鬼怒川ボランティア 2015年9月19日~23日

 
 佐野高校生8名,引率教師1名と機構の7名の16名は,宮城県石巻市の被災現場に2台で向かいました。本田寿久事務局長をはじめ,村上リーダー,リピーターたち,とりわけ4,5回参加してきた大学生たち森 花梨(第42次,50次,56次,丹波水害)さん,西田怜奈さん,本田博之さん
,佐野高校生8名などです。9月20日,石巻市のまだ復旧,復興,再建していない現場で大地震,津波の爪痕を見た後,宮城県大崎市の渋井川の水害ボランティア現場に向かいました。

石巻市稲井 沿道整備 2015年9月11日

 参加者のひとり,兵庫県県立八鹿高校3年生の垣尾舟汰さんの報告は,KBHのニューズレターにもとりあげられました。
 一行は,渋井川で社協がボランティアが多くて不要ということであったので,当初の予定通り,鬼怒川水害(2015年9月9日-11日)地に進路を変えました。常総市街地を含め約40キロ平方メートルの地域が浸水の被害を受けていました。少なくとも7名の死者を出した悲劇となっていました。
 
 
 鬼怒川上流の日光市で社会福祉協議会(ボランティアセンター)に依頼されて,河川氾濫している被災家屋に向かいました。一階は泥水で覆われ,たたみ出し,がれき撤去,泥だしの作業が待っていました。女性パワーもすばらしく,泥で覆われた家,庭,畑などに従事しました。伊藤直樹&ヨシ子ご夫妻もボランティアにご自身の人生体験,農家としての歩み,自宅で味噌,醤油,食材を作ってきたことなど多様な生きざまを話してくださり,私たちもたくさんの教訓を学びました。
 他の被災地では見られないほど,社協さんは謙遜にボランティアに接して下さいました。決して上からの目線ではない秩序だった動きに,私たちを下部組織としてではなく,協働の精神で被災地を説明されました。ゼッケン,所持品,資格に関係なく,みんなで艱難辛苦に連帯して取り組もうという姿勢に頭が下がりました。
 川の蛇行が決壊した場所に,伊藤さんの屋敷がありました。息子さん夫婦の新居も隣接していました。関東に引っ越しした子どもさんたちも駆けつけておられ,郷里をこよなく愛しておられるご家族でいらっしゃいました。私たち初対面のボランティアにも伊藤家のみなさんは温かく声をかけてくださいました。はじめてとは思えないほど,ボランティアを忘れて,実家にもどったように歓迎されたことは,神戸からの参加者にとり,忘れることのできない思い出になったと思います。
 

伊藤直樹&ヨシ子ご夫妻宅 2015年9月19日

 
 伊藤家でのドロ出し 2015年9月19日 鬼怒川上流日光市 

ドロ出しに精を出すメンバーたち

 
 
 
 
 垣尾舟汰さんの報告を記します。     八鹿高校3年生 垣尾舟汰

 実際参加した感想ですが,一番大きかったのは,同じ日本に住んでいてここまで知らないことがあるのかということです。私たちは報道やメディアから日々情報を得て過ごしていますが,やはり限界があるのだと強く思いました。

 門脇小学校での衝撃。みたこともない小学校の状況に思わず息をのみました。

 画面に囲まれて生活している現代の若者に,画面や写真からは伝わってこない何かが確実に伝わって来ました。それは僕だけでなく,他に参加していた高校生のみんなも同じ感覚だったと思います。また,私たちは人が何人死んで何人が避難しているという「数字」にこだわりすぎているということに気づきました。人の命は1か0かなのに,それらを累積し規模を推し量る。なんだかそんなことで「すごい大変だ」とか「苦しいだろうな」とかという感情が作られていた自分に腹が立ちました。1人の人間が命を落としていること,その家族や親戚,関係している人の,数字には表せない,悲しみ,苦しみ,悔しさ…。もしかしたら言葉にも表せないのかもしれません。そういったことを抜きにして「数字」という普遍的な概念的な事で感情が作られていることを私たちは反省しなければならないと思いました。

 何が復興かということも考えさせられました。

 最初に行った門脇小学校の前で岩村代表がおっしゃられたことが心から離れません。

 「震災から4年半経ち,今日車でここまでくる時に見たのものは何ですか?イオン,K’s電気,多彩な飲食チェーン店,我々が住んでいる街と変わらないものが新しく建ち並ぶようになりました。どうでしょう。今,東北地方は復興していると思いますか?」おそらく,これから日本が「東日本大地震」という歴史を背負っていくのと同じように,僕も代表の言葉を忘れないでしょう。それほど心に響きました。

 2日目に向かった栃木県日光市鬼怒川上流では,被災された伊藤直樹さん(80歳)の貴重なお話を聞くことができました。人間はやはり「油断」が命取りになると。誰しも大丈夫だと思ってしまうのですね。自分は大丈夫と思ってしまうことが一番危険だと思い知りました。
 本当はもっともっと自分の身体を痛めつけてでも,被災された方の力になりたかったのですが,時間の関係上それが叶わず残念ではありました。順調に作業が進み,少しでも早く被災された方が普段の生活に戻られることを心から願っています。
 実際ボランティアという形で作業をしたりする時間は少なかったですが,それ以上に現場に自分で行って,見て,感じで,心が動いたことにとてつもない意味がありました。まさに「忘却にあらがうボランティア」となりました。
 今回,神戸国際支縁機構様にご協力をいただき,このような貴重,かつ素晴らしい経験をさせていただいたことに最大限の感謝の気持ちを表したく思います。長い,長い道のりを運転してくださった,本田寿久事務局長,および大学生の本田博之さん,スケジュールの管理他様々な場面でお世話になった村上裕隆リーダー。たくさん声をかけていただいた,4,5回参加されてきた大学生の西田怜奈さん,森花梨さん。何より,こういった機会を私たちのような者に与えるという活動を創始された,岩村義雄代表。その他,お弁当や現地の活動に協力してくださった皆々様に心より感謝したいと思います。
 この気持ちは僕自身が近い未来この神戸国際支縁機構の活動に協力することで,恩返ししたいと思っています。是非それまでこの素晴らしい活動を続けていただき,またもっともっと周りの人間に認知され,大規模な活動になることを心より願っています。本当にありがとうございました。