万里≪ルビ ばんり≫の長城」と言わ
れ,海外からも人々は見にやってきました。住民は安心し,どんどん家
を建て続けました。「防災の町」として国の内外に知られるようになり
ます。
 しかし,東日本大震災の津波は他の三陸沖の防潮堤と同じように土台
からなぎ倒したのです。田老町は津波に呑まれ,死者179人,行方不明
者6人です。

釜石港防潮堤倒壊  釜石防潮堤倒壊

 役に立たなかった防潮堤

 立派な防潮堤がかえって仇になりました。津波がやってくるのが見え
ないばかりか,音も聞こえなくしました。避難経路があっても安全と思
い込んでいる人間は逃げようとしませんでした。2列もある防潮堤によ
り,万全と信じていたのでしょう。防潮堤は人に慢心をもたらしたので
す。
 二番目に,防潮堤は水質を悪くします。砂浜から運ばれる種々のミネ
ラルを遮り,海の生き物の生態を変えます。リアス式三陸海岸はアマモ
の群生地です。クロソイ,ヒラメ,マダラ,ホッケなど50種類以上の稚
魚が泥砂地のアマモ群落で育ちますん25)。アマモは水中にたくさんの
酸素を出します。
 防潮堤について次のように報じられています。「震災前は防潮堤が遮
り,大船渡湾は底層で無酸素状態でした。ところが,震災後は深さによ
る水温変化が小さくなった。湾口内外の水温差もなくなり,低酸素状態
も改善された」26)
 三番目に,前より高くしても無駄な試みです。「過去最大級とされる
のは慶長三陸地震(1611年)で,津波の高さ21メートルという記録も
ある。県はこうした津波の『発生頻度は低い』と判断。明治三陸(津波
の高さ14.6メートル)や昭和三陸(同10.1メートル)など『数十年か
ら百数十年に一度発生する地震』防ぐため,海側の防潮堤の高さを14.7
メートルとした。」と報じられていますん27)

 現代のバベルの塔

 現在,青森県から千葉県の東日本太平洋沿岸で巨大な防潮堤建設が行
われています。その規模は,岩手,宮城,福島の東北3県だけで総延長
約370kmです。約8200億円もかかります。高さは10m前後で,高い場
所では14mを超えています。東北3県の砂浜はすでに全体の7%にまで
減っています。
 コンクリートですから寿命があります。せいぜい60年と言われます28)

ケーソン   防潮堤

 「彼らは,『さあ,天まで届く塔のある町を建て,有名になろう。
そして,全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」
(創世記 11:4)。
 「バベルの塔」のように巨大な公共事業は「田・山・湾の復活」に
は無縁のものです29)

24) 国土交通省:東日本大震災における河川・海岸施設の被害及び
   復旧,国土交通省東北地方整備局河川部提供資料 2011年。 
25) 「日本経済新聞」(2012年11月4日付)。アマモは水深1,2㍍に
   育つ海草の一種。稚魚のゆりかごと言われる。海の生き物の産
   卵,牡蠣(かき),ノリの養殖には絶好の環境である。 
26)「岩手日報」(2011年12月22日付)。
27)「読売新聞」(2011年10月19日付)。
28)「過大荷重による劣化と劣化判断」(松井繁之 土木学会論文集
   第374号/1-6 1986年10月),「事業報告書」(一般財団法人
   災害科学研究所 松井繁之共編)。
29) メソポタミアという言葉の意味は,「川のあいだの地域」当時
   の土木技術は,石から「レンガ」,漆喰から「アスファルト」
   に革新しており、前時代よりもはるかに高い建造物の建設が可
   能となっていた。

その九

 温帯モンスーンによる美しい山川,照葉樹林の落ち葉からにじみ出
る清流と空気,肥沃な土に植物相と動物相が織りなす環境は豊かな産
物をもたらしてきました。
 神戸国際支縁機構が耕作する宮城県石巻市渡波,神戸市西区友清の
田畑の周囲を見渡しますと,日本の農業の実態がわかります。農家の
高齢化,後継者不足,農業所得の減少は若い人々の就農を阻んでいま
す。2014年度の食料自給率はカロリーベースで39%です。アメリカ
127%,フランス129%,ドイツ92%,英国72%です。日本の食料
自給率は先進国の中で最低の水準です 30)

 

第四面①日本食糧自給率

農林水産省 2014年

第四面②世界食糧自給率

農林水産省 2014年

 自給率39%とは,海外から食べ物が入って来なくなると,6割の
日本人が死ぬという割合です。また私たちの肉体の60%は輸入食品
で成り立っていることになります。外国の農家のために日本人は会
社などで汗して働いています。つまりアメリカ,オーストラリアな
どの食糧生産者のために労働して,先祖から受け継いできた土地は
生産する場所ではなく,商品として売買されています。地球全体の
食料は年間24億トンです。しかし,発展途上国の8億500万人が飢
餓,アフリカだけでも栄養不良で5歳になる前に命を落とす子ども
の数は年間500万人です 31)。一方,日本では賞味期限などのた
め毎日3000万食を廃棄しています。グローバル企業の貪欲な利益
のために食糧輸入などマネーゲームにより食べることができない子
どもが増えています。日本も例外ではありません。

人間と自然の関係 共存を模索し実践
 月に一回しか宮城県石巻市渡波の農作業に行かない私たちにとり,
雑草対策は大きな課題です。2011年から渡波,沢田での米づくりは
地元の農家の助けがないと雑草がはびこってしまいました。2013年
以降,同市の新千刈,際前で無農薬,有機でやってみました。雑草
が生えにくくするため,田植え時に深水にします。化学肥料,除草
剤はいっさいやりません。保田ぼかし(無農薬,有機による乳酸菌
こやし)を神戸でつくっておき,石巻に運び,施すだけです。
 手による田植え,稲刈り,天日干し,昔ながらの稲こき機を使う
脱穀にこだわります。
 2015年度も,ネオニコチノイド系農薬を使わない「ツヤヒメ」の
苗を宮城県大崎市の千葉富男氏から購入しました。30センチ間隔で
万石浦幼稚園(北川禮子園長)の園児たちと植えます。保田茂先生
(コウノトリ野生復帰推進連絡協議会会長)はコウノトリ復帰のた
めに,兵庫県豊岡市などで手間がかかる無農薬栽培をさきがけてき
ました。機構の若者たちにも農薬に頼らない農法を2012年から指導
しています。コウノトリは一日に約500グラムの餌を食べます。イ
トミミズ,ユスリカ,ドジョウなどが田んぼにいることが決め手で
す。今年もイヌビエなどの雑草も月に一度の除草ですみました。
 今,日本の農業は瀬戸際に立たされています。環境,食物も危機
に直面しています。

第四面③コウノトリ2ヵ月目

石巻市沢田

 日本の農地をつぶさない
 TPP=環太平洋パートナーシップ協定により,農林水産物の2328
品目の81%の関税はなくなります。野菜,果物の1195品目は即時撤廃
します 32)。 関税がなくなると,海外からの農産物は日本中の売場
でだんぜん安く,国産の農産物は作っても売れなくなります。つまり安
いコメ,麦もどんどん洪水のように入ってきます。コメだけでなく,野
菜のニンジン,ジャガイモ,タマネギなど保存のきく野菜も国産は太刀
打ちできません。また遺伝子組み換え,表示義務もなくなり,食品添加
物の制限もなくなり,検査なしの除草剤まみれの食品を日本人は食べな
ければなりません。「輸入モノの方がやすい」に惑わされてはなりませ
ん。企業のために円安政策ですから,小麦,植物性油脂にしてもむしろ
輸入価格はあがっています。さらに,米国と同じ「チェック・オフ制度」
を日本でも政府は導入します 33)。すると追い込まれている農家から
お金を集めるのです。農産物の消費拡大,輸出促進のシステムをすすめ
るためです。TPPが目指す経済利益優先はますます食糧自給率をゼロ
に追いやります。安全で,健康的な,おいしい自産自消 「自分で作って,
自分で食べる(消費する)」の国に取り戻してはじめて,子々孫々に豊
かな風土を残すことができます。
 「荒れ果てた地、そこを通るすべての人に荒れ地と見えていた土地が
耕されるようになる。そのとき人々は、『荒れ果てていたこの土地がエ
デンの園のようになった。荒れ果て破壊されて廃虚となった町々が、城
壁のある人の住む町になった』と言う。」(エゼキエル 36:34-35)。

30) 「食糧需給表」(農林水産省 2014年度)。
31) Food and Agriculture Organization of the United Nations 
  2014。
32) 「日本農業新聞」(2015年10月20日付)。
33) 「毎日新聞」(2015年10月18日付)。

「 田・山・湾の復活」(その十)    人口減少

 国連食糧農業機関(FAO)によると,2015年,地球人70億人の
うち,約7億9500万人が飢餓・栄養失調に直面しています。富豪62
人の資産=貧困36億人分。裕福な1%と世界人口の約半数が経済的
に厳しい格差で見捨てられています。 34)。日本は経済大国と言わ
れます。しかし,餓死や孤立死など絶えることがありません。2013
年11月,大阪市で31歳の女性がひっそり餓死していました。死後1~
2ヵ月で発見されました。部屋の電気,水道,ガスはとめられ,冷蔵
庫は空になっており,マヨネーズの空容器だけでした。厚生労働省に
よると,日本では2014年に1697人が栄養失調で亡くなっています。
一日に5人弱の人が餓死しているのです。2015年10月5日,宮城県
石巻市の復興公営住宅で60代男性の孤独死もありました。入居者の
高齢化は放っておくことができません 35)

第四面①20151114高齢者の万引き

「石巻日日新聞」(2015年11月14日付)。

 2015年の国勢調査によると,石巻市の人口は14万7236人。減少
に対して,観光,移住,一次産業の担い手を増やすことが急がれて
います。被災地だけの問題ではありません。住人がいなくなる,仕
事がくなる,子どももいなくなるという「消える」ことと,土地が
あまる,住宅があまる,学校があまるという「余分」の二重苦があ
ります。震災トラウマと復興ストレスです。「石巻には住む家がねぇ
ーから出て行くっちゃ」と耳にします。確かに復興住宅は5年して
も,1割です。相次ぐ再開発計画の白紙が騒がれます。

「石巻日日新聞」(2016年1月20日付)。

「石巻日日新聞」(2016年1月20日付)。

 人がいなくなるとお店も姿を消し,大型量販店が増え,日本中どこ
でも見られる個性のない光景になります。震災前から核家族になり,
石巻市の1世帯当たりの人数は2.59人です。介護,福祉,ケアが必要
な高齢者が増えているのに,反比例するかのように介護者が減ってい
ます 36)。宮城県は47都道府県の中で介護者数は最下位です。「本
当に困ってるべー,自分から困ってるなんて言えないのっ」と吐露す
る在宅被災者がいます。制度が差し伸べる手からどんどん漏れ落ちて
いる人々はどんなに周囲の環境が復興しても自分の力だけでははい上
がれません。生きるいのちに対するやさしさが人口減社会を乗り切る
力の源です。ワイシャツのえりのカラーは柔らかいですが,洗濯して
も型が崩れないのは芯が入っているからです。社会の「芯」に相当す
る郷土のアイデンティティの見直しが必要です。里山  Satoyama
 (undeveloped woodlandnear populated area)・田園・里海と
いった自然との結びつきです。2011年7月,牡鹿半島の船越(ふな
こし),谷川(やがわ),名振(なぶり)などを新免貢教授(宮城学
院女子大学),阿部捷一氏,佐藤金一郎氏とヒアリングしました
 37)。名振では90戸の内,14戸しか残らなかったのです。海と向
かい合って代々,漁,ホヤ,カキを営んできた村人にとり里海しか
生きる術はないと訴えておられました。自然と共生する遺伝的特性が
痛いほど伝わります。「漁師は海に関わらないと生きていけねぇー」
と言われました 38)。リアス式海岸には猫の額のように狭い土地し
かありません。悲しいことに,限界集落であった牡鹿半島の復興に国
は防潮堤を作ろうとしています。まさしく現代のバベルの塔であり,
海と陸地を完全に分断してしまいました 39)捨ては人のいのちを殺
します。だれも置き去りにしてはならぬと良心がうずきます。巨額な
土木,鉄道など輸送網,病院などの再建より優先すべきことを忘れて
はいまいかと考えます。「死」を管理しない社会の実現へと大地が叫
んでいます。「いのち」から「死」への過程が人為的,物理的,制度
的に扱われてはなりません。人口減少歯止めへの防波堤が問われてい
ます。家族が「自宅」で成員が逝くのを看取るコミュニティへの回帰
こそ「田・山・湾の復活」の基本です。

34) 国際NGO「オックスファム」;
  2016年1月18日(「朝日新聞」2016年1月20日付)。
35) 震災の影響で住宅や生業を失い,義援金と貯金,年金でこれまで
  4年以上を過ごしてきたが,年月を重ねるごとに出費がかさみ,
  生活苦から犯行に及ぶケース。そのため,盗む商品も調理不要な
  惣菜類が多い。(「石巻日日新聞」 3015年11月14日付)
36) 「河北新報」(2013年10月4日付), 2015年3月 「石巻市高齢
  者福祉計画第5期介護保険事業計画石巻市高齢者福祉計画第6期介
  護保険事業計画」。
37) 拙稿「神戸国際支縁機構ヒアリング報告」⑵~⑺
  http://kisokobe.sub.jp/category/article/page/3/
  「希望の灯」(坂本忠厚編 石巻市教育委員会 2013年102~105
  頁)。
38) 拙稿「同ヒアリング報告」⑶名振コミュニティセンター。

39) 季刊誌「支縁」No10(2015年3月4頁)。