2022年6月22日(水)未明 地震発生

 9・11テロ以降,アメリカ軍が空爆したことにより,孤児が生まれ,神戸国際支縁機構が発足することになった因縁の国。
 タリバンが政権を掌握してから最初に経験する自然災害。
 ホスト州の州都から南西へ28マイルが震源地。6月22日(水)の未明にマグニチュード5.9(欧州地中海地震学センター EMSC M6.1)。1600人以上が負傷。戦争被災者の治療から一転して,地震被害者に。パキスタンとの国境近くの山岳地帯における豪雨と風雨が救援活動を妨げになっている。被災者はパクティカ州に集中している。
 みなさんで孤児,シングルマザー,差別されている少数民族に応援しよう。

 

 

「あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」

完全原稿 あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか

 

「あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」 神戸新聞会館 聖書のことばシリーズ 第86回                                           2021年8月30日                                    神戸国際キリスト教会                                         牧師 岩村義雄

主題聖句: 使徒 19:37 「諸君がここに連れて来た者たちは,神殿を荒らしたのでも,我々の女神を冒瀆したのでもない」。(『聖書協会共同訳』)

<序>

 2021年8月15日,タリバン[1]はアフガニスタンの首都カブールに侵攻し,政権を掌握した。神戸国際支縁機構が発足[2]して20年,アフガニスタンと共に歩んできた。2001年10月に米英両軍がアフガン空爆を始めた直後,米紙ワシントン・ポストの世論調査によると米国民の94パーセントが軍事行動を支持した。1812年の米英戦争以来となる米本土への直接攻撃に米世論は憤激し,ジョージ・ブッシュ大統領[3]への支持率も空前の高水準を記録した[4]。当時のブッシュ政権は駐留継続を選ぶ。ブッシュは在任当時,演説でこう語っていた。新たな目標に掲げたのが,「この地に民主国家を作り上げる」という遠大な構想だった[5]

「人の政治たるの点に於ては米国の民主主義も独逸の帝国主義も何の異なる所はない」,と。内村鑑三[1861-1930]が,今から100年余前の1919年に,人を通しては平和がもたらされないと警告したことは意義深い[6]。治安維持の名目で,カブール市内に展開するイスラーム主義勢力タリバンの特殊部隊とされる画像に注目しよう。8月23日,タリバン構成員が朝日新聞に提供した。
 タリバンが全土を席巻し,首都カブールを陥落させて,政権を手中にした。米国のバイデン大統領が「駐留米軍を全面撤退させる」と発表してからわずか4カ月後のことだ。なぜ,タリバンはこれほど早く,戦わずして勝ったのだろうか。
 首都に進軍してきたタリバンの画像を見て,何か気付くことはないだろうか。服装,所持している武器からすぐにタリバンとわかるだろうか。手にしている自動小銃は,30年近く続いた戦いの中で長年使い続けてきた旧ソ連型のカラシニコフではない。世界各地の戦場で必ず見る武装ではないか。米兵のM16である。タリバンに対して,政府軍が武器を渡して投降したことを物語る。                                              
 ブッシュの世界観は,「我々は中東で民主主義を尊重し,中東でこれ以上憎悪やテロがはびこらないようにし,それによってこの戦争の勝利を追求する」,と世界中に訴えた。武力による民主主義はキリスト教,とりわけ永遠のベストセラーと言われる聖書と相容れるのか,アメリカの指導者による現代の「十字軍」に欧米のキリスト教会は追随した。
 2001年ニューヨークの貿易センタービルの炎上から約20年,神戸国際支縁機構は,アフガニスタンへの支縁が少しも実っていなかった。その内に起きた今週になってのアフガニスタン政府の転覆,自爆テロ,タリバンの躍進。20年前,ブッシュ政権は,アフガニスタンを空爆するだけでなく地上部隊を投入。泥沼化,米兵2461人の犠牲,2兆3千億ドル(253兆円)の20年を経て,「米史上最長の戦争」の幕引きとなった[7]
 それでも神戸国際支縁機構はボランティアをまだ続けるのか。
 現地で,今後,たとえタリバン内でのいがみ合い,殺し合い,傷つけ合いがあったとしても,私たちはタリバンと和解しながら,共生できるのか。ご一緒に考えてみたい。

目次
(1) 神戸国際支縁機構の出発点
 a. アフガニスタンの悲劇  
 b. 平和な農業国アフガニスタンが戦禍に巻き込まれる経緯
 c. 神戸国際支縁機構のかたつむりの活動
(2) アフガニスタンがどんな国
 a. 歴史と沿革
 b. アフガニスタンの惨状
 c. タリバンの宗教
(3) 弱った葦にどう接するか
 a. アフガニスタンへの空爆
 b. 荒れ地を緑のダムに変えた
 c. ピース・ビルダーとして

(1) 神戸国際支縁機構の出発点
 a. アフガニスタンの悲劇
 2001年10月7日,米国ニューヨーク市の同時多発テロの報復として,「対テロ戦争」という名目でアフガニスタンに空爆を開始。アメリカは当初,攻撃目標は軍事目標に限定していると発表していたが,誤爆などで住宅や民間施設も被害にあった。その結果,多くの人命が失われた。戦争から逃れるために多くの難民が発生することになり,神戸国際支縁機構は何かできることがないだろうかという感性に基づいて,情報収集,セミナー,支援(2001年以降支縁)活動を始めていくことになった。戦争,震災などで傷ついた人々と共生,共苦,苦縁のために小さな働きを始めた。
 神戸国際支縁機構は政治団体でも利益団体でも職業団体でもない。他者のために生き,共に苦しみ,悲しみを入れる器,共に分かち合う。日本は国際的に難民を受け入れることを明言している。自国で政治的,思想的な立場が認められず,身に危険が及ぶために,日本に安全を求めて,国を棄て脱出する場合がある。しかし,日本の対応は,難民申請をほとんど受理しない。法務省の収容センターにすぐに収監してしまう。人権,自由が奪われている。強制送還をすると,本国で粛正の可能性があってもおかまいなしに,送り返してしまう。国連が認めている難民申請者でも日本は拒否する。大阪府茨木市にあった西日本入国管理センターへの訪問が始まった。収容施設は刑務所よりひどい環境だった。法務省入国管理局によると,2009年以降に収容中に死亡した人は13人。うち自殺者は5人いた。10 年以上面会を続けてきたセンターも 2015年9 月に閉鎖。長崎県の大村入管に移送された[8]

 平和な農業国アフガニスタンが戦禍に巻き込まれる経緯
 1979年12月24日,ソ連軍は多民族国家アフガニスタンに侵攻した。ソ連にとってのアフガン戦争は,米国のベトナム戦争[1964-1973]と同様,過酷であった。山岳地の戦場では軍事大国ソ連も惨憺たる結果になった。
 1984年から,現地アフガニスタンやパキスタンで活動した福岡出身の中村哲[てつ 1946-2019]医師は,そのことによるアフガニスタン内の影響を新聞に次のように寄稿していた。ソ連軍の後ろ盾で,アフガニスタン軍は,欧米勢力がベトナム戦争等の戦略村構想に失敗した同じ轍を踏みたくなかった。そこで農村社会という「封建主義の温床」そのものを消滅させ,人口を都市に集中させて管理する戦略をとった。現地庶民にとっては迷感千万な戦略が実行された,という記事であった[9]
 2001年8月19日,アフガニスタンの首都カブール中心地帯で,英国の国際文化交流機関ブリッティッシュ・カウンシルを標的にした爆発事件発生。アフガニスタン人の警官2 人と市民2人を合わせた計4人が死亡。6人が負傷。2001年8月のアフガニスタン駐留米軍の死者数は66人。月別では2001年の米軍による開戦以来,最悪の状況。アル・カイーダが潜伏しているとか,オサマ・ビンラディンの掃討作戦という口実で米軍は侵攻してきた。2014年までに,軍の完全撤退を発表。しかし,タリバンは現アフガニスタン政権を米国の傀儡政権として認めてこなかった。タリバンによる徹底抗戦により,米国は単に,現地に混乱,貧困,地獄絵図を残したにすぎない。平和どころか2001年以降,激しい戦場になってしまった。パキスタン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦はタリバンを正統な政権として認めてきた。
 現在も年間約1,500 人以上が,地雷・不発弾で死傷している。その内45% は,18 歳以下の子どもと報告されている。(アフガニスタン地雷対策局)。
 極度の食料不足と寒さで厳しい状況が続くアフガニスタン北部の難民キャンプ。2歳以下の子どもの
多くは死亡した。神戸国際支縁機構は,アフガニスタン北部2州(BadakshanならびにTakhar)における
国内避難民への支援を2001年10月に開始。冬の厳しさは格別だ。   

  1. 神戸国際支縁機構のかたつむりの活動
    ・アフガニスタン国内に食糧を届け,厳しい冬を越せるように支縁。
    ・冬服,毛布,靴などをなるべく多くの人々に届け,厳しい冬を越せるように支縁。
    ・国内避難民や弱って病気にかかっている人々へのケアを行なう。
    ・難民や戦乱によって家庭を破壊された家族や,国内難民にテントやシェルターを提供する。
    ・新年に農業復興プログラムを計画し,人々ができるだけ早く自立できるように手助けする。
    ・Badakshan Province(人口100万人)およびTakhar Province(人口80万人)の二つの州に住む38,000家族すなわち266,000人(一家族7人と計算)の人たちを対象とした。この2州内の最も弱い人たちのうちほぼ1割にあたる人々を支縁した。

(2) アフガニスタンとはどんな国
 a. 歴史と沿革
 アフガニスタンは山の国であり,その面積は日本の約1.7倍,人口は約2千万人と言われていた。国土の真ん中にヒンズークシュ山脈という大きな山がある。東のヒマラヤ山脈と並んで,6-7千メートル級の広大な山脈である。アフガニスタンのほとんどの地域は,山岳地帯である。アフガニスタンの諺に『アフガニスタンでは金がなくとも食ってはいけるけれども,雪がなくては食っていけない』というものがある。なぜなら農業国だからだ。人口の9割以上が農民または遊牧民である。農耕・遊牧のための水源は,白い山々の雪に依存している。“白い山の雪”は,地図には描かれていないが,アフガニスタンのほぼすべてが“薄い茶色”か,“濃い茶色”で塗られているほど山,山の国である。(「絶望から希望へ―生命に寄り添って」中村哲講演録)。
 アフガン「山の民」とペルシア語の地名接尾語-stanで「山の民の国」と国名からも山岳国だとわかる。1919年に英国から独立してからも,紛争が途切れることはなかった。ペレストロイカの1989年まで,約10年間ソ連により,アフガニスタンの天然ガスの利権や,南下作戦により,国土は戦場と化した。ムジャビディン(イスラーム戦士)は大国ソ連に対して,徹底抗戦し,決してひるまなかった。やがてタリバンが登場してきて,国土の95パーセント以上を支配したが,2001年9・11テロが起きると,アメリカ・英国軍を中心として国々が攻め入った。そんな中で,2002年に現地からアフガニスタン人カルザイ元大統領の政権ができあがった。それでも,“治安”の悪化は改善されなかった[10]。筆者はアフガニスタン支縁をしていることで,セミナー講師を依頼された。2009年10月9日にオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したにもかかわらず,アフガニスタンにおいてアメリカ軍の誤爆により,犠牲者が病院にかつぎこまれていた時であった。民主主義を押しつける米軍・NATOのやり方にアフガニスタン人の反発があった。
 2009年11月6日,鳩山由紀夫[1947-]首相は,5年間で50億ドル(約4500億円)をアフガニスタンに供与することを決めた。来日するオバマ大統領との13日の日米首脳会談で,大統領が米国への手土産にする算段だったと推測せざるを得なかった。マスコミ関係はそんなうがった視点を活字にはしていなかったのではないか。いずれにせよ,米国の顔色を伺いながら国策を決めていく構図は戦後変わらない。
 預言者イザヤは,時の政権を担う指導者が他国の軍事力の傘に収まろうとすることに反対した。アハズ王
は強国であるアッシリアに軍事支援を請うた。シリア・エフライム戦争に巻き込まれるのを極度に恐れたからである。イザヤはアハズ王に強く反対した。「彼に言いなさい。気をつけて,静かにしていなさい。恐れてはならない。アラムのレツィンとレペルシャ子が激しく怒っても,この二つの燃えさし,くすぶる切り株のために心を弱くしてはならない」(イザヤ 7:4)。やがて紀元前705年,アッシリアのサルゴン王が死ぬと,反アッシリア運動が広がり,イスラエルの国は不穏な緊張が続いた。ユダの王国ヒゼキヤ王は,大国でエジプトと同盟を結んで,民の人心を掌握しようとした。イザヤは諫言を与えた。「災いあれ,助けを求めてエジプトに下り 馬を頼みとする者に。彼らは,戦車の数が多く 騎兵が強力であることに頼り イスラエルの聖なる方に目を向けず 主を求めようともしない。しかし,主は知恵ある方。災いを下し,その言葉を撤回されない。悪をなす者の家に対して 不法を行う者を助ける者に対して立ち上がられる。エジプト人は人であって,神ではない。彼らの馬は肉であって,霊ではない。主が手を伸ばされると 助ける者はつまずき 助けられる者は倒れ 皆共に滅びる」(イザヤ 31:1-3)。もし戦後,日本の指導者がイザヤの提言に耳を傾けていれば,日米安全保障条約を1960年1月19日にワシントンで締結することはなかったと筆者は思う。湾岸戦争[1991年1月17日–1991年2月28日]後,日本政府は,4月26日にペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊(ペルシャ湾掃海派遣部隊)を派遣した。敗戦により,非武装を憲法で掲げていた当初は,日本人は世界のどこに行っても尊敬されていたと言われる。ところが自衛隊海外派兵するようになると,尊敬されなくなってきた。外国へ行く民間人は敏感にそんな空気を味わい出した。「アイ アム ジャパニーズと胸張って言えるか」,と神戸国際支縁機構の本田寿久事務局長は,中小企業新聞に書いた[11]

 b. アフガニスタンの惨状
 アフガニスタンに生まれた子ども9人に1人は,1歳の誕生日を迎えることなく亡くなっている[12]。子どもの6人に1人は,5歳未満で亡くなっている。世界で2番目に妊産婦死亡率が高く,国レベルでは生きて産まれた出産10万人に対して,600人しか生き残れない割合である。15歳以上のアフガニスタン人で文字を読めない人の割合は71%にのぼっている。就学年齢の女の子の60%は,学校に通っていない。5歳未満の子どものおよそ30%が下痢性の疾病の影響を受けているが,水不足で水分をとることもできない。5歳未満の子どもの5人に1人は,呼吸器系の感染症に苦しんでいるが,そのうち3/4は病院や保健施設で治療を受けることができない。多くの家庭が安全な水を得る給水場所を持たず,1/3の家庭にはトイレがない国である。子どもの三人にひとりは孤児である。ラシュマニアという蚊を媒介して感染する病気がアフガン全体に蔓延している。始めは皮膚がはれあがり,やがてえぐれてくる病気である。
 アメリカの誤爆により,救急患者の70パーセントは戦争被害者であり,家を失った人や,親や身寄りがいない子どもたちはキャンプ地で生活しなければならない。夏の気温は,40度を超え,しかも,草木の生えていない場所ばかりで,日陰もなく,地面からの照り返しも強く,体感温度は50度くらいになる。水がないというのは,がまんできる状態ではない。首都であるカブールに集まってくる300万人は,テント暮らしだ。地雷原が周囲にあり,砂嵐やさそりも多い。冬の時期になると,夜はマイナス15度になり,毎日数十人が凍死している。これからもっと寒くなる。マイナス20-30度である。毛布を2~3枚重ねて寝ても一晩あけると,頭痛がするくらい寒い。キャンプ地への食料援助もドイツの団体が行っているのみである。お医者さんは週に2回巡回して来るが,まともな薬などはない。民の7割は栄養失調である。肝炎が蔓延しており,始終下痢をしている人がほとんどだ。だから,アフガニスタンの平均寿命[90-95年調査]は,男性43歳 女性44歳と言われている。日本人の平均寿命の約半分である。

 c. タリバンの宗教
 タリバーンは外出する女性に,ブルカ(チャドル)の着用を義務づけている。ブルカ着用は農村部での常識である。女性に対する暴力は,強制結婚,ドメスティック・バイオレンス,女性や女児の人身売買がある。債務の代わりとしてまたは人質として女児を差し出すこと,女性や女児を初潮から出産可能年齢を過ぎるまで強制的に隔離することなどはよく行なわれていることである。
 農村においては,イスラーム教の指導者(村の長老)が寺子屋を開いて,子どもたちに字の読み書きを教える。クルアーン(コーラン)を暗誦させるのである。イエス・キリストは,ムハンマド(マホメット)に次ぐ預言者として崇拝されている。
 アフガニスタンの100%がイスラーム教徒である。みんなの生活がモスクを中心に地域の共同体があるという社会である。地方ではタリバンへの親近感も強く,一般住民とタリバンは分かちがたいのである東部地域は住民全員がタリバンといっても過言ではない。西部のヘルマンド州からの国内避難民の話を聞いていても,村人全員がタリバンという感じである。南部のカンダハール州のサンギン村から,タリバンに協力したからという理由で米軍の空爆を受け追い出された人によると,地方では家から2~3人がタリバンに参加するのが当たり前である。テロリストを根絶すると言うが,それは住民全員を殺さねばならないというも同然なのである。
 タリバンへの参加の背景には貧困や飢えもある。米軍の空爆により,親を失い,住む場所もなくなり,教育の機会も奪われた孤児たちは路頭にさまよう。タリバンは金払いがよく,初任給で200ドルくれると,耳にする。それだけあれば生き残った家族を十分養える。パシュトゥン人ではなくタジク人なのに,タリバンに参加している例もある。警察の初任給が80~90ドル,軍隊で120~130ドルというのと比べると,リスクを考えるゆとりはない。一番いい就職先になっている。ちょうどヒットラーが選挙前に失業をゼロにすると,ドイツ国民に約束し,その通り,軍隊に徴用し,公約を実現に至らせたことからも,タリバンは決して民の敵ではない。戦後70年以上,イスラエルや,イスラエルを支援する米国からも人権が軽んじられているパレスチナのヤセル・アラファト議長やハマスも同様と言えるのではないか。住民にはタリバンが救世主に見えている面を忘れてはいけない。米軍が嫌いということでは住民もタリバンも思いは一致している。米軍に肩入れしているということで,日本のボランティアの若者やジャーナリストも殺害された痛ましい事件を思い出す方もいるだろう[13]。小泉純一郎首相は,2004年10月27日によるアル・カイーダの人質解放の条件を拒否した。「自己責任」という新たな日本語がひんぱんに使われるようになった。

 奥田知志牧師は語る。「1977年9月28日,フランスのシャルル・ド・ゴール空港発の羽田行の日本航空472便(乗員14名,乗客142名)が経由地のムンバイ空港を離陸直後,ハイジャックされた。犯人グループは人質の身代金として600万ドル(当時約16億円),さらに日本で服役中の9名の釈放と日本赤軍への参加を要求。この事態に対して当時の福田赳夫内閣総理大臣が「一人の生命は地球より重い」と述べた」,と[14]。イスラーム教の人々は人質として死んだ者について何と述べていたか。2004年11月5日,イスラーム教の金曜礼拝が行われた。シーア派の有力聖職者マード・アルワイリ師は武装グループに拉致され,殺害されたことについて哀悼の意を表した。そして,イスラーム教徒ではないのにイラクの復興に尽くしてくれる日本人達に感謝すべきであると信徒に諭した[15]
 日本人は,イスラーム教,タリバン,アフガニスタンに無知であっては困る。アル・カイーダ,「イスラム国」と異なるタリバンについて何も知らない。タリバンははっきりした組織がないが,人数・資金が豊富なので,西側諸国のミサイルや近代兵器などの武力でタリバンを屈服させるような解決は無思慮な判断であろう。

(3) 弱った葦にどう接するか
 a. アフガニスタンへの空爆
 アメリカ政府はサウジアラビア出身のウサマ・ビンラディンをテロ事件の黒幕と断定。ビンラディンをタリバンが匿っているとして,同年10月5日より米英のタリバンに対する武力行使が行われた。
 2001年の9・11テロ以降,キリスト教国と言われるアメリカがアフガニスタンに武力侵攻した。世界遺産を破壊したタリバンは悪の張本人とか,2003年に,イラクを大量破壊兵器があるという名目で砲撃した。そのとき,十字軍という言葉がメディアで良く報道された。ジハードに対してクルセードという対立構造である。善か悪か,神かサタンかの二元論での泥沼の戦争に突入して行った。 確かに,神は「万軍の主」とも呼ばれる[16]。ヘブライ語ではtAab’c. hw”hy>アドナイ・ツェヴァオート adonai tsebaotである。『七十人訳』では,ku,rioj sabawq キュリオス・サバオース kurios sabaoth (もしくは ku,rioj pantokra,twr キュリオス・パントクラトール kurios pantokrator)である。パントクラトールは,pa/jパス pas<全ての意>+ kratw/ クラトー krato <権を握るの意>から成り立っている[17]。キュリオス・パントクラトールは,「全能の主」と訳されたりする。よって,「万軍の主」ではなく,「全能の主」と中世のミサにおいて用いられていた。旧約では,「主はこう言われる。『この大軍を前にしても恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく,神の戦いである」(Ⅱ歴代 20:15)。人間が武器を取って戦うことは聖書の本来の教えではない[18]

 イエス・キリストは,2,000年前に非暴力,隣人愛,敵を愛することを教えられた。「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」(マタイ傳 26:52 『文語訳聖書』)。
 タリバンははっきりした組織がない上に,人数・資金が豊富なので,軍事大国のミサイルや近代兵器などの武力で相手を倒すことはできない。トランプ前米国大統領[19]は,2019年10月27日,ISILの指導者アブバクル・バグダディ [1971-2019] が米軍の急襲により死亡と発表[20]。しかし,ガンマンの戦いよろしく相手のトップを倒せば,終結するという短絡な西部劇のようなわけにはいかない。
 海外メディアは,自爆テロを「a kamikaze or a suicide bombing」(=カミカゼ,すなわち,[相手も自分も爆死する]爆弾自殺任務)と呼ぶ。私たち日本人の戦争の負の遺産が受け継がれている[21]

 b. 荒れ地を緑のダムに変えた
 神戸国際支縁機構はアフガニスタンと共に歩んで20年。中村 哲[てつ 1946-201]が恩師である。「100の診療所より1本の用水路を」「直角のコンクリート堰はいずれ崩れる。壊れなくてメンテナンスしやすく,渇水にも洪水にも強い山田堰(ぜき)」をアフガニスタンの砂漠に用いた。中村が参考にした江戸時代の農法,かんがいを神戸国際支縁機構も今日,宮城県石巻市渡波,熊本県相良(さがら)で用いている。中村は,アフガニスタンに対する日本の支援を象徴する方と言えよう。自分の利益を考えず,どうしたらアフガニスタンの人々の幸せを実現できるかを考えていた。アフガニスタンでの中村は,まさに誰もが知っている「お茶の間の人」(household name)だった。
 中村は,神戸国際支縁機構にとり,アフガニスタンよりも,災害大国日本で最も必要な生きざまを示した。 「軍事安保」より,「食糧安保(安全保障)」を実践されたからだ。本職である医療,専門家であることを捨て,人道支援を優先した。江戸時代の農法を用いて,アフガニスタン人のために用水路や井戸の建設に尽力した。「そればかりか,私の主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに,今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに,私はすべてを失いましたが,それらを今は屑と考えています」を中村は実践した(フィリピ 3:8)。中村の農法で潤った荒れ地が緑のダムに変貌した。その広さは東京ドーム約3500個分にあたる約1万6000ヘクタールにおよんだ。
 キリストは,「平和を愛する人は幸いである」ではなく,「平和を実現する人は幸いである」と言われた。つまり,ピース・ラヴァーではなく,ピース・メーカーでもなく,ピース・ビルダーになることである。さらに,マタイの福音書 5章44節では,「しかし,私は言っておく。敵を愛し,迫害する者のために祈りなさい」,と敵を愛する愛敵精神を強調された。
 中村は,キリスト者でありながら,モスクやマドラサ(イスラーム神学校)も建設した。

 c. ピース・ビルダーとして
 中村は,「向こうに行って,9条がバックボーンとして僕の活動を支えてくれる」,と非軍事支援が平和につながると語っていた[22]。つまり平和憲法が単なる理想ではなく,「リアル」と述べた[23]
 中村の遺志を尊重し,日本が世界に誇る宝「憲法9条」を守らねばなるまい。憲法9条は人類の叡知だからだ[24]。戦後,日本の先輩たちが残した「不戦の誓い」を忘れまじ。しかし,原発,自衛隊海外派兵,憲法9条改訂への思潮は,メディアの影響が大きい。社会学者の村田充八は語る。「ジャーナリズムが,ウオッチ・ドッグとしての役割を全く果たしていないということにつきる。ジャーナリズムを担うのは,メディアであろう。そのメディアが,企業によって営まれているのであり,ジャーナリズムに求められるべき中立性からはずれて,会社の利益を追求していないかということにつきる」,と[25]。村田が言うように,日本のマスコミには構造的な弱さがある。テレビも新聞も,政治部の記者たちは権力を見張る「番犬」から,権力の「忠犬」へと成り下がってしまった[26]
 2001年10月13日,衆院テロ対策特別委員会は中村を参考人として国会に招いた[27]。中村が,『土壌,根っこの背景からなくしていかないと,ただ,たたけ,たたけというげんこつだけではテロはなくならない。なくすためには貧困の退治』であると。一昨年,命を落とすまで,医療や衛生環境の整備などを通じて,長い間,地道にその『根っこ』に向きあった人の貴重な実感である」[28]
 信心深いアフガニスタンの人々に対して,キリスト者はどう接するべきだろう。「公正を勝利に導くまで 彼は傷ついた葦を折ることもなく くすぶる灯心の火を消すこともない」(マタイ 12:20),と記されているように,「傷ついた葦」であるアフガニスタンの民衆の病気,孤独,飢餓,空爆,自縛テロと共苦することができるだろうか。「また,群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て,打ちひしがれているのを見て,深く憐れまれた」で言及されている (同 9:36)。 アフガニスタンの民衆に感情移入するのは,モノのゆとりからできるのではない。キリストの「最も小さくされた兄弟」たちと共生するのである。識字率が低い人々に,神学で武装した宣教は無意味である。非言語コミュニケーション[29],非宣教ケアが求められよう。言葉によって理解する習慣のない人々に示すことができるのは,上から与えるという姿勢ではなく,むしろ中村がしたようにこちらが仕えていくスピリットであろう。したがって,学歴,資格,専門的訓練は不要と言えよう。そんな遠回りする必要もない。中村もそれらを惜しげもなく捨てた。十字軍のように勇ましい宣教師はお断りだ。感染性の高い病気で苦しんでいる人たちには高価な薬を届けてくれる人の方が喜ばれる。手ずから働き,自分で生活する,つまり自立できるようになるためにはどうすればよいか,一緒に生きながら,親切なサマリア人が介抱するだけでなく,ちゃんと宿に泊まり,食事も食べるように気遣いを示したらよい。キリストは「行って,あなたも同じようにしなさい」,と述べた(ルカ 10:37)。
 「共生」Live together,「共苦」Share sufferings, 「苦縁」Relationship to share sufferingsすることによって,言葉によらず,生き様がタリバンをはじめとするアフガニスタン人から受けいれられる道であろう。

<結論> 
 西暦55年頃,パウロはエフェソで,偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされるような宣教はしなかった。進軍ラッパでキリストの旗を掲げて,十字軍のように敵陣になだれ込んでいく宣教をしたのでもない。使徒 19節37節で,捕縛されたパウロたちについて,その地域の人々がパウロについて語っている。「諸君がここに連れて来た者たちは,神殿を荒らしたのでも,我々の女神を冒瀆したのでもない」,と民衆から弁護されている。私たちも,他の宗教に対して,独善的で排他的な態度をとるべきでない。米国のブッシュ元大統領は,9・11テロ直後に,「善対悪の歴史に残る戦い」,と人心を煽った。自分達はキリストにあって「善」,一方,タリバンは「悪」という善悪二元論は,必ずしも敵ではないのに,人々を反対側のクラスに分けてしまう危険性があろう[30]。サタンと地獄に行くべき人間を滅ぼし,地上に神が直接統治する王国を建設,ローマ・カトリック教会,東方正教会,主要なプロテスタント教会はこの教義には否定的であるが,一部のファンダメンタリスト(特に宗教右派,宗教右翼に属する米国,韓国,台湾などの千年王国主義)がある[31]。いわゆるネオコンである[32]。二元論思考に犯されているのは,日本,東南アジア,香港のクリスチャンに多いことは憂慮すべき現象である。キリスト教会はイスラーム教=サタン,テロの狭量な見方をする傾向が強い。「これらを備えていない者は,目が塞がれ,近くのものしか見えず,自分が以前の罪から清められたことを忘れているのです」で指摘されているように,「目が塞がれ,近くのものしか見えず」のような近視眼的な罠にとらわれている(Ⅱペトロ 1:9)。アフガニスタンなどイスラーム教圏の人々と平和な関係を築けない。友好的な相互理解があって,はじめてピース・ビルダーとして,「いと高き所には栄光,神にあれ 地には平和,御心に適う人にあれ」の「平和」な関係を築き上げることができるだろう(ルカ 2:14)。なぜなら,イスラーム教徒も経典の民だからである[33]

説教原稿を翌週,神戸国際支縁機構の村田充八理事に校正していただきました。また不明瞭な箇所について訂正していただきました事務局の翻訳家徳留由美氏,佐々木美和氏にも感謝します。

[1] 「ターリバーン」という語はアラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」[パシュトー語]の複数形である。イスラーム神学校(マドラサ)で軍事的あるいは
神学的に教育・訓練された生徒から構成されている。単数形の「ターリブ」,二人以上なら複数形の「ターリバーン」が用いられる。

[2] 拙稿『祈りの波―パレスチナの悲劇に無関心であってよいのか―』 (2021年,5月28日付,2頁)。米国はアフガニスタンのタリバンに攻撃をした。 
孤児たちには何の罪もない。どうしてキリスト教国と言われる国が残虐さを剥き出しにしたのか。「キリスト教」の旗の下で,「和解」への道どころか,テロの温床を創造する破壊,抑圧,偏見の現実がつきつけられた。

[3] ジョージ・ウォーカー・ブッシュ[1946-] 米国第43代大統領・在任: (2001年1月20日-2009年1月20日)。

[4] 同時多発テロ事件後,歴代のアメリカ合衆国大統領の中で最高値である91パーセントにまで達した。“USAT/Gallup Poll : Bush approval at new low ; Republican support eroding”. USA Today. (2007年7月10日)。

[5] 『決断のとき 上』(ジョージ・W・ブッシュ 伏見威蕃訳 日本経済新聞社 2011年 294頁)。

[6] 『内村鑑三全集24』(岩波書店 1982年 554頁)。

[7] バイデン米大統領は2021年8月31日演説。「米国は昨夜(30日夜),米史上最も長い20年に及ぶアフガン戦争を終わらせた」。『ワシントン時事』。

[8] 入管収容者がハンストで半減 死亡例受け仮放免増加,出所後も困窮。『西日本新聞』(2020年4月6日付)。

[9] 『西日本新聞』(1987年9月14日付)。

[10] 拙論「アフガニスタンの人々と共に生きる」(2009年11月17日 KBH)。

[11] 『中小企業家しんぶん』(2014年8月5日付)。

[12] 拙論「アフガニスタンの人々と共に生きる」(2009年11月17日 KBH)。

[13]香田証生[しょうせい 1979-2004] 1997年3月以降,「NHK学園」に転入。中学は福岡県直方市にある植木中学校。高卒の資格を取得した後
はフリーター。福祉施設で介護の仕事など。熱心なキリスト者であった。後藤健二[1967-2015] 仙台市出身のフリーランスジャーナリスト。
後藤は,アフガニスタンの少女・マリアムの物語 『もしも学校に行けたら』を2009年,汐文社から発行。テロとの戦いの犠牲者の声を収録。
イスラーム過激派の「イスラム国」(ISIL アイシル Islamic State in Iraq and the Levant)にシリアで拘束され,2015年1月30日に殺害された。 

[14] 奥田知志エッセイ(2018年9月23日)。https://www.higashiyahata.info/topics/essay/society/1195

[15] 『朝日新聞』(2004年11月6日付)。

[16] エレミヤ 5章14節,アモス 4章13節,コリントの信徒への手紙 二 6章18節,黙示録 1章8節, 19章6節 (『フランシスコ会訳』参照)。

[17] 拙稿 『目薬』誌 №21 (2000年 7頁)参照。

[18] 拙論「キリスト教と非戦―武具を捨てよう―」(OCCカレッジ講義 2015年4月18日)。

http://kicc.sub.jp/2015/05/26/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%A8%E9%9D% 9E%E6%88%A6/

[19] ドナルド・トランプ [1946-] 前アメリカ合衆国大統領。実業家。第45代大統領(在任:2017年1月20日-2021年1月20日)は,2021年8月  
22日,トランプ前米国大統領はアラバマ州で「米軍が新型アパッチヘリコプター,武装したハンヴィー車両数千台,誰も見たことがない最先端装備など830億ドル(約9兆3100億円)の価値の装備を残して撤収した」と述べた。

[20] 「イスラム国」(ISIL)のアブバクル・バグダディ [1971-2019] サラフィー・ジハード主義組織ISILの指導者。カリフと称し,イラクやシリアでテロ活動。

[21] 『[新]キリスト教入門(2)』(新免 貢 燦葉出版社 2020年 69頁)。

[22] 『マガジン9』(2008年4月30日)。

[23] 『毎日新聞』(2013年6月7日付)。“「9条はリアルで大きな力「日本人だから」命拾い何度も”前は,日本は国連以上に信頼されていた。日本の旗をつけていれば,武装集団に襲われることはなかった。9・11以降は揚げていると逆に危なくなった。「中村さん狙う襲撃計画ある」地元政府と中村医師に説得。中村さんはボディガードをつけることすら信念に反するとして嫌がっていましたけれど,州知事が身の安全のためにガードしていた。『朝日新聞』(2019年12月7日付)。季刊誌『支縁』 No.30(2020年2月 4頁)。

[24] 『赤旗』(2021年2月14日付)。

[25] 村田充八レジュメ「憲法9条――過去・現在・未来――」(2021年9月)。

[26] 『官邸の暴走』(古賀茂明 角川新書 2021年 139頁)。

[27] 『西日本新聞』(2001年10月14日付)。

[28] 『東京新聞』(筆洗2021年8月28日付)。

[29] 非言語コミュニケーション 表情や視線,姿勢など「動作で表れるもの」と,声の大きさや話す速度など「言葉を発する際に表れるもの」,
また,相手との間にある距離感のように「空間に表れるもの」

[30] 拙稿 『目薬』誌 №23 (2001年 3,5頁)参照。

[31] 『キリスト教平和学事典』(樋口 進他 関西学院大学キリスト教と文化研究センター 2009年 241頁)。

[32] 1981年以降,米国における新保守主義 ネオコンサバティズム Neoconservatismの略。

[33] 「キリストはキリスト教だけのものではない―第1次トルコ災害ボランティア―」 2020年12月6日

http://kicc.sub.jp/wp-content/uploads/2020/12/dc48eba8d179d4535999e9c361a0e979.pdf

アフガニスタン・イスラム共和国国歌

 

 

『BBC』(2021年8月16日付)。